トルコでのイスラム・ヴェール制限、欧州人権裁判所の判断


7月1日付けのル・モンドの記事

欧州人権裁判所、イスラム・ヴェールに反対
La cour de Strasbourg hostile au foulard islamique

LE MONDE | 30.06.04 | ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 01.07.04


は6月29日に欧州人権裁判所で出された判決を取りあげたもので、要領よくまとまっており、背景解説も適切だが、見出しは誤解を生みやすい。


実際の判決文と判決要旨(プレスリリース)は例によって人権裁判所のサイトで参照できる。

判決文 (↓直接リンクでうまく飛ばないときは人権裁判所のサイトトップから )

Leyla Şahin c. Turquie英語版あり)
Zeynep Tekin c. Turquie
プレスリリース
Leyla Şahin c. Turquie et Zeynep Tekin c. Turquie (仏語版) *1
Leyla Şahin v. Turkey and Zeynep Tekin v. Turkey (英語版)


大学当局によるイスラム・ヴェール着用禁止をめぐってトルコ国内での裁判に敗れた女子学生たちがそれぞれトルコを相手に訴えていた案件で、2つの個別の件であるが、理論的には同一の判断で扱えるためか、プレスリリースでは一つにまとめて扱っている。実は 「Zeynep Tekin 対トルコ」のほうは原告の一方的取り下げによるテクニカルな問題で解決しており、裁判所の実質的な判断が下されているのは「Leyla Sahin 対トルコ」のほうである。フランスの最近の状況の中でこのイスラム・ヴェール問題というのは、個人的に興味があるので、問題を別の角度から見る上でも、後者を上のソースによりながら少し詳しく見てみたい。


原告の シャヒン Şahin氏はイスタンブールの医学部の学生であったが、1998年、イスラム・ヴェール着用での授業への出席を禁止する学長通達により、ヴェールを着用しているとの理由でいくつかの授業、試験への参加を拒否された。氏はこの処分が、欧州人権規約第9条「思想・良心・宗教の自由」をはじめ、「教育を受ける権利」、「私生活・家族生活尊重の権利」「表現の自由」に違反するとしてトルコを相手に同年、欧州人権裁判所に訴えた。審理は2002年に開始され、今回の判決になる。


断っておきたいのは、この裁判は、イスラム・ヴェールを大学で禁止するのが、思想・良心・宗教の自由に反するかどうかについて、直接に抽象的な判断を下すのではなく、それを禁止している、あるいは禁止を合法と認めているトルコという国の措置が、欧州人権規約の「思想・良心・宗教の自由」の遵守義務に反しているのかどうかを判断するもので、そこではあくまでもトルコの具体的な事情とともに検討が行われるということである。


判決要旨を順を追って見ていくと、まず、裁判所はこれが実際に宗教に関わる問題であることを確認する。

当法廷はSahin氏にとってこの行為[ヴェールの着用]は宗教あるいは信念に基づいたものであることを確認する。したがって、法廷は次の原則から出発する。すなわち、イスラム・ヴェールの大学内での着用に関してその形態と場所についての制限を加える係争対象の通達は、自らの宗教を公に表現する(manifester)原告の行為への介入(ingérence)にあたる。


ingérence は「介入」としか訳しようがないが、別にネガティヴな意味を持つものではない。問題はこの介入が認められるかどうかである。


次に裁判所が確認するのは。大学の措置のトルコ内での適法性である。

「この介入はトルコの法律に合法的な根拠を持つ。すなわちこれは 、大学において「宗教的信念という理由から首や髪をヴェールやスカーフで覆う」ことを女子学生に許可することは憲法に違反するものであるとする[同国の]憲法裁判所の判例に発している。他方長年の間、国務院はイスラム・ヴェールの着用は共和国の基本原則に相容れないとしている。...


