近隣ブログめぐり

欧州憲法批准のある一点だけでちょっと突っ走ったが、時計の針を戻しながら、いただいたコメント(お返事のタイミングを逃してしまったものもありますが何かの形でお答えするつもりです。失礼を平にお許しください)のことやトラックバックはてな内外の論友(ロントモ?)の文章、新しく発見したブログ、はたまた果たしていない宿題のことなどをつらつらと考えている。TCEについては書きたいネタがいくらもあるのだが、ひとまず、欧州と離れないまま、気分を代えて、印象に残った文章などをクリッピング

■猫屋さんのところで、6月5日、スイス美貌の魔女(未見)からの課題に応えて提出されたね式EUコンセプトは、貴重な文章。EU関係についてフランス的な理解を共有しながら日本語で書かれた文章でいくらかなりとも深みのあるものは、ほとんどがEU研究者の文献によるアプローチによるものだが、移民歴20年の生活実感とともに書かれているこのパノラマは、フランスのEU推進派市民の一般的な感覚をダイレクトに伝えてくれる。

この中の一項、

紛争 −− ボスニア紛争時のあの長く暗い無力感は(その後もリストは終わらないのだが)、1989年のベルリンの壁の崩壊とともに、多くの西ヨーロッパ人の記憶に焼きついている、と思う。地続きの、飛行機に乗れば2時間かそこらでいける場所でヒドイことが起っている。エスニック・クレンジング。“国家”が内部から崩壊し、分割し、争う。おまけにそれを抑えるだけの力も知恵も自分たちは持っていないと言う自覚から、超国家としての欧州が国家・宗教・民族・部族分裂をストップさせる枠として機能すべきなのではないか、またNATOとは別枠の欧州共同軍隊をもつことで米国軍隊に頼ることなく欧州防衛が可能となるだろう、という発想が欧州人にも生まれたと思う。

を読み、あらためてうなずく。このとき西ヨーロパ、フランスで−−ボスニア紛争のみならず一連のユーゴ内戦、コソヴォ危機で−−欧州建設や平和、人権についていくぶんなりとも意識的に考えた人々が、受けた心の傷、そこで生じた発想の転換というのが、日本からみていちばん見落とされやすく、そして誤解されやすい点ではないかと思っている。いかなる場合にも軍事力の行使は絶対悪という考えに慣れた日本人には、NATO軍のユーゴ空爆の際に、多くの西ヨーロッパの人々が追い込まれた選択の苦しさ−−空爆に賛成するにせよ反対するにせよ−−をなかなか理解できない。あのとき空爆に賛成した知識人に対して向けられた日本での、多くは左翼からの批判の、反戦意識と反米感情そして無反省の国家主権至上主義のないまざった気分に支えられたような、屈託のないそして居丈高な調子を見るにつけ、両者を分ける断絶に絶望的なものを思う。

「強い欧州」というのは9.11以来の新しい枠組みの中で、日本から見ると、アメリカへの対抗という力と力の問題くらいにしか認識されていず、現に今ヨーロッパでもそちらのほうを強調する傾向がある−−欧州憲法でもNATOの関係を含む条文がが論争の一つとなった−−が、それは内部の平和的均衡の問題でもある。あのとき米軍の助けを借りなければ何もできなかったことを多くのフランス人やドイツ人は今でも恥じている。

※旧ユーゴ崩壊、紛争について、日本語で書かれたものをちょっと検索していたら、その中でEU諸国、EUのジオポリティーク的戦略が生んだ責任について紹介するものがあった。それはそれでいいのだが、そこで引用されている論文が英語のもの(多くは米国発)だけなのが気になった。英語、フランス語、ドイツ語、その他のどんな言語でも、ある言語で書かれたものにはそれぞれの国からの見方や、たとえ政治的でなくても暗黙の文化的了解のフィルターを通したバイアスがある。欧州大陸のアクチュアルな政治、社会問題を扱う研究者養成において、複数の言語のディメンジョンの重要さを、日本の大学人にぜひ理解してほしいなと思う。もちろんこれはフランスの研究者にもいえることなのだが。

■スイスのシェンゲン協定加盟の是非を問う国民投票で加盟賛成多数の詳報を、メディさんの media@francophonie でみる。media@francophonie は、最近グラフィクプレゼンテーションが充実しているが、今回の色分け地図で、くっきりと地域差がわかる。有名な言語断層に基づく文化性、メンタリティーの違いや社会状況のほかに、接触している国から入ってくる移民、不法入国者の差にも関係があるのだろうか?西から入ってくるのは、フランス人越境労働者を別にすれば少数のトルコ人マグレブ諸国人(この場合フランスの同化を経由)。東からはトルコ人+東欧諸国民、南からイタリア経由で旧ユーゴスラビア諸国+地中海対岸のマグレブ諸国人々(しばしばまったくの不法入国)、あてずっぽうでそんなことを思うが偏見たっぷりのイメージかもしれない。こういう偏見が果たす役割については、TCE批准論争でも近々取り上げる予定。

憲法批准論争について、id:temjinus さんに、リベラシオンに掲載されたエマニュエル・トッドのインタビュー記事の存在をお知らせしたら、まるまる訳してくださった。域内の自由経済市場がEUにとって、とくに東欧の成長にとっていかほど重要かについて、率直に語る。トッドは人々の幸せについて、解放や搾取というイデオロギーのフィルターでなしに、乳幼児死亡率や自殺率、アルコール中毒者の割合、平均寿命などもっと単純なフィルターで見る。そしてそんな単純な数字を通してみた彼の現実が、実際のところ、当の人々の感じる幸せの実感といちばんよく一致していて、それゆえに、自己のイデオロギー補強のため市場経済による搾取の悲惨を恣意的に探し回って、「正しい道」を他人に押し付けるような傲慢に陥る罠を免れているのではないかと思う。

しかし、世の中、いや人間の性は面白いものだ。temjinusさんに、正規のルートを通してA4一枚分の文書を訳してもらえば、翻訳というものをこれまでプロに頼んだことがない人はたぶんびっくりするような単価の請求書が回ってくるはずだ。その同じtemjinusさんが、気にいった文を見つけたということで、翻訳を惜しげもなくネットに乗せる。もちろんウラの世界だからあり得ることなのだが、皆がそれをただで享受できる。しかしやるほうも道楽がすぎると屋台骨が傾く。一方にはその数分の一の情報の翻訳要約が立派な対価をもって流通している。何か皆がもっと幸せになれるようなうまいシステムがないものか。