「ブウナ・トラオレとジェッド・ベナの最後の日」

2005年10月27日、パリ郊外のクリシー・ス・ボワで変電所の施設に入り込んだ3人の少年が誤って電線に触れる事故がおきた。そしてそのうち、ブウナ・トラオレとジェッド・ベルナの2人がその場で感電死し、ミュヒタン・アルタムが現在でも全身やけどの重傷で入院中である。

翌28日、サルコジ内務大臣とヴィルパン首相が相次いで、3人が不法侵入の窃盗行為で逃亡していたことを示唆する発言。その夕方からクリシー・ス・ボワで地区の若者たちと警察・機動隊・消防隊の衝突がはじまった。3週間以上にわたって続く「フランス都市暴動事件」のはじまりである。

騒動の直接のきっかけとなった少年たちの感電死事件について、これまで政府筋の説明が変化する一方で、事故の当日に居合わせた直接の関係者たちの証言とも矛盾があり、不明な点が多かった。なぜ少年たちは変電所に入り込んだのか、勝手に隠れていたのか、警察に追跡されていたのか、不法侵入行為云々がどこからでてきたのか等等。これらの事実関係については、公的な調査が進行中だが、そこで得られた情報が漏れ聞こえてくるとともに、ジャーナリストの努力もあって次第に、事実が明らかになってきた。

12月8日づけル・モンドにアリアンヌ・シュマン記者による「ブウナ・トラオレとジェッド・ベナの最後の日」と題するルポルタージュが、そして事故の状況について現在知られている事実−−あるいは対立点−−をまとめる「事故の状況:盗みではなく “徒競走レース”」と題する記事が掲載されている。

ね式(世界の読み方)ブログ」の猫屋さんが、この二つの記事を訳している(前者は抄訳だが、抄訳とはいっても、記事の流れをほとんど忠実に追っており、原文のスタイルをよく維持している)。一連の騒動の背景にあるものを理解しようと思う方は、是非読んでいただきたい。

http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2005/12/post_e147.html

上記の記事にあるような事実は最初フランスでもよく知られておらず、単に「不良少年たちが警察から隠れようとして勝手に変電所に入り込み過失で死んだだけのことでなぜこんなに騒ぐのか」というような受け止めかたも一般世論にはあった。が、クリシー・ス・ボワでは3人の少年は名前も肉体も歴史もある存在で、人々は、彼らの事故の経緯についても、政治家の発表とは異なる事実を知っていた。