yskszkさんのこと

id:yskszkさんのはてなの日記の昨年5月19日のエントリーに5月26日から27日につけられたトラックバック群によって、ご本人が5月25日にお亡くなりになっていたことを知ったのは、27日の夜のことだった。

私自身が、いつものようにずるずるとはてなの日記を更新しなくなって、そしてはてな自体に間遠になっていても、定期的に日記を読んでいる数少ない書き手だった。そのころは、そうした日記をモバイルのフィードリーダーで読むのが常になっていたので、その異常なトラックバック群の存在に気がつかなかった。

ところがなにかの拍子に27日の夜、PCのブラウザで彼の日記を読みに行き、その不思議なトラックバック群を目にした。最初はその意味がわからず、何の冗談だろうと思っていたが、それらが真に意味することを悟ったときには、月並だが、頭から冷水を浴せられたような気持がした。

一度も面識のない方の死にこれほどショックを受けたのは初めての経験と言ってよい。

いくつかのことを思い出す。

右も左もわからないまま、はてなの日記を書き出していたころ、あるエントリーでアクセスが急増したと思ったら、それが彼の日記で紹介されていたためであった。そこからいろいろな方の日記とのつながりできたことを思えば、彼は、私に「はてな界デビュー」をさせてくれた大先輩であった。実はその著書や、書きぶりによって、しばらく私は、彼をはてなの関係者の方かと思っていた。

10年以上、日本を空け、日本のことにずいぶんとうとくなっていた私にとって、彼の日記は、日本の文化事情、特に私より下の世代のそれについての窓であった。私が日本に戻ってもそれはかなり続き、その日記が更新されている間、実のところ、アンテナどころか羅針盤のような存在になっていた。岩波的教養主義ニューアカデミズム的言説、そして私の知らない90年代後半以降のさまざまな潮流のいずれにも一定の敬意と批判をもった彼の文章は、私にとって、同じことばを共有しながら、私の知らないことを教えてくれるとても親切なものであった。帰国後の文化ショックをかなりの程度防いでくれたとかけなしに思う。それだけに、彼の日記が書かれなくなるということはひとつの慣れた視点を失うということでもあった。自分なりのスタンスで日本のサブカルチュア事情が見られるようになり、彼の書いていたものも相対化できるようになったと思えるようになってきたのが、実は最近のことであるくらい、その存在は大きかった。


yskszkさんが亡くなられる大きな遠因となったのが2006年10月の自宅のアパートでの階段からの転落事故であるのは確かだと思うが。それについてきわめて個人的なひとつの苦い思い出がある。

yskszkさんは、2005年11月末の日記で、引越し先を探していて絶好の物件が見つかったがフリーランスという立場ゆえに、不動産屋、大家との交渉が難航しているという趣旨のことを書いていた。その日記を見て、「フランスでは、こういうときは通常、納税証明書が有力な書類なのだが」と思い、それをコメントに書こうと思いながら、書かずじまいになってしまった。たぶんご存じではないかと思ったのと、何かにつけて「フランスでは」といちいちコメントに書くのも無粋なことだと自己規制したのである。

しかし、後で知ったのだが、ご本人がSNSの日記で、収入を証明する手段がなくて困ったと書いていて、それに対し、課税証明書を貰えばいいという他の方のコメントがあった。そして実際にその手段を用いて不動産屋と交渉しようとしたが、すでにタッチの差で物件は契約されていたという事情が次いで書かれていた。それが12月のことだった。

最初のはてなの日記にのコメントに納税証明書の話を書いていれば、その手段で11月末の段階で契約ができたかもしれないと、その日記を見たとき、しまったと思った。そして、それから1年後、ご本人が2006年末の日記で、アパートでの階段から転落事故の遠因が不動産契約の問題にあったと書いているのを読んだとき、改めて、あのとき気軽にコメントを書いていればそれは避けられたかもしれないと、また苦く思い出した。訃報に接したとき、その思いが当然のようにまた心をよぎった。

小さなことで他人の運命に関与できたかも知れないと思い上がるセンチメンタルなナルシズムは慎みたいのだが、それでも、ひょっとしたらという思いは苦く残る。

事故のあと、新潟に戻られているとき個人的なメッセージをお送りしたことがある。上の件とは関係がない。多方面への知的な興味をかかえながら何かを探し求めているようなようすが、まるで同年代のころの自分を見ているような気がしたからである。励ましの口調になるのが、さしでがましく、おしつけがましくなるのを恐れたが、こちらがほろっとするような真摯なお返事がありほっとした。かといって、それから個人的な濃いコミュニケーションがあったわけではなく、そのあと2度ほど事務的な通信があっただけである。

