徴兵制の廃止−−フランスの場合
上のイタリアのニュースで徴兵制の廃止に賛成しなかったのが共産党と緑グループというくだりで、あれ、と思った人がいるかも知れない。徴兵制の起源、政治的意味づけ、戦後の歴史において欧州、特にフランスと日本があまりにかけ離れてしまっているため、徴兵制をめぐる欧州での左右の政治陣営の態度の理解について日本人に理解しにくい状況があるので少し注記したい。
フランスで徴兵制の廃止が国民議会で決議されたのは1997年の2月。これに直接につながる前史は1995年の大統領選挙にさかのぼる。決戦投票に残った保守党のシラクと社会党のジョスパンの政策の違いに徴兵制を廃止するかどうかがあった。シラクは廃止を基本政策とし、ジョスパンはこれを時期尚早とした。当選したシラク大統領は公約に従い、翌年の演説で廃止を宣言。それに従い立法の準備が行われ、保守党内での議論、決議を経て、法案が提出され翌1997年に法案が圧倒的多数を誇る保守党議員の賛成によって採択された。このとき少数派であった社会党、共産党、諸派左翼は反対票を投じている。保守党(特に中道右派)の中からも少数の棄権者、ごく少数の反対者が出た。これからも分かるようにフランスでは徴兵制廃止に積極的だったのは、極右を除けば、保守右派である。左派は反対の立場をとっていた。反対は左右の軸上を左にいくほど強く(一部の新左翼を除く)、左派の中でも共産党は絶対反対の態度で臨んだ。たしか廃止が決まった後も、機関紙のユマニテではしばらくの間、復活を主張していたように思う(が今確かめられない)。
徴兵制に対するフランスの左派の態度は、上で触れたように、徴兵制がフランスの近代史の中で、革命の存続を支える国民の軍隊を作るものとして生まれたこと、そうやってできた軍隊が共和国の守り手として認識されていたという歴史を見なければ理解できない。国民皆兵による共和国軍に対立するのは傭兵、貴族の職業軍人からなる反革命軍だ。その対立をひきずるかのように、左派には職業軍人だけからなる軍隊に対する不信感がある(あった)。また国民統合・平等意識を植え付ける装置としての兵役制度というのも左派の理念の中にあった。徴兵に基づく軍隊は左派の中ではある意味で自由(反革命勢力の干渉からの自由独立)、平等、博愛(連帯)の歴史的理念と結びついていた。
これに対し、シラクの態度に代表される右派は国際情勢の変化、軍事戦略の変化に伴う現実主義で臨んだ。冷戦が終了し大国間の紛争の消えた欧州で軍隊の任務は、テロ攻撃の防止、海外で起きる局地的紛争への介入になった。そこに必要とされるのは即時に動ける専門的なスキルを持った部隊で、これにはもはや徴兵による軍隊は適合しない。また平等の原則は、増加する代替役務や免除措置によって崩れているとも指摘された。実際、エリート層の師弟はコネによって自分の学業の専門にあい、しかも将来のキャリアにつながるような代替役務を見つけてもらったり、あるいは完全な抜け道を見つけたりしていたので、階層に関係なく同じ釜の飯をということは建前となっていた。徴兵制を維持する経済コストも問題となった。そして左派が共和国の理念を論じようと、世論は正直だ。徴兵されて10代、20代の間の1年を失いたいものはいない。結局廃止は左派が政権につこうと変わることがなかった。
1995年にシラクが負けていれば、そして大統領がその後ずっと左派であれば、フランスはドイツと同じく現在でも徴兵制を維持していたはずである。シラク嫌いの若者たちも、皮肉なことに兵役免除に関してはシラクのおかげを蒙っていることになる。
国民全体に徴兵制の廃止が既成事実として受け入れられて今はもうあまり話題にならないが、廃止、存続をめぐる議論がかまびすしかったころには、あまりフランスの事情に詳しくない日本人、とくに左派を自称する人々とこの問題について話になるとすれ違いが大きく、説明に苦労したものである。理解しようとすればそれでもいいが、ある程度問題の一端を垣間見ると、知りたくないような態度を示す人、心理的に理解を拒もうとする人もいた。十分によく知っている左派系の研究者もいたが、政治的な反対派に利用されかねないので、日本ではフランスのこうした事情について語るのは危険だと言った。事実を事実として踏まえ、それを正確な歴史的認識とともにオープンにしながら、自らの立場を擁護し論じる勇気が必要ではないかと言い議論になったものだ。日本の左派にはときどきその勇気が欠けているように思える。今ごろになってその積み重ねの割りを食っているのではないかとも。
戦略的な意味のなくなった今、徴兵制に残された唯一積極的な機能は、階層の違う人々を同一平面上で濃密に接触させ統合に向けて鍛えあげることだが、これについては、日本にはカイシャという立派なものがあり、学校も(そして最近教えてもらったが満員電車も)十二分にその役割を果たしているから屋上屋を重ねる必要はないと私は言うことにしているが、本気である。
上の文の中ではフランスの措置を徴兵制の廃止と単純化して呼んだが、建前的には改革で、男だけの兵役が、男女関係なく1日だけの招集日に取って代わられたことになっている。軍隊見学をして、国防に関して軍人の話を聞いたり、映画を見たりする。なんとなく運転免許の点数の回復講習を思い起こさせる。