ムハンマドの風刺画(2...の手前)

1の続きの2を書いていますが、なかなか時間がとれなくてテキストがうまりません。そこで簡単な骨子だけ、新刊予告風に公開します。文として埋まっているところも埋まっていないところもあり、このままだと一貫したものとして完成させるとまたゆうに一週間遅れになりそうです。論争ならば論が完成しないうちに手の内をみせるのは得策ではないのですが、何も論争をしているわけではないので、以下のようなことに考えをはせていただけたらということで、ざざっと出します。以下の主張をクリアーに打ち出した論を日本のネットで今のところ見ていないので、とくに1を読んでくださったかたが、この事件を別の角度から解釈するきっかけとなれば幸です。

  • 言論の自由の後退を意識しているかいないか。この20年間におきた宗教を前にした自由の価値の凋落、とくにブッシュのアメリカ以降の言論の自由の制限を真の脅威と感じられるか。自己検閲の増大を自分自身感じられるか感じられないか。マルチン・ニーメラーの詩をここで思い出す人思い出さない人。
  • 「非対称性」は二項対立ではない。多角形であり、入れ子構造である。一元的に単純化して観測した「非抑圧者」への心情的連帯を通じて自分が抑圧者へとなる危険性。多角形・入れ子構造の極めて複雑なフランスでの政治的選択、知的・倫理的エクササイズの難しさ。被害者意識ゲームのつりあげによる言論の窒息。
  • 「本質きめつけ主義 essentialisme」の罠。アクティヴな原理主義者のイメージを通して、イスラム教はこういうもの、イスラム系の人々はこう考えるという思い込みが、「イスラム系」の人々の多様な意見の広がりを圧殺し、穏健主義者の声を奪う危険性。フランスは燃えていない。「きみたちはヨーロッパ人ではない。ヨーロッパ人のように考える権利はない」。
  • フランス人はイスラム教に対し無理解・無神経か。フランスでのイスラム教に関する情報の多さを日本人は理解しているか、啓典の民とそうでない者の間の溝を日本人は意識しているか。
  • 日本式「オリエンタリズム・オキシデンタリズム」の安易さとその知的怠慢。
  • 諷刺画問題は対岸の火事か。第三者的審判としてでなく、日本の言論の自由とのかかわりで自分の問題として考えられるか。「他者の尊重」の甘い誘惑。読売新聞社説の危険性。ジャーナリストの連帯は日本にあるか。今の日本で天皇を諷刺できるか。ヘイトスピーチに寛容な日本の逆説的状況。言語の壁に守られている日本。あなたは某巨大掲示板の禁止が外国から要求されたら賛成しますか反対しますか。

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