仏、欧州憲法条約批准国民投票−J3

欧州憲法条約批准の国民投票について、「ね式」の猫さんはさっさと宿題を済まして、「詳しい解説・分析」の課題をこちらに下さったが、こちらもそれほどたいしたことは言えない。ここでは、憲法そのものというより、国民投票を中心とした世論や報道の流れのようなものを覚えている限りざざざと。もともとこの問題に−−途中から身近になりすぎて−−積極的に触れなかった上、去年の11月からブログにブランクがあるので、自分の記録も残していないし、正確にも確認していない細部も多い。ひととおりのニュースの流れや、自分で見聞きした範囲を思い出しながら、日づけや数字くらいを再確認しながら書く。そして、メディさんのmedia@francophonie や、猫さんの「ね式」ブログのリアルタイムな記録にもお世話になりながら。。

まずは個人的体験から。とにかく年末からずっと、テレビや新聞だけでなく、よるとさわると、この批准の国民投票にouiかnonかの話ばかり。誰かの家で食事会のようなものがあると、確実にいつもより30分はお開きが遅くなる。この議論が沸騰するからだ。食事の席では政治の話はタブーなどという、上品なマナーをわきまえた階層には生きていないので、少しは気心の知れた人間が集まる席だと、友人の友人で初対面の人たちがいても、自然とそんな具合になる。かといって、政治的に積極的に活動している人間のあつまりではない。まあ、外人とつき合おうというのだから、日本・アメリカ式にいえばリベラルな連中や、外国生活の経験があったり、そもそも(元)外人とか二重国籍とかの比率が多くなるのはたしかで、左右でいえば中道左派くらいが平均的だが、思い切り左もいれば、11年前の大統領選挙からシラク支持だの、サルコジに期待しているようなのもいる。そんな環境でこの話が、酒席のいい刺激剤となってきた。が、今月に入って、だんだん刺激がききすぎて、それほど気心の知れない相手だと、お互いちょろっと探りを入れて、話がやばそうだと触れないようにするような雰囲気にもなっている。そのくらい過熱している。

さて、こんな環境で生きている人間の印象記だと思ってほしい。もちろん私はこれに関して何の専門家でもない。そして、さらに言っておくと、上の写真を見て分かるように、私が属する「左派賛成派」(だいたいル・モンドリベラシオンの社説の線)からみた史観になっている。事実関係にはできるだけ正確を期すが、表現のはしばしや、ものごとの解釈には、その観点が反映されていることを承知してほしい。

■さて、問題の欧州憲法条約

一応、中身は
→ html http://europa.eu.int/constitution/fr/allinone_fr.htm
→ pdf一括ダウンロード http://europa.eu.int/constitution/download/print_fr.pdf

PDF版の元になったペーパー版で482ページ。定価25ユーロ。前文(préambule)と補足的な後文(Acte Final)にはさまれて4部構成になっている。前文は日本国憲法の前文とは違って、公布文のような形式的なもの。第1部がEUの定義、理念、役割、構成などをおおざっぱにまとめた部分で、日本国憲法でいう前文にあたるような部分もここに含まれるが、EUの骨組みがここで示されており、もっと実質的である。第2部は、基本権憲章(La charte des droits fondamentaux)と題される、権利章典の部分。第3部は、これが物議をかもしたが、「政策および運営(Les politiques et le fonctionnment de l'union)」と題される部分で、経済政策から農業政策、環境政策文化政策はては観光政策にいたるまで、それら政策の方針と、必要に応じてそれらの実施概則までを網羅してある。このあたりは日本国憲法のイメージで考えると、憲法というより、政策綱領みたいなものになっている。第4部は改廃や施行規則、EUの中の各組織あるいは政策に関連して必要な合意事項定を定める手続き的な部分。第1部が30ページ、第2部が13ページ、第3部が132ページ、第4部が216ページ。(←法律の専門家でもEU政策に詳しい人間でもない者による適当なまとめなので、ページ数と定価以外の解説めいた部分、訳語などは真に受けないように)。

