フランスの歴史教育
id:flapjack さんによる、イギリス歴史教育についての個人的体験をまじえた記事(id:flapjack:20050619)を読んで、以前からこちらも書こうと思っていたことへ触発される。
今フランスは大学入学資格試験(バカロレア)のシーズンで、最近では日本でも哲学の論文試験のことが話題になるが、歴史の試験についてももう少し注目されてもいいと以前から思っていた。
私自身は、フランスの初等・中等教育の歴史教育の現場にいるわけでも、それについて研究したわけでもなく、またそれを受けている子供もいないので、これから書く大かたのことは、フランス語の勉強や一般教養のために読んだ中高の歴史の教科書や受験参考書、それを通してみる試験問題、または知り合いの子供の話などから観察したことと、先ほどネットでざっと調べて確認したことによっている。そのつもりで読んでいただきたい。また誤りに気づいた方がいれば訂正していただきたい。
さて、フランスでも歴史の試験の問題は、flapjackさんがイギリスの歴史教育について言われた「一次史料への集中、相対立する記述の分析、徹底して掘り下げるエッセイ」を要求するものが一つの典型をなしている。また、単に論述のための主題だけが与えられるいるよような問題(例えば今年の例では−−「1947年から1991年までの東西対立の中のヨーロッパの位置」)でもその背後には、やはり、授業や宿題でのそうした作業が前提とされており、教科書もそのように作られている。
ただ、「イギリスの歴史教育における複数主義的伝統(the pluralist tradition in British history teaching)を否定し、アメリカや日本で進行しているような単一的な愛国教育へと方向転換しようとする政治的な動き」を批判・懸念するイギリスの歴史学者の言葉から逆に読み取れる、イギリスの伝統と同じものが、フランスにもあるかといえば、「複数主義的伝統」というところではたぶんこれは怪しい。
フランスの歴史教育の目的について、公式的な見解でまとまったものを調べてみると、これは高校用だが、「教育省のサイトに」1995年に発表された指導要領にあたるものの前文が抜粋されているので、ポイントだけ抜き出してみる。
その前に一つ断っておくと、フランスでは歴史は「歴史・地理 Histoire-Géographie (略してHistoire-Géo)」という科目で地理と一体化しており、授業、試験、教員養成もその一体化した科目を前提として行われる。この歴史と地理の一体化は、ブローデルの著述にもはっきり現われているが、フランスの歴史教育の大きな伝統と言われている。
さて、ここで高校の歴史・地理教育の目的の4つの柱としてあげられているのは、
1.知識の伝達と熟知
2.現代世界の理解
3.生徒の社会へ適応
4.知的教育の一環としての分析の方法論の習得
1.は何ということもない、どの国でも自明の共通了解事項だろう。
さて、すぐ2番めにくる「現代世界の理解」には次のような説明がついている(以下、かなりパラフレーズした訳)。
市民として行動できるようになるために、高校生は、[現代世界の中で]役割を演じる者(acteurs)、争点となっている価値や利害(enjeux)、それらのベクトル(lignes de force)が何かを知らなければならない。そのためには、現在の世界を成立させた歴史的発展の過程と地理的な行動原理についての知識を習得することが欠かせないと思われる。諸文明や地理的領域の多様性を分析し、その構造の複雑性を理解することは、他の地理的領域や他の文明に開かれていることを特徴とする時代への行動の準備となる。生徒は、日々のニュースが次々ともたらす大量の目新しい事実の中から本質的なものを読み取れるようになるために、世界に対するダイナミックで批判的な見方を獲得しなければなならい。
現実と比べてみれば苦笑もできるし、きれいごとのお題目といえばそれまでだが、お題目にも国によってそれぞれ違いがあり、やはりその背後にある価値観が照らされるから、読んだり比べたりするのは無益ではない。ここでは「市民」「行動の指針」「現代世界」「複文明の理解」というあたりがキーワードとなっている。
さて、次の柱「3.生徒の社会へ適応 Permettre l'insertion des élèves dans la cité」というのも2と大きく重なっている。日本語としてのとおりをしやすくするため「社会への適応」と訳したが、「社会」したところの元の言葉は cité。 これはギリシア語の「ポリス」の訳語である。今のフランスの現実で最も近い別の近代的概念で言い換えれば、「共和国」あるいは「市民社会共同体」(その構成員がcitoyen)になるだろう。単純な「国」の概念や「共同体」の概念を避けるために使われている語と言ってもいい。それを注記した上で、この3の直訳は「生徒がポリスの一員になることを可能にする」である。その手段としての歴史・地理教育の役割とは、
歴史と地理は、人間共同体の基礎原理を漸次的に学ぶこを可能にする。そして、諸価値の絶対性および、相対的な物の見方を与え、その見方はまた、他の文化や他文明の諸習慣の発見によって寛容の精神へと導かれる。これらの学科は、一つの社会の中における収斂の中に還元できない差違を発見し熟知することを教える。
