連続と切断、内なる歴史をどうするか。

10月19日に書いた、「世に「なかった主義」の...」に関して、10月20日に改めて引用したように、多くのコメントをいただいた。また、もともと議論が沸騰している中に飛び込んだこともあり、論者の一人として他のブログから複数リファレンスをいただいた。

この種の議論の常、論点が多岐に分かれていくが、できるだけ絞って、自分なりに肝心と思うところについて改めて論じたいと思う。ただし、これらをこれらの論点を立体的にまとめて、より大きな論へと構築する知的な詰めが今のところ私にはできない。明確にしたい個々の論点については自覚しながら、この点がまとまらないことに、ここしばらく悩んでいたのだが、できないことを思い煩うよりも、機を逸しないうちに暫定的にでも書いたほうがいいと思いなおした。したがって、ある程度列挙的になることを了解していただきたい。

いただいたコメントやレファレンスについて、明示的に引用したりしなかったりすることになると思うが、トラックバックやリンク・レファレンスをいただいたものについては、目をとおしたつもりなので、ご了承いただきたい。また、id:dempax さんの記事、id:dempax:20041026 がレファレンス集として役になった。


私が19日の記事を書いたときに半明示的な前提条件としていた立場を、単純明快に明示的に説明してくれている記事を、すぐ後で思わぬところで目にした。id:hal44さんの id:hal44:20041020 がそれで、これは私の記事とは関係なく書かれているが、扱っている問題は同じで、基本的に私と立脚点を共有している。

上記記事で id:hal44さんは、過去の歴史的行為への謝罪・赦しについてのデリダの1999年のインタビュー のある一節を引き、*1デリダにおける「ユニバーサルな人間理解の可能性の考察」について触れ、それを枕に、ユニバーサルな歴史の理解に対する相対主義からの批判−−特に今回のような帝国主義植民地主義的な国家の行為についての評価の問題におけるそうした批判−−を斥ける自らの立場を確認しながら、問題を二点に集約している。すなわち、まず「たとえ実際の状況が、海外で韓国人や中国人に囲まれて責められているのが日本人自分一人だけだったとしても、本質的にこの問題は、全人類的、ユニバーサルな背景があること認識すべき」ということ、そして二点めとして、「過去は常に現在の視点からのみ評価が可能であると言うことを明快に理解するべき」だということ、である。

上で言ったように、これは私の前提でもある。第一の点について私なりに若干追加したい。多様な文化尊重の立場からユニバーサリズムな価値観を批判するのはたやすいが、現在われわれは、政治的行為、特に国際的文脈のそれにおいて、最低限の倫理的コンセンサスについては、ユニバーサリズムに帰依しているはずだ。この前提がくずれれば、われわれが世界人権宣言を価値あるものとして認めたり、国として国際人権規約を批准したりする行為に意味がなくなる。またイラク戦争に対してあれこれの政治的布陣にしたがって、アグレイブ刑務所での米軍の行為を糾弾するほうに熱心になったり、アメリカのブッシュ現大統領の言に従い「自由で民主主義的なイラクへ」を作るために自らの軍隊を送ることの正当性の擁護に熱心になったりするそれぞれの行為に一切の基盤がなくなってしまう。現代の国際社会に生きている限り、奴隷を使役したり、ある民族をまとめて殺したりするのを擁護できないのと同じ資格で、戦争で一般市民や捕虜を処刑したりすることを認めることはできない。アメリカが原爆を落とした行為への批判が徹底される可能性があるとすれば、その価値の普遍性の名において、その価値の不公平な適用を問題にすることでしかありえない。第2点の「過去は常に現在の視点からのみ評価が可能であると言うことを明快に理解するべき」については回り道をしたあと、後でもう一度戻りたい。

19日の記事を書いた直後に目にした他の方の記事の印象でもう少し続ける。

id:Soreda さんからの反応があり、それからさらにそれをうけてはてな外で、「むなぐるま」さんの「『レイプ・オブ・南京』をめぐる二つのエピソード 」という記事があった。お2人の記事を読んで強く感じたのは、欧州と北米に住むもののおかれた文脈の違いである。まず、米国で広く読まれたアイリス・チャンの「レイプオブ南京」の重みがあり、それに対する事実認定、日本人のイメージ形成の上で、日本人が防戦を強いられるという事実が米国在住の論者にとってはある。また、絶対的な戦勝国であり占領国であるアメリカと戦争責任をすべて押し付けられた日本との間でのイデオロギー戦の文脈の中で、中国での日本の戦争犯罪の問題がとらえられるという傾向がある。そのなかで、むなぐるまさんの、「欧米の「戦争責任」論を日本がそのまま受け入れることは、そのような欧米の算段をも一緒に受け入れることだから、そのこと自体も十分に検討する必要があると思う。欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。」という発言があるように思われる。

