ムハンマドの風刺画(1)−−フランスのメディアはなぜ火中の栗を拾うのか

デンマークの新聞、ユランズ・ポステン紙が掲載したムハンマドマホメット)の風刺画をめぐる一連の事件について先週末に記事をアップしたいと思っていたが、時間がとれず仕上がらないうちに状況がどんどんと進行し、事件そのものについてはフランス紙の報道をわざわざ伝える必要がないほどに、日本のメディアでもブログでも詳しく取り上げられている。

日本のネットをざっと見たところでは、この事件を「言論の自由」と「宗教の尊重」の二つの原理の衝突、さらには前者の原理を優先させる欧州対後者の原理を優先させるイスラム世界の二つの世界の衝突ととらえ、前者の原理に絶対的に固執する欧州の新聞の態度にある種の疑問を付すというのがだいたい穏当な意見のようだ。対立のエスカレートを前にしたときにに「甲にも乙にもそれぞれ言い分はあるが、お互いを尊重して過激な対立は慎むように」というのは、ほぼ自動的に出てくる「良識的」な意見であり、これは、フランスも含め、現在欧州各国の政治家が事態の沈静の呼びかけ際してとっている立場でもある。が当座の政治的効果を狙った発言は別として、こうした形式的な良識は、それが抽象的なものにとどまっている限りでは、問題の理解をあまり前進させるものとはいえない。

個人的な立場をいえば、自らの物の考え方の中でフランスという国のある知的伝統に少なからぬものを負っている人間として、そして今回のフランスのジャーナリストたちの行動を論理的かつ倫理的レベルで理解できる者として、「イスラム原理主義はけしからんが、フランスのマスコミもやりすぎで他者への理解がない」というようなコメントでお茶を濁して済ます気にはなれない。欧州全般については私の知識の範囲を越えるが、少なくとも今回のフランスのジャーナリズムの中での対応に関し、フランスの政治伝統と現在のフランスのメディア、言論界の状況の文脈の中で、人々がぎりぎりの選択によって行動しているということについて、恐らく多くの日本人に十分に理解されていない部分があると考えるので、以下に解説を試みる。

以下の文は、ル・モンドリベラシオンあるいはフィガロの社説などで代表される立場を、私なり背景観察で敷延したものである。ただし、無神論者であり、共和国を支える原理としての「非宗教」にかなり強い価値観を与えるという私自身の立場によって、表現がやや先鋭的、図式的なものとなる嫌いがあるかもしれない。が、この国においてとりたてて過激的なものとはいえないと思う。また文章は先週の土曜日今週の水曜日あたりまでの下書きに基づいており、論旨の流を補足する形で新しい情報を付加えるにとどめいるので、今日現在の状況の醸しだしているアンビアンスと微妙にずれてはいるが、基本的な原則にかかわる点は何も変わっていないと判断している。

風刺画事件−フランスでの経緯の確認

全体的な事実関係については、上に述べたように、説明の必要がなくなるほど、主要メディアだけでなく多数のブログが詳しくとりあげている。事の経緯と欧州各国のプレスの反応の手短に知るたえにブログでは、Fixing A Hole の一連の記事と、id:kiyonobumie さんの2月5日の記事をここでは参照先として挙げておきたい。またドイツの英語オンラインネットメディア signandsight の記事The twelve caricatures of Mohammed A survey of the European pressが旧東欧圏を含む欧州各国メディアの反応をまとめている。

全体的な流れを上の記事にまかせて、フランスでの経緯だけ簡単に確認しておく。まず夕刊紙フランス・ソワールが2月1日づけの紙面で、ドイツ紙、イタリア紙などと呼応して問題の12枚の絵を、一面での独自の戯画とともに掲載したところから、国内問題となった。そしてそれに続きリベラシオン(12枚の一部を掲載)、ル・モンド(独自の戯画を掲載)、フィガロ(独自の戯画を掲載)のような全国紙が問題をとりあげ、ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌がネット版に12枚の絵を掲載した。またそれぞれが、宗教風刺を含む言論の自由の原則を確認する社説や解説記事をかかげている。テレビのほうは各局とも、これら新聞の対応をニュースでとり上げながら、フランス・ソワールの掲載した風刺画を同紙の映像の形で紹介した。一方、イスラム教徒団体や人権団体の一部は問題の風刺画を掲載したすべての新聞を訴えることを表明。その中で今週になって風刺週間新聞 シャルリー・エブド Charlie Hebdo が今週号で問題の12の風刺画の転載することを発表。イスラム教徒団体は出版差し止めを司法に求めたが、火曜日にパリの大審院でそれが斥けられ、水曜日に新聞売り場に並ぶことになった。

このようにフランスの新聞は、欧州大陸の他紙よりもこの風刺画を遅く、そしてためらいがちに取り上げた。しかしいったんとりあげた後は、ジャーナリストたちはヨーロッパのどこよりも表現の自由の原則を強く主張し、のみならず、対立の激化の中で一部のものは挑発的とさえいえる態度をとっている。

こうした行動パターンは、宗教と風刺そしてイスラム教をめぐる今日のフランスの以下のような状況を背景にして考えればいっそうよく理解できる。すなわち、1)フランスのジャーナリズムにとってイスラム教と表現の自由をめぐる問題は、西欧とイスラム諸国という問題というよりすでに内政上の問題であるということ、2)一方、宗教批判さらにそのラジカルな形態である涜神、また一般的に風刺という手段は、フランスの政治をめぐる言論の伝統の中で特別な価値を持っているということ、また、3)それにもかかわらず近年日ましに そうした手段を行使する権利が侵食されてきていると多くの人々が、そしてジャーナリストが最も敏感に感じていることである。以下この背景をもう少し詳しく見てみる。

国内第二の宗教としてのイスラム

この問題を考えるにあたって確認を要する点の一は、まず、イスラム教はフランス第二の宗教であるということである。

俗にフランスのイスラム教徒数 500万人と言われる。ただしこれは主に移民層の出身国から機械的に、個々人の信仰の問題を無視して、推定したものである。一方、2003年に実施されたアンケート調査では6%がイスラム教を信じると答えている。これを単純に人口割りで計算すると390万人となる。フランスの宗教で信者数の数が最も多いのはこの国の歴史上、キリスト教、その中でもカトリックであるのは言うまでもないが、このアンケートでカトリック信者と答えた者が62%、単純に人口割りで計算すると4000万人となる。この数字を基礎とするとカトリック教徒とイスラム教徒の比率が10対1である。ただし、これが18−24歳の若者層になるとカトリックイスラムの比率が40%対14%すなわち約3対1とかなり接近する*1

この二つの宗教に対し絶対的な少数派であるのがプロテスタントユダヤ教で、アンケートではそれぞれ信者数2%、1%とする。別の調査でユダヤ教徒80万人、プロテスト信者70万人としユダヤ教徒の比率が多くなるが、いずれにせよ、イスラム教が第二の宗教であるというのは、3位以下に数倍のオーダーでの差をつけゆるぎないものである。また、これを宗教施設の面で確認すると、2005年の内務省の調べで、カトリック教会の数が4万、モスクの数が1685、プロテスタント教会が957個所、シナゴーグが82個所となっている。

ただし数的に第二の宗教というのは、必ずしも社会の中の正統的なイデオロギーヒエラルキーの中で第二の位置を占めることには直接つながらない。この矛盾がイスラム教徒にとっては不当と感じられる。この不公正感は、イスラム教国出身の移民層の多くが経済的・社会的に不利な場所にいるということで増幅される。ただし、言論界の中では、イスラム系移民層出身の知識人・文化人−−大学人・専門研究者・社会活動家たちは、それぞれの分野で少なからぬ発言力を持っており、これがフランス人のイスラム理解を深めている。ただし、こうした知識人はフランスの非宗教の伝統に同化した人々が多く、むしろイスラム系としての彼らの発言は、宗教問題というよりも、中東問題、移民の差別問題についてなされることが多い。また、イスラム系であるかどうかに関わりなく、イスラム教、イスラム文化、アラブ世界についての研究者層は厚く、今回のムハンマドの図像化の問題についても、細密画の伝統や禁止の起源などについても専門家の適切な解説が新聞でなされた。

イスラム教徒の信徒の国内共同体を代表するのは CFCM(フランス・ムスリム評議会 Conseil français du culte musulman )で、これは2003年に、ニコラ・サルコジ内務大臣の提案を受けて、全国のほぼすべてのイスラム教信徒団体の参加により結成された。評議会は、フランスのイスラム教徒の声を公的に代表するものとして声明を発したり、政府との話し合いの窓口となったりする。ただし評議会は、主要な構成員の出身国・宗派などによって傾向がまちまちの複数の信徒団体からなっているので、意見の分かれる問題については、各団体が独自に声明を発したり、アクションを起こしたりする。

涜神の権利

二つめに理解すべき点は、フランスの知的伝統の大きな流れの中では、あらゆる宗教批判の保証というのは、神・預言者・聖職者その他宗教的崇拝を受けるいかなる存在に対する風刺・嘲笑というラジカルな形態も含めて、18世紀の啓蒙主義時代からの政治的・知的闘争の中で獲得したものであり、さらにはこの権利がフランス共和国の成り立ちにかかわる本質的な価値であるとして繰り返し確認されているということである。「フランスでは涜神(宗教的冒涜)は犯罪ではない」*2どころか「涜神は権利である」という言辞は「ヴォルテールの国で」という形容とともに、いかなるコンプレックスもなく発せられる。ある言辞が宗教的冒涜という名目で法的に制裁されるという事態はフランス人にとっては本質的な人権の侵害であり、フランスの多くの知識人がこの事態の到来を中世の暗黒時代への後戻り、フランスの近代の否定とみなす。涜神が罪であれば、何のためにヴォルテールディドロが闘い、フランス革命があり、ミシュレがいて、19世紀末、20世紀になってからも続く共和国派の反聖職者闘争があったのかということになる。ここには、言論の自由の普遍的価値を世界中に押しつけるというような発想より前に、苦難の上自らのものにし得た価値、そして現代においてもその保証がまだ脆弱な価値を、自分の足元で守りたいうという防衛反応が先立つ。

