E.モラン、S.ナイル、D.サルナヴ「イスラエル−パレスチナ問題という癌」

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2002年6月4日づけのル・モンドエドガール・モラン、サミ・ナイル、ダニエル・サルナヴの3人は連名で「Israël-Palestine : le cancer イスラエルパレスチナ問題という癌」という記事を発表した。この記事を以下に訳出紹介する前に、それが置かれた時代的、社会的文脈を少し確認したい。


2000年7月末の中東和平キャンプ・デイヴィッド首脳会談の失敗、同年9月のアリエル・シャロン(当時野党のリクード党党首)のアルアクサ・モスク訪問をきっかけに、パレスチナイスラエル間の新たな大規模衝突−−パレスチナ側の抵抗に焦点をあてれば第2次インティファーダ−−がはじまった。紛争は、緊張増加を背景とするイスラエル国内世論の支持を得て翌年首相に選ばれたシャロンの強硬な治安策強化・軍事行動と、それと対になって増加する爆弾テロで休むことなく激化し、 2002年4月のイスラエル軍によるジェニン難民キャンプの大規模襲撃によって頂点に達した。

第2インテイファーダ期のこうした紛争の激化は、フランスの世論・言論界にも大きなインパクトを与えた。それまでは潜在的な形で、あるいは一部でのみくすぶっていた、ユダヤ系住民(多くの部分がイスラエルに連帯を示す)とイスラム系住民(多くの部分がパレスチナの人々に連帯を示す)の間の中東問題の評価をめぐる対立が、顕在的に正面衝突するようになった。

言論界ではユダヤ系の知識人と、イスラム系の移民出身の知識人やもともとパレスチナの人々に強い連帯を示していた左翼系の知識人の間での論戦が激しくなり、直接パレスチナ問題に関わりがない問題にも、パレスチナ問題におけるそれぞれの立場による差異、あるいは差異と外部から想定されるものが、影を落とすようになってきた。

陣営にかかわりなく、先鋭化し互いに過激化する対立を理性的な議論にもどそうという冷静な人々のイニシァティヴで、討論やシンポジウムも行われたが、多くが「あちらかこちらか」という二分論による攻撃の中で泥まみれになり、人々は、ある者は一方的攻撃に対する反発・防御反応から極端な者たちの陣営に退却し、ある者は自己の意志とは関係なくあちらかこちらの陣営に分類されていった。また、ホロコースト否定主義の気運が広まり、それに対抗するように一種の言葉狩り的状況が生まれ、それに対してまた、このあと顕在化していく「ショア・ビジネス批判」につながる見解も聞かれるようになってきた。

イスラム系住民とユダヤ系住民の間での相互不信の高まりは、小中学校内でのハラスメント、暴力事件、宗教的施設の損壊行為などとして現われるようになってきた。そうした事件をめぐる報道や統計の発表さえもが論争のまとになり、さらに相互不信をつのらせる種となった。


2002年6月に発表された問題のモラン、ナイル、サルナヴの論文は、こうした中で、憎悪の連鎖の元にあるパレスチナ問題を正面から見、現状を確認し、連鎖をいったん断ち切り、対話を取り戻そうという緊急の問題意識から書かれた。エドガール・モランは、紹介するまでもないだろうが、一都市での三面記事的なうわさの裏に潜む反ユダヤ的偏見の構造を分析してみせた『オルレアンのうわさ』や近年では複雑系の理論の思想的応用で有名な社会学者・思想家。アルジェリアユダヤ系の家系に生まれている。サミ・ナイルはアルジェリア系の政治学者で1999年から2004年まで欧州議会議員(社会党市民運動連合リスト選出)を務め、マグレブ系・アラブ系・イスラム系移民の視点から積極的に発言している。ダニエル・サルナヴは作家・翻訳家でパリ第10大学で教鞭をとるとともにル・モンドの定期的寄稿家である。1998年には自らのパレスチナ体験に基づいた『占領下パレスチナの紀行−ガザ・ヨルダン西岸1997年11月 Carnets de route en Palestine occupée, Gaza-Cisjordanie, novembre 1997』を出版している。

イスラエルパレスチナ問題という癌
エドガール・モラン、サミ・ナイル、ダニエル・サルナヴ
ル・モンド、2002年6月4日

Israël-Palestine : le cancer
Par Edgar Morin, Sami Nair et Daniele Sallenave
Article paru dans Le Monde daté du 04.06.02*1


イスラエルパレスチナ問題という癌は領土問題をめぐる病理から生まれた : 一つの同じ地域に二つの国が作られたことである。これが二つの政治的病理の元となった。片方は支配から、もう片方は剥奪から生まれた。この癌は、一方では、過去において迫害された民族の歴史的恐怖感と地理的な不安定性、そしてもう一方では、現在において迫害され、そして政治的権利を奪われている民族の不幸によって成長していった。昨日の被抑圧者から明日の抑圧者、とヴィクトル・ユゴーは言った。イスラエルは、ナチによる絶滅の試みにまでいたる数世紀にわたる迫害の被害者となったユダヤ人の代弁者を名乗る。その誕生において、アラブ諸国からの攻撃を受け、死滅の危機にあった。以来、イスラエルは、アメリカの援助を得て核兵器を備え、地域のスーパーパワーとなった。

しかしシャロンは、イスラエルの存亡のために戦っているのだと主張する。パレスチナの人々を抑圧し窒息させ、学校を文書庫を登記簿を破壊し、家々を壊し、水路をずたずたにし、ジェニンで虐殺を行い、しかもその規模を調査することさえ禁じながら。

生存の危機を根拠にする議論は、イスラエル人の間に1948年の不安を掻き立て、アウシュヴィッツの亡霊を演じさせるために役立つものでしかない。すでに存在しない過去に幻影による現在性を与えながら。こうして新たなインティファーダは不安を掻き立て、その不安が再征服主張者シャロンを権力の座につけた。

が実際のところシャロンは、テロルによってイスラエルの当座の安全を確保しようとしながら、中東におけるイスラエルの存続を危うくしている。シャロンは今日の勝利が明日の自殺を準備しているということを知らない。短期的には、ハマスシャロンの政治を作りあげているが、中期的には、シャロンハマスの政治を作りあげることになる。ある限界を越えないところでは、インティファーダイスラエルを交渉へと無理矢理向かわせたが、限度を越えるとそれは、自殺テロに激昂した犠牲者としての恐怖心を呼びさまし、そして過酷な弾圧が脅威への正当な反撃と思われるようになる。もし外部から止めるものがなければ、シャロンイスラエルは、断片化されたパレスチナ領のバンツースタン化を少なくともめざすことになるだろう。