私はこのところがよく分からない。まず、戦争犯罪責任の問題について「欧」と「米」は決定的に条件が違い、「欧米」と一つにまとめるのはどうか。このブログで何回かとりあげているように「歴史修正主義」と呼ばれるものに対する法的措置が「欧」と「米」とは180度違い、日本はむしろ米に近い形になっている*2。そして欧で問題になっているのは、「戦争責任論」ではなく、戦争時に行われた「人道に対する罪」の問題である。その罪は米にとってはとりあえず外部の問題であるが、欧ではこれは内部の問題である。欧の一部であるドイツはその罪を最も多く背負っているし、フランスもヴィシー政権がおかした罪とその処置をどうするかというすぐれて国内的な問題としてこの問題をかかえている。フランスにおいて第二次世界大戦中の戦争犯罪の問題は「戦勝国」が「戦敗国」にその罪を押し付けるという問題ではなく、自国の政治家、軍人、役人が犯した罪と戦後の新政権の正統性との関係の問題であり、その意味ではドイツと同質のものである。さらにはこうした犯罪に対する政治的・倫理的態度がアルジェリア戦争中のものに拡大されてくれば、これは現体制と関わりのある問題にもなってくる(上のデリダの論には「国」の罪を認める行為の拡大の背後にある過程についての冷静な観察がある)。欧と米が合っていない以上、「すべて欧米に合わせる必要」云々という言い方はあまり意味がない。

また「欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。」というとき、それが「戦争責任」に関してであるとすれば、そこには史観の問題が加わるが、犯罪の事実認定においてはある程度のコンセンサスが必要だろうし、事実認定に基づく価値判断については、人道に対する罪というものに遡及的にであれ、ユニバーサルな価値判断が成立している国際社会にあっては、ギャップがあり日本だけが無神経ということになればきわめてまずいことになる。

日本と欧州のギャップの認識を私が特に紹介したいと思ったのは、まず最初にギャップの大きさに対する個人的な単純な驚きが出発点になっている。そして、日本人がこの問題を考える際にこのギャップの認識は次の二点において有用だと思ったからである。まず、一方の当事者である中国と一定の理解に達するために。つまり、中国が日本を見るときに欧州の基準を通してそれと引き比べてみたときに、われわれはどう対応できるかということである。実際の今月の初めに南京で映画「ショア」の上映された出来事についてはル・モンドにもリベラシオンでも報道されているが、そこで日本が欧州が過去になしたこと、現在の対応において引き比べられることは明らかだ*3。そして第ニ点に、未だに国際社会のイデオロギー形成において欧州の物の見方はそれなりの重みがあるこということは認めておいたほうがよいだろう。今後のアメリカの覇権がどうなるかはわからないが、国際刑事裁判所の発足のような動きは、アメリカの抵抗にもかかわらず、旧来の欧州のイニシャチブの延長上によって進んでいる。

上で「中国と一定の理解に達するために」と書いたが、これについても一言。フランスとドイツの和解と引き比べて、日本と中国との間柄では条件が違いすぎ、中国のような国を相手にしては理解に達するのは不可能という意見をかなり眼にする。その理由は中国という相手の特殊性(現在の体制のせいか、あるいは「文化的特殊性」か?)に帰されることもあれば、西欧という文化的伝統の中で仏独が共有しているのと同じような基盤を日本と中国は共有していないというようなアジア世界の特殊性に見るむきまでいろいろある。id:Soreda さんの id:Soreda:20041021 では中国の出方に対する懸念といらだちが見られるし、mdenka さんの「殿下執務室」の未成熟な関係を抱えてでは、歴史的経緯(中期短期的)と「契約」概念や「宗教」といった文化的概念(あるいは長期的歴史に属するもの)の両方に違いが求められる。他にも、独仏和解を半ばうらやみながら、それにひきかえ、そうした和解をはばむものとしての日中の文化的隔絶を嘆く調子があった。

