フィネアス −− 孤独な初心者ネオナチの罪と罰

この1週間、フランスのメディアでフィネアスと呼ばれていた犯罪者の実名が昨日いっせいに報道された。ミシェル・トロンション、24歳。罪名はフランス語の表現を訳せば「人種差別・外国人憎悪の動機を伴う殺人未遂」および「宗教礼拝施設における私有財産損壊」。

先週の月曜日8月9日、リヨンのユダヤ教墓地で56の墓石が鉤十字のマークやナチスをたたえるスプレーペイントの落書きなどで汚されているのが発見された。第二次世界大戦中のユダヤ人の収容所移送を追悼する記念碑も同じ被害にあっていた。

フランスでは今年に入ってからユダヤ教徒イスラム教徒の墓に対する人種憎悪に基づくと思われる損壊行為が続発しており、その前の週もアルザス州の都市でこの地域だけでも何件めか−−数えかたによっては10件め−−の墓石の損壊があった。このときはイスラム教徒の墓が被害にあった。そして全国的に起きているこの墓荒らし・墓汚しの被害にあうのはキリスト教徒の墓地も同様である。

墓、墓地への損壊行為を呼ぶのに、フランス語では profanation de tombe, profanation de cimetière と表現し、聖域への冒涜行為を指す profanation という語を用いる。その最も重大な行為は「墓暴き」だが、墓石を倒したり、落書きをしたりする行為もその概念に含まれ、長い宗教的伝統から特別に忌むべき行為とされる。落書きの行為を日本語で「墓汚し」とか「墓いたずら」のように言ったときに比べて、profanation (宗教的冒涜)ははるかに重い響きがある。そして上に記したように特別の罪が定められている。

したがって墓の損壊に関するニュースは特別な憤激を持って全国的に報道される。特にそれがあからさまな人種差別のしるしを伴うときには。今年になってこうした事件が続発し、「またか」というような気分がニュースを伝えるほうにも受けるほうにも広がってきつつあったが、それでもこの事件はいくつかの点から大きな話題となった。

このユダヤ教墓地は5600の墓を迎え、フランスでも有数のそして伝統のあるものである。歴史は、フランスでユダヤ人が市民権を持った直後の19世紀のはじめに遡り、市内にあるユダヤ教墓地としては数少ないものの一つと言われる。ナチによって銃殺されたユダヤ人たちの墓もそこにある。リヨンは第二次世界大戦下のレジスタンスたちが活躍した場所として知られ、多くの人がそれを誇りにしている。また翌々日には、1944年の8月10日にこの町からアウシュヴィッツに送られた78人のユダヤ人たちを追悼する60周年の式典が予定されていた。そんな場所、そうしたタイミングで起きた、ナチの思い出を人々に蘇らせる行為は特別の怒りを呼んだ。

三面記事的興味からもこの事件は人々の関心を引いた。落書きの中に「フィネアス Phineas」という、人々にあまり馴染みのない語があった。聖書に詳しい人は、これが旧約聖書に出てくる人物で、異教徒の女性にそそのかされて異教神を拝んだ人物を殺したイスラエルの祭司の名前であると指摘した(聖書の日本語版ではピネハスと呼ぶ。民数記25章)。そのうちにジャーナリストたちはアメリカに本拠をおくPhineas Priesthood というネオナチ運動の存在を発見し、これと関係があるのではないかと指摘した。ただしフランスでのこのアーリア人純血主義団体の運動の上陸は知られていなかった。

落書きの中身に不審な点があることも指摘された。ニュースを詳しく読んだものたちは、鉤十字の向きがナチのものと逆であることを知り、またヒトラーファーストネーム、アドルフが "Hadolf" と記されたり、他にも幼稚なスペルミスがあることなどでいろいろと想像をめぐらせた。リヨンのユダヤ教会の大長老は、これは人種差別政治活動にたけた人間ではなく「ナチのプロパガンダをまだちゃんと消化していない初心者」の仕業ではないかと冷静に推理した。

そのうち、現場に残された物品から意外な事実がわかり、三面記事的要素が一気に深まった。墓地では犯人が残していったと思われる手斧が見つかったが、これが4日前に起った別の事件の兇器ではないかと捜査当局が気づいた。リヨン近郊のヴィレルバン Villeurbanneいう町で8月5日、マグレブ系の男性が何者かに手斧で襲われ殺されかけるという事件が起きていた。13日にはそして斧の付着物のDNA検査から墓地に残されたのは間違いなく問題の兇器だと確認された。

「フィネアス」の渾名で人々が犯人像を推理する中で、犯人は世間の反応を楽しむようになったようだ。新聞社に墓石の破片を送り付け、パリに赴き、警察に犯行を名乗る電話をして公衆電話に指紋を残すことまでした。愉快犯特有の自己顕示行為とも精神の平衡を欠いた犯罪者がしばしば発する「早く捕まえて欲しいという」メッセージにも見える。その中で、捜査陣は明らかに犯人を特定していた。この事件は治安担当の部署の扱いになりリヨン警察は20人の専従捜査員を投入していた。マスコミは逮捕が間近であることを匂わせた。そして土曜日の夜、フィネアスはパリ18区の警察署に出頭した。警察に現れたときヒットラー式の敬礼をし、パリで買い求めた新しい手斧にPhineasとマジックでサインしたものを差し出したという。週末の社会ニュースにフィネアス逮捕の知らせが流れた。