フランスでは個人に対する名誉毀損については19世紀以来かなり厳しい基準があり、これに加え第二次大戦の反省から、人種差別的言辞に対しては、宗教的カテゴリーで分類される集団に対してのものについてもさらに厳しい基準で法的制裁が加えられるが、宗教そのものへの攻撃、宗教シンボルへの侮辱は、それが、ある宗教に属する人間の集団に対する直接の侮辱、あるいはそうした集団への憎悪を煽るものでないかぎり罪ではない。ただし、罪ではない宗教への攻撃と罪である信者への攻撃の間に、一種のグレーゾーンが生じるので、これが綱引きの場所となる。

こうした中で宗教風刺の最大の標的になるのはキリスト教、特にカトリックだというのは、今でも変りがないと言って差し支えないだろう。カトリック教会を相手にした反聖職者闘争の伝統と、現実に今でもカトリックがフランスで最も支配的な宗教であるということのほかに、これが人種差別の疑いを持たれずに批判できる唯一の宗教であるからでもある。ネットや小さな雑誌類でなどではこれが先鋭に出るが、批判の様態は、宗教そのものの全否定、キリスト教が役割を果たしたとされる過去の集団的犯罪(たとえば植民地での虐殺)あるいはナチへの協力という歴史にもとづく告発、中絶や避妊、同性愛の権利について教会がとっている立場への痛烈な批判、または単純にタブーの侵犯の喜びの称揚のためにされる風刺などいろいろなパターンがある。右のリンク先のような→風刺画コレクションはその典型である(ページの下方の右矢印から別ページへも行ける。ただし性的風刺画もあるので嫌いな人は注意)。

一方イスラム教を標的とした宗教的風刺や攻撃は、差別や宗教憎悪の扇動の烙印を押されやすいので、確信犯的な極右やキリスト教原理主義者以外は、あえてその危険を犯すものは公の言論界では極めて少ない。確信犯的挑発を別にすれば私的領域や職業遂行の場での発言が、反差別団体の告発で法的な領域に入ってくるケースが多い。また、ユダヤ教に対するものは、宗教攻撃というよりも、ユダヤ人というカテゴリー全体に対する差別の領域で問題になるものが多いので、宗教問題としては顕在化しにくい。

復活する「涜神の罪」−−人種差別問題・政治問題化とエスカレートする相互検閲

三つめは、上のような「涜神の権利」の伝統が年々脅かされていると感じる者が、近年、とくに9.11以降否応なしに人々が「文明の衝突」の思考に巻き込まれていく中で、言論界の中に増えてきているということである。そしてそれは言論による宗教攻撃の司法への告発の事例、その結果としてのあるいはそれを回避するための事前の検閲の事例の増加によって具体的に感じられる。

「涜神の権利」に対する宗教の側からの巻き返しは、フランスのカトリック教会の中の以前からある超保守的な−−しばしば政治的な極右と結びついている−−層、アメリカでのキリスト教原理主義に影響された層、そしてイスラム原理主義の活発化に結びつく層の各方面からのものが、それぞれ相互作用を行うなかでだんだんと強くなってきた。さらにこれに、中東紛争に激化に伴うフランス国内での共同体主義的摩擦(特に「ユダヤ人」対「イスラム教徒」のそれ)の中で「涜神」が「宗教による差別」の刻印を押されるという傾向が加わった。また、グローバリゼーションの中でのフランス人のアイデンティテイ・クライシスに伴う保守化の中で、言論の自由の行使の価値が、集団の秩序を保証する(と考えられる)伝統的象徴体系の維持の価値に比して減少していくという過程にわれわれは立ち会っている。

繰り返しているようにフランスでは「涜神罪」は存在しないので、宗教的冒涜に多少なりとも関わる法的争いは次の2つの罪刑の適用をめぐって行われる。その一は、「出版の自由についての法」(1881年7月29日法)の中で扇動の罪を規定する項目第24条に追加された「個人あるいは団体に対する差別・憎悪・暴力を、その出自、特定の民族・国・人種・宗教への帰属あるいは非帰属の理由から扇動する」罪、その二は、同法第32条として名誉毀損の特別な形態として追加された「個人あるいは団体をその出自、特定の民族・国・人種・宗教への帰属あるいは非帰属の理由から誹謗する」罪である。*3。こうした法が宗教とかかわる部分でここ何年かにメディアで多少なりとも大きくとりあげれた事件を以下に挙げてみる。

  • 2001年12月作家のミシェル・ウエルベックが、文芸誌 Lire のインタビューの中で「宗教の中でもイスラム教が一番大馬鹿な宗教だ。コーランを読むとまったくあきれるばかりだ」と発言し、複数のイスラム系団体および反人種差別団体から、宗教的理由にもとづく憎悪扇動と侮蔑の2つで訴えられる。2002年10月にパリの大審院で無罪判決。サウジアラビア系のNGO「世界イスラム同盟 Ligue Islamique Mondiale」が訴えを維持し、上級審で争われていたが、2004年11月にイラクでのフランス人記者誘拐問題の最中に同団体が「フランス国民との連帯表明」のために訴えを取り下げ、ウエルベックの無罪が確定(→NouvelObs関連記事)。
  • 2002年2月、 ローマ法王ピウス12世とナチの関係を扱ったコスタ・ガブラス監督の『アーメン』の公開のさい、映画中のピウス12世の姿とともに、ポスターに十字架と鉤十字を組み合わせたシンボルを用い、フランスの司教会、反人種差別団体が強く抗議。一方極右系のキリスト教団体AGRIFが宗教的憎悪扇動で訴え、ポスターの差し止めを求めるがパリの大審院は訴えを却下(→NouvelObs関連記事)。
  • 2003年12月、コメディアンのディウドネ Dieudonné が公営TV局フランス3のヴァラエティ番組に出演した際、ユダヤ教聖職者をテロリスト風に扮装させた姿で登場して演説して「原理主義シオニスト」をカリュカチュラルに演じ、ヒトラー式敬礼をしたとして、複数のユダヤ系団体および反人種差別団体から 人種的侮蔑で訴えられる。2004年5月にパリの軽罪裁判所で無罪判決が下りるが、さらに上級審で係争中(→NouvelObs関連記事)。
  • 2005年4月、TV局Canal+の人形風刺番組 Gugnoles d'Info で、ローマ法王ベネディクト16世の就任を風刺して、新法王の人形を「アドルフ2世」という字幕とともに登場させ、さらに人形に「父と子と第三帝国の名においてアーメン」としゃべらせた件で、フランスのカトリック司教会からの訴え受けた高等視聴覚評議会CSAがテレビ局に警告(→NouvelObs関連記事ビデオ。)。
  • 同じく2005年4月、リベラシオン紙がベネディクト16世の就任報道に関連して、風刺画家ウィレム Willem の描く、裸のキリストがペニスにコンドームをつけたのを聖職者たちが眺めているシーンの絵を掲載し、極右系のキリスト教団体AGRIFから訴えられる。同年11月にパリの軽罪裁判所で無罪判決(→NouvelObs関連記事)。
  • 2005年2月、ファッションブランドのマリテ+フランソワ・ジルボーが、『ダヴィンチ・コード』に発想を得て、ダヴィンチの「最後の晩餐」の登場人物中12人(うちキリスト)を若い女性に、1人を後ろ向きの上半身裸の男性(明かにマリアの裏返し)に置きかえたスチールを作成し、パリ郊外のヌィイ・スゥル・セーヌ市および全国各地の広告パネルに掲示したところ、カトリック司教会が、「神聖な情景を営利主義のため」に「女性たちに扇情的、挑発的なポーズ」をとらせながら用いているものでありキリスト教徒に対する侮辱だとして、広告の撤去とすべての形態公開の禁止を求める。訴訟手続き中に司教会側は、訴えの目的を、ヌィイ・スゥル・セーヌ市の巨大広告だけの禁止に絞り、パリの大審院は3月10日、広告の禁止の裁定を下す。すべての人が通らなければならない場所にあり、いかなる視線も避けることのできなような巨大な広告は、「内面的信仰の奥底への攻撃的で正当な理由のない侵入」にあたり「このようにしてなされるカトリック教徒への侮辱は、広告が求める営業的目的に比して、不均衡に大きい」というのが判決の理由(→NouvelObs関連記事Libération関連記事)。
  • 2005年初旬に、ストラスブールの大モスク建設へのアルザス地方圏からの公的補助金支出に反対する国民戦線所属の二人の地方圏議会議員が「メッカに大聖堂は無し。ストラスブールにモスクは無し」と題するパンフレットで「アルザスイスラム化にノン」と述べ、ミレーの『夕べの祈り』で教会の塔をモスクの尖塔に置き換えた挿し絵を用いたことで、反人種差別団体から「宗教的憎悪の扇動」で訴えられる。11月の裁判で、求刑は二人にそれぞれ4ないし6か月の懲役、1万ユーロの罰金。判決は各自5000ユーロの罰金と原告の団体に対し1000ユーロの賠償金(Libération関連記事)。

最後のものは、宗教批判・涜神の領域というより、特定宗教の侵入の恐怖を煽るという性質のものであり、先に述べたように、これは現在のフランスでは確実に罪となる。これはたまたま宗教的シンボルや風刺画が問題になったのでとりあげたが、極右や外国人嫌悪主義の活動家がイスラム教徒の侵略の恐怖を煽ったり、イスラム教徒を直接に侮蔑する言辞で訴えられ有罪判決を受ける事例は、有名どころではル・ペンや女優のブリジッド・バルドーの例(この二人は常習者)を代表として、反人種差別団体、イスラム教系団体、極右団体のウェッブ・サイトに行くと、いくらでも詳しく教えてくれる。この話に入ると問題が広がりすぎるので、紹介した例にいくらかの観察を補足しながら戻る。