私はといえば、日中と独仏の和解の歩みや条件を比べたときに、その違いは本質的に歴史的経緯にあるものと考えている。

仏から見ての独、独からみての仏が、日本からみる中国よりも話のわかりそうな相手、無茶苦茶でない相手のように見えるのは、やっと和解が軌道にのった現在の独仏を通して見ての話であり、普仏戦争から第一次大戦まで、第一次大戦から第二次大戦まで、第二次大戦から1960年代初めまでのそれぞれで、独仏の緊張、世論の中での憎悪が、現在の日中のそれよりもはるかに強い時期があった。そしてお互いがお互いの都市、首都をもさえ占領した経験があることを考えてみればその憎悪の質や強さは分かろうというものだ。近世において九州や本州の村に中国の軍隊が戦車で攻めてきたり、福岡や大阪や東京を中国の兵士、将校が占領者として闊歩したというような経験はない。九州の一部が中国に編入され100万単位の人々が中国人になったことはない。そうした経験がなく、相手から、歴史認識が一致しないことや、自らが占領中に行った罪を自らが思うより過大に言われるだけで、激しい反感をもつ日本人には、フランス人がドイツ人に対してもっていた憎悪、ドイツ人がフランス人に対してもっていた憎悪を理解することはできない。逆の眼から日本を見ると日本人の中国人に対する反感は狭量な精神のなせるわざにしか見えない。いわゆるケツの穴が小さいというやつだ*4

仏独が恵まれていると考える前に、どれほどお互いが煮え湯を飲まされるような気持ちをこらえながら和解が行われていったかということはもう少し真剣に実感してみる必要がある。そしてそれは一朝一夕にはならなかったことも。そしてこの過程は意識的努力により進行中でこの10年でもはるかに前進した。そしてまだしこりは完全にはおさまっていない。オラドゥールの追悼にドイツの政治家が来れたのはごく最近のことであり、国の代表者はまだ来れないことは19日の記事で書いた。そしてこの和解は憎悪を飲み込めないまま激しく抵抗する世論を抑える形で、政治家主導でなされたことも見るべきだ。

第二次大戦後に、このような政治家主導で無理矢理の和解が行われたのは、共通の欧州的価値観に基づく相互理解などという、甘っちょろい理念的なものではなく、単に懲りたからだ。もう一度殺し合いが始まればお互い全滅するしかないという危機意識が両国の政治家を動かした。日中韓はお互い勝ったり負けたりの戦争の数が足りない、というのは mdenka さんもブラックジョーク的に書いているが、実は私もどこかで書いた。日本人の経験だけについていっても、乱暴なことを言えば、沖縄以外で地上戦の行われなかった日本人は、欧州にくらべると懲り方の度合いが違う。爆弾という上から降ってくる恐ろしい天災にも比すべきものの悲惨さを経験した都市の人や、戦場に駆り出されて生き地獄にあった人間はいるが、ある日突然、畑の向こうから村に戦車がやってくる、都市が包囲され砲撃され兵糧攻めにあう、篭城が破れ兵が乱入してきて男たちが、場合によっては女子供までもが殺戮されるという経験を近代において日本人は外国との関係で国内でしていない。隣国との和解の必要性、緊急性の認識においてその経験の違いはいかんともしがたい。しかしわれわれは他国の歴史にも少しは学べるはずだ。


ここまでは、戦争で他国を占領し被害を与えた当事国の旧敵国との関係を念頭に置い書いてきた。が、実のところは、日本の戦争犯罪の問題、戦争に至るあるいは戦争中の体制のありかたやその中での日本人の行動についての評価、自らの過去を現在われわれがどう評価するかという問題は、むしろ他者との関係よりも自らの問題として考えるべきだと基本的には思っている。「過去は常に現在の視点からのみ評価が可能であると言うことを明快に理解するべき」という id:hal44さんの明快なことばに戻る。私はもっと挑発的な表現で「過去を時代の文脈におき、人々の行動を相対主義の相のもとで理解することは確かに必要かも知れない。しかしまたわれわれには、現代につながる近過去を、新しく獲得した現代の価値基準で見、そこからショックを受け、受け入れられないものとしてはねつける権利も義務もあると私は信じる」と書いた。

