ちょっとだけ言わせてくれぇ (たぶん期間限定)

はてなをはじめてから、はてなだけでなくいろいろなぶろぐを覗きにいく機会が増えた。フランス語の本がよく引用されている。皆、たくさん、すごい本を読んでいると思う。大学の教師も学生も。だけど、こんなに雲をつかむような読み方でいいのか、こんな簡単なことを誤読したまま難しくしてひねくりまわしていいのかと思うことがしばしばある。自分の読んだ本のことが触れられていることがあって、興味をもって読んでみても、方法論の思想家マップ上の位置のことばかりがジャルゴンで批評してあって、これはいったい自分の読んだのと同じ本の話をしているのか、違う世界の話ではないかと思うことがある。その本がほんとに大事だと思うなら誰か、ジャルゴンだけの批評で優劣をつけたり、比喩だらけの感想文で済ます前に、テキストに添ってゆっくりとやさしく解説してくれないか?

フランスの知識人の発言は−−「知識人」であるかぎりあたりまえだが−−そのときどきの社会状況の中でされる。抽象的な省察も方法論として宙に浮いたものではない。彼ら、彼女らのややこしいものの言いようの裏には彼(女)らのいらつきや怒りがある。時代の空気と結びついたその問題意識を内部発展的な方法論の変遷に縮小してしまってはそうしたものが見えなくなる。仮に純粋に理論的なものに見える思想についてもその背後にある大きな具体的背景を切り出して説明してくれるのが専門家じゃないか。

もっともその前に専門家・プロならテキストをちゃんと読み、できれば書く訓練をしてくれ。新聞が普通に読めないのにむつかしい本の話をしてもだめだ。新聞の論説を辞書をひきひき−−辞書をひくのはもちろんいいことだしそれをやめてはいけないが−−やっとこ読んだあげくにとんちんかんな解釈しかできないのに、日本の大学でフランスの制度や社会問題について語る人がいる(複数知ってる)。大学入学資格試験の哲学作文で10点(20点満点の)とれないレベルどころか、語学学校で、日本からやってくる「語学留学のお姉ちゃん」(と彼らが呼ぶ女性たち)と同じ点数をつけられるフランス思想専門の大学人も知っている。点が悪いのはしゃべれないからじゃなく、読めない、書けないからだ。そんな人がフランスの哲学者○×○の専門家ということになっているあげくに、いつ乗り越えたのか知らないがが○×○の□△の陥穽とかなんとかまで言うようになったりする。そういう人は、○×○の批判どころか、「語学留学のお姉ちゃん」の批判もしちゃだめだ。彼女たちの多くが先の職の保証もなく自分の貯金で来ているし、半年後にはおじさんたちよりロフト・ストーリーで言っていることがよっぽどわかるようになったりするだけ偉い。

もちろんそんな人ばかりじゃない。クリステヴァトドロフのようにというのはおおげさだが、それにかなり近いくらいの人もいるはずだし、やややや近いくらいの人はいるし、やややややや近いくらいの人はそこそこいる(はず)。だけど、日本語を介してみると、そんな人たちと、語学留学のお姉ちゃんにひがむレベルの人と、ややややややややややくらいなのに論文だけはフランス語で難しいことばを並べて書いてしまった人が、同じように翻訳したり、うわべは同じように見える言葉を使って議論して、わけがわからないのが問題だ。

それにしても、専門はひとつ脇において、もっと新聞で普通の社会問題、政治問題を読み語る人がいてもいいと思う。さっき言ったように、現代思想を論じるからには、そうした背景に、飯をくったり、ぶどう酒を飲んだりするのと同じように触れたり、語ったりすることが必要ではないか?フランス人の考え方を知りたいなら、その辺で社会活動をしているおじさんやおばさんが議論するレベルくらいの、週35時間労働はいいだの悪いだの、スカーフは学校でやめさせろだのいや許せだの、環境保護団体が狼を野放しにしているのはけしからんとかいや正しいとかいうのにもっと興味を持ったほうがいいのではないか。

日本にいたってネットで新聞もよめる。ル・モンドだけでもさまざまな問題について情報の宝庫だ。月に5ユーロ払えば予約講読者として特待サービスもしてくれる。若い人に向かってよびかけるような口調は性にはあわないが、あえていえば、フランス語で語られる現代思想を勉強の中心にしている若い人は、ジャルゴンだらけの本を読んでジャルゴンだらけの言葉で語る膨大な時間の一部でも割いて、新聞を一通り読んだり、テレビのニュースを定期的に見、それについて語ったりしたほうが近道ではないか?ル・モンドが一定の速度で読めないのに思想について語ったものを読もうとするのは無理があるし遠回りだ。ネットでラジオも何局もライブで聞けるし、テレビのニュースも見られる。テレビの悪口めいたことを書いたが、ネットでFrance 2 や France 3 の(もちろんTF1でも)ニュースを見れば、羊飼いのおばさんが狼を野放しにする環境保護団体に狼のように噛み付いているシーンに出会い、フランスの奥深くに住むおばさんの迫力とともにフランスについての何がしかを感じることもできるし、運がよければキャロル・ゲスレールがさっそうとしゃべるのにも出くわせる。私はそんな俗なことにはかかわりあいになりたくないという人が一定数いてもいいが、それにしても、「俗な」話と「高尚な」話をする者の割合が圧倒的に逆転していると感じる。