早咲の選挙戦を飾る連発花火


「しばらくお休み」宣言を用意しながら、アップしないでずるずると日がたっているうちに、在仏ブロガーとして何か書かなければいけないような事態になってきたので、まずこの件を先にざっと済ませたいと思います。

お休みしている間に、書こうと思って、結局アップしなかったことからまず。今回の件に大なり小なりかかわっている。ある意味ではずしているので、「あと出し」で自慢するわけではない。

「前回の大統領選挙から特にきわだって、フランスでは選挙が近づくと「治安が悪化」し、そして「移民の問題が深刻」になるしくみになっている(少なくともTVを見たり一部政治家の演説を聞いている限りは)ので、2006年は年末が近づくにつれて、この手のニュースがメディアを席巻するだろう」と書こうと思い、これはかなりの確度で適中するはずだったが、これが一年早くやってくるとは思わなかった。時期が早かっただけでなく、このテーマの分岐その広がりも予想以上にすごかった。

少し視線を引いてメディアや政治の場で話題になったことを回顧してみれば、フランスは、夏にはは強姦魔や殺人鬼がちゃんと刑期を務めず野放しになってうようよしている国になった。そして9月には、イスラム原理主義者の地下組織が明日にでもテロを起こしそうな国となった。そして今度は都市郊外の「騒じょう」。そのたびごとに以前のテーマは忘れ去られていく。今回の騒動は、もちろん、最初予想もしなかった大規模な被害が確実に、そして数字としてもある。しかしなにより、若者たちが実際に大規模に車に火をつけ出す前に、しだいに社会的緊張が高まっていくようすがひしひしと感じられた。そしてこれらが現内務大臣サルコジ氏のの大統領選挙戦に向けてのなりふりかまわない自己宣伝と密接に結びついている。そのあたりの雰囲気を今回の騒動が始まる2週間前、10月13日のNouvelObsの次のようなタイトルの記事がよく伝えている。

Nouvel Observateur Hebdo N° 2136 - 13/10/2005
Surenchère sécuritaire, comme lors de la présidentielle en 2002...
Au secours, la droite dérape !
治安問題のエスカレート。2002年の大統領選挙のときと同じ。
助けて!右派の暴走。

欧州憲法条約の国民投票失敗を受けて、シラク大統領がヴィルパン氏を首相に、サルコジ氏を内務大臣に任命したときから、フランスのメディア自体が浮き足立っている。欧州憲法の今後をどうするかよりも、あれほど問題だった工場移転や人員整理をどうするかよりも、二人の間のライバル関係のほうに、そしてサルコジ内務大臣の私生活のほうにメディアの関心が集中する(後者についていえば、日本のメディアも負けていず、ル・モンドのような新聞がためらって記事にしないようなタブロイド紙向けのネタまでいち早くいろいろとりあげてくれた)。首相として、あるいは内務大臣として記者会見している場所で、大統領選挙候補として扱うような質問を記者が遠慮なくする。私の知っている過去2回の大統領選挙に比べ、右派に関していえば、今回は1年早くメディアの選挙取材が早まっているとしかいいようがない。

そんな1年早い選挙戦の中で、上のNouvelObsがはっきりと指摘しているように、2002年の大統領選挙のときに、TVのセンセショーナリズムの力も与かって、右派の最大の切り札となり極右の台頭を招いた「治安低下」の問題がまたもや、最大限に利用されはじめてきた(これについては以前に少し触れたことがある)。前回の選挙のときと違うのは、極右のル・ペン氏でなく、治安の責任者である内務大臣その人が治安の悪さの宣伝に最も積極的なことだ。当然、後者が前者の支持票(2002年の得票率で15パーセント超)を狙っているのは、TV番組でも司会が本人に向かって面と向かって質問するくらい、公然としていることだ。ともかくも、郊外の暴力や犯罪はサルコジ氏が最初に内務大臣を担当したときに減少したことになっているはずだが、またいつの間に緊急に憂慮すべき問題になった。