犠牲者だったという意識がまさにイスラエルパレスチナ人の抑圧者にするのである。ユダヤ人が犠牲になった歴史を特別化して他のそれ(ラーゲリでの、ジプシーの、奴隷黒人の、アメリカインデイァンの)を平凡なものにしょうとする「ショアー」なる語が、パレスチナ人に対する植民地主義アパルトヘイト、ゲットー化を正当化するものとなる。

この被害者意識は当然、状況と出来事にたいする一面的な物の見方を伴う。

シオニズムの当初から、「民なき土地に土地なき民を」という標語は、そこにそれ以前にパレスチナ人が住んでいるという事実を覆い隠した。ユダヤ人が一つの国を持つ権利が、パレスチナ人が自分たちの国を持つ権利を覆い隠した。

パレスチナ難民の帰還の権利は今日、パレスチナに一度も住まなかったユダヤ人の帰還の権利と対称にみなされることはなく、犠牲であると同時にイスラエルの人口学的自殺を要求するものだとみなされている。この権利は、交渉可能条件の中での分配であり得たはずなのに。

自殺テロが行っているように、集団責任の原則によって一般市民を殺すというのは恐ろしいことだ。しかしそれは、サブラ・シャティラの、レバノン北部の時代そして今日いたるまで、そして悲しいかなおそらく明日もイスラエルが、一般市民、女性、子供を爆撃することで、そしてテロ攻撃の犯人の家族の家をや畑を破壊することで適応している原則なのである。パレスチナの市民犠牲者は今やイスラエル人の犠牲者の15倍から20倍になっている。いったい慈悲心というのは一方にだけ向けられ、片方には向けらずともいいというものなのだろうか。

イスラエルは、パレスチナ市民に対する自らの国家のテロリズムを自己防衛としてしか見ず、パレスチナレジスタンスの中のテロリズムしか見ようとしない。そのユニラテラリズムは、イスラエルパレスチナ自治政府の最終的な交渉の失敗をアラファト一人の責任に押しつけている。そのユニラテラリズムは、オスロ合意以来たえまなく占領地域に入植が進められる事実を覆い隠し、ヨルダン渓谷地域の入植地域とイスラエルによる制圧を温存しながら限定的、断片的な土地返還を「気前のいい提案」と見なそうとする。

交渉の複雑な歴史は、この「気前のいい提案」がオールオアナッシングで拒否されたという一方的な見方、そしてそのいうところのオールオアナッシングの拒否はイスラエルを滅亡させる意志だという解釈によって、かき消される。

ユニラテラリズムは弾圧とテロの−−そして両陣営の極端な集団によって強さを増す−−仮借のない弁証法を覆い隠す。それは、シャロンのモスク訪問が仮借のない悪循環を強化し、両陣営の最悪な部分を力づけるものでしかないという事実を覆い隠す。

片方の最悪がもう片方の最悪を次々呼ぶこの恐ろしい悪循環は、イスラエルにおいては国家主義原理主義的グループに権力を与え、植民者出身の将校たちをツァハルのトップにつけ、そしてこの占領軍のある部分を略奪や殺人、ときには虐殺(ジェニン)までをもおかす無規律な兵士集団に変えた。そしてそれは、パレスチナの若者たちに対する狂信的宗教運動の威光と影響力を高めた。

もちろん、パレスチナ側の一種のユニラテラリズムというものもある。しかし本質的には、PLOがその憲章でイスラエルの存在否定の原則を放棄して以来、パレスチナ自治政府はその占領者に対し主権国家の権利−−後者が前者に対し拒否している権利−−を認めている。シャロンはいまだ「領土とひきかえの平和」の原則を拒否し、オスロ合意を一度も認めず、ラビンを裏切り者と見なしている。

西洋では、メディアはひっきりなしにイスラル−パレスチナ戦争について語るが、この語の偽の対称性は手段のアンバランス、死者のアンバランス、ライフルやカラシニコフに対する戦車やヘリコプター、ミサイルの戦争というものを覆い隠す。偽の対称性は力関係の全面的なアンバランスを覆い隠し、この紛争は占領を強める占領者と抵抗を強める被占領者の間の対立だという単純な事実を覆い隠す。

その偽の対称性は権利と正義は抑圧される者の側にあるという事実を覆い隠す。それは二つの陣営を同じ平面におく。戦争をする手段を持たず散発的なレジスタンやテロで抵抗する片方に対して片方が戦争をしかけているにもかかわらず。そしてまた、シャロンアラファトの間にも偽の対称性がある。一方は国連に挑戦し、アメリカの(たしかに手ぬるくはある)非難に挑戦できる力を持っている。もう片方はしだいしだいに力を失っている。アラファトに対し、その行動を不可能にしながら、テロをやめさせるよう要求するのはあきれた茶番である。

追われた者たちの国、人類の歴史の中で最も長く迫害され、最悪の辱めと最悪の軽蔑を経験した民族から生まれた国が、2世代の間に「圧迫し慢心した民」となり、賞賛すべき少数者を除いて、他に屈辱を与えることに満足を見出す尊大な民になったということを想像するのは困難なことだ。

メディアは、幾重ものそして絶え間ない軽蔑の発現、身分証検査で、家宅で、通りで経験される幾重ものそして絶え間ない屈辱をうまく伝えない。この軽蔑と屈辱の論理はイスラエル人に特有のものではない。それは人間以下の状態におかれた人々を前に征服者が優越意識をいだくというあらゆる占領行為に固有のものだ。そして反抗の兆候や動きが見られるや、支配者は容赦のない姿を見せる。イスラエルがフランスに自分たちがアルジェリアで行った植民地主義的抑圧を思い出させるのは正当である。そしてそれは、イスラエルパレスチナ人に対し、少なくとも、フランスがアルジェリアに対して行っていることを示しているのだ。ヨルダン西岸を再占領しようとする最近の動きの中で、ツァハルは略奪、無益な破壊、殺人、処刑の行為に赴き、そこで優等人種としてふるまう選ばれた民の姿をみせた。戦車や大砲にしか目を向けない者、軽蔑と屈辱に目を向けない者は、パレスチナの悲劇に一方的な見方しか持たない。

