反CPE運動、ル・モンド掲載分析2題

fenestrae2006-03-19


フランスのCPE(初回雇用契約)法反対デモは18日土曜日に警察発表で50万人、主催者発表で150万人を動員。主催者側としては満足すべき成果で、撤回要求にはずみがつく。

現場からの個人的な感想としては、これだけの人手のデモは2002年4月末5月初めの、国民戦線のル・ペンが大統領選挙の第1回投票を通過した後の、反国民戦線デモ以来。学生の運動としてはたぶん1994年以来の規模。

運動に高校生、大学生だけでなく、一般労働者も加わってきた。労働組合員でなくても、学生の両親、祖父母という立場で参加するものも。これまで複数の大学の学長が個人的に撤回要求を表明していたが、全国学長会議の統一意見で、半年の凍結検討期間を置くよう政府に提案。複数の世論調査でも60%以上が撤回に賛成している。抗議行動の次の段階はゼネストとの声も。一方、ヴィルパン首相は撤回は絶対しないと強気のまま。が、かなり政治的には追いつめられており、これを乗り切れかどうかで、大統領選挙に向けての政治生命が決まると言ってもいい。

このように学生たちを駆り立てるものについてはいろいろと分析があるが、ル・モンドが17、18日と角度をまったく異にする2人の専門家の見解をインタビュー形式で紹介している。

まず一つはネット版18日掲載の「若者は代議制民主主義の欠陥を嘆いている Les jeunes déplorent les failles de la démocratie représentative」と題された、コミュニケーション学の研究者ティエリ・ルフェーブル Thierry Lefebvre のもの。以下、かなりルーズな全訳。

  • なんらかの抗議運動への参加というのはしばしば若者の政治的な社会化の最初の形態となる。あなたは2003年以来、パリの高校生や大学生の様々な運動を観察しているが、これらの運動に連続性はあるか。

フィヨン法[2005年に当時の教育相が提案した、大学入学資格試験・中等教育学習内容の簡素化を主な内容とした法案]への反対運動で最も活動的だった高校生の大部分は今、大学にいる。そして彼らの多く者が現在の運動の中にいる。彼らはすでに一定の経験があり、それが、大学を閉鎖するというような、運動の具体的な組識のしかたに生かされた。しかし彼にさらに、組織化されていない、どの学生組合にも政党の青年部にも加わっていない者たちが加わっている。というわけで、学生総会に「組織化された者たち」がいて、彼らが運動の舵をとり、ビラを作ったりするわけだが、一方には「組識化されない者たち」がいて、彼らが実際に現場での運動を担っている。

また多くの学生がUNEF[社会党系のフランス最大の学生組合]による運動回収の試みに警戒的である。彼らは、UNEFの社会党への接近や、彼が批判する政権左翼に反対しているからだ。この見地からいうと、1986年の大運動とはまったく関係がない。86年のときは、UNEFからSOS-Racismeといった左翼系の組識がはるかに大きな影響力を持った。

  • 大学改革の問題ではなく、若者の多くがまだ知らない労働界の問題をとりあげた運動のこうした盛り上がりをどのように説明するか。

これは社会全体のさらに大きな展望に向かって自らを投げかける運動だ。さらにいえば、これらの若者はこれまで歴史に参加していないという思い、歴史からつねに忘れられているという思いを抱いてきた。そこにとつぜん自らが主役となった。彼らはもともと代議制民主主義の欠陥に大きな不満を持ち、政党や議員、そしてメディアにも非常に批判的だ。多くの者がテレビを見ず、ネットサーフで、オルターナティヴのウェッブサイトをいろいろと見る。そして大部分の若者が、今そこに、大学キャンパスの日常ルーチンから抜け出す機会を与えてくれる呼び声を感じている。

  • この運動は現代社会の個人主義に対する大きな抵抗の表現だという見方なのか。

そうだ。忘れてはなならないのは、この世代は大学に消費者として−−デジタルプレーヤーのイヤフォンを耳にしながら−−通う世代でもあるということだ。こうしたルーチンの世界をうち破るにはなにか派手な出来事が必要だった。そして運動の組識者たちは、大学の閉鎖を提案するとき、そのことを知っていた。一方多くの若者は視野の狭窄を蒙っており、そしてある意味で、集団抗議行動への参加は、彼らにとって、社会に対する自らの視野を広げ、これまでのいつもの会話の内容に変化を与えてくれるものと感じられている。

私の感想では、分析者自身がかなり運動の熱気に巻き込まれており、今回の運動の規模を強調するあまり、小規模ながら例年つづいている高校生、大学生の運動の文脈の質的な共通点が軽視されているように思う。これについては次の記事で。