たぶん大部分の人がそうだと思うが、私は全部読んでいない。読んだのは第1部と第2部。第3部は物議をかもしてクローズアップされたところを中心に。第4部は何が書いてあるかだけ。ただ、第3部までまじめに読んだとしても、巷でイメージされているようなべらぼうな量ではないし、冷静に見れば、化け物のような代物でもない。

今回の事態にいたる経緯は

憲法案成立から国民投票の決定へ

フランスのヴァレリー・ジスカール・デスタン元大統領を議長とする105人の憲法制定委員会のもとで2002年に起草作業が始まり、16か月の協議の末にまとまった草案を、2003年6月に提出。この草案が、25か国の首脳の間の検討・協議の対象になり、2003年12月のサミットの調整失敗を経て、翌年6月のサミットで再調整に入る。そしてスペインと特にポーランドが最後までごねたが、2004年6月18日、サミット最終日にやっと修正妥協案が成立。各国の批准手に付されるべき憲法条約案が完成。その経緯、憲法案のポイントのまとめはmedia@francophonie さんのブログの力も借りれば →

id:fenestrae:20040621 EU憲法案で25か国首脳が合意(6月17-18日、ブリュッセル)
media@francophonie 2004060 EU憲法、ついに採択される

批准の手続きの方法は各国にまかされていて、2つに分ければ議会決議か国民投票かということになる。そしてフランスはというと、シラク大統領が7月14日のTV会見で、国民投票にする意志を表明(参考 id:fenestrae:20040714 )。

国民投票に付した場合の否決の可能性も危ぶまれたが、シラク大統領は国民を信頼すると答え(うろ覚えだが)、政党勢力で見て、批准に反対なのは、国家主権護持の指向の強い極右、保守派の中の最右派、共産党、左翼の一部くらいで、現与党の保守党および最大野党の社会党が賛成派なので、この地図が国民投票に反映されればまあなんとか批准されるだろうと考える気分が常識的にあった。

■ファビウス氏の反対表明

ところが、9月になって社会党のNo.2で、首相経験者のローラン・ファビウスが、批准に反対の立場を表明。この欧州憲法案は、現在のEU委員会の政策に見られる市場万能主義自由主義経済への過度の傾斜を、正統化し加速するものであり、社会政策・福祉政策の強化を旨とすべきこれからのEUの建設に有害だ、というのがその理由。多くの人が、社会党の中でも自由主義経済政策よりだったファビウスのこの突然の態度表明を、批准反対派の旗手をつとめることで現社会党首と違う地歩を占め、2007年の左派を代表する大統領候補の座を狙う個人的野心に発するものと捉えた。

これを伝えるリアルタイムの記事が→
media@francophonie 20040915 フランス政局:リベラシオンの世論調査から
media@francophonie 20040916 ファビユス発言の真意は何か

社会党では、ファビウスのこの反対論に同調者する党員が増えて、党が批准賛成派と反対派に分裂する事態がだんだんあらわになってきたので、事の深刻化を憂える党首脳部は、批准賛成か反対かに党としての統一決定を下すための全国党員投票を行うことを決める。オランド党首は「現政権に対するノンを欧州憲法へのノンと取り違えるな」と訴えた。。投票は12月1日に行われ、賛成派が58%を獲得。全面的な権力闘争につながる人事刷新は行われなかったが、党首脳部は賛成派の有力政治家の結束を固め、ファビウスは事実上、党の正式な意思決定過程からは排除される。党内投票の結果、組識原則から、批准反対論の表明やめ消極的ながら賛成側に戻る議員もいたが、一方でアンリ・エマニュエリ、ジャン・リュック・メランションのような古くからの左派の議員は反対の明言を公然と続ける。ファビウスは党員投票の結果を尊重するとし、公然の反対論は控えながらも、時折の示唆的な発言で、賛成論を牽制。これらの動きは、ジョスパン内閣時代の社会党の政策、現首脳部のとる野党としての政治的ポジションが、保守党と明確な一線を画していないという不満を持つ、党内左派勢力に影響力を持ち、また社会党支持者のみならず、左派支持の一般層にも影響力を与えた。今から考えると皮肉なことに、社会党の党員投票までの綱引きの中で行われた論争が、反対派にも理論固め−−むしろアピールのための戦略固め−−の機会となったといえる。

