置き去りに去れた郊外・燃える郊外(中期的観察 その2)

地域の社会・文化活動の後退


■それを元に戻そうではないか

id:temjinus さんが訳してくださったエマニュエル・トッドル・モンドへのインタビュー(ネット版12日づけ)の最後のほうの一節。

この若者たちは全国規模に広がった動きの中で中央政府の議題となることに成功し、右翼政府の政策変更を勝ち取った(貧困地域で活動するアソシエーションへの一度は廃止された援助を再度勝ち取ることで)。

最後の()の中の句(en l'obligeant à rétablir les subventions aux associations des quartiers)は、ド・ヴィルパン首相が11月7日月曜日のTF1へのインタビューで明らかにした、社会政策のてこ入れ(まとめはたとえば → NouvelObs の記事*1の一つの柱、「問題地域で活動するアソシエーションへの1億ユーロの補助金の追加支出」を受けてのものである。

これについては、たとえば次のような記事

社会的団結の原動力としてのアソシエーション
減った予算で社会危機に立ち向かう−−アソシエーションの危機的状況
Les associations comme moteur de cohésion sociale
Faire face à la crise avec moins de moyens: le malaise associatif
AFP / France 3 le 08/11/2005

に詳しいが、この措置を発表するにあたってド・ヴィルパン首相は次のように言っている。

われわれは過去数年間にアソシエーションへの財政支援を減らした。では、それを元に戻そうではないか。大きいところだろうと、小さいところだろうと、住居や教育など人々の日常生活を助けて活動しているアソシエーションに対し。
Nous avons baissé la contribution aux associations au cours des dernières années. Eh bien, nous allons restaurer cette contribution, qu'il s'agisse de grandes associations ou de plus petites qui sont au contact de la vie quotidienne pour l'aide au logement, pour l'aide scolaire"

「減らしたものを元に戻す」というのは率直でいい。しかし nous とは誰か、過去数年というのは、いつからか。端的にいうと、nousはラファラン内閣以来の右派政府。ここ数年とはそれが政権を担当している2002年からの3年余のことだ。

この過去3年余の右派政府のアソシエーションへの援助減額・打ち切りが何をもたらしたかについて記す前に、まずそもそもアソシエーションとは何か。


■アソシエーション

フランス語 l'association に近く発音すれば「アソシアシオン」だが、とりあえず日本人に馴染みのある英語風に「アソシエーション」としておく。日本語である程度詳しく解説されたページにたとえば「労働政策研究・研修機構(JILPT) 海外労働情報 フランスのNPO」があるので、詳細はそちらを見れば概要がわかるが、そこで最初に書かれているように、うんと単純化して言えば「日本のNPO法人に相当するフランスの市民団体」ということになる。ただし、二人以上の人間が集まって規約を作ってサインすれば、日本のNPOのようにややこしい手続きを経て役所の認可を得ずとも成立する(←結社の自由)。誰に届けなくても存在だけはしているが、普通は管轄の役所へ届け(受理は自動的←結社の自由)、公示の後そこで法人格を得る。それによって、具体的に言うとたとえば、銀行に口座を開設し小切手帳をもらったり、一定額の事業収入が非課税になったり、人を雇ったり等々がきる。また、一定の条件を満たすものは公益法人として認められ種々の優遇措置が得られる。「アソシエーション」は、その法的根拠を1901年に成立した法律に負っているので、特に「1901年法によるアソシエーション」と呼ばれたりもする。

フランスでは、このアソシエーションが人々の文化・社会活動に大きな役割を担っている。上記労働政策研究・研修機構のサイトにある数字を、フランス政府でアソシエーション振興を担当する「Ministere de la Jeunesse, des Sports et de la Vie Associative」(「青少年・ スポーツ・アソシエーション活動省」とでば訳せばよいのだろうか)の設けた アソシエーション振興用のサイト associations.gouv.frにある最新解説で補っていくつかの数字を示せば−−現在活動しているアソシエーションの数は約100万団体。年間7万団体が結成。14歳以上人口のうち2000万人が一つ以上の団体のメンバー。1000万ないし1200万人がなんらかの団体でボランティア活動。160万人が被雇用者。