上の分析とはまったく別の角度からもう少し、社会・階層構造の変化をもう少し「冷たく」分析しているのが、「反CPE運動は中産階級におけるバンリュウ反乱の再現 "Le mouvement anti-CPE est la réplique, dans les classes moyennes, de celui des banlieues"」というタイトルでネット版17日づけでル・モンドに掲載された、フランソワ・デュベ François Dubet という若者の労働問題を研究している社会学者のインタヴュー。これは長いので途中まで。

  • CPE反対運動についてどういう分析をしているか

この運動は、消費者としてまた学生として社会から受け入れてはいるが、そこから未来を与えられてはいないと感じる年齢層の気持ちの表現である。若者のすべての集団動員でそうであるように、この運動は、技術的な措置−−初回雇用契約法−−を、象徴的な争点に変えた。何年か前のCIPや、去年のバカロレアの改革のばあいと同じように、初回雇用契約制は一つの大きな傾向を促進するものだととらえられた。すなわち、この国での機会の分配、リソースやチャンスの分配において、この30年、若者を調整の変数として扱うという傾向である。

不安定な雇用をちょうだいするもの、無賃金の研修をちょうだいする者、派遣雇用をちょうだいする者は彼らなのだ。しかも、初任給と在職最終給与の差は絶えず拡大している。しだいしだいに、中にいる者たち−−給与の差はあれ人生設計ができ、アパートを借りられ、ローンが組める者たち−−と、外にいる者たち−−バンリュウの住人、増大する不安の中に生きる中産階級の学生たち−−の間を分ける内部の境界線が引かれるような思いが広がっている。ある年齢層の失業率が25%にも達すれば、それに属する者が、境界線の不利な側に落ちるかもしれないと思うのはあっという間だ。

  • 自立的なバンリュウの運動と反CPEの高校生や大学生の動員にはなんらかの関係があるか。

昨年11月に反乱を起こしたバンリュウの若者たちはすでに境界線の不利な側にいる。これらの地区では、25歳以下の失業率はときには40%以上と、もはや耐え難いレベルに達している。かれらの反乱は、「危険な階級」古典的な社会的反抗だ。壊し、燃やす。反CPE運動は、本質的には、中産階級におけるバンリュウ反乱の再現だ。この二つの世界は互いに不信感を持っている。バンリュウの若者は学生たちは自分たちより恵まれていると思っているし、学生たちはバンリュウの壊し屋たちが自分たちのデモをだいなしにしにくることを恐れている。しかし、両者の不安は非常に近い。一方はすでに「外」にいて、もう一方はそこに加わることを恐れている。

これは、1968年の運動のようなロマンチックな運動からはほど遠い。68年の運動は、大学教育に大量に参加する歴史的にはじめてのチャンスを得た世代、失業は遠い世界のできごとであった世代を結集したものだった。20年来労働運動の記憶は、あらたな権利や勝利を獲得した経験をほとんど持っていない。社会を覆っているのは、不安に強く彩られた運動だ。すでに1981年に始まっていたバンリュウの暴動、この20年絶えることのない学生の運動のような。

  • この運動は、大量高学歴化にともなう期待が満たされない結果か。

くりかえされる学生のこのような運動は、フランス特有の社会的現象で、それには二重の原因がある。労働の世界において、雇用者も労働組合も、若者の不安定な立場や彼らをシステムに組み入れることも重要な関心事としてこなかったことだ。雇用者は若者の職業訓練にほとんど関心を持たず、労働組合は保護されたセクターに引きこもっている。教育の世界でも状況は同じだ。フランスは教育システムをマス化し、学業期間を延ばした。しかし、リセアンや大学生の中の少数グループの例外−−グランゼコールと技術系専門大学、そしていくつかの職業高校の学科−−を除いては、教育制度は職業とは最大限に離れている。

今日、大学を卒業する者の2人に1人は自分の受けた教育と何の関係もない職につく。これが個人的そして集団的な大きなエネルギーの浪費となる。1965年には該当世代の15%しか大学入学資格を得ず、このため大学入学資格をもった若者は中間あるいは上級管理職以上の職につくことができた。今日、世代の70%が高校を終えるとこの免状を得る世の中では、大学入学資格所有者がスーパーのレジで働いているのはしばしばだ。学歴のもたらす期待と実際の労働現場の間のこうしたよじれが非常に強い欲求不満をもたらしている。

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以下略

デュベが言うようにフランス特有の部分もあるが、必ずしもフランスだけの問題かどうか。コメントが長くなりそうなので、これもあとでまとめて、CPEの問題についての私自身のまとめ的感想といっしょに次の記事で。