一度だけお会いできたかもしれないチャンスがあった。2008年の2月だかにプライヴェートな集りにお誘いしたが、スケジュールが合わなくて実現しなかった。彼の新しい引越し先が、私の居所と遠くないゆえ、次の機会にはぜひという話にはなっていた。4月になり身辺が忙しくなり、それが一段落したらと思いつつゴールデンウィークも越え、夏休み前にはぜひと思っていた矢先の訃報だった。それだけにその訃報に接したとき、しまった、という思いがまず浮かんだ。

チャンスがありながら結局お会いできずじまいだったことをひどく残念に思う気持ちがあると同時に、しかし、お会いしていれば、おそらく無念さが今と比べものになならないほど増したことを思うと、それでよかったのかもしれないというあきらめのような結論にいつも落ち着く。

訃報のあとすぐに、追悼の日記を書くことを当然のように思った。が、当時、殺人的なスケジュールの中で生きており、ここで日記を書けば、私自身が脳内出血で倒れて死ぬと、皮肉なひとりごとを胸の中で言い、他人の死を強く頭の中に意識しながら、短かい睡眠時間でぶっとおしで仕事していた。その去年の今ごろを今思い出す。

彼の死は、それから何ヶ月も、不思議なことに、親い友人の死と同じくらい、あるいはそれ以上に強く意識の中に残った。より強く、というのは適切な言いかたでないかもしれない。いままでになかった、そしてなかなかふりほどけない形でといったほうがいいだろうか。彼とは全然関係ないのに、通勤路を歩いていて、ある特定の場所にくると突然思い出すということが続いたりした。もちろんそれもだんだん間があいてくるのは、現実に親しい者の死で経験するばあいとおなじである。

彼を思い出させる物理的痕跡として、手元に、彼から譲ってもらったフランス語の書籍、Génération Otaku がある。改めて探せば、もしかしたら書類入れか反故紙の束のなかにそれを送ってきた封筒があり、彼の手跡も見つかるかもしれない。しかし、その筆跡は記憶になく、あらためてそれを探そうという気にもならない。

鈴木芳樹著『スローブログ宣言!』を読む。日本に戻ってきて最初に買った本の一つである。彼のブログに対するスタンスが改めて理解でき、再読してもおもしろい。そういえば買ったとも読んだとも彼には言わなかった。

しかしそうしたものより何より、彼の存在を私に感じさせるものが、今でもはてなの日記である。

それは、新しい形の死者とのつきあいかたを要求しているように私は思える。私は彼を最初からネットの人として知った。そしてその最後の最後まで彼は私にとってネットの人、ブログの人だった。というより、はてなというコミュニティの日記の人だった。

ある人を著述や芸術作品を通して知り、その人に強い親近感を持ったり、その人に私淑したりということは昔からある。その人物の死は、読者、受け手にとって大きな喪失である。ばあいによっては、残された作品よりも、その人の死、特に夭折こそが、人々の記憶に強く刻まれることもある。しかしそこでは記憶は作品として、あるいは死という歴史的事象として、過去に過去に押しやられ、それに拮抗する形で、人々は記憶をよびさまし、「思い出は胸の中に生きている」という思いが補償のように発動されるような気がする。

それに対し、yskszkという人の、はてなの日記SNSの日記(そして私は熱心な「フォロワー」ではなかったがそのTwitterのメッセージ)は、何か、閉じられないものとして、いつも、そこに、手を伸ばせば届くところにあるような気がするのだ(彼が自己ドメイン、自己サーバーでブログを書いていれば話はまた違ったのかもしれないのだが)。死者の残した作品、遺作というより、更新が途中でとまってしまったひとつの状態のものとして、宙吊りになりながら生き続けているような印象を与える。そして、私にとっての彼は、彼がそこに書いているそのものがほとんどすべてであっただけに、彼が隣り合せに生きている、あるいは、隣り合せに死んでいるという思いが強まる。私のように1回、1回のエントリーを閉じたテキストとして書いていくタイプの書き手ではなく、彼が、いみじくもスローブログの書き手だっただけに、それはなお強くなる。

すでに少なからぬ人が経験し、経験しはじめていることなのだろうが、ネット空間のテキストとして他人の生とつきあい、閉じられていない生の痕跡とともに、他人の死とつきあっていくという体験はこれから普通のものになっていき、私たちは、そのつきあいかたを憶えていくのだろう。私は id:yskszk という一人の大いなる才能をもった書き手によってその洗礼を受けることとなった。


追記 : 多くの方、特に id:temjinus さん、猫屋さんには、リアルでお世話になりながら、音信不通で不義理のしっぱなしです。非礼をここでおわびし、そしてあらためてご挨拶したいと思います。そして私がここを留守にしている間に、多くの方が大きな変化、激動を体験されていることに蔭ながら思いを馳せています。id:kiyonobumie さん、そしてid:kmiura さんのことを強く思っています。何度目かのスローブログ宣言になるかどうかはわかりませんが、どうしても書かなければいけないテキストをひとまず送信します。