存在するアソシエーションの活動の分野や規模や様態は多岐にわたっている。主な分野は文化、スポーツ、福祉、教育等々。最小人数は二人なので、たとえば私がだれか賛同者を一人見つけて「フランス在住日本語ブロガーの会」を結成してもよい。これに毛のはえたような会員数人〜十数人の「○○町盆栽愛好家の会」とか「××山を歩く会」といった純粋に親睦会、趣味の団体のようなものがいくらでもある。日本では公的に重要な活動をしていない限り、個人の集まりの団体は数十人くらいの規模でも法人格としての規定を気にしないが、フランスでは同窓会、スポーツクラブ、アマチュアオーケストラ・劇団、タレントファンクラブ等々、おおよそ複数の人間が集まって規約を作り歳費のある団体はほとんどが届け出を行ったアソシエーションと考えていい。レイヴ企画のためのアソシエーションなんてのもいくつもある。

そして規模の軸の片端には、たとえば「癌研究振興」とか「全国の恵まれない子供に愛の手を」みたいなテーマで、数千人の会員やボランティアを擁し、毎年数十万・数百万人からの寄付金をあおぎ、あるいは多額な公的援助を受け、専従の職員を多数やとって寄付の分配を処理しているといった具合の巨大財団に近いようなものもある。また「全国市町村長会」や「アヴィニョン演劇祭」のようなものもアソシエーションの形態をとっているというとこのアソシエーションという団体の存在形式がカバーする分野の広さがわかるだろう。

経済的な面について associations.gouv.fr で紹介されている数字をいくつか拾ってみよう。2/3以下が予算規模が7500ユーロ以下のもの。年会費10ユーロで会員30人くらいになったとする「フランス在住日本語ブロガーの会」−−活動といいてもせいぜいオフ会くらいか−−はやはりこの範疇に属する。しかし逆に言うと1/3の団体つまり300万団体以上が日本円でいうと100万円以上の年予算を有していることになる。その十倍レベルの予算規模7万5000ユーロ以上のものが全体の8%。そして16%の団体が人を雇っている。アソシエーションの歳入には会員の払う会費、事業収入、寄付金、直接・間接の公的補助などがあるが、全団体の全予算を合わせて54%が公的補助によっているという。


■地域の文化・社会活動の主役としてのアソシエーション・公的補助

そして特にこのアソシエーションが地域の様々な活動に様々な形で原動力となっている。そしてそれに公的補助が与えられることが多い。単に「様々」と言うだけではわかりにくいので、いくつかのモデル的なケースで説明しよう(実際の具体例を単純化したり細部を変えたりしておく)。

日本との類比でわかりやすいのは、スポーツ親睦団体や市民の芸術団体、文化活動だろう。町のゲートボール連盟やアマチュア劇団、市民芸術祭のために行事開催の予算補助が下りたり、ポスターを作ってもらったり、練習や会合に町の施設を優先的に使わせてもらったりの類と思えばいい。フランスのケースで、公的補助はその市町村からのものもあれば、県・地域圏、国、あるいは福祉基金を扱う公庫からのものなどがある。

こうした社会・文化活動が、多くの人のボランティアに支えられ、しばしば直接間接の公的補助を得て、フランスでは振興されている。特に社会問題をかかえる地域では大きな役割を果たしてきている。そしてこうした活動は1980年代、90年代に飛躍的に活発になった。

郊外地域では、90年代から、ラップグループの活動なり、スケボーのクラブなり、コスプレのフェスティヴァルなり、かつては大人たちからあまりいい目で見られていなかったサブカルチャーの分野でも、積極的にサポートが与えられた。とにかくその辺りでたむろしているかドラッグでもやるよりはましだったら、大人たちが理解できるものでなくても、うるさいことをいわずに、なんでもとにかくやってもらおうという感じである。

そうした機会援助に刺激され、若者たちは単に上からの援助を待つだけでなく、自らを組識する方法も覚えていく。たとえば単発の音楽活動に場当たり的に援助をもらうだけでなく、最初から制度的な補助を年度予算に組み入れ定期活動を行う団体や恒久的なフェスティヴァル組識が生まれる。最初は大人の市民活動家が知恵を貸したが、意欲のある若者たちは、設立書や補助金の申請書のじょうずな書き方を覚え、法制を知り、地元議員へのロビーイングのしかたも覚えていく。

福祉関係のボンランティア組識のようなものは、出自の異なる大人や若者たちの出会いや議論の場ともなった。問題児としてカウンセリングを受けさせられていた少年が成長し、学業をきちんとおさめることができると、今度は自らが相談員となったりする。人権関係の運動組識で活動しているうちに、政治家になっていく人もいる。

