MG le Clézio 「2015年1月11日の翌日の娘への手紙。」

JMG le Clézio 「2015年1月11日の翌日の娘への手紙。」

« Lettre à ma fille, au lendemain du 11 janvier 2015 » par JMG Le Clézio, Le Monde, le 14 janvier 2015

お前は、テロリストたちの行為に抗議するあの巨大なデモに参加することを選んだ。僕は、お前が、犯罪行為に立ち向かい、狂信者たちの無差別的な暴力に立ち向かう者たちの列に伍してそこにいるこができたこと、そのことを、お前のためにうれしく思う。僕もお前と一緒にいたかった。だけど僕は遠く離れていて、実を言うと、あんなにもたくさんの人のいる運動に参加するには少し年を取りすぎたと感じている。お前は熱狂して戻ってきた。デモに参加した人々の真摯さと堅い決意を見て。たくさんの若者たちがいたし、そんなには若くはない人たちもいたことに。シャルリー・エブドをよく知っている人たちも中にはいたし、話を聞いただけの人もいた。でも、皆が、テロの卑劣さに憤っていた。殺された者たちの家族が、列の先頭に立ち、毅然と参加していたことに、お前は心を打れていた。

歩きながらお前は、アフリカ系の小さな子が、自分より背の高い手摺りのあるバルコニーの上からこちらを見ているのに気がついた。僕は、それが、フランスという国の人々の過去のすべての歴史の中でも、強烈な瞬間だったと思うのだ。方向を見失った知識人たちは、その歴史について、弱々しく悲観的で、膝を屈し無気力に陥っていると見たがっていた。この日のできごとは、私たちの多元的な社会を危ういものにしている、亡霊のような対立の脅威を退かせることになるだろう。

パリの街や他の場所を無防備で歩くには勇気が要ったに違いない。警察の連携行動ががあれほどに完璧だったにしても、新たなテロの危険はまちがいないなく存在した。お前の両親はひどく心配した。しかし、その危険に勇気をもって挑んだお前のほうが正しかった。そして、世界中からやってきたこれだけのいろいろな人を一つに集める時には、いつも奇跡的なことが起きるものだ。そしてたぶんそれは、お前の見た、バルコニーの手すりよりも小さな子供の目の中にも起きたかもしれず、彼はそれを一生忘れないだろう。

それは起きた。お前はその証人だ。

そして今、大事なのは、それを忘れないことだ。大事なのは -- それはお前の世代のにかかっている。というのも僕らは人種差別的犯罪や狂信的な暴走を止めるすべも知らず、止めることができなかっのだからだが - - お前がこれから生きていく世界が僕らの生きた世界よりもよりよいものになるように行動することだ。それはとても難しい仕事だし、やりとげられるのはほとんど無理かもしれない。それは、分かちあい、意を交しあうという試みだ。

これは戦争であるのだと聞いた。もしかして、悪霊がいたるとろにいて、ちょっと風が吹きさえすれば、またたく間に広がり、私たちを焼き尽すものかもしれない。しかし、考えるべきなのは、お前は分かっているかもしれないが、それとは別の戦争だ。不公正に対する戦争、一部の若者たちが打ち捨てられることに対する戦争だ。住民の -- フランスで、そして地球上の他の地域でも -- 一部の者たちを計算高くわざと忘れ、文化の恩恵と社会的成功の機会に与らせないようにしていることへの戦争が。

3人の、フランスに生まれ育った殺人者が、その犯罪の野蛮さで世界じゅうの人々を戦慄させた。しかし、彼らが野蛮人であるのではない。彼らは、私たちが、高校で、地下鉄で、日常の生活の中で毎日、いつの時だろうとすれ違うような人たちなのだ。その人生のある時点で、彼らは非行へと走った。悪い仲間とつきあうことになったためか、学校で落第したか、周りの世界が彼に門戸を閉ざして自分のいる場所がなくなったと思っためか。ある時点で、自分の運命を自分で決められる存在ではなくなった。ふと吹き込んだ復讐の思いが心の中の炎になり、そして、疎外の形でしかないものを宗教だと思ってしました。


今止めなければいけないのは、地獄へ落ちていくこの歩みだ。でなければ、こんなふうに皆で歩いたのは一時のもにしか過ぎず、何も変えることはないだろう。皆が参加しない限り何も起きないだろう。ゲットーの囲いを壊し、扉を開け、この国に住む一人一人に機会を与え、その声を聞き、彼が他から学べるのと同じくらい彼から学ばなけばいけない。私たちの民主的な社会の基盤を蝕んでいる病を癒すために、精神の荒廃を治さなければいけない。

人々のあの巨大な集まりの中にいて歩きながらお前の心を打ったに違いないのは、その気持だと僕は思う。その奇跡的な瞬間の間、階級や出自の壁、信仰の違い、人と人の間にある壁はもはやそこには無かっただろう。フランスという一つの民だけが存在した、複数のもので成りながら一つで、多様でありながら一つの心として鼓動していた。その日から、お前といっしょにいた男も女も、その頭の中、その心の中で歩み続け、そして、彼らの後には、その子供、孫たちがその歩みを続けていくだろう。

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