■ウィとノンの逆転

年が明けて、月を経るごとに、賛成、反対論の論争激化。テレビ、ラジオ、新聞といったメディアでの論調、有力知識人の発言を読んだり、聴いたりするかぎりでは、圧倒的に賛成有利の印象を受けるが、かなり痛烈な反対論が増えてくる。街中ではNonのポスターの増加。共産党や極左はもともとノーだが、必ずしも極左ともいえない左派の市民運動家層にもノーが浸透してくることが実感された。そして、反対論の論拠が多岐にわたるようになってきた。憲法の第3部が経済リベラリズムを加速するばかりか、フランスの社会政策、公共サービスを破壊するという基本線の批判に加え、EUの意思決定過程の非民主的、官僚的性格に対する古くからの批判。そして、最も広くコンセンサスが得られるだろうと思われていた第2部の権利章典の部分にも、不十分だとして個々の条文に批判が加えられ、論争となった。これにさらに、もともとからある、農民・漁民層での生産物市場開放拡大への反発、主に右派の国家主権論者の批判、トルコのEU加盟問題とからめようとする極右のデマなどが、渾然一体となった反対世論が形成されてきた。

3月中旬になって、複数の世論調査で初めて賛成派と反対派が逆転。2004年末まで世論調査では賛成が常に60%超(時に70%近く)を維持していたことから考えれば、思いがけない逆転。2002年の大統領選挙の第一回投票で、左派票の社会党離れによりジョスパンの落選、ル・ペンの第1回投票通過を招きフランス人の中に悪夢の記憶として残る「4月21日」の再来かとの声がささやかれはじめる。実際、この時の選挙でシラク、ジョスパンの二大候補に入れなかった選挙民層と、今度の国民投票でノンに入れることを表明している層はかなり重なる(ただしこれを面と向かって指摘されると嫌がるノンの人も多い)。右派の中でも最右派。左派は共産党、極左、最終的には社会党支持ながら社会党が体制化しているとして不満をいだく層。

この時期の雰囲気を伝える記事→ media@francophonie 050401 日欧州憲法批准、前途多難

■4月の綱引き

最右派のノンは最初から予測された不動のものだが、社会党内の組識決定の後にもなお進行した見えないところで起こっている左派へのノンの浸透の大きさに、左派知識人、左派メディアでさえ驚いた。リベラシオンは4月25日に、「ノンの中心への旅 −−憲法条約をあれこれの理由から拒否しようとしているフランス人たちに出会う」という、国民の50%以上をまるで未知の存在を扱う探訪記事のような見出しを一面に掲げた。リベラシオンが伝統的に左派のノンの層に近い読者層を持つことを考えると、中央メディアのみる世界と、一般世論の世界に乖離の大きさを象徴する。そして、左派の中で、さまざまな組識の草の根的なNonのためのアクティヴな宣伝活動や小さな地方のミーティングが予想以上に広範に行われていることにマスコミや中央の知識人は気づいた。

危機感を持った保守党、社会党の両方の政治家は賛成の挽回のために精力的に発言を繰り返した。4月末には、引退したはずのジョスパンが社会党大会に次いで、TVインタビューで精力的に発言。憲法評議会のメンバーで中立が要求されるはずのシモーヌ・ヴェイユも、見ていられないと、憲法評議会に休職願いを出し、賛成論の擁護戦線に参加。最左派の層にカリスマのあるダニエル・コーンベンディットも精力的にミーティング回り。もともと左右の傾向にかかわらず一致して賛成派の大新聞、大週刊誌も、マスコミの中立の姿勢が問われるほどになるほどに、社説で賛成論を展開する。もちろん、反対派の批判もそれに応じて強くなる。ファビウスはジョスパンのインタビューのすぐ後、旅行中のアメリカから会見し、はっきりとノンを表明した。