テロリズム」という語は、あらゆる占領者、征服者、植民地主義者によって、国民的抵抗を形容するために濫用された。そうした抵抗のいくつかのものはたしかに、ナチがヨーロッパを占領していた時代と同じように、テロリスト分子、すなわち主として一般市民を襲うものを含んでいた。しかし、国民的抵抗をテロリストの部分だけに−−たとえそれが大きなものであろうと−−帰着させるのは不当である。そして特に、地下テロリズムと、圧倒的な兵器を持つ国家のテロとを同じ尺度で測ることはできない。二つの武力の間にアンバランスがあるように、二つのテロルの間にアンバランスがある。人間爆弾によって虐殺された一般市民犠牲者を前にした恐怖と憤激は、その犠牲者がパレスチナ人であり、人間爆弾でない爆弾=非人間的爆弾であるときには消えなければならないだろうか。

人間爆弾となった若者、娘たちの問題について問いを投げかけることを恐れてはならない。絶望がたしかに彼らを突き動かした。しかしその要素だけでは十分ではない。そこにはまた非常に強い復讐の動機もある。これは、極めて根深いアルカイックな論理の中で、特に地中海地域において、復讐を罪の張本人だけでなく、それが属する共同体全体にもたらすことを要求するものである。それはまた、絶対的な反抗の行為、父や家族が屈辱を蒙ったのを見た子供が、失われた名誉を回復し、殺人の中で死ぬことで自らの尊厳と自由を取り戻す手段としての反抗の行為でもある。

そしてまた、自らの生命の犠牲によって民族の解放の大義を増そうとする殉教者への賛美もある。当然、そうした行為の裏には、爆弾と戦略をさずけ、教化によって殉教への意志や良心の呵責の不在を強めようとする政治的・宗教的組識がある。そして人間爆弾の戦略は、イスラエルとのあらゆる妥協、あらゆる和平を−−将来のイスラエル国家の抹消のチャンスを温存しようとして−−挫折させるために極めて効果的である。人間爆弾は、一人の若者のレベルでは究極的な実存的行為であると同時に、過激組識にとっての政治的行為でもある。

そしてここでわれわれは信じがたい逆説を前にする。ゲットーというアパルトヘイトの犠牲者の子孫であるイスラエルユダヤ人がパレスチナ人をゲットーに押し込めている。辱めを受け、蔑まれ、迫害されたユダヤ人たちが、パレスチナ人を辱め、蔑み、迫害している。残酷極まりない体制の犠牲になったユダヤ人たちがパレスチナ人たちに残酷極まりない自分たちの体制をパレスチナ人に押し付けている。非人間性の犠牲となったユダヤ人たちが非人間性を示している。あらゆる悪のスケープゴートとなったユダヤ人たちが、アラファトとパレチナ自治政府スケープゴートとし、テロの防止を防止しなかったとし、その責任者とされている。

イスラエルパレスチナ問題という癌から生まれた反ユダヤ主義の新しい波がアラブ−イスラム諸国全体に広がり、マンハッタンのツインタワーの破壊をイスラム世界の抑圧を正当化するためのユダヤアメリカの陰謀だとする噂までが世界的に広がる。

その隣人のイスラエル人のほうでは、テロがあるたび「アラブ人に死を」を叫ぶ。ユダヤ世界に反アラブ主義が広がる。西洋各国でユダヤ人の代表と自らを称する「共同体」組識がユダヤ人の世界をイスラエルへの無条件の忠誠の中へひきこもらせようとしている。

お互いを強め合う二つの憎悪の弁証法、二つの軽蔑−−植民地化されたアラブ人にたいするイスラエル人支配者の軽蔑、そして伝統的なヨーロッパの反セム主義のあらゆる要素から養分を受ける新しい反ユダヤ的軽蔑−−の間の弁証法が輸出されていく。イスラエルパレスチナの状況の悪化とともに、二重の思考麻痺、反ユダヤ的なそれとユダヤ中心的なそれが、ユダヤイスラムの民が共存しているあらゆるところへ広がっていく。イスラエルパレスチナ問題という癌は世界じゅうに転移しつつある。

フランスのケースは多くを語る。アルジェリア戦争とその傷痕、そしてイラク戦争にもかかわらず、イスラエルパレスチナ問題の癌にもかかわらず、ユダヤイスラムの人々はフランスでは平和に共存してきている。

にもかからわずセグレゲーションが始まっている。イスラエルに同一視されるユダヤ人へのひそかな恨みがマグレブ出身の若者の中にくすぶっている。一方で、ユダヤ人共同体のためとされるユダヤ人組識が、フランスの国の中でユダヤ人への例外的扱いと、イスラエルとの無条件の連帯を存在させ続けていく。

シャロンによる仮借のない弾圧が、心の中の反ユダヤ主義を、シナゴーグや墓地への攻撃といった、憎しみの最も激しい行為へと変えていく。しかしそれはリクードの戦略を強化する。すなわち、フランスではユダヤ人の安住の場所はなく、反セム主義が戻ってきたと証明し、彼らがフランスから離れイスラエルへ移住する動機をあたえるというものだ。われわれはこれと反対に、イスラムユダヤの人々の間の連帯を作る力としての市民についてのフランス的な考えを動員するべきではないだろうか。

セム系の人々−−今日40%以上のイスラエル人がアラブ諸国から来ていることを忘れてはならない−−はいつの日か自分たちのアイデンティティが従兄弟の関係にあること、言語が近しいこと、同じ神をいだいていることを認めることができる。自由を求めることで有罪とされている人々にふり下ろされる途方もない懲罰は、やっと、世界に控えめがちな非難以外のリアクションを起こすきっかけとなるだろうか。国連が介入軍を導入することが可能になるだろうか。シャロンは自らの政策を放棄しなければならなく可能性はある。

2001年9月11日には、しかしそれどころかシャロンを元気づけるような電気ショックがあった。アメリカの「テロとの戦争」は、彼がパレスチナレジスタンスを西洋に敵対するテロリズムの中に含めることを可能にした。イスラエルパレスチナの直接の対決が、二つの国の間ではなく二つ宗教、二つの文明の対立となるといったぐあいに。そしてシャロンが、原理主義の野蛮に対する大十字軍の一員として登録することを可能にした。