ウエルベックの事件が無罪となったのは、思い切り単純化して言うと、発言が「イスラム教徒がいちばん大馬鹿だ」ではなく「イスラム教がいちばん大馬鹿だ」であったからである。前者であれば確実に「特定宗教への帰属を理由としたあるグループへの侮辱」にあたり有罪性に関して異論の余地がない。この事件では、宗教の侮辱が「その宗教の信徒の侮辱」にあたるか「その宗教の信徒への憎悪や嫌悪をかきたてる」ことにあたるかということが問題となった。訴えた側はそうであるという立場をとったことになる。この裁判でパリの大モスクの責任者でCMCF議長のダリル・ブバケール氏の発した「表現の自由はそれが人を傷つける可能性のあるところでストップする」*4は、この立場をとるものが後々まで引用するフレーズとなり、今回の風刺画の事件をめぐるあちらこちらの議論の中でも用いられている。ウエルベックはその直前のフレーズで「一神を信じることはまぬけであるということだ」*5と表明しているので話が少しややこしくなったが、判決は、これはイスラム教だけでなく思想体系として一神教への攻撃でしかなといして、「『イスラムが最も大馬鹿な宗教だ』と書くことは、いかなる意味でも、すべてのイスラム教徒が同じように形容されることを主張するものでも暗示するものでもない」とした*6。判決のもとになった原則(「宗教」と「信者」を区別する)は明確だが、ただし、ウエルベックがこの原則の適用に照らしても、かなり危ない橋をわたっていたことが分かる。また無罪になったとはいえ、フランスの今の社会は、「この程度」の発言で、メディアの注目を浴び複数の団体から訴えられる危険性のある場所になっているということが、多くの人に改めて認識された。

ディウドネをめぐる事件は上記のものだけでなく複数あり、ここではとうてい解説しきれないが、宗教的憎悪扇動あるいは侮辱についての判決は、やはり宗教と信徒を区別するという原則が適応され、その条件にかなう限りにおいて無罪となっている。が、ここでまた少し話をややこしくしているのが、ディウドネは裁判では無罪になっている一方で、反ユダヤ主義者、歴史修正主義者ということで−−後者のレッテルについては本人に責任がないとはいえない−−TVをはじめメインストリームのメディアからほぼ排除されており、また舞台興行でも、ユダヤ系団体の抗議で会場使用が不可能になったり、過激団体の実力行使で公演が中止になるということである。ここで、イスラム系の共同体とユダヤ系の共同体の間の激しい対立が典型的にあらわれる。

そしてこうした対立が、言論の自由や人種差別についてのフランス社会での議論に大きな影を落としている。イスラム系グループから見るとディウドネの裁判での勝利は彼の発言の正当性を証明するものとして用いられ、一方で主要なマスコミから排除されている事実はこの国でイスラム系は差別されている証拠として用いられる。一方ユダヤ系のほうからは、裁判でディウドネが無罪になったという事実、そして彼が舞台公演をしてまわり、ネットでさかんに自分の言辞を宣伝しているという事実は、この国で反ユダヤ主義が蔓延し、ユダヤ人が差別されているという証拠になる。それぞれのグループが、自らにとって不当と思われる事象を選択的に取り上げて強調し、フランスでは平等がダブルスタンダートとなっている証左として用いらる。今回の預言者の風刺画をめぐる議論でも、ディウドネを支持する層が意見を表明するサイトを見ると、風刺画の掲載はまさに彼を無罪としているのと同じ原則に基づいてなされているという事実に触れるものはなく、風刺画掲載と彼がメディアから排除されいている事実は、二つながら、フランスのイスラム嫌悪症を証明するものとして不満が爆発している。

ここで、宗教から離れて回り道するが、フランスの言論の自由をめぐる状況がこうした中東紛争の転移による対立によっていかに息苦しいものになっているかを理解するために、もう一つ例をあげよう。2005年6月26日、社会学者・哲学者のエドガール・モラン、作家・ジャーナリストのダニエル・サルナヴ、政治学者で欧州議員のサミル・ナイール、そしてル・モンド社主で主筆のジャン=マリー・コロンバニの4人がヴェルサイユの控訴院で人種差別的侮辱の罪で有罪判決を受けた(→NouvelObs関連記事)。2002年6月4日のル・モンドの論壇欄に掲載された「イスラエル・パレスチナ関係−癌」という記事が人種差別的言辞を含むとして、共同執筆者の3人と掲載責任者のコロンバニが、ユダヤ系団体から訴えられていた事件の判決である。2004年5月12日にナンテールの大審院では無罪判決が下されていたが、控訴審で逆転という形になった。ペナルティは2つの団体に払う1ユーロの象徴的賠償金とル・モンド紙への有罪判決広告掲載という最低限のものであったが法的に断罪されという事実にかわりはない。問題とされたパッセージは2つが、その1は以下のようなものである。

ゲットーというアパルトヘイトの犠牲者の子孫であるイスラエルユダヤ人がパレスチナ人をゲットーに押し込めている。辱めを受け、蔑まれ、迫害されたユダヤ人たちが、パレスチナ人を辱め、蔑み、迫害している。残酷極まりない体制の犠牲になったユダヤ人たちがパレスチナ人たちに残酷極まりない自分たちの体制をパレスチナ人に押し付けている。非人間性の犠牲となったユダヤ人たちが非人間性を示している。あらゆる悪のスケープゴートとなったユダヤ人たちが、アラファトとパレチナ自治政府スケープゴートとし、テロの防止を防止しなかったとし、その責任者とされている。

この手のことを書いている人は日本のブログではいくらでもいると思うが、フランスでは公的に発表するにはよほどの勇気がいる言辞となっている。モランの出自ははユダヤ系であり、ナイルはイスラム系で、掲載文は、両方の世界を内側から知っている知識人による一種の宣言という意義をもっていたが、モランがユダヤ系という事実は、上の言辞を犯罪と見なすユダヤ系の団体に対しては免罪符とはならなかった。

イスラム教徒、ユダヤ人に対する批判が裁判となるしきい値はこのように、日本では考えられないほど、今恐ろしく低い。裁判ざたにならなくても反イスラム、反ユダヤというレッテルはいとも簡単にもらえるので、フランスの言論界でこの称号を二つながらに−−ついでに人権屋、左翼、ネオ・リベもあわせて−−頂戴している人はざらにいる(ある意味でフランスという国自体がそうだ−−イスラエルからは親アラブ・ユダヤ人差別国、イスラム圏からはシオニスト・「反イスラム原理主義国)。こうして公の発言が、あらゆる陣営から精査され、それぞれの基準で人種差別主義者というレッテルが簡単に貼られ、しばしば告訴の対象になるという中で、フランスの言論界は相互検閲の支配する密な網の目に覆われているという様相を呈している。そして相互監視のエスカレートは10年前にくらべ、ほとんど耐え難い状況になっている。さらには、歴史修正主義の話がかかわってくるとさらに話はややこしくなるが、ここではもうそこまでは触れられない。

そうしてこうした検閲の体系は、2002年以来の右派政府の政策によって別の方面でも強化させられた。2003年にサルコジ内相の提案によりフランス国旗と国歌にたいする侮辱の罪が法制化された。これは宗教に対するものではないが、シンボルに対する侮辱が罪となるという発想が導入さうれた点では、この国の国民がこれまで享受しての自由の体系からいうと「画期的」なものである。

バンリュウ騒動の余波で、ラップミュージシャンがその歌詞のために、最近右派議員の連盟から「風俗壊乱」と「暴力扇動」で訴えられた件については昨年の12月5日の記事で触れた。ついでに問題になった歌詞をひいておけば、「最強」なのは以下のようなものだ(まったく私の趣味ではないが)−−「フランスはあばずれ女だ/腰が立たなくなるまで/ちゃんとヤッてやれ/淫売みたいに/あつかってやれ、男なら/オレはナポレオンに/ドゴール将軍に/しょんべんをひっかける。La France est une garce, n'oublie pas de la baiser jusqu'à l'épuiser, comme une salope, faut la traiter mec.! Moi, je pisse sur Napoléon et le Général de Gaulle... 」。国民国家の一員にとって極めて重要な価値であるはずのその国の概念そのものを、売春婦に擬人化し、それに対する暴力的なセックスの権利を言い、その国が英雄と称える人物を物理的に侮蔑的扱う意志を表明するこの歌詞が、その国民にとってショックを与えるのは当然ではある。これが与えるショックにおいてはムハンマドの風刺画に遜色ないと私には思われる。にもかかわらず、この歌詞に象徴的表現の一形態として言論の自由を保証するものは、ムハンマドの風刺画の掲載に同じ自由を当然保証するべきだと私は思う(そして私はその立場をとる)。

人間に対してでなく、その人間が強い価値を付与する象徴に対する侮辱を冒涜として法的に制裁するという考えはこのようにして、徐々に、あたり前のものとなってきたように思われる。この流れでみるとき、2005年2-3月の「最後の晩餐」のパロディー広告の禁止判決は見逃せない要素を含んでいる。ここではきわめて限定的な形ではあるが、宗教の問題に関して、信者に対する侮辱でなく、象徴に対する侮辱を制裁することを認めている。一方、同じころ問題になった、キリスト・コンドーム風刺画事件では、明らかに風刺が何倍も強烈であるにもかかわらず、その制裁は問題ならなかった(一方訴訟ざたになったということ自体は黄色信号である)。この種の事件の判決は、裁判官個々人の主観的判断に依存する部分が多いが、この「最後の晩餐」のケースのように、信者の内面的信仰への攻撃という概念を含んだ判決が出てきたことは、人を警戒させるのに十分なものがある。黄色信号が赤になりつつある。

そしてその警戒信号は、ことが風刺・パロディーにかかわるものになってきただけに、単なる新聞の読者である私にも鋭く感じられるようになってきた。

風刺、特にその絵画的表現はフランスの言論界の中で特別な地位を持っている。言論の分野での耐え難いばかりの息苦しさについては上で触れたが、風刺はその息苦しさを和らげる働きを現にしている。そして今のフランスで、新聞の風刺画やテレビの風刺人形劇に与えられる特別の地位、一種治外法権的な特権は、上で説明したフランスの涜神の伝統ともまた違い、典型的には王を風刺する道化という形でみられるような、ヨーロッパ文化の重要な伝統の一部ではなかろうか。論理的に言語化すれば明らかに名誉毀損で訴追の対象になるようなポリティカリ・アンコレクトなアイディアが、漫画、人形劇ということで決まった場所だけで許される。そこでは内務大臣が機関銃を持ったテロリストとなり、大統領が詐欺師となり、瀕死のローマ法王がゾンビとなって人々が笑う。しかし笑わせるはずの人が、いつのまに、しかめつらをした裁判官の前に引き出される、そんな時代がまたやってきた...そんな流れを多くの人が感じているはずである。