この視点の倫理的要請としての妥当性について何人もの方が同意見を表明していると私は理解した。私のもの言いは荒っぽくid:flapjackさんがそのデコボコを指摘、批判しながらきめ細かくフォローしている(id:flapjack:20041026#p1)。歴史学における立場の問題としては、id:Jonah_2さん(id:Jonah_2:20041022)が、そして、id:hokusyu さん(id:hokusyu:20041022)がドイツにおける歴史家論争を解説しながら、かなり詳しく論じている。歴史家の立場としての問題はひとまず諸氏へおまかせして、ここでは立ち入らず、歴史を前にした政治的決断というところへ一挙に話を飛ばせば、私が書こうと思っていたことは、id:jouno さんが書いてくれた ( 「歴史と謝罪」 id:jouno:20041026#1098792793) 。 全文引用したいが、一文だけ引用すれば「戦争の主体として大日本帝国を、現在の日本国家のアイデンティティから批判的に他者として切り離し、その連続性を断つということが問われているのだろう」ということだ。この文章はこの明確なアイディアを貫きながら非常に注意深く書かれており、私がつけ加えるところはあまりない。

重複をおそれずにもう少し卑近に言えば、私が過去の日本の戦争犯罪の問題にこだわるのは、それに対する現代のわれわれの態度が、現在の日本人の価値観の選択、政治的選択を決め、自らに定義し、それを他者に示すことことと不可分の関係にあるからだ。屈辱を忍んで5回、10回、いや100回頭を下げたからいいじゃないかということではない。事実の検証、それに至る歴史的経緯の認識、それに対する価値判断、他者との関係の確立において、新しい価値観の選択の行為は日常的になされなければならない。それはとりもなおさず、まず、新しい価値観のもとで幸福を享受しているわれわれに利益をもたらすものとしてなされるという認識が必要なはずだ。私は競争で人を殺すことを是認し、それを英雄的とすら称える世界には生きていないこと、自らの軍隊が捕虜や市民を殺害するこを仕方のないことだと思ったりそれに対する批判が許されない世界には生きていないことを幸運に思い、その価値を守りたいと思う。私が生きなくてよかったと思うそうした体制が、1000年前、500年前のどこかの世界のものなら、それは私にとって歴史的、文化人類学的興味の対象にしかすぎないが、その体制は子供であった私の父もいた体制であり、私の祖父母が担った体制である。私は彼らの経験や彼らの証言と引き比べることで、戦争のもたらした結末によって体制に多少なりとも断絶がもたらされ、新しい価値観を選択した体制の中で生きていることをよかったと思うと同時に、その断絶が必ずしも十全ではないこと、新しい価値観の選択は常に更新されなければならないと思う。その更新行為の中に歴史に対する私の価値判断はある。

その価値判断の中で、私の祖父母その人たちに対する価値判断、われわれの先人の文化に対する価値判断はどうなるかについて、私はやはり、id:jouno さんの 「このような断絶を思想的、制度的に選択することは、民族的、文化的、倫理的な連続性と矛盾するものではない。大日本帝国が理念的に現在の日本国の「敵」ということになっても、その「敵」に属した父祖を敬えないというのならば、そのひとは基本的なところで政治に侵食されている」という考えと軌を一にする。私が過去の日本人の蛮行について、慄然とする権利を言ったあと、「もし理解という行為があるとすればそれはその権利を行使してからのことだ」と述べたとき、人間としての理解はあり得るしむしろ必要だという考えが念頭にあった。私はわれわれの父祖がある政治体制下において私の是認できない行動をとったことに対しても、彼らが置かれた文化的文脈知れば知るほど、それをさまざまなレベルで理解ができる。共感をも含む人間的理解や、人間の行動のロジックな理解として。しかしその理解と彼らをそう状況においた政治体制への批判、その政治体制の理念を体現する存在としての彼らへの批判とは矛盾しないし、矛盾しないなかで後者にまず優先権を置くと考える。

過去の価値観の体現者を現在の価値観から批判的に見る(例えば「慄然とする」)とき、その現在のわれわれに繋がる彼らをわれわれときれいさっぱり切断し他者として扱えるのかという問題を、id:swan_slab さんとid:kmiuraさんが違う立場、例から論じているように思えた。私にとっては現在のわれわれとつながっているからこそ、そして歴史の展開によってはそれが私であった可能性があるからこそ、なおのこと彼らの行為、彼らが置かれた状況に「慄然とする」のだと思っている。