いちばん成功したようなケースを集めて理想像を紹介するような格好だが、ともかくも、大なり小なり、そうした活動の網の目が地域に張り巡らされることによって、地域の階層間、世代間の紐帯の役割を果たすことになった。そしてこうした活動に対する公的な援助は、市町村(フランスでは市・町・村の区別はないので以下適当に気分によって使い分けます)の政治と、そこからいちばん排除されやすい移民層の若者たちの間の紐帯ともなった。

法制的に自由度の大きいこのアソシエーションという組識は、市町村主導の社会・文化政策実現のためにも活用される。地域社会センター、各種市民講座、地域の子供のための音楽・芸術教育機関のようなもので、予算のほとんどを市から受けほとんど「市立」のように機能しながら、その実は市も法人構成員として参加しているアソシエーションというのも多い。予算面でのフットワークが軽いので便利なのである。たとえば情報へのアクセス格差を減らすために、市が若者たちに無料あるいは極めて安価にネットアクセスを提供する一種のインタネット・カフェのようなものを開くとする。そのために市が市の備品としてコンピュータを買い、市の責任でネットアクセスを確保・管理し、運営に当たる人間を公務員として雇うと、ものすごく面倒なことになるが、市の意向が反映できるような組識体制でアソシエーションを作らせ、そこに補助金という形で運営費・設備費を、場合によっては他の公の組識(国、県、etc)との分担で、支出し、市の管理する施設にほとんど名目くらいの家賃を出してもらって運営させれば、より迅速に実現できる(そして不要になったとき、よりスムーズに廃止できる)。

このように補助金によって支えられたアソシエーションはまた若者に雇用を与える場にもなった。たとえば先ほどのネットカフェの例でいうと、技術短大の情報系の学科を出はしたが職がみつからないような地元の若者を雇用して運営や管理を任せる、さらにはそうした人を複数採用して、少年・少女のためのコンピュータ・ネット講座を開設する等。フルタイムでなくとも、たとえば、美術学科の一つの課程を終えて勉学を続けている学生に、子供たちを引率しての近くの都市の美術館めぐりのような企画を作れば、学生にとって、学費の足しくらいにはなるし、一種の職業訓練としてモチヴェーションにもなる。


■若年者雇用制度

こうしたアソシエーションの若者の雇用としての役割は、1997年、政権に返り咲いた左派が雇用対策として始めた「若年者雇用 Emploi-Jeunes」なる制度によってさらに強化さられた。

「若年者雇用制度」は、大学や専門職業訓練を終えたが就職先を見つけられない若者のポストを数年間の契約期限付きで公的セクターに創出しようというもので、国がそのための特別予算で給与のほとんどを払うことで実現された。社会問題の多い地域の若者が優先的に採用されたので、これ自体が地域の若年層の就職の第一歩の機会を与え、今から考えると、ひいては学業を成就することへのモチヴェーション与えることになった。

ポストの創出先には、国や地方自治体が運営する機関(例えば公立学校、公立病院、市立図書館等々)や国営企業のほかに、さらに公的な補助を得て活動をしているようなアソシエーションが含まれた。これは、こうしたアソシエーションにとって、間接的な補助となり、新たに活動の広がりを与える。具体的にいえば、上のネットカフェの例でいうと、アソシエーションは自らのふところをほとんど痛めずに、働く人をもう一人増やすことができる。

「若年者雇用制」は期限付き契約で、しかも正規の公務員に比べて給与がかなり低く抑えられるので、代用的雇用対策だとして批判も強かったが、ともかくも2001には約30万人の若者がこの措置に与かって、公的セクターで働いていた。アソシエーションの活動もこれによってかなりの恩恵を受けた。

上の記述はある程度単純化しており、現実はもちろん理想的状況からはほど遠かったが、少なくともたとえわずかでも上向きの方向が見えていた。

これが2002年の政権の左右交替によって一変した。まずベクトルの向きが。そして現場が。


■アソシエーションの受難:1995 / 2001 統一地方選

実は、2002年の国政政権交代の前にも、アソシエーションの受難の前史はいろいろとある。

フランスでは6年ごとに、統一市町村長選挙がある。そしてその結果はアソシエーションの活動や生命そのものにも大きな影響を及ぼす。市政与党の交替はアソシエーションの布陣、補助金の分配に影響があるからだ。これは何も左から右に変ったときだけではなく、右から左だろうと、あるいは同じ政党の中でも市長や与党議員のメンバーの交替によっても起きる。活動している人たちと与党議員や市長との人脈がものを言うからだ。前政権のときに認められた団体は当然、その政権とつながりが深いから、政権が代れば冷や飯をくらう。