そしてまさにこうした流れの中で、思わぬところから、爆弾がムハンマドのターバンに巻かれてやってきた。

デンマークからの爆弾−−to take or not to take

リベラシオンフランス・ソワールが2月1日水曜日の夕刊で問題の12の風刺画を掲載した翌々日の金曜日の紙面で、「『リベラシオン』の立場 La position de «Libération»」と題する文章をかかげている。この記事はネット版では木曜の夜22時51分のタイムスタンプがついている。ここで、リベラシオンが迫られた判断、そして事件の進展ともに同紙がこの時点までとっていった立場が次のように説明されている。

隠しても意味がないだろう。デンマークの風刺画を掲載するかどうかはリベラシオンで議論になった。おそらく他の多くの新聞編集部と同じように。[...]
「事件」が週の初めに、イスラム世界の一部とヨーロッパの2つの国ノルウェーデンマークとの間での危機の形をとったとき、暴力的に攻撃されている報道機関に対するわれわれの連帯を示すということが検討された。そのための最良の方法は、われわれのほうでも、罪をかぶせられているこれらの戯画を−−しかもできれば他のヨーロッパの新聞と同時に−−掲載することであるように思われた。[...]共通の価値を共同で宣言することが理想的な意味をもつはずだった。

しかしこの原則の確認は、絵の実物を手にしたときに、あっという間にくずれてしまった。率直に言おう。これらの絵はわれわれにとって、内容と形式のいずれにおいても、陳腐なレベルのものでしかなく、編集部ではだれ一人としてこれを自分たちの新聞の紙面に載せたいと思うものはいなかった。
表現の自由を守る闘いは分裂させてはいけないというのは確かだ。しかし、自分たちがどうしても守る気にならない絵をめぐって、その闘いを展開していかなければならないのか。一つの大事な原則についてわれわれの防御力を弱めてしまうという危険性と、普通のときだったら絶対に掲載を受け入れないであろう絵の保証人に嫌々ながらならなければならないという危険の2つの選択の間で、リベラシオンは、他のヨーロッパの主要な新聞と同じように、最初後者を選んだ。

ドイツの Die Welt イタリアの La Stampa は実はこの時点で問題の絵を掲載しているが、フランスではフランス・ソワール以外に掲載する新聞はなかった。フランス紙のためらいはリベラシオンが上のようにはっきりと説明している。問題は絵の知的センス、政治的な志の低さなのだ。普通ならぜったいに掲載できないような絵、というレベルの。現在のフランスの言論界ではイスラム教や中東問題をめぐる意見の表明は、一方の陣営に単純に組しない者にとって恐ろしいばかりの緊張のもとにさらされている状況については上で解説した。そのような場所では、綱渡り的なバランス感覚や、言論をめぐる法に対する鋭い感覚が要求される。そうした要求に照らし合わせたたとき、問題の絵はあまりに幼稚だというのは、編集部員でなくても読者ならだれでもわかる。ル・モンドフィガロにおいてもそして事情は同じだったろうというのは自明である。しかしそれでも自分たちのよってたつ基盤である言論の自由を守らなければならないという義務を果たそうとした。そしてリベラシオンは中東問題の専門家の解説記事を風刺画掲載の代りとるする。

この風刺画がデンマークの現在の政治状況のコンテクストの中で描かれたものだということ、絵自体にかの地の現在の雰囲気がすけてみえるということについても、フランスのジャーナリストは無自覚ではなかったろう。デンマークの現在の移民政策、その社会での外国人嫌悪症についてリベラシオンル・モンドといった新聞は以前から警戒を表明している(このブログでも2004年7月26日づけの記事で紹介した)。また、この風刺画が国内で掲載された際、フランスの極右の格好の宣伝材料になることの危険性も十分承知していたろう。そうしたことがフランスの新聞を躊躇させていた。

こうした中で2月1日にフランス・ソワールが12の絵を掲載する。このスタンドプレーには、この新聞の性格と近年の事情が大きく作用している。もともとフランス・ソワールは事故の現場写真や芸能記事で売り上げをかせぐゴシップ紙である。が、もともとあまり政治的な新聞ではないので、こういうことに普通なら手を出すことはなかったろう。同紙は最初はアシェットやエルサン(90年代後半までフィガロその他大手地方紙の傘下に収める一大新聞グループ)の大手の傘下にはいっていたが、その後持ち主を何度か変え、部数の低下とともに財政基盤がきわめて危うくなりこの何年か危機を繰り返し、2005年末にも会社更生法が適用され、再生中にも人員整理をめぐってストがおきるなどほとんど瀕死状態の新聞である。2月1日号で、フランスでは誰も手を出さなかった問題の風刺画を掲載したとき、編集長(掲載日に即時解雇)が、際物で一時的にでも部数を上げようと思ったのか、それとも、どうせつぶれるのだから、面白いことをやってやれと思ったのか、普通のインタビューでの表現の自由をめぐる建前の話ではよくわからないが、ともかくも、ほとんどつぶれかけという状況が引き金になっているのは確かといえる。

このフランス・ソワールの蛮勇は、ただでさえ難しい選択を迫られていた他の新聞を、さらに厳しいジレンマに追い込み、各紙の当初のポジションに変化をもたらした。フランス・ソワールによる問題の12枚の風刺転載のあと、リベラシオンの編集部では次のよう説明する。

フランス・ソワールによるこれらの風刺画の掲載のあと、危機がさらに深刻となり、また「フランスという標的」へと広がっていくと、木曜日にまた議論が再燃した。新たに、12枚の絵すべての掲載を主張する派とこれに反対する派が意見を述べ、両者とも強い説得力のある議論を展開した。片方には、一つの絶対的な原則の擁護、もう片方には、何枚かの風刺画が信心深いイスラム教徒の目には耐え難い性格のものであることへの配慮。

討議は結論として、大部分が悪意あるという前に馬鹿げたものであるこれらの絵を自分たちが責任をもって引き受け転載するということは論外だということになった。同時に、この危機が憂慮すべきエスカレーションに入ってしまっているときに沈黙を守るのも論外だということになった。作家のサルマン・ラシュディに対してイランからのファトワが発せられた件が全員の頭にあった。同時にイスラム教のみならず他の宗教をめぐっても、風刺の自由が問題になるや、絶えず硬直縮小が起きていることについても。

そしてリベラシオンはこのジレンマから出るために、いま一度、最も論争を呼んだムハンマドが頭にターバンの形で爆弾をいだいた絵を「すべてのイスラム教徒とテロリストの間の許し難い混同である」と批判すると同時に、別の2つの絵を転載紹介することに決めるることを選び、その方針を明らかにする。

ル・モンドが別は同じジレンマに別の解決法をとった。こちらは、リベラシオンのように自己解説はせず、「イスラム教徒はムハンマドの絵、とくに悪意のあるそれに、感情を害するかもしれない。しかし民主主義は言論警察を設置することはできない。そうすればすべての人権を足で踏みにじることになるだろう」で要約される意見表明を社説にかかげる号(リベラシオンと同じく、紙版は2月3日金曜日づけ、社説のネット版は2月2日午後)で、独自の風刺画を一面にかかげるという、すましたやりかたを取った。が、いずれにせよ、内部でリベラシオンと同じように逡巡や論争があったのは確かだろう。

各日刊紙、週刊誌、ネットメディア、TV局の対応の検証をここではじめれば大変な作業になるが、ともかくも各メディアは、問題の絵を転載するかTVの画面で見せるかいなかについて、同じようなジレンマの中で、それぞれの立場を決めていった。

火中の栗をあえて拾う

後程補充します。→2月15日追加。

デンマークの新聞だけでなく、デンマークの国を対象としたイスラム教国での激しい抗議行動は、フランス・ソワールを含むヨーロッパの複数の新聞が問題の風刺画を掲載したことで、イスラム世界対欧州という様相を呈してきた。発端のデンマーク、そして1月にある雑誌が風刺画を再掲したノルウェーに続いて、フランスが非難の集中的な標的となった。フランスは、イスラムヴェールの公教育の場での禁止のときのイスラム世界での国家横断的な抗議運動にみられたように、とくに原理主義的運動の標的になっている。イラク戦争反対の態度をとったことや、アラファトの最後の時期にイスラエルとの関係悪化にもかかわらずその立場を何かとサポートしたりで、欧州の中では親アラブとみなされることもあるが、それだけにこういうときに「裏切られた」という感情が強くでるので特に非難が強くなるという見方もある。2日にはガザで、パレスチナ武装グループが、ガザ地区のすべてのフランス人を−−デンマーク人、ノルウェー人に並んで−−標的にするという声明が出された。4日には複数の国でデンマークノルウェーの大使館焼き討ちがはじまる。フランス国内でもイスラム教徒団体の強い抗議表明が相次いだ。

フランスの有力政治家は、国内外の抗議活動の過熱を懸念して、他者の尊重にアクセントを置くコメントを次々発する。3日金曜日には、大統領もCFCMのブバケール議長と会談したあと、表現の自由の原則を確認しつつも、「他者の信念を傷つけるいかなる行為も避けるための各人の責任、他者の尊重、節制」を呼びかかけた。

国内のキリスト教ユダヤ教聖職者が、イスラム教徒の怒りへの理解と連帯を示し、メディアに宗教の尊重を要求した。ヴァチカンは4日にこの風刺画を「容認できない挑発」と呼び、「思想と表現の自由は信者の宗教的感情を傷つける権利を生じさせてはならない」と声明。アメリカも国務省のスポークスマンが、「これらの絵はイスラム教徒の信仰に対する侮辱である」とのべ、報道機関の責任を強調しながら、「このようなしかたで人種的・宗教的憎悪を煽ることは許されない」と述べた。

また、イスラム会議機構(OIC)とアラブ連盟がすでに月末に、いかなる宗教に対する冒涜をも禁止する国際条約の制定の提案を国連にしており、「預言者(複数形)に対する冒涜を何人にも禁じる法律を制定するよう各国とヨーロッパ議会に」働きかけることをイスラム諸国に対しアピールしているニュースも改めて伝えれた。