といっても裁判所がまだこれを合理的と認めたわけではない、判断はこのトルコの法的措置の是非を含めてくだされる。


そしてこれについて、次の結論が明確に下される

当法廷は、係争対象となっている措置は本質において他者の権利と自由の保護および秩序の維持という正当な(légitimes)目的に適うものと判断する。


また

他方、この介入の「必要性」について、裁判所はこの介入が、非宗教(laïcité)と平等(égalité)という互いに補強し合い、補い合う二つの原則に立脚するものであると指摘したい


必要性についてはまず、トルコの憲法(体制の原理)との関連で論じられる。

憲法解釈についての判例によれば、トルコにおける非宗教は、他の要素と並んで、民主主義的価値、宗教の自由の不可侵性−−内心の信仰心に関する限りにおいての−−の原則、法の前での市民の平等の原則を保証するもの(garant)である。非宗教はまた外部からの圧力から個人を保護する。憲法裁判所の判断によれば、自己の宗教を公に表現する自由は、これらの価値、原則を維持する目的で制限され得る。


さて、このトルコでの憲法判断に対する人権裁判所の判断は、

非宗教についてこのような観念は [欧州人権]規約の根底にある価値(valeurs sous-jacentes)を尊重するものであると当法廷には考えられ、法廷はこの原則の維持はトルコの民主主義制度を守るために必要と見なされることを確認する。また、トルコの憲法制度は女性の権利の保護に重きを置いている。両性の平等は人権裁判所において規約の根底にある重要原則の一つそして欧州評議会の加盟国の目標の一つであると見なされるものであり、これはトルコの憲法裁判所においてもトルコ憲法を支える諸価値の中に暗黙的に含まれる原則として見なされている」


実はこの判決の中で最も興味深いのは次のパラグラフ

トルコの憲法裁判所の判断と同じく、当法廷は、トルコの現在の情勢においてイスラム・ヴェールの問題を検討する際、宗教的な強制義務として表現され受け取られるものとしてのこの標章の着用がこれをはっきりと人目に示さない者に対して及ぼす影響力について無視するわけにはいかないと考える。このとき問題になっているのは、「他者の権利と自由」の保護であり、また国民の大部分が女性の権利と非宗教的な生活様式に大きな価値を置きながらイスラム教徒である国における「公共の秩序の維持」である。ヴェール着用の制限はしたがって、この2つの目的を達成するための「緊急の社会的必要性」に応えるものと見なされ、それは、この宗教的標章がこの何年かの間に政治的意味合いを持つにいたっただけになおさらのことである。現在トルコで、社会全体に自らの宗教的標章と、宗教的原理に基づいた社会についての自らの概念を押し付けようとする極端な政治的運動が存在することに目をとめないわけにはいかない。係争対象となっている規則はまた大学における多元主義pluralisme を保護する目的のものであると当法廷は判断する。


トルコの現在の政治情勢を具体的に視野に入れた上での判断となっている。


このあと、上記原則に基づいて行動した大学当局の措置の正当性、規則適用にあたっての適用対象者への配慮の適切性などに対して具体的な検討がなされ、次のように結論する。

上記の事情そして批准国に与えられた適応時の裁量度に鑑み、当法廷は以下のように結論する。イスラム・ヴェールの着用を制限するイスタンブール大学の規則とそれに関連する適用措置は原則的に正当なものかつ追求する目的に見合ったものであり、したがって「民主主義社会において必要なもの」と見なされる。


前に見た、「カロリーヌ・モナコ王女対ドイツ」と違って今度は訴えられた国のほうの勝訴。


イスラム・ヴェールの問題は複雑だ。フランス国内の問題にしてもイスラム教対キリスト教国家のようなまったくとんちんかんな視点で見られることもある。また、「信教の自由」や「表現の自由」を求める個人対それを禁止する国家というような角度からだけ見ていると、自由の名のもとに「介入」の正当性を引き出す上のような判決は言葉のマジックにしか見えないかもしれない。が、それぞれの国にはそれぞれの事情があり、逆に自由の保護のために制限をあえて「緊急かつ必要」のものと実感する人々がいる。自由を旗印に「踏み絵」が持ち込まれ、それが逆に他者の自由を蹂躪することの危険性がここでは問題となる。


