「これからの10年は過去の10年ほど暗いものではないだろう(日本)」(by ル・モンド)

日本の少しづつの経済回復
Le retour, à petits pas, du Japon
par Philippe Pons LE MONDE | 08.12.05 | 14h27

日本は再び世界の経済成長の牽引力の地位を取り戻しつつあるだろうか?いくどかの空振りのあとこんどこそ以前の苦境を日本が脱しつつあることを、指標の大部分が示している。
Le Japon est-il en train de redevenir un moteur de la croissance mondiale ? La plupart des indices indiquent que, après bien des faux départs, il se dégage de l'ornière.

日本の景気回復を伝え、分析するフィリップ・ポンスの記事。

事実の認識をもたらすいろいろな数字については、日本の新聞でおなじみだろうからすっとばして、現状分析としてどう言っているかというと、

この十年の痛みを伴う構造改革は、社会的不平等を拡大したがそれでも社会的紐帯の切断を引き起こすことなく、その実を結んだ。新たに活力を取り戻した生産システムは収益性と競争力を取り戻した。

何のおかげかというと、

この景気回復に、鳴り物入りで行われている改革政策の効果を見るわけにはいかない。9月11日の総選挙のスローガンであった郵政改革は、日本を新しい経済発展の高峰に持ち上げるような特効薬ではまったくない。日本経済の立ち直りはまずなにより私的セクターの努力の結果である。

このあと郵政改革の問題点についての指摘がつづき、また、1980年代の電話通信や鉄道部門の民営化に象徴されるような生産部門の改革は小泉以前にはじまっていたことが、郵政改革のかまびすしい議論によって見えにくくなっているという点を指摘したあと、

実際の争点がスロガーンに単純化されてしまうようなポピュリズムの言葉のインフレの過熱の中で、日本人が具体的などのような政策を選択したのかを知るのは難しいが、一つのことだけは確かなように見える−−日本人は現状維持に反対の意思表示をした。

と、選挙の意味を解釈する。

改革は民間主導で行われことを繰り返し確認したあと、政府の役割に対し、限定的ながら評価を与える。

政府は、ベストケースでは、改革の動きを財政政策でバックアップした...日本はサッチャー流の『ショック療法』はとらず...スタグネーションを長期に分散した。...変化は的をしぼった一連の改革政策と構造改革によってもたらされた

このあと、「経済回復 reprise économique」という小見出しのある章で、現状に診断を下す。まとめるのがめんどうなので以下ルーズな全訳。

[構造改革に成功した]企業は人件費の安い他国へと生産拠点を移転した。雇用での「切り捨て」を行い、資本提携の関係を変化させた。株式持ち合いの率の引き下げ、投資家のこれまでよりの重視、親企業と結びついた下請群けの網の目(keiretsu)の構造改革。企業は解雇という手段にも訴えたが、それは雇用システムの柔軟な側面を利用しながら行われた。

失業率は5.5%を一度も越えなかった。これはショックアブソーバーとなった非正規雇用のおかげでもある。無期限雇用契約正規雇用契約)*1は、臨時雇用労働の増加とともに減少したが、それでも−−給与削減を受け入れた被雇用者側の負担によって−−維持され、新規採用の大幅な削減と組み合わされた。景気回復とともに大企業は無期限雇用契約採用をまた開始している。

求職者のスキル不足とエキスパートを求める雇用者との間の開きはしかしながら感じられる。安い労働力を求めて企業は海外へ生産拠点を移転した−−日本の生産力の45%は今日外国にある−−が、付加価値力の非常に高い生産部門と研究部門は国内に維持された。

こうして、日本の人々は景気が回復していると感じており、また投資家も同じ分析をしている。しかしこの回復にはいくつかの未知数がある。回復が中国の経済発展に依存していること、そしてGDPの160%にのぼる莫大な公的債務である。さらにはこの経済回復は社会的不平等を拡大していく。この点において日本は他の工業先進国の標準で「普通」になろうとしている。

日本がいま経験しつつあるのは、改革の掛け声とともに進められている「革命」というよりも、最も苦しかった時期に終止符を打つ脱皮の過程だ。これからの10年は過去の10年ほど暗いものではないだろう。


最後に全訳した部分だけ読んでもわかるように、微妙なバランスをとりながら書かれた文章。郵政改革から9月11日の選挙にかけてのフィリップ・ポンスの記事が、郵政改革支持あるいは反対の両方の理由で批判されているのをネットで見て面白いと思ったことがあるが、これはこうした多面的なめくばりをして書かれた分析につきもののこと。上の記事も部分によっては、小泉改革に期待している人、新自由主義的政策に強い批判を持っている人の両方にとって面白くない記事には違いない。

この記事はフランス人に向けたメッセージとしても機能するが、書き手はそのことに無意識ではない。また、ある国に長く住んでその国が好きになると、外国からの批判や無理解に対して、その国を弁護しようという気が強くなるものだが、私はこの記事に、書き手の日本へのそうした気持ちと、同時に「自分の国」として批判したくなる気持ち、また遠い故国を歯がゆく見つめながら叱咤激励する気持ちを感じる。これらの間での微妙なポジションのとりかたが、たださえ多くの要素のあいだで微妙なバランスをとろうとしている分析に、さまざまなニュアンスを与えている。

フランスにいる私には、これが、こんなメッセージにも聞こえる−−日本は最大の危機を官のサポートを得た民間主導の努力でとにかくも脱しつつある。たしかに不平等は拡大していくが社会層の切断が起ってほとんど爆発状態にあるフランスほどではない。一方のフランスは、新自由主義政策をある部分で乱暴に進める企業がある一方で、全体的な構造改革は上からのものとしては、政府と組合の激しい対立で足踏みしている。民間部門の活力の刺激ははあいかわらずの規制や昔からの官主導の保守的メンタリテイーで功を奏さない。工場は移転して行くのに、R&Dへの投資も遅れている。こんなふうにこれからさらにトンネルに入っていこうとしているフランスは、理想的とはほど遠くてもとにかく苦闘のおかげでトンネルを今まさに脱しようとしている日本のことも見、知るべきではないか。

さて、私はといえば、フランスに一宿一飯の恩義があるので、ル・モンド特派員氏と対称をなす立場で、逆にちょっとフランスを弁護したくなる。

社会的紐帯が切れているといっても、連帯の伝統がすっかり失われているわけではない。再分配もとにかくかなりの率で行われている。純粋に経済的に考えれば大学やグランゼコールだって親にお金がなくても誰でも入れるし、文化資本による不平等再生産の過程に介入しようとさえしている。ポピュリズムに対して、教職員、警察、裁判官の組合にもまともな職業倫理を守って−−時には職能集団の権益保護の自己中心性が目にあまることもあるが−−抵抗するポテンシャルがある。多くの人が自由・平等・博愛ということばをすてずに激しい議論を繰り広げ、その信念のもとに現場で地道に行動している...

しかし、そんなふうな面倒くさい視点のバランスのとりかたの問題は全部おいておいて、日本のことだけに限れば、「これからの10年は過去の10年ほど暗いものではないだろう。」という予言は、苦難の10年をつぶさに内から外から観察してきた記者のことばであるだけに、うれしいし、是非あたってほしいと思う。

*1:「無期限雇用契約 CDI」というフランス語の言い方については、以前に解説したhttp://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20040910#p1 を参照していただきたい