アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説

1945年8月6日の広島への原爆投下のニュースを受けて、アルベール・カミュは、8月8日付けの『コンバ(Combat)』紙に、それを取り上げる社説を書いた。『コンバ』はもともとレジスタンスの地下新聞だったものが、終戦により日刊紙になったもので、カミュは1943年から編集に参加、45年当時は主筆を務めていた。

原爆投下直後に書かれたこの社説は、フランスでは、知識人の同時代証言として、高校の歴史の教科書で抜粋が収められたりして、かなり有名なものだ。たぶん日本語にも訳されており、何かには収められていると思うが、ネットで検索しても、訳はおろか、引用も社説の存在への言及さえもほとんど見られない。知識人カミュにについてのはやりすたりということもあろうが、原爆の人類史への影響の歴史をを見る上で古典的ともいえるこの文章が、日本のネット世代の人々の目に触れないのは惜しいので、以下に訳出する。ある程度くだいて訳しているので、厳密な訳を必要とする人は、書籍媒体で探してほしい。原文は、ここここ

コンバ 社説 1945年8月8日


世界がこんなものだということ、つまり、ほんのちっぽけなものだということを、昨日から誰もが知っている。ラジオ、新聞、通信社が原爆の件に関して放った大合唱のおかげで。熱にうかされたような幾多の論評の中で私たちは、いかなる普通の中都市もサッカーボールの大きさほどの爆弾によって完全に破壊されうるということを、教えられる。アメリカやイギリス、フランスの新聞が、原爆について、その未来、過去、開発者、開発費用、平和的使命、戦術効果、政治的影響、そしてその独立的な性格についてさえも、エレガントな論文を掲載し、流布していく。われわれはといえば次の一言で要約しよう。機械文明は野蛮の最後の段階に到達したと。遅かれ早かれ集団自殺か科学的成果の賢明な利用かを選ばなければならなくなるだろう。

しかし当面は、次のように考えることが許される。すなわち、人間がこれまで何世紀も見せてきた破壊への情熱の最たるものをこのように称揚することは、ある種、不謹慎であると。あらゆる暴力の炸裂に赴いた世界、いかなる制御もきかなくなり、正義や人々のささやかな幸福に 無関心となった世界の中で、科学が組織的殺人に寄与していることについて、おそらく誰も、癒しがたい理想主義を抱く者でもないかぎり、驚こうなどとは思いもしないだろう。

発見された事柄は、記録され、事実に応じて論評され、公表されなければならない。それは人類が自らの運命について適切な考えを持つために必要だ。しかし、この明るみになった恐ろしい事実を、興味本位の、あるいは面白おかしい文章で彩ること、それが耐えられないことだ。

拷問にかけられた世界の中で私たちはすでに容易に息ができなくなっている。そこに、新たな−−そして間違いなく決定的な−−不安をちょうだいした。おそらくこれは人間に与えられた最後のチャンスだ。結局それも、各紙が特別号を発行する口実にもなろう。しかし、それはむしろ、いくばくかの考察と長い沈黙のための主題とならねばならぬはずだ。

さらには、新聞が書きたてる近未来小説に用心しなければならない理由もある。ロイター通信社の外信部は、この作戦は現在の諸条約を時代遅れのものとし、ポツダム宣言の決定そのものさえも無効にすると書いている。それを読み、しかもそこでは、ロシアがケーニヒスベルクに、トルコがダーダネルス海峡に進駐していることなどお構いなしだということに気づくとき、こうしたコーラスの中に、科学的な客観性とはかなり異質のさまざまな意図があることを思わずにはいられない。

もし日本が広島の破壊のあと、威嚇に屈して、降伏するのであれば、それは喜ばしいことではある。しかし、われわれは、これほど深刻なニュースから、真の国際連盟組識−−大国が中小国に優越する権利を持たず、人間の頭脳の力によって決定的な災厄となった戦争があれこれの特定の国の野心やドクトリンで引き起こされないようなそういう連盟−−の建設をより一層熱心に訴えるという決断以外の結論を引き出すことを拒否する。

人類の前にページを開きつつあるこの恐怖すべき未来の図を前に、われわれは平和こそが行うに値する闘いであることに、よりはっきりと気づかされる。それはもはや祈りではない。それは命令である。各国の国民を政権へと押し上げる命令であり、地獄と理性のいずれかを選ぶのかを迫る命令である。

  • この社説が出たのは、広島の原爆投下の翌々日、長崎への原爆投下以前、もちろん日本の降伏宣言以前のことだということを念頭に入れほしい。
  • そして、この時点でまだ、被害についての現地からの報告は何もなく、原爆の放射線のもたらす被害について何も公表されていなかったことも。
  • この社説が書かれたときの、フランスの一般の新聞、ラジオ、通信社のニュースがもたらす文脈については、別途検証がいるが、カミュ論調指摘を見ると、当時の一般のマスコミでは*1、原爆の威力やそれが国際政治に及ぼすインパクトについての論点ばかりで、その被害についての視点がなかったようすがうかがえる。イギリスの状況については、ブログ「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」の「英メディアのヒロシマ報道 −− 60年前の紙面は?」でうかがえる(via id:gachapinfan さん)が、フランスのメディアの状況もこれと大差なかったと思われる。
  • 文中でカミュは、「発見された事柄は、記録され、事実に応じて論評され、公表されなければならない。それは人類が自らの運命について適切な考えを持つために必要だ。」と述べているが、投下に続く日々にこの件についても事態がまったく逆のほうに進行したことについてはid:amai_oyatsu さんの 翻訳記事 The Hiroshima Cover-Up を参照のこと。
  • カミュの『コンバ』紙での活動については、2002年11月25日-29日にFrance Culture で5回シリーズで放送された Albert Camus, les années Combatアーカイブで聴ける。

*1:8月10日追加訂正:もとの文だと、文脈から切り離したとき、カミュの論調に対する評価のように誤解をまねく可能性もあるので一句を追加、字句をやや訂正(イタリック部分)。