フランスの知識人−−新世代の登場

前回の記事で紹介した www.ideesdefrance.frに掲載された、Intellectuels français : une nouvelle génération (英語版 French Intellectuals : The New Generation)のざっくりした翻訳。原文執筆者署名なし。

チシキ人はどこへ行ったか

フランス知識人に対する死亡宣告を数え上げていけばもはやきりがない。すでに哲学者のミシェル・フーコー Mihcel Foucault(1984年没)や社会学者のピエール・ブルデュー Pierre Bourdieu(2002年没)、評論家のレジス・ドゥブレ Régis Debray が、それぞれ違う分野で、自分たちの時代における「政治参加した総合的知識人」(あるいは「文学的」知識人)、すなわちヴォルテールやドレフィス事件におけるゾラを規範とした知識人の死滅を確認した。1980年の初頭には、社会党政府の閣僚が「知識人たちの沈黙」についてル・モンド紙上で驚きを表明するのだが、この時期にはフランスの伝統的知識人の地位は、影響力の面からいえば紙メディアの論説家に(ドゥブレの見解)、学術界の国際的な大学人に(ブルデューの展望)、あるいは知をめぐって「限定的専門知識人」(フーコーの見解)によって引き継がれたと見られたようだ。レイモン・アロンは大学知識人と論説家の両方を同時に引き受けていたし、一方サルトルはノーヴェル・オプセルヴァトゥール誌やリベラシオン紙の創刊に関わっていた。しかしそれ以降、知的労働の専門職業化、専門分化は、そうした複数の役割が相互に分離していくことを加速した。同時に20年来の視聴覚メディアの飛躍的発展によって「メディアで有名な」知識人と大学人の思想家たちの間の溝が広がっている。

「政府系知識人」に抗して

この何年来か、知識人の栄光あるフランス的伝統、この「普遍的価値の専門家たち」の伝統の終焉を嘆く論説書が書店を埋め尽くし、それはごく最近まで続いていた。評論家 essayste のジャン=クロード・ミルネール Jean-Claude Milner は、コンセンサスとマスメディア化を告発し、2002年には「もはやフランスには知的生活は存在しないだろう」と請け合った。「社会が支配するとき、思考は消える」というのだ。2005年に歴史家のジェラール・ノワリエル Gérard Noirielは、この「共和国の呪われた息子たち」の没落を、「批判的知識人」に代る「政府系知識人」と「専門家」の台頭によって説明した。同年、ベルナール=アンリ・レヴィ Bernard-Henri Lévy に対する一連の激しい批判(3冊の伝記がそのために書かれた)が、またその数ヶ月後にはアラン・フィンケルクロートに対する批判−−イスラエルの Ha'aretz紙でのその賛否両論のある発言を受けた批判−−があり、これらは「マスメディアの」知識人とその「反動的」偏向化への批判を再燃させた。

屍はまだ動く

とはいえ、屍がまだ動いているばかりではなく、フランス知識人界の新しいシーンでは、「ベビー・ブーム」世代(そして68年世代)の後にすぐ続く書き手たちが多くの希望の光を与えてくれる。刷新の兆候として少なくとも3つを挙げることができる。

まず、1995-96年の社会運動[大ストライキ]とオルター・グローバリズム運動の躍進に伴って、社会批判、そして過去と断絶する政治思想が戻ってきたのをはっきり目にする。それは特に、極右に対する活発な反対運動や、資本主義に対する批判のまったく新しい理論化を軸に、また伝統的な政治的カテゴリーや両極化へのさらに一般的な−−「ミッテラン時代」の雰囲気の中で教育を受けた世代に特有の−−拒否を軸に展開されている。

また第二に、文化産業の一人勝ちの支配−−若い知識人がもはやあらかじめ拒否することの不可能な支配−−と芸術の様々な分野の急激な活性化は、アングロ・サクソン圏での「カルチュラル・スタディーズ」の飛躍から20年を経て、思考の対象やテーマとしてこれまで長いことフランスで拒否されてきた種々のものの爆発的出現をもたらした−−種々のメディア、テレビでの創作、ポピュラー・カルチュア、日常文化、娯楽文化、そしてさらには、米−欧における「遊び的」あるいはパロディを利用した類の積極的な政治活動である。