実は逆の電気ショックもやってきた。あらゆる国連決議に従って1967年の国境線を回復することを条件に、すべてのアラブ諸国イスラエルの存在の最終的に承認するというサウジアラビアの提案である。この提案は国ぐにの間の包括的な平和を可能にするだけでなく、イスラムの聖地に責任を持つ国から永続的に認められるであろう宗教的な平和を可能にすることになるかもしれない。したがって、国際社会の保証を含むある合意に達するための国際会議を開催できる可能性はある。

いずれにせよ、極めて大きな責任を担うアメリカは、イスラエルに対し、援助を凍結するという威嚇によって決定的な圧力を加える力を持っており、また安全保障同盟を結ぶことで決定的な保証を与える力も持っている。

問題は単に中東だけのものではない。中東は、東と西、北と南、富める者と貧しい者、非宗教と宗教、複数の宗教どうしが対立する、世界の震源地である。イスラエルパレスチナ問題という癌が地球上に放とうとしているのはこうした対立なのである。問題は、真実と正義が解きがたく結びついている紛争というだけのものではない。それは、われわれの世界を蝕み、連鎖的に次々と地球規模の破滅的事件をもたらす問題なのである。


文章が書かれたのは、ジェニンの事件の2か月あとで、事件に際してのイスラエル軍の行動やイスラエル政府のあのときの態度に対する書き手たちの怒り、それに続く言論界における緊張のようすが今読んでもはっきり伝わってくる。

その後さらにさまざまなことがあった。そして、不幸なことに、彼らの描いた憎悪のスパイラル、紛争の世界中へのそしてフランスへの転移はそれからさらに進行していった。

イスラエルによる分離壁の建設、それとセットになったようなガザからの撤退宣言、アラファトの軟禁と死、自治政府の治安機能低下とテロの激発、自らよりもさらに過激な者たちを抑えられなくなってきていたシャロンの−−健康上の問題とあいまった−−政治的生命の終り、ハマスパレスチナ自治区での議会選挙勝利、そして3月15日のイスラエル軍によるエリコ刑務所襲撃。その間にフランスではイスラエルパレスチナ問題の転移によるユダヤ系の住民とイスラム系住民の対立、両者のフランス社会に対する不満は深化した。

そしてこの文章の運命そのものが、紛争の転移の中に皮肉にも巻き込まれた。

3人の執筆者エドガール・モラン、サミ・ナイル、ダニエル・サルナヴとル・モンドの社主で主筆のジャン=マリー・コロンバニは二つのユダヤ系団体から、この記事が人種差別的侮辱にあたるとして告訴された。2004年5月にナンテールの大審院では無罪判決がいったん出たが、翌年6月26日、ヴェルサイユの控訴院で訴えが認められ、逆転敗訴となった*2。ペナルティは2つの団体に払う1ユーロの象徴的賠償金とル・モンド紙への有罪判決広告掲載という最低限のものであったが、何よりも人権や差別とたたかっているはずの3人の著者とル・モンドが、人種差別の廉で法的に裁断されるという屈辱をこうむることとなった。モランはすでに1997年9月11日リベラシオンで、2002年の連名記事のと論理の骨子を共有する「イスラエルパレスチナ 二重の視点 Israïl-Palestine : Le double regard」という文章*3を発表しており、2002年の記事の発表は長年の確固たる信念に基づいているものだが、84歳になって人種差別主義者の刻印を捺されたショックは大きく、判決直後のリベラシオン紙のインタビュー(6月29日)では、「いかなるときいかなる相手にもレッテルばりを避け、それを信条としてきた自分の一生を否定された」という趣旨の発言をしている。

3人の執筆者とル・モンド社主へのこの判決に対しては、ユダヤ系の知識人を含む多くの人の抗議があったが、抗議運動は言論界をたばねるほどの盛り上げは見せなかった。代りにユダヤ系組識からの攻撃は執拗に続いている。一方、ユダヤ人のパレスチナ占領に憤りを感じる人々からは、この文章は、そのイスラエル批判のトーンの強さゆえに好意的に迎えられはしたが、自爆テロに宗教的意味づけをして政治的に利用することへの批判の部分が真剣な問いとして受け止められることはなかった。執筆者と新聞が訴えられ有罪とされた事実が、フランスの言論が「シオニスト」に支配されている例証にさえ使われるようになった。その出自を異にする複数の書き手によって和解の糸口をめざして書かれた論文が、皮肉にも、悪循環にすくいとられ、その悪循環をさらに深めるのに貢献する道具してさえ使われることとなった。

すでに裁判の判決に先立ち、2002年6月の記事から2年もしない2004年2月18日にモランはルモンドに「反セム主義、反ユダヤ主義、反イスラエル主義 Antisémitisme, antijudaïsme, anti-israélisme」という記事*4を書き、ユダヤ人自身そしてイスラム世界における、これらの概念の混乱、ユダヤ人−シオニズムイスラエルの同一視を問題にし、概念の切り分けを行った。イスラエルの行動とこれらの概念の混乱の組み合わせがユダヤ人全体に対する新たな迫害を生み出しつつあることに対する恐れがそれを書かせた。自らが2年前に恐れた事態がはるかに進行している地点で、彼はあらたな対応をせまられることになっていた。記事をモランは次のように結んでいる。

パレスチナ人が今日辱められ、侮蔑されていることははっきりしており、いかなるイデオロギー的理由をもってしても、彼らに対する共感をわれわれから遠ざけることはできない。たしかにイスラエルは侮蔑し辱める側だ。しかし、反ユダヤと化した反イスラエルのテロの中には、ユダヤ人の存在そのもの対する究極の侮蔑がある。ユダヤ人を男も、女も、子供も関係なくまとめて殺すこと、ユダヤ人すべてを殺すべき獲物とし、せん滅すべきネズミとすること、それはユダヤ人全体を辱め、傷つけ、侮辱することである。シナゴーグを襲撃し、墓を汚すこと、すなわち聖なるものを冒涜すること、それはユダヤ人を不浄のものと扱うことである。ユダヤ人に対する恐ろしい憎悪がパレスチナで、そしてイスラム世界で生まれていることは確かだ。その憎悪は、ユダヤ人すべての死をめざしているものであるとしたら、恐るべき辱めである。激しい勢いで広がる反ユダヤ主義ユダヤ人の新たな不幸を用意する。そのようにして、またもやとめどないしかたで、辱め、侮蔑する者が、自ら侮蔑する者であり、再び辱められるものとなるのである。同情や憐れみの情はすでに憎悪と復讐心の氾濫の中に溺れてしまった。この恐ろしい事態の中で次のように言う以外に何かことばがあるだろうか。メーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』の中で老王アルケルは悲しくこう言う−−「もし私が神だったら、人々の心に憐みをいだくだろう。」*5