「このような断絶を思想的、制度的に選択することは、民族的、文化的、倫理的な連続性と矛盾するものではない」というのは理念の上には正しいとしても、しかしやはり、思想的・制度的な断絶と、文化的・倫理的な連続性の間のきりわけを現実の中であつかっていくのは単純ではない。その道を明確に選択したドイツやフランスで、体制的断絶への意志が明確であればあるほど、体制断絶から国民国家もしくは民族の連続性、文化の連続性をきりわけようとする行為は困難をきわめ、知的なアクロバットや偽善的言説さえもが必要になった。ドイツでは、きりわけどころか、過去の民族的、文化的価値観の徹底的な批判検証が延々と歴史をさかのぼり、ある人々においては、汎西欧的な啓蒙批判にまでいきついた。フランスではつい10年ほど前まで、自国の役人がヴィシー政権のもとで行ったことについて、その倫理的責任を体制断絶の口実のもとで回避していた。しかし数々のアクロバットや偽善をかかえながらもとにかく機能した。

対外的な謝罪において、この切り離しは、国家として責任をひきうけながら、ぎりぎりのところで現在の体制の面子を守るという役割を果たした。ドイツの指導者ががこれをどれほど激烈にやった(やっているか)の例は、最近では、例えば今年の8月1日のワルシャワ蜂起60周年記念の際のワルシャワでのシュレーダーの演説にみることができる。8月3日の記事 id:fenestrae:20040803#p1 で簡単な解説ともに、主要部分を訳してある。リンク先で読んでいただきたいが、断絶、切り離しへの選択がどのように行われているかが見える部分を引けば、ドイツの現首相のことばはこうだ−−「私たちは今日ポーランド抵抗軍の男女の犠牲的行為と誇りに深い敬意を表します。63日間もの間ワルシャワの男女の市民がドイツの占領に対し英雄的な必死の抵抗を示しました。彼らはポーランドの自由と尊厳のために戦ったのです。彼らの愛国心ポーランドという国の偉大な歴史の中の輝かしい例であり続けるでしょう。...ポーランドの誇りでありドイツの恥辱であるこの地において私たちは和解と平和を願います...私が生まれ変わった自由で民主的なドイツの首相としてこの希望を表明することは、ワルシャワの蜂起者としてナチの蛮行に立ち向かったすべての人々に感謝することです。」

翌日の記事 id:fenestrae:20040804#p1 でこうしたレトリックの基本的な切り離しの構造について説明した。ときおり、「日本はよくドイツに比べられるが、実はドイツは謝罪していない、すべてをナチの責任に押しつけているから」というような主張を目にする。何分の1かは真実に違いないが、謝罪しているといえるかいえないかはこうした実際の演説を読んでから判断してほしいものだ。たとえ、現体制とは異質の体制として切り離したとしても、そこに自分の父母が含まれている以上、容易なものではない。こうしたことばがどれほど激烈で困難なものかは、われらが小泉首相が、中国に赴いて、大日本帝国軍の蛮行を批難し、それに抵抗した中国人民の行為を英雄的と称賛し、それに感謝するという簡単な置き換えをやってみればわかるだろう(パラレルが成り立つかどうかは今は問わない)。遺憾とするか謝罪とするかとか、どのくらい、何度謝ればいいとかそういう小手先の問題ではない。こうした演説にいったいどのくらいの日本人が耐えられるだろうか。ドイツ人は過去の清算のためにこれに耐えている。その積み重ねの中でいつまでこれを続けなければならないのかという疑問のあがってくるドイツの「自虐論」と、日本の「自虐論」は、その発生のしきい値がかなり違う。

こうしたドイツの政治指導者の「謝罪、決意表明」を日本人の一人一人がどう評価するかはさておいても、日本人にとって問題は、日本がドイツと同じモラル的基準を、他国から、特にドイツの行動を横目でみている中国から要請されるということだ。日本にはそれなりの言い分がありドイツのケースとは違う。そのことは私自身、いつでもフランス人やドイツ人に説明する。しかし大枠のところで、ドイツ人をも含む外国人にとって、ドイツ人が戦争中におこなったら捕虜、市民の虐殺(ホーロコーストでないほうの)と日本人が中国で行った行為は同じ質のものと見られる。私はそれを完全に否定するだけの事実認識を持ち得ない。

