Today we are all ...

広島・長崎の原爆投下のメモリアル、今年は60周年のためフランスでも、去年よりも新聞、ラジオ、TVともに力の入った特集が多い。これらにある程度つきあっているだけでもインプットが多すぎ何か書くのがしんどいくらい。

ル・モンドの特集
http://www.lemonde.fr/web/sequence/0,2-676968,1-0,0.html
も充実しているが、ラジオ局France Culture のもの
http://www.radiofrance.fr/chaines/france-culture2/dossiers/2005/hiroshima/index.php
が圧巻で、今年はいずれも被爆者の方たちの証言に力点を置く。去年のナチの強制収容所解放60周年記念のときのアプローチの影響を大きく受けているように見える。

TVではArteが1995年制作の蔵原惟繕・Spottiswoode監督の長編TV映画「Hiroshima」を先週末に2夜に分けて放映。来週は今村昌平の「黒い雨」。France 5もNHK制作のドキュメントなどをとりあげた。が、なんといっても今年のTVで話題になったのは、4日木曜日のゴールデンタイムにTF1が放映した、BBC・ZDF・TF1共同制作の映画Hiroshima(監督はイギリスのPaul Wilmshurst)。この映画の製作計画については去年の今日に日記でちらりと紹介したが、無事完成し、放映にこぎつけたことになる。

TF1のこの番組の紹介をかねて原爆についての簡単なまとめのページを作っている。
http://lachaine.tf1.fr/lachaine/programmes/emissions/0,,3231339,00.html
ニュースの中で紹介した映画の予告も見られる。
http://news.tf1.fr/news/0,,3235824,00.html


内容的には、原爆をめぐるさまざまな話について知っている日本人にとってはちょっと物足りないだろうと思う。去年−今年の制作といっても特に新発見の事実が埋め込まれているのでもない。個人的趣味からいうと、当時の映像資料、再現フィルム的なシーン、コンピューターグラッフィクッスの間のつながりがちょっと安っぽくて気になった。ただし、この映画が対象としている平均的なヨーロッパ人の皆が広島・長崎の原爆について教科書以上の知識を持っているものでない以上、この映画の総花的なスタイルをあまり批判してもしょうがない。むしろ、この映画を通して多くの人が、原爆の悲惨さの一端についてでも知ってもらえばいいのではないかと思う。「シンドラーのリスト」が、いろいろな批判はあっても、やはりユダヤ人のホロコーストの現実について啓蒙的な役割を果たしたのと同じ資格で。私も最初、なんだかんだ茶々を入れながら見ていたが、最後はやはり言葉が出なかった。

そして視聴率についての調査結果が昨日出ていたが、視聴率37%でトップの座を獲得した。特に15歳から24歳までの若年層では 44.9% という非常に高い視聴率。

TF1はフランスの地上波放送局としては商業主義的傾向の最も強い局で、この局の路線についてはいろいろと批判があり、この日記でも去年紹介したことがあるが、今回この映画をとりあげ、しかもコマーシャルによる中断なしで放送した決断は立派だと思う。そして結果的に高い視聴率を得ている。

この映画ドイツのZDFでは8月6日に日付が変ったばかりの夜中(すなわち現実に広島に原爆が投下された時間帯)にプログラミングされていた。BBCではどうなんだろう。BBCのサイトで調べても放映されたのか、これから放映されるのか分からない。


60周年記念にあたってもう少し政治的な話がからむ新聞の論調などを見ていると、去年や10年前の50周年の記事にくらべると、日本が自らの戦争責任をあいまいにしている点についての指摘への力点が今年はやや強い。やはり戦争責任の認識をめぐる中国、韓国とのあつれきが大きく作用しているようだ。また記憶の風化の傾向への指摘もあるが、これは総合的な事実認識に基づくというよりは、むしろ、欧州内での自らの傾向への悩みをそのまま投影したものと思われる。

ほんとうは10年、20年単位の一貫した外交努力があれば、60周年の式典は機会は、近隣諸国・旧連合国核保有国との間との核の悲惨さに対する共通認識をもうちょっとでも前進させるきっかけになったのではないかと思う。客観的に判断するためには1995年から2005年の間の変化について棚卸しをしてみる必要がある。

日記のタイトルは 広島での式典に寄せたアナン事務総長のメッセージの結びのことばとBBCFrance Infoのサイトの記事で伝えられる Today we are all hibakusha. (Aujourd'hui nous sommes tous des hibakushas)から。これが日本語でどう読まれたか気になって検索したが見つけることができなかった。

ケネディの "Ich bin ein Berliner" にたぶん端を発する "We are all ..." は、9.11のときのル・モンドの "Nous sommes tous Americains" を代表として、最近特に決まり文句として陳腐化している嫌いはある。しかしアナン事務総長のこのことばは、原爆投下直後からこれまで幾多の人間が繰り返して言ってきた、原爆の経験の普遍性、全人類に対する重い意義についての確認であり、「原爆は広島だけのこと」という態度と正反対の立場を確認するものとしてうけとめるべきだろう。

一部に報道されているように「原爆は広島だけのこと」ということばをもし社会的な地位もある日本人が言ったのだとしたら、こればかりは外国語で報道されてほしくないと思う。知り合いの日本人が住む集合住宅で「8月6日、8月9日 −− ヒロシマナガサキの犠牲者にわたしたち皆が思いを馳せる」ということばを公共スペースに張り出してくれたフランス人たちや、8月6日を期して教会の追悼の鐘を鳴らすハノーヴァー市の市民*1たちのように自ら「巻き込まれ」ようとしている人々に対しても侮辱だと私は思う。


◆8月7日追記 誤字があるので修正したが、他の日記で引用されている部分については抹消線で訂正。「広島だけのこと」という日本人の発言の報道については、訂正記事など続報があり、詳しくは id:hinakiuk さんの日記を参照。誤報であってくれることを願う。がすでに、黙祷の意志を軽々しく扱い混乱を招いた朝日新聞の担当者や、この事件で生じた議論の中で「広島だけのこと」という考えを擁護する人々などの存在により、ヒロシマの経験の普遍的な意義を感じていない日本人も一定数いることが逆にわかった。

*1:上記のFrance Infoの記事にも紹介されているが、個人的体験の報告として Fixing Holeの記事「ハノーバーの弔鐘」を参照