*1:原文は、ル・モンドのサイトでは有料領域に入っているが、いくつかのサイトに転載されている。例えば http://www.monde-solidaire.org/spip/IMG/pdf/Israel.pdf (PDFファイル)

*2:上の訳文で17段落目の「追われた者たちの国、人類の歴史の中で最も長く迫害され...」以下ののくだりと、22段落めの「ゲットーというアパルトヘイトの犠牲者の子孫であるイスラエルユダヤ人がパレスチナ人をゲットーに押し込め...」以下のくだりが問題となった。

*3:再録するサイトのページは : http://nicol.club.fr/ciret/bulletin/b12/b12c13.htm

*4:再録するサイトのページは : http://www.communautarisme.net/Antisemitisme...

*5:第4幕第2場

イスラエル軍のエリコ刑務所襲撃の翌日、仏紙から

リベラシオン社説

「短期的視点」
Court terme

2006年3月15日 リベラシオン 中東問題−社説
ピエール・アスキ
Editorial Proche-Orient
par Pierre HASKI
QUOTIDIEN : mercredi 15 mars 2006

エリコの刑務所に対する昨日の派手な−−パレスチナ自治区と呼ばれている地域での−−軍事作戦によってイスラエルは何を得たのだろうか。

たしかにパレスチナ過激派指導者アフマド・サアダトの拘束は、2001年にPFLPがその議長の殺害の報復として行った作戦で超タカ派のレハヴァン・ゼエヴィ観光相を殺害して以来、イスラエルの指導者たちの長いことの目標であった。すでにもう長いこと両陣営を対立させている人身攻撃の悪循環の一種の帳尻合わせというわけだ。

この事件が例外的とはいえないにせよ、その時期は明かに陳腐ではない。

イスラエルの議会選挙を2週間以内に控えて、イスラエル首相、カディマ党党首としてのアリエル・シャロンの後継者は、かつての自党リクードの進路を絶つために、右派世論に対する保証書を乱発している。エユド・オルメルには、その前任者の持つ、あるいはそのライバルのベンヤミン・ナタニャフの持つような軍歴がない。彼は昨日、リスクを伴う作戦を開始し首尾よく遂行できる能力をみせた。しかし、いかなる代償を伴って。

エリコの作戦の映像、とくに、パンツだけで軍事車両に乗せられる拘留者たちの映像は、パレスチナの地ではどれも屈辱として感じられるだろう。もう一つの別の刑務所、イラクのアブ・グライブの映像を−−状況に共通性はないものの−−思い起こさずにいられようか。アメリカの政策の信用を落とし、アメリカの駐留に対するレジスタンスを供給するのにあれだけ役割を果たしたその刑務所のイメージに。昨日のイスラエルの軍事力の誇示は、先の選挙においてハマスに投票したことが「間違っている」ということで経済制裁をすでに受けはじめているパレスチナ領内においてルサンチマンとフラストレーションを強める危険性をなにより持っている。とにかくにも二つの民族の共存の道を探ると言っていた政府にしては、驚くべき短期的視点による計算である。

ル・モンド社説

署名なし。ネット版15日づけ、紙版翌16日づけ。

辱められたアッバス
Abbas humilié

2006年3月15日 ル・モンド 社説
Edito du Monde
LE MONDE | 15.03.06 | 13h08

エリコの刑務所の拘禁者を拘束するためのイスラエルの攻撃以来起きている外国人の誘拐は、ガザのブリティッシュ・カウンシルの攻撃とともに、断固として非難されなければならない。許し難いこの行為はまったくばかげている。人道支援組識の人員やガザの生活の困難さを報道しに来ているジャーナリストを脅迫することで、パレスチナ大義によりよい反響は得られはしない。そしてまた、エリコのこの事件はパレスチナ陣営の大きな孤立を浮かびあがらせる。

28日の選挙を2週間後に控え、エウド・オルメル首相は、最初から成功の疑いのない攻撃作戦によって、その凡庸な軍歴に飾りを加えるのが賢明だと踏んだに違いない。しかしこのイスラエルの「勝利」は多くの疑問を提起する。その第一は、パレスチナ人に加えられた屈辱、とくに自治政府リーダーのマフムド・アッバスに加えられたそれである。彼の責任のもとに置かれた拘禁者を力づくで奪うことで、イスラエルは、この忍耐強い対話の擁護者が自分たちにとってはいかに意味のない存在かということを、この上もないやり方で言ってみせることになった。

その選出から1年少したって、アッバス議長は自らのイスラエルとの関係の結果がどうだったか点検してみることができる。ガザはかつてないほど締め上げられている。完全に占領されたヨルダン西岸は「イスラエル国防軍」の囲い地になっている。これでどのように交渉の利点を納得させることができようか。それどころか、力だけが結果をもたらすというハマスの主張が大きく強められる。

問題に関与している国際社会−−アメリカとEU−−によるイスラエル攻撃に対する優柔不断な黙認にはまた困惑するばかりである。2月25日のハマスの勝利以来、イスラム主義者が力を失うのを待ちながら「穏健派」を力づけるべきであると人は信じた...そしてこうして今、「穏健派」が馬鹿を見ている一方で誰も声を上げるものがいない。どうやって、パレスチナ人たちに「テロリスト組識のインフラ」解体を要求し、そして同時に、その領土内でイスラエルが好きなことを行うのを認めることができようか。

エリコの攻撃は、破産状態にあるパレスチナ自治政府の執拗な破壊の新しい段階である。自治政府は自らが受け取る権利があり主に学校や病院の運営のために使われる金をすでにイスラエルによって奪われている。アメリカとヨーロッパはそれに対して何も言えず、そして自らも、パレスチナ領において現在唯一の安定勢力であるハマスの「抑止 containment」の名のもとに生活の糧を絶とうと威嚇している。アメリカ、ヨーロッパはそうして10年以上にわたり多くの代償を払ってその建設に貢献してきたものを投げ捨てる危険、危機に危機を加える危険、自らの望まない西洋への憎悪を育てる危険を犯している。