小さな町では、それが露骨にでる。そして一般的な観察だが、問題地域の文化・社会活動にたずさわり、若者たちの文化に寛容な人々には、左派人脈につながる人や左派的感性をもった人が、少なくとも今のところは、多い。その二つの要素が及ぼす帰結は、戯画化していえば、町長が右派に代って、去年まであった公民館でのラップ少年たちのコンサートがなくなり、ペタンク大会の入賞景品が前の年より立派なものになるというようなことだ。

誰も知らないような小さな町でなく、フランス人なら誰もが名前を知っているような小都市でも、極右が政権につくと、そんなことが起きる。極右は定義上極端なことが好きだ。1995年の選挙で南仏の3つの小都市で国民戦線系の人物が市政をにぎった。すぐさま、有名な前衛的なダンスフェスティヴァルがなくなり、移民層の若者たちの集まるコミュニティセンタがつぶされ、人気ラップグループのNTMがフェスティヴァルのプログラムから外された。が、こうしたことは局地的エピソードに留まる。

2001年の統一地方選は、全体的には右派の勝利に終った。左派は人口3万以上の都市を20ほど失った。保守的な右派は、文化に対してはいい格好をしたがるから、変化にも節度があり、95年のように騒がれる変化はなかった。が、数年のスパンではやはり変化は避けられないし、その実例もいくつか見聞きし個人的には思うところもある。もっとも、全体像を知らないので、これもやはり個々のケースの積み重ねにとどまるとしか言えない。それに、パリ市内では左派が概ね政権を回復し、おかげでセーヌには砂浜ができ、そしてパリ郊外では左右の布陣はたいして変わらなかった。。


■アソシエーションの受難:2002年−

受難が構造的に全国レベルではじまるのは、2002年に右派内閣が成立してからである。このときからアソシエーションへの国の補助がどんどんと削減されていった。どのくらいの削減か数字を探しているが、明快な分析資料が探索できないので、数字を挙げるのは控えたい。が、現首相が自ら認めざるを得ないほどの規模のものだったということは、冒頭に示した通りである。

右派政府は2002年に、1997年来の「若年者雇用制度 Emploi-Jeunes」の廃止を決定した。この制度に代わり打ち出された雇用対策は「若年者契約 Contrat-Jeunes」なるもの。これは私企業のポスト創設に補助を出すというもので、非熟練労働者を主な対象としている。経済効果の比較についてはいろいろ議論があると思うが、少なくとも、新制度では、文化資本再分配のロジックは消えた。そして「若年者雇用制度」で雇用を確保していたアソシエーションは、新制度でその措置が受けられなくなった。

直接の補助金削減と被雇用者の給与肩代わりの廃止の二重の措置は、特に、社会問題多発地域で活動しているアソシエーションに打撃を与えた。全国的にどのくらいの影響があったか、これを知るには、根気強い社会学的調査が必要でGoogle一発で出てくるようなものではない。が、たとえば、上で紹介した AFP/France 3 の記事「社会的団結の原動力としてのアソシエーション。減った予算で社会危機に立ち向かう−−アソシエーションの危機的状況」の中で、関係者が「ヴァル・ドワーズ県(パリ近郊)の、あるアソシエーション連絡会所属の67団体のうち30団体が消滅した」 というような例を証言する。消滅の目に合わなかった団体も予算不足で困難に陥っている様子が別の証言からもわかる。