一方国内では、4日にCFCMの中でも強硬派のUOIFが、風刺画を掲載した国内紙を訴えることを明らかにし、6日には反人種差別団体MRAPがフランス・ソワールを独自に訴えることを決めた。MRAPが登場したことで、MRAPの代表者が、1月13日、風刺画の問題がフランスに入ってくる前にすでに、人種差別と並んで「涜神 blasphème の自由は最も厳しく処罰されなければならない」とテレビのインタビューで発言し多くの人の抗議を受け、翌日に釈明を余儀なくされてていた件が改めてクローズアップされた。

これらの国内外の動きで、明らかにフランスの新聞は「涜神の権利」−−世俗的なものに対する風刺に比して、宗教的なものに対する風刺が特別扱いされることはないという原則−−が脅かされると感じたようだ。2月6日から2月8日にかけル・モンドフィガロリベラシオン各紙で「涜神の権利」についての記事が軌を一にするように掲載された。

上のフィガロル・モンドの最初の記事は、社説の次にその新聞の路線を反映している常任時評執筆者のコラムによるものである。後者の「敬意の名のもとに」の意味は後程説明する。ル・モンドの8日づけのいかにも逆説的なタイトルのものは法学者によるもの。リベラシオンの記事は、革命前1766年に宗教冒涜の科で死刑になり啓蒙主義の反宗教運動のシンボルとなったラ・バールの騎士ジャン・フランソワの名を呼びおこしながら、ここ数年間の「涜神の罪」の復活のきざしを説明するもので「不敬虔の罪を復活させようとする意図は何度も現われてくる La volonté de faire renaître l'infraction d'impiété ressurgit régulièrement.」という副題がついている。

これらの記事はほぼ同じ問題意識に貫かれたものといえる。その中でも、6日づけル・モンドのものが、最初の解説した状況の流れのなかで、ジャーナリストたちが持つ危機意識をもっとも明確に解説しているので、以下に抜粋で紹介する。

漫画家たちよ、もう鉛筆を削りつづけるのははむだだ。もう時は過ぎ、君たちはいちばんいい時を生きた。そんな気持ちが現在われわれの心をよぎる。預言者の哀れな風刺画を厳しく弾劾するために、あらゆる神聖なる教会が同盟している今。マホメットが冒涜されたとしてその名のもとに、イスラム世界が怒りと理解不能を叫んでいる今、ひやかしたり、批判したり、冗談を言ったりするのはあまり分別があることとはいえない。ということで、自由奔放な精神、つまり、軽さへの、そして遠慮のなさへの、闘いの、馬鹿みたいにそして馬鹿にする笑いへの趣味は、お呼びの季節ではない。

時代は道徳のものなのだ。ホワイトハウスはお決めなさった−−「ヴァリュー[アメリカ的な道徳的諸価値]」が最も大事であらねばならぬ。「このようなしかたで人種的・宗教的憎悪を煽ることは許されない」とブッシュ大統領の報道官は皆に告げた。ビル・クリントンもそれを追認する。カタールクリントンは会見し「北欧つまりデンマークで恐るべきその例がありました(...)イスラムにとってまったく侮辱的なあの諷刺画が」と述べた。

儀式は終りだ。もう話あうべきことはなにもない。議論は終了した。政治権力と宗教権力が、声を一つにしてそして世界じゅうで、告げる。嘲笑の時代、異議申し立ての時代、宗教への不敬の時代はもう背後に過ぎてしまった、と。少しまえまでは、これらの陳腐な絵について考えるよりもっと無邪気にも、これらの絵を掲載したり複製したりするのはいいことかどうか、表現の自由や人々に伝える義務を優先させるべきなのか、それとも逆に、信仰と良心により大きな敬意をはらうべきなのかと自問していた。そして答えがビシリと来た−−笑うのはおしまいだ。ファトワがコム[ファティマの廟のあるイランの聖都]からヴァチカンから息をあわせてやってくる。

反宗教のユーモアは、健全な道徳の目からして、迷惑なもの、邪魔なもの、限度を越えたものという宣告を受ける。ジャカルタからガザまで、テヘランからダマスまで、ロンドンからコペンハーゲンまでのイスラム教徒の示威行動の圧力の前にそれはお払いばことなる。漫画家は筆箱を閉じるよう、お笑い芸人は口を閉じるよう、王の道化は黙るように命令を受ける。

いつの日かこの歴史の転換について書くことになるときがくるのだろう。経済のグローバル化は疾走しているが、意地悪な精神やアイロニーグローバル化はエンストの寸前だ。イスラム世界そして西欧のいたるところ、あちらこちらで声が飛ぶ。統制し、くつわをはめ、禁止し、有罪を宣告するための声が。

ぜったいに傷つけず諷刺するという行為はとてつもない賭けだ。われわれがいま経験しつつある地震は、それがますます難しくなるということを見せてくれる。
...

ここには、判断の参照点が、単純な「表現の自由」対「他者への敬意、宗教への敬意」の強い緊張関係にはあるが無時間的な対立の枠組みでなく、歴史的な危機意識にあることがはっきりと表れている。また単に優等生的な表現の自由でなく、悪ふざけする自由、ガルガンチュアの笑いの権利が問題であることも。この二つの点、すなわち、表現の自由の保証が歴史的転回点ともいえる危機の地点にあるのかどうか、神聖なものを認めずに笑う権利がわれわれの生にとって重要なものかどうかについての判断を、これらフランスのジャーナリストと共有するかどうかで、今回の件についての彼らの行動への理解度が大きく違ってくる。そして、諷刺する権利が年々制限されているという感覚は、ずっと上で記述したようなフランスの国内事情だけによるものだろうか。上の文が見るところではそうではない。つまり、宗教的な超越的対象にかかわる諷刺を通じても人を傷つけることは認められないという基準が、世界的合意になることによって、自らの権利が失われていくことが鋭い危機意識とともに示されている。

少なくとも最初、デンマークの12の諷刺画をめぐるフランスの関わりは、ジャーナリスト仲間での連帯、攻撃されるデンマークとの連帯から、自らの価値観の最も核心に触れる部分でのものとなった。デンマークイスラム世界の間の政治的解決で沈静を待つという解決に水をさすように、火中の栗をわざわざ拾っている理由がそこにある。しかも、欧州の中でも人口割りで国内に最大のイスラム教国出身者を有し、他国からみればいわば最大の「火薬庫」を抱えながら。が、そこにはまた、原理主義的な意見を暴力とともに世界のメディアにアピールするグループが果たしてイスラム教徒の声を代表するのか、この暴力的なアピールがイスラム世界と表現の自由をめぐる問題、ひいては自分たちの世界と表現の自由をめぐる問題のなかでの落とし所を決める決定的な要素になってしまっていいのかという疑問も含まれていたように私は見る。

いずれにしてもこの事件は、こうした国際情勢の動きの中で、フランスのジャーナリストたちにとって、表現の自由は度を越した宗教諷刺で信者を傷つけるところでストップするというようなニュアンスの合意で外交的に解決すればよしという問題ではなくなった。上の記事の書き手のようなフランスのジャーナリストたちが最も恐れるのは、まさに、これを機会に 宗教的権威そして、アメリカやイスラム世界各国のような宗教の道徳的価値を重要視する国々の暗黙の神聖同盟によって、今回の事件がそのような合意にむけて回収されていくことである。

こうした危機意識から発するリアクションの最も先鋭なものが、2月7日なって12の諷刺画掲載を決めたシャルリー・エブドである。デンマークが旗を捨てようが、欧州やフランスのどの同業者が旗を捨てようが、たとえ一人でも自分たちが旗を引き取るというものである、その旗にくっついた絵が褒められるものでなくても、そのまずい旗によって副次的な被害がでようとも、この新聞は気にしない。編集長のフィリップ・ヴァルは、「民主主義の維持のためには人を不快にすることが必要だ」という信念をはっきりと披露している。すでにシャルリー・エブドは2002年にナイジェリアでのミス・ワールド開催をめぐっておきた事件で、マホメットカリカチュアを掲載し、国内のイスラム教徒団体との間であつれきを起こしている。また公立学校でのイスラム・スカーフ問題でも、左派の非宗教派の立場から、原理主義的傾向のイスラム教徒を鋭く諷刺しつづけていた。

いっぽうリベラシオン、そしてとくにル・モンドのような、フランス国内でのイスラムのありかたについてもっと真剣に考えなければならない新聞は、諷刺画掲載という挑発的な方法ではなく、言論の自由の価値に対する立場を妥協なく維持するための論をはりながら、事実の分析やイスラム穏健派の意見を掲載することなどを通じて、この紛争にささっている不要なとげを一つ一つ抜いていく道を選んでいく。


追加分終り。そして、この記事終り(2月15日、9時記す。)。



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  • メモ−−−実は上の最後の節を補充して、用意した骨子のメモの半分くらいを消化(笑)。公表に耐えるよう事実を確認し、論旨を一本にまとめていく時間がなかなかとれないのですが、きりがないので、一旦ここまででアップします。続きは後ほど。上記の「ムハンマドの風刺画(1)」の最後の節で、フランスの状況についてのひとまずの解説を終えますが、2以降で、私自信の判断をもう少し書いていきます。2月11日、15時40分記す。

*1:出典は以下のリンクから
http://www.portail-religion.com/FR/dossier/Pays/France/index.php
http://www.religioscope.info/article_146.shtml
http://atheisme.free.fr/Religion/Statistiques_religieuses.htm

*2:正確を期せば、フランスの普仏戦争敗北から第一次大戦勝利までドイツに併合されそのなごりで地方法の残るアルザス・ロレーヌ地方を除く。

*3:ちなみこの1881年7月29日法は第1条「印刷imprimerie と図画販売 librairie は自由である」で始まり、扇動罪、名誉毀損罪などの類は、言論の自由の例外規定という形で存在することになる。

*4:La liberté d'expression s'arrête là où elle peut faire mal. J'estime que ma communauté est humiliée, ma religion insultée. Je demande justice.