仏・韓のジャーナリストは解放

よかった。記事はあとで。

イスラエル軍、エリコの刑務所攻撃

14日火曜日パレスチナでの、イスラエル軍によるエリコ刑務所の攻撃のNouvelObs による時事刻々特別ページから。時間はすべて中央ヨーロッパ時。

  • 9h05 エリコ イスラエル軍は、イスラエル閣僚殺害を非難されているPFLPの責任者らが拘留されているエリコの刑務所を包囲
  • 9h15 エリコ エリコの刑務所の前でイスラエル軍兵士とパレスチナ人の衝突が勃発。
  • 9h55 エルサレム イスラエルの公営ラジオは、イスラエル軍の目的はイスラエル閣僚殺害の犯人とされているPFLPの責任者らの拘束と発表。
  • 10h10 ガザ イスマイル・ハニヤ、パレスチナ新首相は、エリコの刑務所に収容されているアフマド・サアダトPFLP議長の「生命に対する攻撃」の危険性を警戒。
  • 10H15 エルサレムイスラエルのゲデオン国内治安相は2001年のイスラエル閣僚の暗殺犯人のパレスチナ活動家を拘束するつもりであると確認。
  • 10h25 エリコ エリコの刑務所に向けて行われたイスラエル軍の作戦によりパレスチナ人一人が死亡。
  • 11h10 ラマラー パレスチナ自治政府のマフムド・アッバス議長はエリコの刑務所で行われたイスラエルの作戦を非難、米英の監視団にその責任があると述べる。
  • 11h20 ガザ パレスチナの治安筋は、PFLPのメンバーによって一時的に誘拐されたアメリカ人一人を治安当局が解放と発表。
  • 12h10 エリコ イスラエル軍はエリコの刑務所の中に侵入。被拘留者、看守、治安係の拘束を開始。
  • 12h20 ガザ 殉教軍アル・アクサは英米の市民に対し「ただちに」パレスチナ領を離れない場合は攻撃すると警告。
  • 12h30 エリコ アフマド・サアダトPFLP議長は、本人も他の被拘留者も、刑務所施設を包囲するイスラエル兵士に「投降」することはないと宣言。
  • 12h45 ガザ 数百人のパレスチナ人がガザのイギリス文化センターを包囲。建物に放火。
  • 13h00 ウィーン マフムド・アッバス議長がオーストリア訪問中のパレスチナ自治政府はエリコで展開中のイスラエルの軍事行動を「即時」に中止するようアピール。
  • 13h40 ドバイ ハマスの幹部ハレド・メシャールはカルテット(米・EU・露・国連)に対し「現状を救うために介入」しエリコのイスラエル軍の作戦を中止させるようアピール。
  • 14h20 ダマス ダマスに拠を置くパレスチナ10団体はアフマド・サアダトPFLP議長の声明の危険を警戒。
  • 14h45 ロンドン イギリス外務省は「プロフェッショナルによる厳重な警備を受けていない」すべてのイギリス人に対しパレスチナ領を離れるよう勧告。
  • 14h50 パリ 「世界の医療団」はそのメンバーのフランス人女性二人がガザでPFLPにより誘拐されたことを確認。
  • 14h50 ガザ 外国人3人を含む4人が武装した者らによりガザのホテルで誘拐。
  • 14h55 パリ 外務省は「世界の医療団」の二人のフランス人女性の誘拐を確認。
  • 15h00 ガザ 赤十字のスポークスマンはスイス人職員がガザ地区南部で武装・覆面したパレスチナ人たちによって誘拐されたと発表。
  • 15h30 パレスチナ警察はガザ地区で外国人攻撃するパレスチナ人に対する発砲を警官に命令。
  • 15h35 ガザでの警官と群集衝突によりPFLPのメンバー1人が死亡、他の7人が負傷。
  • 15h55 フランスを含む少なくとも4か国の外国人は、武装グループによる外国人誘拐警告のあと、パレスチナ治安当局の建物に避難。
  • 16h00 ロンドン イギリスのジャック・ストロー外相はエリコの刑務所の監視団の撤退を「安全上」の理由から正当なものだったと説明。
  • 16h00 ラマラ ジェニンの米大学でアメリカ人教員一人が武装グループにより誘拐。
  • 16h00 ロンドン ブリティッシュ・カウンセルのディレクター、デイヴィッド・グリーンはガザのイギリス文化センターがパレスチナの活動家によって攻撃され、「深刻な被害」を受けたと確認。
  • 16h15 カイロ エジプトの外交責任者は、エリコでのイスラエルの作戦を中止させるため各方面と協議中であると述べ、「激しい憤り」を表明。
  • 16h30 カイロ アラブ同盟のアマル・ムーサ事務局長はエリコの刑務所でのイスラエルの作戦を「強く」避難し、国際社会がこれを終了させるよう迅速に行動するよう呼びかける。
  • 16h30 エリコ パレスチナの治安筋は、イスラエル軍のエリコ刑務所への作戦で、パレスチナ人2人が死亡、18人が負傷と確認。
  • 16h30 ガザのアメリカン・スクールのオーストラリア人教師2人が誘拐。
  • 16h40 ジェニン イギリスのジャック・ストロー外相はパレスチナ領で行われた「恐るべき暴力行為」を下院で批判。
  • 16h45 ガザ オーストリア人の2教師解放。
  • 17h00 ジャカルタ アメリカはエリコの刑務所からの欧米監視団の撤退を「治安上の不安」から正当のものだったと述べ、イスラエル人、パレスチナ人に平静と自制を呼びかける。
  • 17h00 エリコ エリコ刑務所施設内で激しい銃撃戦。
  • 17h10 パレスチナは、ガザ地区とエジプトの間にあるラファの国境検問所の閉鎖を発表。
  • 17h20 エルサレム イスラエルはエリコ刑務所での作戦を求めるマフムド・アバス、パレスチナ自治政府議長の呼びかけを拒否。
  • 17h25 エルサレム 赤十字と国連はヨルダン西岸とガザ地区からの外国人職員の一時引き揚げを発表。
  • 17h45 ラマラ パレスチナの治安当局筋はジェニンの米・アラブ大学で誘拐されいたアメリカ人教員が釈放と発表。
  • 17h45 エリコ アルジャジラは、イスラエルの兵士がエリコの刑務所でパレスチナ人被拘留者から数メートルのところにせまると報道。
  • 17h55 エリコ アハマド・サダアトPFLP議長がイスラエル軍に投降。
  • 17h55 ガザ パレスチナの複数の武装グループの活動家数百人がエリコ刑務所へのイスラエルの大規模作戦に対し抗議行動。
  • 18h10 ブリュッセル EUのハビエル・ソラナ外交担当上級代表は、ガザ地区の情勢の悪化に対し「深い懸念」を表明。
  • 18h20 エリコ イスラエル軍がエリコの作戦が成功裏に完了したと発表。
  • 18h40 PFLPは議長の拘束を受け、イスラエルに対し「報復」を警告。
  • 19h00 ガザ 治安予防担当スポークスマンは、拘束されていないすべての外国人はすでにガザ地区を離れたと述べる。
  • 20h00 パリ 誘拐されたフランスのジャーナリストは Elle の記者キャロリン・ロランと、Sipaエージェンシーのカメラマン、アルフレド・ヤゴブザデフであるとElle本社が発表。
  • 20h00 ストラスブール パレスチナ自治政府ストラスブール マフムド・アッバス議長はヨーロッパ訪問を途中で切り上げ、火曜日夜にはパレスチナ領に戻ることを決定。
  • 21h30 パリ ガザ地区で誘拐されていた「世界の医療団」の2人のフランス人メンバーが解放と仏外務省が発表。