こうした消滅・危機に関しては、私も個人的にいくつかの事象を体験している。

1990年代の末あたりからひょんなことで、こうしたアソシエーション活動をしている人々と知り合う機会がふえ、野次馬根性から企画につきあったり、あるいはいつの間に柄にもなくボランティアとして巻き込まれていたりしていた時期があった。私がつきあったのは、特に問題地域振興プロジェクトとして規定されるような企画ではなかったが、不思議なことに、活動している人々にバンリュー出身で移民二代めくらいの二十代の男女が多いことに気がついた。バンリュー出身ということは、顔つきや髪の毛、名前、かすかな訛りで分かるが、金のチェーンとナイキのスニーカーの十代の若者というのとは違う。後知恵で、そういう世界から抜け出そうとしながら、しかし、そのアイデンティティを否定もしないその微妙なバランスあるいはジレンマが作る彼ら独特の雰囲気や、上に書いたような諸々の理由で彼(女)たちが、こうした分野に活動の場を見出している理由などに気づくのだが、それについて今書く場所ではない。ただ言えることは、彼(女)ら、皆、感じがよくてオープンで私は彼(女)らとよく馬があった。

そうした彼(女)たちの活動の場や手段がこの数年でどんどん減っていき、おしまいには団体そのものがなくなるケースを複数目撃した。少しは手伝ったフェスティヴァルの成功を祝って、来年はもっと大きく上手にやるからまたよろしくと言われいい気持ちになって盛り上がったのに、一年近くたって音沙汰も企画の気配もないので連絡をとってみると、フェスティヴァルどころか団体の存在も風前のともしびと告げられたことなどを思い出すと、その政治的原因などをできるだけザッハリッヒに書いている途中でも、胸が痛くなる。2002年以降に起った諸々のことについて、部外者の私でさえ憤りや失望を禁じ得ないのだから、当事者たちの怒りや失望はどれほどのものだろう。

アソシエーションの活動がバンリューに社会的紐帯を作り出すための役割を果たして来たとしたら、その紐帯はこの数年でずたずたに切られてきたと言える。確かな社会学的調査に基づいているわけではないが、イスラム原理主義的傾向を持つ人々の活動は、アソシエーションの活動の挫折のもたらした社会的、心理的空白を埋める形で、食い込んできたのではないかとも想像したくなる。


■「元に戻そうではないか」?

首相・政府が今回発表した「問題地域で活動するアソシエーションへの1億ユーロの補助金の追加支出」は、それ自体だけで見れば、結構なことだ。しかし、上のような歴史的経緯を身を持って体験している人々にとっては、手放しで喜べるものではない。何を今更という気持ちを持っている人は多い。もう多くのアソシエーションが政策の誤りのために消滅した。上のAFP / France 3 ルポルタージュでも、失業者の職業訓練のために活動しているアソシエーションがこの秋補助金が更新されなかったために解散・清算状態に入っている例を紹介する。こうして一度存在を−−しかも当事者たちの失望を伴って−−やめてしまった組識をもう一度立て直すのは、はじめたときの何倍ものエネルギーがいる。失望して去っていった人たちを呼び戻し、活動難のごたごたの中で離れてしまった若者たちの心をつかむのは、想像するだけでも容易なことではない。

それに、非常事態宣言が3ヶ月も続く中で、新しい文化活動の企画書など書く気になれるのは、まれに見るオプティミストだ。

どうにか存続している組識の人々も、懐疑をともなった「ウエィト・アンド・シー」の構えがせいぜいではないか。それに例によって書類の審査に半年も待たされたあげくに、必要な額の半額も認められないようなことにならないとは誰も保証できない。いつまで待てるのか。一方で、今月末にでも施設の家賃を払わなければ経済的に破綻してやはり解散の憂き目に会うような団体がある。ほんらいは何週間、何ヶ月もかかるような司法手続きを超特急ですっとばして、暴動に参加した若者たちに事件・逮捕後1週間もしないうちに判決を下したり、その中からフランスの身分証を持っていないのを選別して国外追放を決めるような迅速さが見せられるのだから、こちらのほうもその勢いでよろしくと言いたくなる。

しかしともかくも、騒動のあった町からのルポルタージュをみると、市民の間で真剣な討議を行っているのは何より、これまでそうしたアソシエーションによる地道な地域活動に参加してきた人々だ。こうしたところで積み上げられてきた議論、そして今も積み上げられつつある議論は、大きな財産のはずだ。燃える車や焼かれた学校の映像と選挙目当てにエスカレートしていく一部政治家の強硬意見だけでなく、これらの議論が TF1 や France 2 でももっと大きな位置を占めればいいのだが...

*1:日本語でネット版ではこれら社会政策についての記事が見つからない。非常事態のようなセンセーショナルな措置ばかりがとりあげられるのはどうしたものか。