ル・モンドの解説によると、イスラム・ヴェールの着用制限に対し欧州人権裁判所が判断を下すのは、スイスを相手に職場での着用禁止の撤回を求めて訴えた小学校教師の件で2001年にやはり禁止を正当として以来2度め。今回もその線に沿ったものであるが、最も大きなトルコの問題について判断が下されるのははじめてで、現在起こされている約200件の同種の「○×対トルコ」の訴訟に対し判例が確立したことになる。ル・モンドは、フランスもまた、自国の裁判においてこの判例を引き合いに出すことができるようになるだろうとしている。ただし、上で見たように、判決が踏み込んで論じているトルコ*2の特殊性が、フランスにどう投影できるかについては、人々の判断が分かれるところだろう*3

*1:仏語版へのリンクはURLにアクサンが含まれるためブラウザによっては正しくリンクしない場合がある。このときは→こちらのGoogleサーチ結果から

*2:トルコのイスラム・ヴェールにたいする状況、非宗教の歴史的経緯について、概略的に知りたいと思っていたが、上記のLeyla Sahin c. Turquie の判決文にちょうどいいまとめがあった。抜き出して、この日記に作った資料庫にアップする。こうした事情はトルコ人に聞いても、検索してもなかなかわからなかった。フランスのイスラム・ヴェールについてフランスに住んでいる日本人やそれどころかフランスに住んでいるフランス人に聞いても、必ずしも、正確な知識と多面的な判断とともに教えてくれないのと同様、トルコ人だから、トルコ系だから、あるいはトルコに住んでいるからと言って皆がちゃんと解説してくれるわけではない。特に宗教的、政治的バイアスがある場合はなおのことである。個人的に見聞きした範囲では、フランスにいるトルコ系の家庭出身ででヴェールの着用に特に強くこだわる女学生が一定数いる。トルコで禁止されているだけに、心理的にフランスで強くこだわるのかもしれない。あるいはフランスで既成事実を積み重ねることが出身国(本人あるいは親の)への圧力に転化するという政治的判断がどこかでなされているのかもしれない。こういう立場をとっている人々に質問すると、トルコでの措置がいかに不当かと力説してくれる場合もあれば、逆にトルコでの措置の事実にできるだけ触れないような態度を見せる場合もある。特に昨年成立の際「イスラム・ヴェール禁止法」として喧伝された公立学校での宗教的標章のあからさまな着用を禁止する法律をめぐる議論が白熱していたときには、フランスの特殊性を強調する意図のためか、後者の傾向がより多く見られたように思う。

*3:追加検索用キーワード : イスラムベール、ベール、スカーフ、ヒジャブ、ヘジャブ

追記

上記の裁判について日本語でどのような情報があるか気になって検索中に、ル・モンド・ディプロマティークに発表されたドミニク・ヴィダル Dominique Vidal の文("Exception française", Le Monde diplomatique, février 2004 )の邦訳(「イスラムのスカーフに対するヨーロッパ諸国の姿勢」)を発見した。記事の最後のパラグラフがこの件について触れている。一読すればわかるように、特定の微妙なニュアンスをともなった書き方になっているが、上記の判決が出た今となってはレトリック的な効果をすっかり失っている。ヴィダルは今回の上記のような判決を予想していなかったのだろうか、後知恵ながらちょっと意地の悪い興味を持ってしまう。


Le Monde diplopmatique のこの号には、公立学校での宗教的標章の着用禁止の法案の裏付けとなる報告書を答申したスタジ委員会の委員の一人 アンリ・ペニャ=ルイズ Henri Peña-Ruiz による "Laïcité et égalité, leviers de l'émancipation"(「非宗教と平等、解放の二つの梃子」)という文も掲載されており、こちらの論は上記の判決につながる線になっているが、残念ながらこれは日本語版掲載の記事に選択されていない。


判決の本格的な批判的検討はこれから出てくるだろう。今のところ UOIF(Union des Organisations Islamiques de France フランス全イスラム徒組織ユニオン) からの短いコメントしか出回っていない(UOIFのアクションについてはtemjinus氏の7月3日の日記を参照)。