NouvelObs内には、リアクションというページで、パレスチナ自治政府の声明、サアダト議長の声明をはじめ、PFLPに近い「チェ・ゲバラ旅団」、ハマス幹部ハレド・メシャル、アラブ連盟のアムル・ムサ事務局長、正解の医療団、フランスの外務省、ストロー英外相らの声明を紹介しているが、訳は省略。

France 3 の現在の特集記事の見出しは「パレスチナ領、ゼネストの呼びかけ Territoires: appel à la grève générale」。映像あり。

誘拐されたELLEの記者はまだ解放されないもようだが、他の外国人の早期解放にならった朗報が早くききたいもの。ただし誘拐犯人のかなり無理な要求が出ているという報道もあるがこれが正しければややこしくなる恐れも。続報多しだがここでは触れる余裕がない。

偏向しているかもしれないフランスのパレスチナ報道も十年一日のようなパーソナルな議論よりは役立つかも。モラン他の記事翻訳終了だが、パレスチナに目が向いているうちに、上記記事の紹介を優先。

あと、NGOのサイトでは緊急レポート、緊急声明とかフランス外務省への要請文が完備。例によってイスラエル友の会の「メディアウソツキ」サイトでは「パレスチナ人のランボーローゼキ」の記事がバナナのたたきうり。

翻訳中

反CPEブログ

たぶんほかにもいくつかあると思うが、反CPE運動の学生たちの情報が集結しているブログ

全国の複数の学生が書き込み権を持っているようで、各地の情報を伝える記事を活発にアップしている。携帯でとったような動画あり。また、コメント欄で刻々情報が伝えられる。

大手のネットメデイァではネットでもはっきりとまだ伝えていないが、このブログによるとコレージュ・ド・フランス占拠中とのこと(月曜夕方〜)。現場から刻々報告あり。ただし写真はない。

コメント欄に「教師」と名乗る人の書き込みがあり、

アホなテレビ番組の力を借りて、若者の頭を麻痺させようする右派党の努力にもかかわらず、若者はマヌケではなく、だまされなかった。人々の社会的つながりをこわそうとするコンプレサーに抵抗する若者たちにブラボ!

これから、この意見がどのくらい共有されていくか、それとも学生バッシングが増えていくか。

反CPEの仏学生の運動、月曜になってさらに活発化。

CPE(初回雇用契約制)法に反対するフランスの学生の運動は、明日火曜日の統一行動を控えてさらに活発化。

日曜日にヴィルパン首相がテレビニュースのインタビューに呼ばれて、説明を行ったが、学生のほうでは対話の姿勢がみられないとさらに反発する結果となった。

ブログでの情報交換についてはすでに紹介(下の記事)したが、大手のメディア NouvelObs でも毎日刻々の最新ニュースを伝える(ただし朝から夕方まで)ページがある。今日の雰囲気を知るために、そこから15時以降の動きを以下に紹介。

  • 15h20 Paris 数百人の高校生が6区にある医学部の建物に入り、大講義室で学生総会を行っているソルボンヌの学生の支持にかけつける。
  • 15h30 Paris UMPの事務局長 Brice Hortefeux が談話を発表−−ニコラ・サルコジ(党首)は「政府を全面的に支持」し首相に「忠実につきそう」ものである。
  • 15h35 Paris 経営者組合Medef参加最大組識L'Union des industries et métiers de la métallurgie (UIMM 工業・金属ユニオン) は、日曜日に首相が提案した新しい「保障案」はCPEの有用性を高めるものと声明
  • 15h55 Bordeaux 800人以上の出席で行われたボルドー第3大学の学生総会は、CPEの撤回を求めて木曜日までの大学の完全閉鎖を圧倒的多数で可決。
  • 15h55 Angers アンジェの文学部・理学部の学生はCPEの撤回を求めて、両学部でのストの続行と学部閉鎖を決議。
  • 16h15 Toulouse トゥールーズ第2大学の教職員は木曜までのストの動議を可決。
  • 16h20 Renne レンヌ第2大学の学長は、月曜日の学生総会で挙手により行われ、正統性に異論が出ていたスト続行投票結果に対し、「深刻な事故、暴力的衝突を防ぐ」ため、無効の決定を下す。
  • 16h30 Paris 数百人の学生が高校生とともにカルチェ・ラタンでコース無予告のデモ。
  • 17h05 Evry エヴリ大学(パリ郊外エソンヌ県)の大講堂で開かれた学生総会で大学の3つの主要な建物を閉鎖すると決定。
  • 17h10 Caen カン大学の学生約800人はCPEの撤回を求めて、ストの続行と、文学部・事務局の建物に引きつづいて理学部・法学部の建物の閉鎖を決定。
  • 17h10 Paris パリ第10大学(ナンテール)で火曜日に予定されていた、大学閉鎖を問うための全学レファレンダムは中止と決定。学長は諸施設の閉鎖を決定。
  • 17h20 Strasbourg ストラスブールのマルク・ブロック大学の学長は首相に対し、「CPEの維持を前提としない」、学生との対話の条件をとりもどすことを要請すると発表。
  • 17h30 Paris 機動隊た反CPEのデモ隊がコレージュ・ド・フランスの入り口の前で衝突。催涙ガス弾が発射される[これについては一つ前の記事↓で紹介したブログが別のもっと詳しい情報を伝えている]。
  • 17h55 Tours トゥールのフランソワ・ラブレー大学の評議会は臨時総会を開きCPE法案の即座の撤回を要求する動議案を可決。
  • 18h15 Nantes ナント大学の理学部の学生はは授業の中止を可決し、CPEの撤回を求めるストに加わる。
  • 18h30 全国労働組合組織 CGTの運輸交通部門は同部門の組合員に対し、木曜、土曜に行われる反CPE統一行動への参加を呼びかける[→つまり交通機関のストの可能性あり]。
  • 18h35 Rennes レンヌの行政裁判所は、レンヌ大学でストによる大学閉鎖反対の学生集会に大学施設を提供することを拒否する学長の決定を取り消す仮処分決定を下す。
  • 18h50 Bordeaux ボルドー第2大学で800人以上の参加で行われた学生総会は圧倒的過半数で全学閉鎖を決議。
  • 19h00 Poitiers ポワティエ大学の評議会は、大学の正常化のためには、CPEの撤回とCNE[CPEに先立って去年導入された類似の雇用制]の廃止が必須という見解を占めす。


