今日の重要テーマだったはずのもの −− トルコ、ヴェル・ディヴのユダヤ人大検束事件

トルコのエルドアン首相が今日から訪仏。もちろんEU加盟交渉開始に向けてののサポート要請のため。リベラシオンは特集記事を組む。種々の解説記事に加え、社説では 「Compatible 適合可能」と題する加盟支持の社説、また、ダニエル・コーン=ベンディット(oui)とUDFのジャン=ルイ・ブルランジュ Jean-Louis Bourlanges (non)への対談風に編集されたインタビュー。

Libération le 19 juillet 2004 Dossier Turquie

La Turquie passe par Paris pour entrer en Europe
Turquie «Désormais, c'est l'Etat turc qui parle kurde»
Turquie Erdogan, un islamiste converti à l'UE
Turquie. Editorial Compatible Par Gérard DUPUY
Turquie A savoir
Turquie Pour ou contre la Turquie dans l'UE
En France, hostilités à l'entrée de la Turquie


シャロン発言でふっとんだが、日曜のユダヤ人関係のニュースとしては 1942年7月16、17日のヴェル・ディヴのユダヤ人大検束事件 la rafle du Vel d'Hiv の記念式典が例年のようにメインになるはずだった(たまには→首相官邸の公式プレス・リリース)。

この大検束で12,000人以上のユダヤ人が連行され国内の施設に収容されたあと国外の強制収容所に送られた。中でも自転車競技場 Vel d'Hiv には8000人(うち子供4000人)が何日間も閉じ込められた。ナチ占領時代にヴィシー政権の積極的協力のもとに全部で約75,000人のユダヤ人が捕らえられ国外に送られ帰ってきたのは2.000人ほど...

こんな話を毎年この機会を復習することになる。フランスは、1995年にシラクが大統領になってはじめて「(非正統の)ヴィシー政権の」ではなく、フランスの国としての責任を認めた、などの話も併せてつっこんで まとめたかったがまた別の機会にゆずったほうがよいようだ(この日記が続いていたらたぶん来年の今ごろ)。

こんなコンテキストであるだけに、なおさらこの日に出てきたシャロン発言は人の神経に触るものだったはず。実際に捕らえられどうにか生き延びた人、検束をまぬがれた人も含め、生証人はまだたくさんいる。ある日、官憲がドアを叩きユダヤ人であるという理由だけで連行される。それを体験し、あるいは親、祖父母、親戚から話を聞き、恐怖が皮膚感覚のレベルで貼りついている人たちがいる。そういう人たちにとって、年に一度それをはっきり思い出す日の式典が終ったと思ったら、日の暮れには、フランスは危険だから「即刻移住するように」と、その恐怖心を利用するかのような政治家の発言、それがどう感じられるか。フランスの政治家にとっても、「フランスは取り返しのつかないことをした」という大統領の過ちを認めることば(1995年7月16日)に従って、頭を下げ、この教訓を生かしますと言って帰ってきたと思ったら、「あんたらの国はユダヤ人差別を野放しにしている」といういう意味のことばを投げかけられたことになる。偶然にせよ、怒りを最大限に誘発させるのにこれ以上におあつらえむきの日はなかった。