そんな文脈の中で、警察と郊外の若者の間で日常茶飯事にようにある摩擦を背景に起きた二人の少年の不幸な感電死が、郊外の若者たちの鬱積した不満、マスコミのセンショーナリズム、サルコジ氏の挑発的言動の悪循環的な相互作用の中で、ついに実際に「騒じょう」と形容されるものまでに結びついていったのは、すでにあちらこちらで書かれているとおり。二人の少年の死、あるいはそれに引き続く地元の若者と警察と小さな小競り合いは、去年なら、新聞の三面記事の片隅で小さく扱われるものでおさまってもよかったはずだ。

実を言うと車は昔から郊外で燃えている。地方都市でも、この件で最も有名なストラスブール市では毎年大みそかから新年にかけて数十台は燃やされている。騒動の最初の5日間にイル・ド・フランスで燃やされた車の台数がだいたい一日あたりこのレベル。10月2日に、やはりイル・ド・フランスを中心としたフランス全体で燃やされたのが228台、10月3日に315台(このあたりの数字は、Wikipediaのまとめの表を参照。)。全国規模でいうと2004年のおおみそかから2005の新年にかけて333台の車が燃やされているので、このあたりでも、ある意味では年中行事レベルだが、今回は、上記のような特殊な文脈の中で、いつもの三面記事では済まず、初期の段階から大々的にメディアに取り上げられた。

若者たちが車を燃やすのは、それが、もっとも手っ取り早く自分たちの不満をアピールする手段として確立しているからで(農民でいえばスーパーマーケットのぶち壊し)、燃えている車やその被害状況がTVのニュースに出れば出れるほど、それが新たな喜ばしい動機となる。となり町や遠く離れた都市の若者たちにも誘い水となる。そして今回は最初の段階から大きく取り上げられたので、TVの報道の倒錯的な役割が全開の効果を発揮した。こうした批判があって、マスコミは途中からセンセショーナルに扱う方針を転換したが、これが、日本で「報道規制」と報道されるときに、被害状況を小さく見せる政府のマスコミ検閲・情報操作的なものとらえられていてるような節があるような気がする。実際にはむしろ最初、TVががこうした事件を扇情的に報道する姿勢は、これらの若者に同情的な立場の人々、右派・政府による治安低下の宣伝を憂慮する人々から批判された。が、事件の進行とともに現在では逆に、特に警察の行動について、報道規制的な側面も出てきているのは確かである。

この項の最後にもう一度緒断っておくと、選挙を背景にしたサルコジ氏の言動やマスコミの報道姿勢が、騒動の原因と言いたいわけではない。もちろんこれは根の深い問題で、長期的には過去数十年にわたる−−これを20年と言うか30年と言うかでも微妙な政治的計算が背後にある−−郊外の都市社会政策の問題がまず根本にある。そして中期的には、2002年春に右派が政権をとりサルコジ氏が内務大臣となって起きた郊外治安対策転換にも求められる(その一端については http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20051107#p2 にまとめられている)。しかし、なぜ今の時期に、国家全体を巻き込むこうした大騒動に発展したかというと、やはり、以上に説明したような、時期の特殊性とサルコジ氏の選挙戦略+パーソナリティに求めるしかない。



一気に書き終って、「一時お休み宣言」を今度こそと思ったが、終らないので続きはまた一両日中に。


ちろちろとブログ界隈を覗くと、移民の同化問題とか、階級社会の問題などいろいろ議論されているらしいが、そんな恐ろしい話よりも、まずは手近なところから。しかし、先取りして言うと、事柄の本質は移民問題・同化問題ではなく、宗教の問題でもさらさらなく、まず都市問題であり、経済・社会問題であり、前者は従というのが私の考え。


アップ直前に、猫屋さんのところで紹介されているのを見ましたが、日本を代表するメディアや識者の方が、サルコジ氏でさえ不用意には言わない類の、ジャン=マリー・ル・ペンの宣伝にまんまとのせられたようなディスクールをものするのはいかがなものか...