そして最後に、新聞・雑誌がもう長いこと知識人界における「グループ」や「学派」の消滅を嘆き、前衛たちの消滅を個人主義の勝利のせいにしているのをよそ目に、フランスではこの数年、新しい「集知識人集合体」の例に事欠かない。それは、 La Fabrique や Allia といった新しいタイプの出版社であったり、Multitudes から Vacarme といったかつて例をみない政治誌であったり、indymedia.orglibertaire.frといったネット活用者の共同体である。さらに視点を大きくとれば、そこにはネットワーク−−芸術、社会科学、哲学、政治活動の分野での−−の交差があちらこちらで起きているのが見られ、そしてときには、メディアによってとりあげられて、一時的なものであるにせよ、いくつかの共同「レーベル」の成功も見られる。これには、1994-95年の Revue de littérature générale 誌や、1996年に有名になったPerpendiculaire による詩と芸術の実践的試みから、2005年末に30人ほどの若い理論家たちが、象徴的な「Fresh Théorie」という名称のもとに集合した例までがある。じっさい、論集として同時代文化のブリコラージュのための理論的工具箱と名乗る Fresh Théorie にはデザインの歴史、マイケル・ジャクソン裁判、GPSシステム、ソープ・オペラ、データ・ベース、ポルノ映画等等を対象として書かれた理論的格調のある論文が収められている。

利用、不安的な立場、世界性

このようにして、エリー・デュリング Elie Duringからフィリップ・コルキュフ Philippe Corcuff、オリヴィエ・ラザック Olivier Razacからマルセラ・ヤキュブ Marcela Iacub、メディ・ベラジュ・カセム Mehdi Belhaj Kacem から ラプ・エンディエ Rap N'Diaye といった25歳から45歳までの分野を越えた若い思想家たちが、フランスの知識人界のシーンを塗り替えている。いまだに前の世代の代表者的人物たちが支配的しているマスメディアの世界においては、その皆が一様に成功を収めているとは言いがたいが、彼らの理論的生産の多様性と独創性は少なくとも過去30年間のフランスではかつて見られなかったものである。こうした大きなうねりを、その多様性の越えて、3つの主要な原則−−社会的な要因であるとともにこの知的な刷新の構成要素そのものである原則−−に帰着させることができる。もちろんそれらは、マスメディアの知識人と政府系の専門家の過去四分の一世紀にわたる二重の勝利に対するリアクションでもある。

第一の要素は社会的であると同時に政治的なもの、すなわち、文化的・知的領域の労働者の爆発的増大と経済的な不安定化である。これらの労働者は前の世代におけるよりもはるかに数が多く(高等教育の長期化と文化産業の発展により)、一方、はるかに不安定な地位しか持っていない。そして後者は、最近の人文科学系の研究者の最近の闘争や若いフリーの舞台芸術関係者の闘争に見られるような、職業的な連帯と現場での政治化の一つの要因である。

フレンチ・セオリーの帰還

二つ目の重要な要因は、過去20年間のフランス内部での囲い込みとあまりにフランス的な議論が終りをつげ、態度が外国に開かれてきたことである。これらの若い世代は外国語を話し、かなりの者がフランス外の大学を経験し、そして過去20年の国際的な大学界からのフランスの孤立に終止符をうちながら、国際化した大学を揺さぶっている理論的・政治的議論を前の世代よりも綿密に追っている。このことを示しているのが、人文科学の分野の世界的ビッグネーム、スロヴェニア人のスラヴォイ・ジジェク Slavoy Zizek、イギリス人のペリー・アンダーソン Perry Anderson、アメリカ人のジュディス・バトラー Judith Butler、あるいはインド人のアルジュン・アパデュライ Arjun Appaduraiらの著作がごく最近になって次々と翻訳されていることである。こうした最近の努力は、この分野におけるフランスの大きな遅れを埋め、徐々にフランスの知識人界の孤立した飛び状態を解消しようとしている。