*5:je me suis dit que le fait de croire à un seul Dieu était le fait d'un crétin

*6:ウエルベックの裁判の判決文の抜粋は → http://www.c-e-r-f.org/fao-147.htm

預言者風刺画問題記事、準備中。今日中(フランス現地時間)にはなんとかアップ予定。→大幅に遅れて現地時間で2月11日午後になりましたが、こちらの日付でアップします(一応、時間的整合性のため、以下では9日以前の事実については書かない予定)。2月15日に積み残し部分を掲載(この記事終了)。

フランスの知識人−−新世代の登場(2)

www.ideesdefrance.com から昨日の記事で紹介したのは Intellectuels français : une nouvelle génération / French Intellectuals : The New Generation の特集の総説の部分だが、右上のメニューから他の細目記事に行ける。タイトルの中の小見出しは以下のような感じ。最後の2つの記事なんかはリンク集として便利。リンク先も含めてフランス現代思想ニューウェーブ半日ツアーメニュー。

  • An old story
    • Bohemia and literary circles
    • Surreal-/Situation-ists
    • The last avantgardes

リンク先などいろいろ見ながら、思わずの比較で、日本の左翼運動や政治的なオルタナティヴ運動のウェッブサイトってなぜ、あんなに美的感覚や機能的デザインに無頓着なところが多いのだろうかと思った。デザインの不統一なスタティックなページに画面いっぱいにでかい字が並んでいるのばかりだと、よほどのことがなければあまり行く気にならない。サーチエンジンで行き着いても、サイト内のリンクがないので上位ページに行けなかったり。あるいは装飾、バナー過多。時代遅れのフレーム。サイト内サーフの心地よさに惹かれて再訪したくなるようなのを作るくらいでないとだめだと思う。思わずプチ署名してしまうくらいの甘い罠を差し出す入力フォームがあるとか。美的な左翼の志向も80年代あたりはまあまああったように思うが、あれは皆サブカルチュアのほうにいってしまったのだろうか。その辺に無感覚でない個人サイトや、はからずも知ったジジェク人気などを見ていると、そういうものを欲する潜在的需要はかなりあるに違いないと思うが。

フランスの知識人−−生きている旧旧世代巨人

新世代の記事のついでに...

www.ideesdefrance.fr を紹介する昨日の記事にこんなブックマークコメントがついていた。

>terazzoさん
これを見ていれば生きてるか死んでるか分かるよ!!
http://www.ideesdefrance.fr/agenda/agenda_personne.php?id=201

なんだろうと思って指定リンク先を見にいくと、サイト内人名辞典のレヴィ=ストロースの項目。

「まだ生きてるんだ〜」という話題は日本のネットで何年か前にも目にしたが、健在である。1908年11月28日生まれ、現在97歳。アカデミー・フランセーズ会員。去年たしかArteで特集番組があって、近年の撮影だと思うけど長いインタビューに応じていた。ideesdefrance のページの近況欄に昨年11月のユネスコ設立60周年記念式典で講演したというのがあるのでリンク先をたどっていくと、講演のビデオがありました。

ビデオは式典の全編を収録しており、レヴィ=ストロースの出てくるのはまんなかあたり、1時間58分くらいのところから。これはことばがわからなくても是非とも一度フランス語版で聴いてほしい。手は震えているけどことばはしっかりしていて、なんといっても30分近いびっしりと内容のつまった講演を用意し、こなしているところにすごさを感じる。

人種概念の粉砕、少数文化・言語の維持の問題、文化多様性と生物多様の関係などをユネスコの活動について論じている*1。人間を他の生物と切り離し、その上に位置するものとする西欧近代の思考に対する強い批判で講演を閉じる。2006年とか2008年のユネスコの企画についても触れているので、まだ意欲満々のよう。

講演の真ん中あたりで、14-15世紀の国際ゴシックと現代芸術を、芸術と身体の関係、グローバリゼーションに関わらせながら比較している。その中で、よくある常識的な嘆きを越えて、グローバリゼーションの中から芸術多様化の可能性が生じてくる可能性に触れているところが印象的。このくらい生きていろんなことを見ていると、中途半端な長さ生きている人よりも、目先のことにとらわれない発想ができるのかもと思った。もちろん個人的資質が大きいわけだが。聴きながら、あちこちにピアスしたゴス娘とまじめに会話している翁の姿を想像した。

*1:じつのところは、こうしたユネスコの活動じたいに、レヴィ=ストロース自身が過去積極的に関与している。過去のレヴィ=ストロースユネスコ講演の簡単なまとめは → http://www.unesco.org/courier/2001_12/fr/droits2.htm

フランスの知識人−−新世代の登場

前回の記事で紹介した www.ideesdefrance.frに掲載された、Intellectuels français : une nouvelle génération (英語版 French Intellectuals : The New Generation)のざっくりした翻訳。原文執筆者署名なし。

チシキ人はどこへ行ったか

フランス知識人に対する死亡宣告を数え上げていけばもはやきりがない。すでに哲学者のミシェル・フーコー Mihcel Foucault(1984年没)や社会学者のピエール・ブルデュー Pierre Bourdieu(2002年没)、評論家のレジス・ドゥブレ Régis Debray が、それぞれ違う分野で、自分たちの時代における「政治参加した総合的知識人」(あるいは「文学的」知識人)、すなわちヴォルテールやドレフィス事件におけるゾラを規範とした知識人の死滅を確認した。1980年の初頭には、社会党政府の閣僚が「知識人たちの沈黙」についてル・モンド紙上で驚きを表明するのだが、この時期にはフランスの伝統的知識人の地位は、影響力の面からいえば紙メディアの論説家に(ドゥブレの見解)、学術界の国際的な大学人に(ブルデューの展望)、あるいは知をめぐって「限定的専門知識人」(フーコーの見解)によって引き継がれたと見られたようだ。レイモン・アロンは大学知識人と論説家の両方を同時に引き受けていたし、一方サルトルはノーヴェル・オプセルヴァトゥール誌やリベラシオン紙の創刊に関わっていた。しかしそれ以降、知的労働の専門職業化、専門分化は、そうした複数の役割が相互に分離していくことを加速した。同時に20年来の視聴覚メディアの飛躍的発展によって「メディアで有名な」知識人と大学人の思想家たちの間の溝が広がっている。

「政府系知識人」に抗して

この何年来か、知識人の栄光あるフランス的伝統、この「普遍的価値の専門家たち」の伝統の終焉を嘆く論説書が書店を埋め尽くし、それはごく最近まで続いていた。評論家 essayste のジャン=クロード・ミルネール Jean-Claude Milner は、コンセンサスとマスメディア化を告発し、2002年には「もはやフランスには知的生活は存在しないだろう」と請け合った。「社会が支配するとき、思考は消える」というのだ。2005年に歴史家のジェラール・ノワリエル Gérard Noirielは、この「共和国の呪われた息子たち」の没落を、「批判的知識人」に代る「政府系知識人」と「専門家」の台頭によって説明した。同年、ベルナール=アンリ・レヴィ Bernard-Henri Lévy に対する一連の激しい批判(3冊の伝記がそのために書かれた)が、またその数ヶ月後にはアラン・フィンケルクロートに対する批判−−イスラエルの Ha'aretz紙でのその賛否両論のある発言を受けた批判−−があり、これらは「マスメディアの」知識人とその「反動的」偏向化への批判を再燃させた。

屍はまだ動く

とはいえ、屍がまだ動いているばかりではなく、フランス知識人界の新しいシーンでは、「ベビー・ブーム」世代(そして68年世代)の後にすぐ続く書き手たちが多くの希望の光を与えてくれる。刷新の兆候として少なくとも3つを挙げることができる。

まず、1995-96年の社会運動[大ストライキ]とオルター・グローバリズム運動の躍進に伴って、社会批判、そして過去と断絶する政治思想が戻ってきたのをはっきり目にする。それは特に、極右に対する活発な反対運動や、資本主義に対する批判のまったく新しい理論化を軸に、また伝統的な政治的カテゴリーや両極化へのさらに一般的な−−「ミッテラン時代」の雰囲気の中で教育を受けた世代に特有の−−拒否を軸に展開されている。

また第二に、文化産業の一人勝ちの支配−−若い知識人がもはやあらかじめ拒否することの不可能な支配−−と芸術の様々な分野の急激な活性化は、アングロ・サクソン圏での「カルチュラル・スタディーズ」の飛躍から20年を経て、思考の対象やテーマとしてこれまで長いことフランスで拒否されてきた種々のものの爆発的出現をもたらした−−種々のメディア、テレビでの創作、ポピュラー・カルチュア、日常文化、娯楽文化、そしてさらには、米−欧における「遊び的」あるいはパロディを利用した類の積極的な政治活動である。

そして最後に、新聞・雑誌がもう長いこと知識人界における「グループ」や「学派」の消滅を嘆き、前衛たちの消滅を個人主義の勝利のせいにしているのをよそ目に、フランスではこの数年、新しい「集知識人集合体」の例に事欠かない。それは、 La Fabrique や Allia といった新しいタイプの出版社であったり、Multitudes から Vacarme といったかつて例をみない政治誌であったり、indymedia.orglibertaire.frといったネット活用者の共同体である。さらに視点を大きくとれば、そこにはネットワーク−−芸術、社会科学、哲学、政治活動の分野での−−の交差があちらこちらで起きているのが見られ、そしてときには、メディアによってとりあげられて、一時的なものであるにせよ、いくつかの共同「レーベル」の成功も見られる。これには、1994-95年の Revue de littérature générale 誌や、1996年に有名になったPerpendiculaire による詩と芸術の実践的試みから、2005年末に30人ほどの若い理論家たちが、象徴的な「Fresh Théorie」という名称のもとに集合した例までがある。じっさい、論集として同時代文化のブリコラージュのための理論的工具箱と名乗る Fresh Théorie にはデザインの歴史、マイケル・ジャクソン裁判、GPSシステム、ソープ・オペラ、データ・ベース、ポルノ映画等等を対象として書かれた理論的格調のある論文が収められている。

利用、不安的な立場、世界性

このようにして、エリー・デュリング Elie Duringからフィリップ・コルキュフ Philippe Corcuff、オリヴィエ・ラザック Olivier Razacからマルセラ・ヤキュブ Marcela Iacub、メディ・ベラジュ・カセム Mehdi Belhaj Kacem から ラプ・エンディエ Rap N'Diaye といった25歳から45歳までの分野を越えた若い思想家たちが、フランスの知識人界のシーンを塗り替えている。いまだに前の世代の代表者的人物たちが支配的しているマスメディアの世界においては、その皆が一様に成功を収めているとは言いがたいが、彼らの理論的生産の多様性と独創性は少なくとも過去30年間のフランスではかつて見られなかったものである。こうした大きなうねりを、その多様性の越えて、3つの主要な原則−−社会的な要因であるとともにこの知的な刷新の構成要素そのものである原則−−に帰着させることができる。もちろんそれらは、マスメディアの知識人と政府系の専門家の過去四分の一世紀にわたる二重の勝利に対するリアクションでもある。

