リアクティヴモードで雑感

  • カソヴィッツ・サルコジのブログ戦についての24日エントリーにTBをいただいた id:lunette_homme さんの25日の記事に、サルコジ氏のコメントの訳の一部があります。サルコジのとるポピュリスト的手法のの問題については、まさにそのとおりで、これは私も項をあらためていつかたっぷり書きたいと思っている。といってもいつになるかわからないので、とりあえず以前 id:kmiura さんのところのコメント欄に一気にぶっちゃけて書いたのを

(fenestrae wrote about Mr. Sarkozy) 典型的な、そしてフランスの旧来保守の政治家としては珍しい、ポピュリストのタイプだと思います*1。実は私が一番不安を覚えているのは、彼の政策が右か左かということではなく、こうした彼のキャラクター。時代の空気によって世論の関心を求めて、表面的にジグザグに、右にも左にも走るタイプ。個々の思いつきはいいので、世論には一時的にはかなり受ける。が、そのことによって、フランスの政治が左右も含めてある程度つちかってきた原則が、知らぬ間に破壊されるのを恐れています。

  • スカーフやヴェールなどイスラムヴェール関連のキワードでの検索がやたら来る。この問題と今度の騒動をリンクする向きの観測記事がどこかにあるのだろうか。すみずみまで調べたわけではないが、この問題との関連は、少なくとも「ほとんど」といえるくらいには、存在しない。個人的には「まったく」と言ってもいいくらいなのだが。もともと新学期がはじまったときにヴェール問題の紛争はほとんどなく(この理由についてはいろいろ観測もあろうが)、2年前、1年前の抗議の盛り上がりが嘘のよう。とにかくイスラム教徒のコミュニティの中でも社会問題としては姿を消した。火種として残っていれば、今回の騒動での要求項目としてめいっぱい利用されたろうが、そういう気配はなかった。今回の騒動の「非宗教性」を示すめやすとなる。騒動の宗教的な側面については、TVが「アッラーアクバール」と叫ぶ少年たちの姿を放映したくらいだが、これはやっているほうの側でもおよそショー的なものに留まると私は見ている。比べて言えば、リセアンのチェ・ゲバラのTシャツくらいのもの。イスラム・ヴェールについては去年、行きがかり上、いろいろ書いたが、私の意見はせいぜい、リベやあひる新聞のおいていあるカフェに集まるおじさん、おばさんの議論くらいのレベルのもので、この問題についてははてな内に、id:kiyonobumieさんというもっと適任者がいらっしゃる。直接にヴェール問題を扱ったものではないが、「id:kiyonobumie:20051115 ライシテについての討論会」は、ライシテをめぐる議論の現在の状況のちょっとした内幕が分かる。私はかなりごりごりの共和主義的ライシテ派なので、id:kiyonobumie さんの文章のニュアンスから読み取られるような立場からすると、意見がちょっと違うかもしれないが、研究者でいらっしゃるからには、事実認識に関しての議論は、私より確実なはず。新学期でお忙しいようですが、いつか幾分なりとも詳しい解説を書いていただけたらと思う。

大学時代に、数学の先生から聞いた重要な言葉です。
「『わからないこと』をわかろうとするな。『わからないこと』は『わからないこと』として、ずっと心にとめておきなさい、すると、いつかわかるときが来る。」

ということば。そして26日の私のエントリーで、補導された少年たちのプロフィールを紹介するル・モンド記事の中で重要だと思い、その意見に応えて猫屋さんが翻訳してくれた少年たちの経歴の具体例の部分について、id:chorolynさんから「これは大事。いい仕事です。...こういうものを積み重ねた上で議論しないとマズイ。」というTBコメントをいただいた。今回、適確な判断を下しているのは現場を見ている社会学者で、「哲学者たち」「思想の首領たち(を批判した人)」のずさんさが目立つ。評論家、哲学者はブルデューいうところの「透視の幻想」を捨てろといいたいが、気にしない人は気にしないので言いたい放題だ。上のコメントの一つが「数学の先生」をレファレンスにしたものであり、もう一つは文書資料を実証的に吟味しながら仕事をしている(とお見受けできる)歴史学徒からのものというのは意味深い。このあたり、データから出発して自らの仮説に変更を変え、そのインタラクションで仕事をするというスタイルの学問的訓練を経ている人と、同じ学問でも、そうでなくても別に困らない(ほんとう困るのだが)ようなところで仕事をしている人との間にある溝のようなものを感じる。もっとも前者のカテゴリーに属する人でも、論ずる対象が変ればきれいさっぱりそうした訓練の習慣も忘れてしまうという例も往々にしてあるのだが。

...と、このあたりで、最近記事のコメントにお返事できないまま力つきる...

*1:追記:シラク流のポピュリズニムには一定の限度というのがあった。

P.Comme Politiques

ル・モンド社説 Jean-Marie Colombani, "Après le choc, (28/29.11.05)" いろはカルタ「P」項のココロ。

政治家たちの力学関係--大統領権力の弱体化(健康上の理由を発端とし政治力学の問題となっていった)、反対勢力の自制(野党、組合)を背景に、突っ走るヴィルパン−サルコジの二人三脚*1

社説全体の紹介は猫屋さんのところに。(>猫屋さん。超訳で翻訳分担のお返し。適当につまみぐいしてうめてください。)

*1:[第5共和制に代る第6共和制を訴える社会党左派新勢力の]アルノー・モンブールをは気づいていないかもしれないが、大統領からより多くの権力を委譲された首相制という彼の考えは、もうすでに勝利を収めている。考えられないようなヴィルパン-サルコジというコンビが大統領権力の機能不全を埋めている。首相がすべての権力を行使し、内務大臣が現場を仕切るという役割分担のもとに。この二人は、二人三脚で、めざましく働き、秩序の回復という急務を解決した。二人は、世論の支持とさらには、まるでどこかにいなくなったかたに見えるほど論争のエスカレートをいっさい避けた野党の暗黙の支持を得て、言ってみれば、国家を維持経営した。▼われわれが共和主義的君主制にいることを考えれば、国家の最高権力が衰えをみせたときに秩序を乱す騒動が勃発したのを偶然と考えることはできない。大統領権力がすべての権力機関をまとめるたがであることを止めていながら何も起らないということは有り得ない。この事態は二つの方向に作用した。一方の晴れ晴れしい解放、他方の自制である。後者つまり労働組合は、おそらくとまどいながら、バンリュウの暴力による危機を政治・社会運動へと接続発展させていくことは危険すぎると考えたのである。