大学の学長レベル、あるいは教員・職員・学生で構成される大学の最高決定機関である大学評議会のレベルで、CPEの撤回を求める動きがでてきている。一般世論はどう動くはまだわからないが、大学レベルでは学生だけの運動をこえつつある。また、ストによる全学封鎖を主張する学生と、それに反対して授業を受ける権利を求める学生との間の対立も大学によっては大きくなってきている。今週は火曜日と土曜日に統一行動が行われるが、ここが一つの山。これより長引いてくると今年後期の試験にかかわるのでスト、大学閉鎖の続行はだんだんむつかしくなってくる。また統一行動への一般労働組合の参加のぐあいも運動の力を作用するだろう。

フランスの大学スト拡大

fenestrae2006-03-10


大学のストが広がってきた。 Contrat première embauche 初回雇用契約制度(略して CPE)を導入する法律が10日に上院を通過したあと、すでに何週間も波状的に行われた学生たちの反対運動が、ここで一気に加速したことによる。法律の内容なども含めて日本の新聞で報道されているものとしては、日にちが少したっているが

フランス全土で学生デモ 首相の支持率急落
2006年03月08日 asahi.com

26歳未満の若者を雇えば最初の2年間は自由に解雇できる法案に反対する学生や労組のデモが7日、フランス各地であり、警察発表で40万人、主催者発表で100万人が参加した。ドビルパン首相はあくまで法案成立を目指す構えだが、支持率も落ち込んでおり、昨年6月の政権発足以来、最大の試練に直面している。

法案では、2年間の試用期間は理由を示さずに解雇できる措置を盛り込んでいる。政府は、企業の雇用意欲を高めて若年失業率を減らすのが目的と説明しているが、学生団体や労組は「解雇が乱発されて雇用がより不安定になる」と反発している。2月7日に反対デモを呼びかけたが、多くの学校が冬休みと重なり、参加者は20万人(主催者発表40万人)だった。

この記事では反対運動の形態としてデモを中心に紹介しているが、もう一つの大きな手段が大学のスト+ロックアウト。8日の段階で全国 85大学のうち20ほどの大学がストに入っていると伝えられていたが、10日夜には学生組合の発表で半数以上、45の大学がスト中ということになっている。ただし教育省側の発表ではこの数が半分以下で、主要学生組会の代表、教育大臣の双方で、情報操作として非難しあっている。

学生のストは授業に出たくないものが授業放棄というようなものではなく、学生自治会総会で投票を行い、そこでスト決行が決議されると担当者がピケを張り大学を閉鎖し、すべての授業がなくなるというのが本宅的な形。決議や意思決定のぐあいによっては一部分だけのストもありうる。ストが長引けば試験にもかかわるから講義が続行してほしい学生もいるので、全学ストをめざす学生とのあいだに利害の対立がおきるが、ストが決まれば総会の決議ということで正当化される。ただし、大学によっては政治的にアクティヴなものしか総会に出席しないので、かなり少ない人間の意志でスト決行さらには構内占拠が行われるケースがままある。

金曜日の夜の段階でもっとも注目されているのはパリ4大学+αのソルボンヌ校舎占拠(これは最初に大学側がロックアウトを行ったので話がややこしくなった)と、パリ10大学(ナンテール)の占拠。68年5月の記憶から報道が集中しているが、ここは比較的少数(数百人レベル)のアクティヴな学生のイニシャティヴによる性格が強い。

これと逆に大部分の学生が総会に参加してストを決めたのが地方大学のポワティエ。こちらはすで3週間ストが続いていて、今年の試験を心配する学生が出てきたので、続行かどうか議論が白熱し、全学4000人のうち3000人近くが3月8日の総会に参加した。この大学のようすを伝えるTVニュースが面白い。

大講堂で総会を行うとしたが参加者が多くて入りきらず→市営サッカー競技場に移動、→ 続行賛成側と反対側の演説 → 投票 → 開票結果僅差で続行決定 → ピケ担当者によって閉鎖、という一連の流れがわかる。

大学の学生組合の組織がどうなっているかは、昨年12月14日の記事「フランスの大学の学長選挙」 中の「評議員選出の政治学」のところで少し触れた。

ストや反対デモは全国に広がっており沈静化るようすはなく、長期ストで疲れているところを別とすれば、これから本格的に始まるという感じ。特に休み明けではじまったばかりの大学は元気いっぱい。次の大規模統一行動が3月18日に決定されている。

ヴィルパン首相は譲歩は一切なしの姿勢をとっているが、対立が激化して運動が盛り上がれば事の進展によっては、来年の大統領選挙の候補としては命とりになるかもしれない。そればかりか、与党そのものにダメージを与える可能性が見えてきて、与党内部から法案見直しの気配がでてきている。ヴィルパン首相のライバルのサルコジ内相は最初前者が失敗するのを待っていたが、与党全体に影響が及ぶにつれ、防戦に参加してきたもよう。

以下はリンクは現在進行中の情報を伝える。