第一の要素は社会的であると同時に政治的なもの、すなわち、文化的・知的領域の労働者の爆発的増大と経済的な不安定化である。これらの労働者は前の世代におけるよりもはるかに数が多く(高等教育の長期化と文化産業の発展により)、一方、はるかに不安定な地位しか持っていない。そして後者は、最近の人文科学系の研究者の最近の闘争や若いフリーの舞台芸術関係者の闘争に見られるような、職業的な連帯と現場での政治化の一つの要因である。

フレンチ・セオリーの帰還

二つ目の重要な要因は、過去20年間のフランス内部での囲い込みとあまりにフランス的な議論が終りをつげ、態度が外国に開かれてきたことである。これらの若い世代は外国語を話し、かなりの者がフランス外の大学を経験し、そして過去20年の国際的な大学界からのフランスの孤立に終止符をうちながら、国際化した大学を揺さぶっている理論的・政治的議論を前の世代よりも綿密に追っている。このことを示しているのが、人文科学の分野の世界的ビッグネーム、スロヴェニア人のスラヴォイ・ジジェク Slavoy Zizek、イギリス人のペリー・アンダーソン Perry Anderson、アメリカ人のジュディス・バトラー Judith Butler、あるいはインド人のアルジュン・アパデュライ Arjun Appaduraiらの著作がごく最近になって次々と翻訳されていることである。こうした最近の努力は、この分野におけるフランスの大きな遅れを埋め、徐々にフランスの知識人界の孤立した飛び状態を解消しようとしている。

最後の重要な要因は、哲学や社会科学の古典的テキストに対する新しい態度が生まれたことである。これらの若い書き手たちはいずれもが、全面的な拒否も弟子としての服従の態度もとらず、そしてア・プリオリの批判も訓古註釈も斥けながら、フーコーデリダニーチェハイデガーというようなさまざまなビッグネームに対し、自由な使用、部分的借用、批判的総括などの試みで臨む。これは彼らのより大きな知的な独立を示していると同時に、新しい文化的実践−−カット・アップ、DJのそれ、独創と(再)組み合わせの境界や読むことと書くことの境界の撹乱−−へのかつてなかったほどの連帯を示している。世界じゅうで勝利を収めながらフランス本国では長いこと姿を消していた1970年代のフレンチ・セオリーがフランスに今ある種の帰還を果たしているのはそうした理由からであり、それはまた、この国で、ラジカルに独創的なアプローチの開花を助けるためでもある。

以上訳終り

  • 新製品の売り込みという感じはあったものの、前の世代に対するリアクションを社会的要因とともに記述する後半のところまでは景気よく読めた。知的労働界の状況は世界中どこでもいっしょで、そこを何とか結束して乗り切ろうというフランスの若い世代を頼もしく描いていて。が、最後のフレンチ・セオリーでがくっ。フランスはこれからニューアカ・ブームになるのか...ソーカルが何というか。輸出品の再発見・再輸入で輸出品の輸出価格はまたあがるのか。ただ、何かが動かなければだめなことは確か。Fresh Théorie サイトでも見ながらつらつら考えることにする。
  • 例によって訳しっぱなしなので、あとで一度くらい校正する。→1回済み。葡萄酒のせいで変なミスや変な日本語がいっぱいあった。

フランス思想の「いま」を伝える...官製サイト

しばらく前から気になっていたのだが、日本語のWebサイトで紹介されている気配がないのでとりあげてみる。

哲学を中心としたいわゆる「フランス現代思想」だけでなく、経済・社会・文化等々の領域での現在のフランスの話題を紹介するサイト。昨年夏にスタート。

フランス語版と英語版があってそれぞれ表紙が

以前にフランス版CNNとして話題になったCFI(Canal France International)の派生的プロジェクトとして作られいる。国から予算が下りていて、外務省のサイトでも宣伝し官製のわけだが、ル・モンド、ARTE、France Cultureくらいのバランス感覚で作られている。アメリカの文化支配に対抗して、右から左までひっくるめて、食から哲学まで今のフランスの潮流を「フランス思想」ということで積極的にプロモーションしましょうというようなものだと思う(といってもあまり右的なものは見つけようがないけど)。皮肉な見方をすれば、かつての反体制知識人あたりが今やフランスの有力な輸出文化資源ということ。

なんだかんだいって現代のフランスの思想マップ、言論界の動きを知るのに便利で、最大の利点は、なんといっても全部の内容が英仏語版両方あること。特に、フランス語が得意でない人にお勧め。フランス語が読めるというだけで、一昔前の知識や限られた範囲の情報を頼りに「フランス通」とうことに特権的地位を見出している不勉強な人たち(って自分にもダイレクトにはねかえってくるわけですが)を、これでがががーんと追い抜いていきましょう。いやまじめな話、紹介しようと思い立って昨日から本格的に探索してあれこれ読みながら、けっこうよくまとめられている記事があるのに感心し、自分の不勉強ぶりを反省。

さて、内容はというと...これほんとは、私でなくて、モノの性質上フランス大使館がもっと宣伝すべきだと思うのだが...

とりあえず目にとまった内容をランダムにいくつか紹介(リンクはあえて英語版のほうに貼ります。フランス語版への切り替えは右上の国旗マークから。)

  • 表紙ページの左のほうに世界(非フランス語圏)で話題になっているフランス人有名人の今週のランキングというチャートがあって笑えます(サーチエンジンで計算しているらしい)。政財界芸能あらゆる分野を含む。これらの人物にすべて人名辞典ページがついていて、昔日本でニューアカデミズムはなやかなりしころにあったフランス思想家カタログ本の「今話題のこの人をチェック!」みたいなノリの、もっとアップトゥーデイトで総合的なもの。ランクの下のほうまで見ていったら690人分あった。顔写真のカードめくりみたいのページもある。カタログ文化消費的に、ついでに顔でも親しみましょうという感じ。記述は簡単だが信頼がおけ、その人物に関連する主要なサイトにリンクがあるので、けっこう便利。
  • 現在のトップの特集は「フランスからみた中国」。メイン記事のほかに右上のメニューからあれこれの記事に行けるが、日本人にとっても、フランスからみた中国を通して、現代中国を一歩下がってみる機会になると思う。この特集の中の他の記事として、フランスおとくいの現代中国について地政学的まとめ。また、残念ながらこれはフランス語版しかないが、フランス人専門家による中国四千年の地政学的戦略はやわかり講座のビデオ。これは4年前にTV局ARTEでやっていたシリーズのさわりだがなにせ四千年間の話をしているので4年くらいでは古くならない。紙芝居で説明してくれてフランス語がわからなくてもだいたいの内容は分かる。最後のほうは日本人にとってはかなりぞぞ〜とする図。
  • 新著、講演会などの新着情報コーナーに、今出ているのが、「ナショナリズムの危険に直面する東アジア L’Asie orientale face aux périls des nationalisme」という本を著した Barthélemy COURMONT という東アジア専門の政治学者が1月31日に行う(行った...これを書いている数時間前だ)講演会の案内。当然日本はその中で扱われている主役になるわけで、外から心配されているようすがわかるというもの。あと、姉妹項目に映画、音楽、科学技術およそありとあらゆる分野の新着情報がある。
  • おまけについているのが、ニュース欄。AFP電から主なニュースを選んで、適当な紙芝居とともに常時案内している。ル・モンドなんかは重っ苦しいという人には、これも便利。これも全編英仏語版両方あるし。


と、いうことで宣伝おしまい。ふう〜っ。最近反政府言辞が多かったので、これくらいは体制協力しておいてもいいでしょう。


英語版のほかに日本語版もあるともっと便利だろうから、だれかそれなりに名前のある人たちがフランス政府に企画書を書いてみれば、予算が下りて、お弟子さんたちの小口バイトくらいにはなるのかも。案外すでに準備中かもしれませんが。その辺のことはよくわからないので単なる思いつき。

フランスの高出生率を支えるもの−−移民の子だくさんという先入観。

1月14日に国立統計経済研究所(INSEE)から2005年度の国勢調査の結果が発表された。いろいろな着目点があるが、大きな話題の一つは、出生率が3年連続増加し、合計特殊出生率1.94に達したことだろう。これはEU諸国の中ではアイルランドの1.99に次ぐ第2位の水準である。これについてはINSEEも特に項目を作って解説している。

フランス国内でもたとえばリベラシオンは、 「Douce France, cher pay de la petite enfance 優しいフランス、子供たちの愛しい国」(1月18日づけ)と、シャルル・トレネナツメロ "Douce France, cher pay de mon enfance" のタイトルをもじった見出しで紹介する。ル・モンド「女性たちの出産年齢、結婚年齢はあがり、一方また寿命も延びる Les femmes font des enfants et se marient plus tard, mais elles vivent aussi plus longtemps」という少しひねった見出しで、女性の人生サイクルの変化に着目しながらとりあげている。

日本でも「フランスは出産ラッシュ、人口自然増27万人」(asachi.com, 1月18日)、「少子化対策が奏功?フランスで人口36万人増加」(Yomiuri Online, 1月24日)などの記事で紹介された。

出生率のこうした上昇の主な理由は、asahi.com の記事が「フランスは90年代から育児家庭への公的給付や育児休暇制度を拡充。近年は育児中の休業補償の充実にも力を入れ、こうした対策が少子化を食い止めているとみられる」と端的に指摘するようなところにある。

育児休暇制度の拡充についてもう少し付け加えれば、育児休暇を利用した女性が、そのことでキャリア上の不利益をこうむらずにもとの職務、職位に戻れることが制度的に保証されていることも大きい。