管轄のリヨン警察での取り調べを経て「フィネアス」の起訴が正式に決定したのが月曜日。マスコミにこれが伝えられるとフィネアスはミシェル・トロンションという青年になった。こんどは青年の政治的背景、人物像に人々の関心が集まる。最初のマグレブ人襲撃事件を起こしたヴィレルバンに住む。「あまり見かけないが、礼儀正しく挨拶をする物静かな普通の青年」というお約束のような隣人の談話が出る。周りの人にも薄い印象しか残していない。「他人とあまり交わらない生活スタイルを持つ人物」のようだと取り調べ官は評する。グラッフィクデザイナーとして勤めていた印刷所を雇用主との不和から8月初めに辞め失業状態をかこっていた。組織的政治的背景はなし。フィネアスの名前はアメリカの人種差別運動に関するテレビのドキュメントで見て覚えたという。

取り調べの中で人種問題になると青年は突然雄弁になるという。アラブ人に対する憎悪は一貫しているが、論理はめちゃくちゃで幼稚だと取り調べ官は言う。犯行には政治的動機とは別に世間に注目されたいという心理的側面もあるようだ。アラブ人への憎悪から8月5日にマグレブ人とおぼしき人間を斧で襲い怪我させるが、ニュースにならないので腹をたて、今度は、もっと注目されるだろうと、ユダヤ人の墓荒らしをしたと彼は語る。そのもくろみは大きな成功を収めたことになる*1

7月29日には、5月に起きたヴェルダン近郊のユダヤ人の墓汚しの犯人がつかまっており、ル・モンドその他でその犯人像が伝えられているが、そこにはやはり孤独な青年がネオナチ思想に自分から染まり、犯行に至る経緯が描かれている。ここでも特徴的なのは、既存の組織の勧誘ではなくインターネットや小さな私的サークルを通して人種差別的思想の深みにどんどんと嵌まっていく図式である。

フランス全土で今年、約15の都市で20個所以上の墓地(その約1/3がアルザス地方)が荒らされ、4月からだけでも300の墓が被害にあっている。これらの事件の中で犯人が捕まったのはこの2件だけである。他の事件にはどのような人間が関与しているのだろうか。この2件のように孤立した病的でさえある人間の犯行でもやっかいなのは、これが社会に毒をたらしこむように不安や猜疑を蔓延させることである。フランス全体に反ユダヤ主義、反アラブ主義が荒れ狂っているかのような印象が内外に一般的なものとなる。ユダヤ人の墓が荒らされると、ネオナチだけでなく、イスラム教徒にも疑いをかける気分が生まれる。ひどいときにはどちらの墓の被害であれ自作自演の疑いまでが密かにささやかれる。

あれほど人々を憤激させた墓荒らしのニュースについて、今度は多くのフランス人が、マスコミが大きくとりあげることで一部の愉快犯的行為を刺激しているのではないかと感じはじめている。ネット調査なので厳密さに欠けるが、ル・モンドが8月11日にそのサイトで実施した投票アンケートによれば、56.4%の人間が「新たな犯行の宣伝にならないようにマスコミは墓荒らしの事件をもっと小さく扱うべきだ」というほうに投票し、「この行為に人々が慣れることを防ぎ、常に人々の意識を喚起させるために今までと同じように報道しつづけるべきだ」に投票したのは37.4%だった。このアンケートはフィネアスが逮捕され「世間に注目されるためにやった」と述べる前のものである。

7月のRERでの偽傷害事件でもマスコミや世論の人種差別的犯罪に対する敏感さが逆手にとられた。警察もマスコミも一種のジレンマに陥っているに違いない。人種差別的な含意をもつ犯罪は、これが無視されると、差別の矛先が向けられた共同体から批難される。イスラム教徒は常に、自分たちが被害となる犯罪はユダヤ人の場合に比べて無視されていると不満に思っている。世間では特別扱いされていると思われているユダヤ人だが、彼らも自分たちの向けられた人種差別的犯罪がほんの一部しか取り上げられていないという不満を持っている*2。そうした緊張の中で、一握りの人間の行為が次々と成功している。

ネオナチ初心者のフィネアスが受けるはずの刑は法の定めによれば、墓荒らしについては最高刑が懲役5年、人種差別的動機による殺人未遂は最高で終身刑である。死刑の廃止されたフランスでは後者の刑は最高刑である。自己宣伝という意味では成功しなかったほうの行為で彼は重罪を受けることになる。


事件についての報道ソースは多いのでGoogle News(france)の検索で。
keywords : profanation + cimetière
keyword : phineas

*1:ユダヤ教徒イスラム教徒の対立を考えると、アラブ人嫌いといいながらユダヤ人の墓を襲うのは奇妙に聞こえるかもしれないが、アーリア人至上主義の人間からするとユダヤ人もアラブ人も同じ「セム系」で劣等民族である。フランス語で antisémitisme というとき、通常は反ユダヤ主義を指して使われ、このブログでも通常はそう訳しているが、厳密には「反セム主義」で、ほんとうは反ユダヤ主義、反アラブ主義も含む。

*2:8月5日のフィネアスの最初のマグレブ人襲撃事件はマスコミに取り上げられなかった。Google のニュース検索にも出てこない。しかし犯行の状況がわからない以上、また事件の性質が違う以上、これを次の墓地荒らし事件の扱いと比較して、イスラム教徒が差別されていると結論するのは早計だろう。