傷つける権利−−アヤーン・ヒルシ・アリ議員会見

15日ル・モンド(ネット版)に「私はイスラム離反者 Je suis une déssidente de l'Islam」というタイトルで掲載された、ソマリア出身オランダ人政治家アヤーン・ヒルシ・アリ Ayaan Hirsi Ali 氏のテキストを猫屋さんが翻訳している。これは、ベルリンで彼女が2月9日に行った記者会見のテキストで、原文の英語版は、2月10日づけのオランダの新聞 NRC Handelsblad に "The Right to Offend" というタイトルで掲載されている。

ムハンマド風刺画問題の、そしてその背後にある、欧州社会とその中・外のイスラム社会との関係の問題の複雑さを知るために、ぜひ読んでいただきたい。ただし、このテキスト自体がまた、問題の単純化を呼ぶ恐れもある。

10日づけのドイツの週間新聞 Die Zeit のネット版に、アヤーン・ヒルシ・アリ氏の会見を、彼女の以前からの発言やオランダ社会の中での立場をも紹介することで、いくぶんかの距離をとりながらうまく解説した記事が出ている。彼女の発言が提起する問題の複雑さをとりかこむさらに複雑な事情が理解できると思うので、上に紹介した彼女のテキストのついでに読んでいただければ幸いである。

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Das Recht zu kränken
傷つける権利

Von Katharina Schuler
ZEIT online, 10.2.2006

もしアヤーン・ヒルシ・アリが慎重な人だったら、そこに立っていなかったろう。その陰鬱な二月のある日にドイツ連邦プレスコンファレンスセンターで国内外のジャーナリストを前に、そして多くのカメラを前にして。もしアヤーン・ヒルシ・アリが慎重な人だったら、いまごろおそらく自分の子供の世話をしていたことだろう。自分の生まれたアフリカの国で、自分が選んだのではない男と結婚して。しかしアヤーン・ヒルシ・アリは慎重な人ではなかった。だから、彼女のことばには社交辞令や計算や遠慮はない。そのことばは、明快ではっきりして、そして挑発的でもある。

"Right to offend" −− 傷つけ、侮辱し、不快にする権利。右派リベラル政党の自由民主党に属するこのオランダの女性政治家は木曜日、風刺画紛争に対する自分の立場をこのように要約した。この権利なしには民主主義は成り立たないし、言論と報道の真の自由はないと彼女は考える。彼女によれば、預言者マホメットの風刺画を掲載したことは正しい。なぜなら、その諷刺画によってデンマークの新聞ユランズ・ポステンは、欧米メディアのしだいに強くなる自己検閲に抗議しようとしたからだ。彼女は、この諷刺画の一件に先立ついきさつに注意を喚起する。これは、マホメットに関する自著に挿し絵を描こうとする者を見つけられなかった作家の話であり、そしてそれがほんとうにそうであるのか検証しようと考え、そしてやっと描く気になった何人かの者を見つけることができた新聞の話である、と。後の成り行きはご存知のとおり。

これは、風刺画が書かれたいきさつを説明するにあたって最も好意的なストーリーではある。別のいくつかのヴァージョンもある。この新聞の外国人に敵対的な傾向、挑発趣味、これによって伸びた部数、そして、同じ勇気ある新聞がキリスト教を内容とした風刺画の掲載を−−読者を怒らせるからという理由で−−拒否したことなどをめぐる話だ。だがこのようにバランスをとったり、相対化したり、疑問を付したりすることは、アヤーン・ヒルシ・アリにとっては事の本質ではない。ぴったりした白い服に包まれた、その動きには神々しさをさえ感じさせる、光輝く闘志のようなこの細身の女性はひとつの使命を持っている。彼女は喚起し告発することを欲しているのだ。彼女はイスラム社会の暗い側面について世の人々に悟ってほしいと思っている。欧米の政治家やジャーナリストがイスラム教徒の傷ついた感情への理解を表明しているとき、彼女はその裏に臆病心と犠牲者に対する連帯への欠如を推測する。「言論の自由によって生きていながら検閲を受け入れているジャーナリストたちよ恥を知れ。これらの風刺画は必要がなかったのだ説明する政治家たちよ恥を知れ。『当店ではデンマーク製品は販売しておりません』という文句で宣伝をしているヨーロッパの企業は恥を知れ」と激烈なことばで彼女は述べる。

彼女がこのように容赦がないのには当然の理由がある。それは彼女自身のライフストーリーなのだ。ソマリアで生まれた彼女は5歳のときにクリトリス切除を受けた。イスラムの環境の中に育ち、宗教的な教育を受けた。「一日何度も私はユダヤ人の絶滅を神に祈った」とは後の彼女のことばだ。二十代のはじめに強制結婚を義務づけられる。が、オランダに逃れ、そこで家政婦、通訳として、またソーシャル・ワーカーとして働き、そこでまた新たな形で、多くのイスラム教徒女性の悲惨な境遇を知る。政治学を学び、2002年以来、イスラム教に批判的な本を何冊か書き、そのために死の脅迫を受けている。映画監督のテオ・ファン・ゴッホのために映画「服従」の脚本を書いたが、監督は映画の代償を死であがなうこととなった。アヤーン・ヒルシ・アリのほうがテロを免れたのは、すでに身辺警護を受けていたからにすぎない。彼女は身を隠した。そしてまた公の場所に姿を見せるようになった。彼女が特に避けたかった一つのことは、脅え屈することだ。「私はすでに自分の命を心配したことがある」と、彼女は木曜日に語った。そして言う。「しかし、私は沈黙しない」。