また、少子化対策というと国をはじめとする行政の問題、とくに経済上の問題と捉えられがちだが、これは、子供を産む女性や生まれた子供を育てる男女が働く組識、そこにいる皆が作る文化の問題でもある。実をいえばフランスでは日本よりもあんがい子育てに手間がかかると私は思う。中学くらいの子供でも、親かその代りになるだれかが登下校の送り迎えをするのが普通だし、多くの子供が昼食を家でとるので食事の支度をしたりやはりそのための送り迎えをしなければならない。そのために祖父母が動員されたり、アルバイトをやとったり、夫婦で勤務時間を調節したり、隣り組の友人に代わってもらったりなどいろいろなやりくりをすることになる。勤め人をしながら一人で小さな子を産み育ている女性や、夫婦じゅんぐりの子供の送り迎え当番のために会議の時間を調整してもらう、肩書きに「長」のつく男性を知っているが、たいへんだとこぼしながらそれでも何とかやっている。彼らと同じ環境の人たちが日本で同じようにしようとすればもっと精神的な苦労がいるのではないだろうかと思う。少子化対策は、出産を期待されている女性だけにかかわる問題ではなく、育児という行為を通して、女性、そして男性の生活・労働条件にもかかわるみんなの問題だという認識が、日本ではたぶんもっと必要だろう。結局、今のフランスはそうした面でも子供を作り育て安い環境になっているというのが、この高出生率の大きな要因だと私は思う。

ところで、こうしたフランスの社会状況をあまり認めたくない人々がいる。そうした人々が用いる道具がが少なくとも2つある。

一つは「婚外子」ということばに否定的な価値判断を込めて、フランスの「婚外子」の多さに高出生率の陰の部分があるようにみせかけようとする論。上記の asahi.com の記事が数字を客観的に伝えるように「2005年に生まれた赤ちゃんの48.3%が婚外子」である。が、これは現在のフランスのカップルや家族のありかたの多様性を伝えるものにすぎない。「婚外子」にさも問題があるかのように語る人は、単に自分の文化的偏見を示しているにすぎず、何が問題か客観的なデータで語ることができない。

もう一つは、フランスの出生率を押し上げているのは移民の高出生率であるという説である。「フランス 移民 高出生率」などのキーワードで検索すると、まともな解説にまじって、というかそれを圧倒して、その手の説が出てくる。最近では昨年11月のバンリウ騒動にひっかけて、上の論とあわせて宣伝されたようだ。特定団体ににらまれたり、データや論理に顧慮を払わない「アンチ・ジェンダーフリー」・クルセーダーみたいな人と内容のない議論につきあったあげくに、いくらネット名とはいえ呼び捨てにされるようなめにあうのは勘弁なので、このあたりの論者に近づくのはやめるが、ただほうっておくと、そうした言が拡大再生産される気配もあるようなので、データに即したことを以下に書きとめておく。

INED(Insititut national d'études démographiques フランス国立人口学研究所)の月報 Population & Sociétéの2004年4月号に、ロラン・トゥルモン Laurent Toulemon という出生率を専門とする研究所員による 「移民女性の出生率−−新しいデータ、新しいアプローチ La fécondité des immigrées : nouvelles données, nouvelle approche.」という論文が発表された(html版pdf 版。ただし html 版はグラフがひとつ少ない)。

これは、1999年の国勢調査の際にINSEEとINEDによって行われた大規模な家族履歴調査の結果を用いて、移民女性の出生率についての数字を示したものである。調査には帰化によってフランス国籍となったものや不法滞在者をも含まれている。このデータによって1990年代のフランスの移民の出生率について明かになるのは次のことである。

  • 1991年から1998年の出生率合計特殊出生率)の平均はフランス全体で1.72。
  • フランス生まれの女性の出生率は 1.65
  • 移民女性(誕生以降フランスに入ってきた女性)の出生率は 2.50
  • 移民女性の出産がフランス全体の出生率の上昇に寄与しているのは 0.07ポイント(=1.72-1.65)。
  • 移民女性の出生率が高いのにもかかわらず寄与率が低いのは、出産年齢女性全体に占める移民女性の割合が8.5%でしかないからである。

0.07ポイント分「押し上げている」には違いないが、たとえば上でみるように1991から1998年の出生率1.72に対し昨年の出生率が1.94であるという比較に比べれば、移民女性がフランスの高い出生率に重要なファクターとしてあるかのような表現は誇張されたものであることがわかるだろう。

実を言うと上で明かにされている事実は、元になったデータの古さをみてわかるように、以前から専門家には知られているものである。ただフランスでもこの出生率をめぐる先入観があり、極右勢力がこれをいまだに政治的に利用している*1ので、研究機関としてもこの点について正しいデータを世に知らしめるという意味で、上記論文が月報に掲載されたものと思われる。実際INEDIは、2004年1月に別の研究者による「移民についての5つの先入観 Cinq idées reçues sur l'immigration」という論文を月報に掲載し、世の中に移民脅威論とともに喧伝されている種々の誤ったイメージを、人口学研究の客観的データから訂正しようとしているが、出生率についての上記の論文も、この中で簡単に予告紹介されている。

フランス生まれの女性の出生率1.65に対し移民女性の出生率が2.50。しかし出生率上昇に対し0.07の違いしかもたらさない。これだけでもフランスの高出生率は移民による寄与が大きいという先入観を取り除くのに十分であろう。が、移民女性の出生率の算定に関しては、これで終りではない。実はトゥルモンの論文は、さらにこの2.50という数字が正しいかを検討する。論文タイトルの「新しいアプローチ」はこのことに関係している。

トゥルモンの論文は、合計特殊出生率の計算のしかたにさかのぼり、実はフランス生まれの女性の出生率と移民の出生率の計算が同じ条件で計算されていないことに注意を喚起したものである。

合計特殊出生率は、ある年における、出産可能な年齢の女性のうちの各年齢の女性の出生率積分して計算する。さてトゥルモンの論文では、このように出生率を計算するとき、移民女性のばあい、それらの女性がフランスに移住してくるまでに生んだ子供を計算に入れていないということに着目した。そこで、これらの女性が、フランスに移住してくるまでにもうけた子供の数を調査し、その子供の数を計算にいれた上で出生率の計算をやり直すと、

  • 移民女性の1991-98年の出生率の修正値は 2.16 で 2.50よりはるかに低い

という結果を得る。フランスに入る前にもうけた子の数を計算に入れると出生率が下がるというのはマジックのようだが、実は次のような事実による。

移民女性の 1/3 は18未満の時に、 1/3 は18歳から27歳までの間に、残り1/3 は27歳よりあとに移住してくる。一方、13歳以前に移住してきた移民女性の出生率はフランス生まれの女性の出生率とほとんど変わらないのに対し、25歳あるいは30歳でフランスに入ってきた女性の出生率は、出産件数から計算していくと、フランス生まれの女性の出生率にくらべて、はっきりと高い。が、これらの女性の出産履歴の調査をしてみると、フランスに移住してくる前の年齢で彼女たちが生んだ子供の平均数はフランス生まれの女性が同じ年で生んでいる子供の平均数より少ない。出生率がかなり高いと思われている北アフリカサハラ以南アフリカからの移民女性だけをとっても、移住以前の年齢での出生率はフランス人のそれとほとんど変わらない。出生率があがるのは、移住の後である。子だくさんの女性が移住してくるよりも、子供のいないあるいは子供の数の少ない女性が移住してきて、そのあとに子供を産むというパターンが多いというのは、移民女性から生まれる子供の半分はフランス人を父親とするものという事実と考え合わせて、素朴な経験的観察に合致する。ともかくも、機械的に、フランスで集計されたある年齢の女性の出産数による統計を移民女性のグループにも適用した合計特殊出生率の計算法では、これらの女性の出生率が入国以前にはフランス人の平均よりも低いという事実を計算に入れないので、その合計特殊出生率がみかけ上高く出るのである。

このようにして、合計特殊出生率が「一人の女性が一生の間に産む子供の平均数」のある時点における指標だとすれば、フランスの移民女性一人が一生の間に産む子供の数は2.5人ではなく、2.16人ということになる。

移民女性の出生率は出身国の移民率とかなり高い相関関係があるが、出生率が非常に高いと思われている開発途上国でも出生率は大きく低下した。トゥルモンの分析がカバーする1990年代で北アフリカ諸国が 3 前後である。そして移民女性の出生率は母国のそれとフランスのそれとの中間に位置する。俗に言われる「子供が5人も10人もいる移民の家族」というステレオタイプは一部の例をもとに流布されたイメージにすぎない。

トゥルモンの論文ではその調査期間(1991-1998)以降のことについては触れていないが、フランス全体の出生率のその後の大きな上昇(1991-98年の1.72に対し2005年が1.94)と、一方、移民の出身国の出生率の低下傾向*2を考えると、フランス生まれの女性の出生率と移民女性の出生率の差、後者の全体の出生率に対する寄与の割合は、さらに小さくなると考えて安全だと思われる。

人口学というのは、ある説の妥当性を議論するにあたって、社会科学の中ではかなり始末のいい学問だ。議論が最終的には、人間の頭数という具体的かつ極めて明確に数量化可能な対象に基礎おくからだ。官僚組識が機能している時代や国を扱う人口学の議論は、せいぜいが調査や標本化の手続き、統計処理をめぐるものになるくらいで、そこでは幻想に基づく仮説が幅をきかすことはない。逆に言うと、自分の幻想により大きな価値を置く者は、よほど統計学のアクロバットに長けているのでない限り、人口学上の問題では具体的な数字を示して語ることができない。「フランスの高出生率に貢献しているのは移民の高出生率」という説を語る人が統計上の数字をひとつとして引用しないのはその好例だ。とにかくとくにこの分野の話をあつかってなんらかの数字を示さない説には要注意である。

*1:日本のウェブサイトを見ていると、日本の元首相が2003年に訪仏した際、フランスの議員がフランスの高出生率は移民の寄与によるとの趣旨の発言したと報告されていたり、日仏の識者を集めた2000年の日仏フォーラムでこうした発言がされたという報告がなされている。今のフランスの言論界の状況を考えるとかなり理解に苦しむものがある。発言者が特定されていないが、外国人相手になると極右政治家でなくとも先入観に基づいた発言を軽やかにするのだろうか。ともかくもこうした発言は、ここで紹介しているような国立人口学研究所の分析が一般に流布している今、フランスの政治家や識者のものとしてはもはや許されない。

*2:マグレブ諸国の出生率の低下傾向については、たとえば、次の論文 : Youssef Courbage, "Sur les pas de l'europe du sud: la fécondité au maghreb", United Nations, 2002