2の中にあった世界の「他文化理解」の観点が、こんどは自分の属する社会を、「普遍的価値観」とのバランスとともに、安定に築くための人間づくりという点から再提示されていることになる。
さて、最後の「4.知的教育の一環としての分析の方法論の習得 Acquérir des méthodes d'analyse pour une formation intellectuelle 」は、
歴史・地理教育で適用される方法論は批判的次元を実践的指導の中心に据える。こうした方法論はそれ自身がすでに教育的である。...歴史と地理を学ぶ中で生徒は時間をかけて考えることを学ぶ。常に批判的分析に支えられて論理的に思考する訓練によって、生徒は、ヒエラルキーづけされていないてっとり早いその場かぎりの情報を相対化するようになる。
これは、flapjackさんがイギリスの歴史教育の中で強調されているものとだいたい同じといってよい。
この4つの指導要綱は、中学・高校の授業の割り振り、教科書、試験問題を見て受ける印象とだいたい一致している。
現代世界史が強調されているが、実際に歴史の授業でも圧倒的にそれに力点がおかれている。具体的にいうと、日本でいえば小学校6年生にあたる11歳から始まる4年間の中学(コレージュ)の中で、最初の3年間に古代史から19世紀までを終え、中学の最後の年には、1914年以降を学ぶ。
また高校では日本で言う1年次に古代から19世紀半ばまでをいくつかのテーマでやったあと、2年次には19世紀半ばから第二次大戦までを、最終学年次に第二次大戦から現代までを学ぶ。そしてこれらがすべて必修。そして大学入学資格試験での出題は基本的に第二次大戦以降(戦時を含む)の現代史が出題範囲で、それ以前の事実は、これらの現代史とつながる形でしか扱われない。
このように歴史教育のすべてが、第二次大戦を大きな節目として形成された現代世界の枠組みの理解に収斂していることになる。
そして、こうした歴史は当然、「共和制」、「自由・平等・連帯、人権」、「反ファシズム」、「寛容の原理に基づく市民社会の形成」といったような、現代のフランスの価値観を軸に描かれたもので、歴史の学習は、そうした価値観を積極的に身につけることにほかならない。また、米ソのスーパーパワーの戦略分析、第三世界の行動、欧州を重要プレーヤーとする多極的世界像、そうした世界に置かれたフランスの変化、あるいはフランスの地位というようなものの学習が入ってくる。
そして上の指導要綱で、「市民としての行動」「市民共同体の一員になる」などのことばで出てきたように、こうした歴史・地理教育は、積極的な公民(市民)教育的性格を帯びる。実際、中学では歴史・地理は、公民教育といっしょになって「歴史・地理・公民教育Histoire, Géographie et Education Civique 」の中にまとめられている。
flapjackさんが紹介する「イギリスの歴史教育における複数主義的伝統」vs「アメリカや日本で進行しているような単一的な愛国教育」を引いてきたときに、「フランスもイギリスも同じく「複数主義的伝統」があり」と言えなかったのは、これらの事情によってである。これは、愛国教育ではないが、やはり特定の強い価値基準セットに基づいた教育、「市民・公民教育」であるといってよい。そして歴史教育の中の「複数主義的」な要素は、「寛容の精神または開かれた精神をもつ市民」または「批判的視点をもつ覚醒した市民」を作るという「市民教育」の要求から出てくるもので、「複数主義的な歴史」を教えることそれ自体が主要な目的であるとは言えない。もちろんこのあたりは価値観が入れ子状になっているので、ややこしくはあり、イギリスの場合も、こうした「市民教育」的観点から捉えられないことはないと思うが、やはり英仏と対比したとき力点の置き方が違うような気がする。
こうした「特定の強い価値基準セット」に基づいた教育が何によって保証されるか。日本の場合、教科書にその保証が強く求められ、そのために検定制度があるわけだが、フランスでは教科書がそこに果たす役割は薄い。フランスの歴史・地理の教科書は日本の教科書に比べて大判で分厚いが、これの果たす役割は、主に分析や推論のための資料集であり、これをどう使うって授業を進めるかはもともと教師の裁量に大きく任されている。教科書の検定もない。
フランスの中学・高校の歴史教育において価値基準の安定性、正統な運用を保証するのは、教員と学業免状試験であろう。
教員は、全国規模で行われる教員資格試験(Agrégation、 Capes)を通過しているが、この試験にはかなりの準備が必要である。また州単位で置かれた教育相の機関には現場の教育の質をチェックする視学官がいる。とはいえ、「共和国」「自由・平等・連帯」「人権」などの価値基準が、左派であれ右派であれ戦後のフランスで常識的に共有されているものである限り、そしてそうした価値基準が、寛容の精神を内に含んでいる限りにおいて、強力な思想統制が発動が要求される機会は少ない。ただ、反人種差別、政教分離のような、絶対的な基準と考えられている一線を越えたときは別である。
「大学入学資格試験」や「中学卒業資格試験」は、全国をいくつかに分けただけの単位で教育相の名のもとに行われ、問題の策定には国レベルのコンセンサスがあるといっていよい。こうした試験問題や、それに求められる解答を見るときに、現在のフランスで中学生や高校生が持つことを期待されている歴史観、歴史学習への態度が最もよく分かる。時間があれば少しづつ紹介したい。