彼女の目に風刺画紛争がポジティヴな結果をもたらすと写っているのは、したがって驚くに値しない。イスラム教の非寛容な側面を批判的に描いたり分析しようとする作家や映画制作者、画家たちの間にどれだけの恐怖が広がっているかをこの紛争は明るみにしたと彼女は見る。この件はまた、自由な民主主義の原則を受け入れる用意のできていない「かなりの数のマイノリティー」がいることを明かにした、と彼女は言う。そして鋭くそして皮肉たっぷりに付加えた−−サウジアラビアのような国は、デンマーク製品ボイコットの自称草の根運動を支援しているが、その一方で、この国が、選挙の権利を求める運動その支持を受け入れることは絶対に有りえないだろうと。

アヤーン・ヒルシ・アリは傷口をかき回すことをいとわない。そうして彼女は多くのかつての同信者たちの間に広がる自己憐憫の情を批判する。彼女はイスラムに心情的には結びついていると自ら感じるが、自分を信者とは呼ばない。多くのイスラム教徒が自らを犠牲者だと見たがると彼女は言う。彼女の考えではこうだ。彼らは、自分の失敗を許すことができるように、世界じゅうが自分に敵対しているという感情を自らに育んでいる。しかし、欧州諸国へのイスラム系移民に関してまさに、世界が敵対しているなどいうことは多くのばあい当てはまらない。彼らは西洋において、他の宗教の信者がイスラム諸国で得ているよりも、はるかに多くの自由を得ている。

しかし彼女の考えはそこに留まらない。それはさらに先へと及ぶ。彼女は宗教の不可侵性そのものを批判するのだ。預言者が善い事を行い、人間を善行へと励ましたことを彼女は認める。にもかかわらず−−そしてこの点が彼女にとっての問題の核心なのだが−−預言者は、自分と同じ意見をもたなかったものに対し、尊重と感性を欠いていたと彼女は考える。彼女が望んでいるのは、啓蒙の光に照らされた(aufgeklärt)イスラム、自らを絶対視するのでなく、理性による批判に自らを置く一つの宗教としてのイスラムである。この点において彼女と伝統的なイスラム教徒の間の溝は、最も越え難く大きい。もっともその越え難さは、特にアメリカでどんどんと増えてくる原理主義キリスト教徒に対する溝と比較して大きいわけではない。

現在の紛争はアヤーン・ヒルシ・アリにとって民族的、社会的な背景を持つものではない。「これは理念の闘いだ」と彼女は言う。片方には啓蒙を通過した自由な民主主義。もう片方には不寛容な宗教的原理主義。そのさい民主主義は自らに対する批判の可能性をも前提とする。そのことはオランダの政治家である彼女も知っている。「私はイスラム教徒が諷刺画に対し平和に抗議することには何も反対ではない」と言う。いやそれどころか、それは彼女にとってまさに自らの考えだ。つまりそれは自由な意見の表明だからだ。しかしまた、「侮辱する」権利には境界がある、とも言う。その境界は法によって定められなければならない。侮辱されたと感じた者はまず訴えればよい。が、こうした討論を支える基礎、西洋社会のゲームの規則が論争の種になるべきではないと彼女は主張する。

批判的思考が必要だとあれほど強調するその彼女の世界像のなかになぜ盲点ができているかを理解するためには、彼女のライフストーリーを知る必要があるのだろう。例えば「アンチイスラムは存在しない」と彼女は言う。が、それには反論しなければならない。いや、それは確かにある、と。たとえばイスラム教徒だけを標的とする移民テストや、イスラム教徒と見なされるあらゆる人々を特に対象として、空港なり国境なりで、チェックが強化されていることがそれを証明する。そしてわれわれが今経験している対決は純粋な理念の争いといったものではない。彼女にも社会的、民族的な特定の背景はある。が、その限界はアヤーン・ヒルシ・アリの責任ではない。それは彼女がそのもとで生きているのと同じ圧力のもとでおそらく理解できるだろう。同時にまたそれは彼女を、イスラム教に対する別の視点からの議論よりも、偏見を強めることのほうに強い興味をもつすべての人々が歓迎するスター証人にもしている。

−−−−−−−−翻訳終り

  • フランスでの似たようなケースといえば "Ni Putes Ni Soumises 娼婦でも服従する女でもなく" という運動がある。他の国のケースでも声を上げるのはほとんど女たちだ。フランスでは、死の脅迫があるような激烈な対立とはなっていない。発言するほうの女性も、移民差別的な言説とより慎重に距離を置き、党派的にもどちらかというと左派とくに社会党よりである。一方、アヤーン・ヒルシ・アリ氏は、左派政党がイスラム系共同体の批判に及び腰だとして社民主義系の党から右派リベラルの自由民主党に移っている。移民の共同体が縦割りに併存しながら各共同体に対する最大限の寛容をうたうオランダのような行きかたと、個人を等しく共和国の理念のもとに教育し統合するフランスのやりかたの違いがあきらかにここに出ている(これは id:swan_slab さんの2月12日記事にも関係しまた別にとりあげることになると思う)。フランスのモデルは昨年までのイスラム・ヴェールの問題のような公権力と共同体の間の摩擦をうむ。一方、オランダのようなモデルでは、うまく行くときは、対立が共同体の存在によって隔離され抑圧されてているが、根本的な価値観の対立が一ったんあらわになるとき、より先鋭化するように思える。日本人が「共生」ということばを使うときどのモデルがイメージされているのだろうか。