しかしともかくも4月後半には、賛成派の一連の努力が効を奏したのか、人々が4月21日の影を恐れたのか、一時期賛成が反対を上回る。ただしジョスパンやシモーヌ・ヴェイユの参戦はやや遅きに失した。

このあたりの綱引きの雰囲気を伝える記事が→
ね式 050430 天気と欧州憲法批准国民投票
ね式 050502 ポリティカリー・アンコレクトなEU憲法雑感

■労働運動の5月−ノンの盛り上がり

5月といえばまずメーデーだ。そして勢いにのって、この時期ストが多発する。さらには5月16日は、今年から休日でなくなった「聖霊降臨祭の月曜日」であり、この「休日返上」措置に反対するスト、示威行動も重なった(参考→id:fenestrae:20050516)。

歴史的に共産党系でアクションがいちばん派手なCGTは組織的にノンを決めており、示威行動を批准反対への意思表示の大きな機会として利用する。穏健路線のCFDTはウィを決めているが、他の組合組織の中でもノンを表明する人たちは多い。そして、争議の原因となっている工場外国移転問題(移転先はしばしば東欧の新加盟国)、人員整理問題でその怒りはEU憲法へ向けられた。そして、EU憲法が、東欧からの安い労働力の導入を許す政策を後押しするものとして拒否の対象となる。すべてをEU憲法の責任に押し付けるこれらの批判は必ずしも当たっていなが、現在の経済・社会情勢ではアピール力がある。EU問題だけでなく、中国との繊維摩擦問題さえ、市場開放の一般的な恐れの中で、憲法条約批准拒否の気分に結びついた(EUこそがこうした問題をより摩擦少なく解決する場なのだが)。

そうして、再びノンが大きく盛りかえしてきた。その間にも、前大統領未亡人のダニエル・ミッテランがファビウスのノンに賛成を表明したり、ファビウスが反グローバライゼイションの農民活動家ジョゼ・ボヴェと会見して反対派の結集を印象づけるとか、前EU委員長で賛成派のジャック・ドロールの曖昧な言葉が、批准が失敗してもすぐに再交渉の可能性があるかにのようなマスコミ報道になり、反対派にとって有利な小さなエピソードが続いた。

このフランスのノンの盛り上がりは顕著で、憲法条約批准にEU建設の大きな一歩をフランスよりも明確に見る外国からも心配され、ヨーロッパの社会党連合、労働組合連合、有名知識人たちがフランス人にウィを促すメッセージを送り、ル・モンドの紙面を賑わせるが、そのメッセージはもともとの賛成派の心情にしかとどかない。

そんな中で先週の週末に行われ今週の月曜日に発表された複数の世論調査の結果では、反対 53-2% vs 賛成 47-48%と、反対派が着実にポイントを伸ばした。

■J4、J3
そして23日−24日実施され、今日発表された世論調査では反対が54%、賛成が46%と、またノンがポイントを伸ばしている。自分の立場を最後まで楽観的に演じるきることを使命と感じるタイプの政治家たちは「ウィを信じる」と述べるが、レアリストの動きがもはや見えはじめている。UMPのニコラサルコジ党首が、結果は「小さなノンか大きなノンのどちらかだ」と語ったというのが、昨日のフィガロに出て、ウィの陣営に動揺を与え、今朝のユーロの下落を招いた。社会党のほうでもも29日の敗北の後の党内をどう収拾づけるかを睨んだ動きが見えているという。

そして、今日20時からは、ウィを訴えるシラク大統領のTV会見が予定されている。シラクがTVに出るたびに、シラクへの反発から反対派が経ると、半分本気で多くの人が言っているが、今流れているリベラシオンの、そのタイトルも「Elysée résigné あきらめのエリゼ」という記事を読むと、シラクには疲れがありありと見えており、その演説はかなり悲観的な様子で、しかしノンを刺激するような大げさな言辞は避けるものになりそうだと伝えている。