最後の重要な要因は、哲学や社会科学の古典的テキストに対する新しい態度が生まれたことである。これらの若い書き手たちはいずれもが、全面的な拒否も弟子としての服従の態度もとらず、そしてア・プリオリの批判も訓古註釈も斥けながら、フーコーデリダニーチェハイデガーというようなさまざまなビッグネームに対し、自由な使用、部分的借用、批判的総括などの試みで臨む。これは彼らのより大きな知的な独立を示していると同時に、新しい文化的実践−−カット・アップ、DJのそれ、独創と(再)組み合わせの境界や読むことと書くことの境界の撹乱−−へのかつてなかったほどの連帯を示している。世界じゅうで勝利を収めながらフランス本国では長いこと姿を消していた1970年代のフレンチ・セオリーがフランスに今ある種の帰還を果たしているのはそうした理由からであり、それはまた、この国で、ラジカルに独創的なアプローチの開花を助けるためでもある。

以上訳終り

  • 新製品の売り込みという感じはあったものの、前の世代に対するリアクションを社会的要因とともに記述する後半のところまでは景気よく読めた。知的労働界の状況は世界中どこでもいっしょで、そこを何とか結束して乗り切ろうというフランスの若い世代を頼もしく描いていて。が、最後のフレンチ・セオリーでがくっ。フランスはこれからニューアカ・ブームになるのか...ソーカルが何というか。輸出品の再発見・再輸入で輸出品の輸出価格はまたあがるのか。ただ、何かが動かなければだめなことは確か。Fresh Théorie サイトでも見ながらつらつら考えることにする。
  • 例によって訳しっぱなしなので、あとで一度くらい校正する。→1回済み。葡萄酒のせいで変なミスや変な日本語がいっぱいあった。

フランスの知識人−−生きている旧旧世代巨人

新世代の記事のついでに...

www.ideesdefrance.fr を紹介する昨日の記事にこんなブックマークコメントがついていた。

>terazzoさん
これを見ていれば生きてるか死んでるか分かるよ!!
http://www.ideesdefrance.fr/agenda/agenda_personne.php?id=201

なんだろうと思って指定リンク先を見にいくと、サイト内人名辞典のレヴィ=ストロースの項目。

「まだ生きてるんだ〜」という話題は日本のネットで何年か前にも目にしたが、健在である。1908年11月28日生まれ、現在97歳。アカデミー・フランセーズ会員。去年たしかArteで特集番組があって、近年の撮影だと思うけど長いインタビューに応じていた。ideesdefrance のページの近況欄に昨年11月のユネスコ設立60周年記念式典で講演したというのがあるのでリンク先をたどっていくと、講演のビデオがありました。

ビデオは式典の全編を収録しており、レヴィ=ストロースの出てくるのはまんなかあたり、1時間58分くらいのところから。これはことばがわからなくても是非とも一度フランス語版で聴いてほしい。手は震えているけどことばはしっかりしていて、なんといっても30分近いびっしりと内容のつまった講演を用意し、こなしているところにすごさを感じる。

人種概念の粉砕、少数文化・言語の維持の問題、文化多様性と生物多様の関係などをユネスコの活動について論じている*1。人間を他の生物と切り離し、その上に位置するものとする西欧近代の思考に対する強い批判で講演を閉じる。2006年とか2008年のユネスコの企画についても触れているので、まだ意欲満々のよう。

講演の真ん中あたりで、14-15世紀の国際ゴシックと現代芸術を、芸術と身体の関係、グローバリゼーションに関わらせながら比較している。その中で、よくある常識的な嘆きを越えて、グローバリゼーションの中から芸術多様化の可能性が生じてくる可能性に触れているところが印象的。このくらい生きていろんなことを見ていると、中途半端な長さ生きている人よりも、目先のことにとらわれない発想ができるのかもと思った。もちろん個人的資質が大きいわけだが。聴きながら、あちこちにピアスしたゴス娘とまじめに会話している翁の姿を想像した。

*1:じつのところは、こうしたユネスコの活動じたいに、レヴィ=ストロース自身が過去積極的に関与している。過去のレヴィ=ストロースユネスコ講演の簡単なまとめは → http://www.unesco.org/courier/2001_12/fr/droits2.htm