こうしたドイツの「ナチス責任論」に基づく謝罪の仕方について、私は、「日本が国体の連続性にこだわったあまり、このようなレトリックを使いながら上手にしかし徹底的に謝る仕方を与えてくれるような体制選択の機会を逸してしまったことに思いが至る。」と8月4日の記事に書いた。天皇制の問題が念頭にあったが、しかしそのあとも意志さえあれば、日本には新しい憲法下で天皇制を維持しながら、大日本帝国との断絶を徹底させ、その罪を批判し距離を置くという機会も何度かあったのではないかと思っている。

中国もその方向で解決をはかろうとしていたはずだ。「軍国主義は両国人民の共通の敵」とう共通認識で落としどころをつけようというのがそれだ。これはドイツのような断絶の認識をとっている国に対しては、ありがたい助け船以外の何物でもない。これでひとまず面子がたつ。フランスで一斉検束され収容所送りになったユダヤ人の生き残りや子孫がフランスの現政権に対し、「ヴィシー政権ユダヤ人だけでなくフランス人にとっても敵」とあっさり自ら言ってくれればフランス政府はどれほど楽だったか。しかし断絶の認識がなかった多くの日本人はそうとらなかったらしい。1998年に江沢民主席が、このことばをくりかえした時の日本国内の反応をみると、多くの論者がこれをいいがかりととらえる。日中関係の中でいろいろ伏線があり、中国の外交戦略の文脈の中でみれば、ナイーブにとれないこともわかる。しかしそうしたローカルな事情を知らない人間の目に、ドイツとの類推でこうしたことがどう写るかといえば、こうした落としどころはごく自然なものであって、逆にこれを首脳どうしで確認できない日本には、歴史認識の面でやはり異質な何かがあると疑われてもしかたがない。こうした「共通の敵論」を今さら採用するべきだとは言わないが、断絶の表明と、「謝罪」、歴史認識、ユニバーサルな価値観への参加は密接に結びついていることは日本人自身がもっと意識的に考えるべきだと思う。


◆追記(29日 17:15) 急いで書いたので、てにおは、シンタックスの乱れがひどい。意味不明のところを若干修正したが、文の追加や、論旨に関係するような修正はしていない。

◆ドイツの責任論の問題について、上の文章では、首相演説をもとに現在の公的な立場、現在の一つの到達点を中心に話を思いっきり単純化しているが、歴史的問題、今でも続くう論争の問題について、下でトラックバックを送ってくださっている id:hokusyuさんがきわめて手際よく概説されている(id:hokusyu:20041029)。併せて読まれたし。

*1:"Le siècle et le pardon", Entretien avec Jacques Derrida, "Le Monde des Débats", n° 9, décembre 1999 フランス語テキストは→ ftpダウンロードへのリンク。この記事でデリダは、ナチスの行為へのドイツの政治家の謝罪、アルジェリアでの行為についてのフランス政府への謝罪等の例を中心に「謝罪すること、許すこと」の純粋な理念について語っている。「謝罪すること−許すこと」という行為の一般化が現代史の大きな流れになっているということを前提とした文脈で発言されたもので、それに行き着く前の段階が問題になっているような状況が問題となるわれわれの議論には考察の全面的な助けとならない(もちろん id;hal44 さんもそうした援用はしていない。念のために。)

*2:欧といってもひとくくりにできるわけではないが、欧州人権規約と欧州人権裁判所の権威を認めているという大枠での欧、さらに個人的事情多少たなりもともメディアや世論を知っている仏独を中心に−−他の欧州事情からのフォロー、異論はそれぞれの国に詳しい方にお願いしたい−−無理を承知でまとめてみる

*3:この中でル・モンドリベラシオンにおいて日本の南京での行為がホロコーストではなくジェノサイドだと(◆修正:ものすごい誤記を発見...汗)ホロコーストでなく大虐殺 massacre だと きちんと区別をつけているのはフランス側の発言者だということは注記しておく。

*4:もちろん占領民、植民者であった日本人住民が戦争の中で、また敗戦時にこうむった被害もあり、実際に被害にあった人間は告発する権利はあるが、それが占領国−非占領国の間のダメージの全体的関係を逆転するものではない。ドイツ人がポーランドで受けた被害、フランス人がアルジェリアで受けた被害をたてに、占領者としての国の責任を回避しようとすれば笑いものになる。