欧州、徴兵制の残る国の動き

欧州の複数の国からこの1週間ほどそれぞれの国の徴兵制の問題についてのニュースが入ってくる。一見ばらばらに出てきたニュースだが実は大元のところでつながっているようだ。

まずは海外ボツニュース風のものからいくと、

ネット依存症で徴兵制が危機に?
フィンランド軍は徴兵されてネットサーフのできず鬱になった若者たちを自宅に帰す。
Le service militaire menacé par la dépendance au net ?
L'armée finlandaise renvoie chez eux de jeunes appelés déprimés de ne plus surfer sur Internet.

le 04 août 2004 www.lci.fr

インターネットの普及率が世界で最も高い国の一つであるフィンランド、若者の中には昼ごろ起きだし夜中まで一人で引きこもり状態でネットにふけり、依存症状態になっている者も少なくないという。そうした若者が義務で兵役につき6時に起床し夜は仲間といっしょに大部屋で早くから就寝するような生活になると環境の変化のショックが大きく、病的なうつ状態に。症状は無視できないほど深刻なもので、軍はそうした若者を帰宅させることに。ただし、兵役が免除されるわけではなく、2,3年たってもう少し大人になったらもう一度来てもらうとのこと。

その翌日にスイスから来たニュースはもうちょっとまじめ。

兵役義務:終わりのはじまり?
Obligation de servir: le début de la fin?
jeudi 5 août 2004 Le Temps

タイミングよくこの記事は media@francophonie さんがとりあげてくれ、他の関連記事とともに全訳されている(上のタイトルの日本語訳の部分のリンクは media@francophonie の当該記事へ)。詳しくはそちらを見ていただきたいが、「国民皆兵」として喧伝されるスイスの現職の防衛大臣が徴兵制への将来の見直しを提案するような発言を行ったので、スイスのみならずフランス、ドイツでも大きくとりあげられた。実は今日兵役につくのは若者の6割で、他の4割は義務を逃れ、国民平等にという原則はすでにくずれている。また現代の欧州情勢、軍事戦略において徴兵による軍隊を維持する意味が問われている。

ある世代の国民全部に平等に科せられる兵役というものが共和制にとって重要な要素であるという考えは欧州大陸では根強い(根強かった)。スイスは特にそれが強い。この防衛大臣の発言をめぐって大きな議論が起こり、今日現在でも関連ニュースが続いている。世論のほうは政策論争イデオロギー上の議論はよそに廃止に好意的なようだ。徴兵制を支持する意見は国民の1/3 に過ぎないとこの発言の後に実施された最新の世論調査が伝えている

オーストリアではスイスとは逆に国防大臣が兵役義務の強化案を提案してこれまた大論議になっている。数ある記事の中からしゃれたタイトルのものを選べば...

「少しだけ兵役不適確」−−兵役の新カテゴリー?
"Ein bisschen tauglich": Neue Kategorie beim Wehrdienst?

05.08.2004 diepresse.com

オーストリアでは去年、徴兵対象者の14パーセントにあたる6500人が身体・健康上の理由から兵役免除となっている。ギュンター・プラッター Günther Platter 国防大臣は、その全部は全面免除に値しないと発言。約半数ほどは短い軍事訓練を受け、災害援助や衛生任務といった周辺役務につかせるべきだと提案し、国防省で調査委員会を組織すると発表した。難聴者や難視者もこの対象になるとする。そしてこれを全体の兵役を短縮する措置と組み合わせるという。急な発表に大議論が起きた。措置現在の野党である社民党は猛反対。与党として連立している自由党からも現状維持の声が出ている。

兵役免除者の扱いをめぐってスイス、オーストリア両国の国防大臣は逆ベクトルの提案をしているわけだが、問題の根底にはさらに現在の欧州の社会・軍事・経済情勢への徴兵制そのもの適合性があるように思える。そしてなぜかスイス、オーストリアの報道で触れられていないが、今週になって両国の政治家からこうした発言が出てきたことには、次の事情が関係しているのではないか。

イタリア−−徴兵制の廃止
ITALIE - Fin du service militaire

Courrier international - 30 juil. 2004

イタリア下院は7月29日に徴兵制の廃止案を圧倒的多数(賛成433、反対17、棄権7)で可決した。1985年生まれの者が招集される最後の世代となる。
La Chambre des députés italienne a approuvé à une écrasante majorité (433 voix pour, 17 contre et 7 abstentions), le 29 juillet, une résolution mettant fin au service militaire obligatoire. Les derniers appelés seront ceux qui sont nés en 1985.

反対の17票は共産党、棄権の7は緑グループ。ただし兵役廃止の代替として警察、消防隊、税関などでの一年間の有給勤務が義務づけられるという。

スイスとオーストリアはイタリアの直接の隣国である。イタリアでのこうした動きが両国の政治家の政治判断になんらかの影響を与えていると想像しても的外れではないように思える。フランス、スペインについでイタリアでも徴兵制が廃止となるといわゆる(旧)西側の大国で徴兵制を残すのはドイツだけということになる。ところが上の各国事情に連動するかのように今日入ってきたドイツのニュースは、

「CDU-CSUは兵役廃止策を」と、FDP党首
Westerwelle: Union muss Wehrpflicht abschaffen

FDP(自由民主党)ヴェスターヴェレ党首はCDU-CSUキリスト教民主同盟キリスト教社会同盟)に対し将来の連立パートナーとして兵役廃止策を要求。
Berlin (ddp). FDP-Chef Guido Westerwelle verlangt von der Union als zukünftigem Koalitionspartner die Abschaffung der Wehrpflicht.
Samstag 7. August 2004, 01:50 Uhr

保守党のCDU-CSUが2006年の総選挙で社民党−緑連合を抑えて政権に返り咲くためには、よほど大勝しない限り、リベラル右派のFDPとの連立が必要である(1982-1998年の状況)。そのFDPが兵役廃止政策の採用をを連立パートナーに迫っているという。(軍の)任務は今や国際的になっていて、これは徴兵制にはそぐわないと、FDPの党首は言う。そして「ある者が奉仕し、その一方である者が恩恵を受ける現状では兵役義務は憲法違反の疑いがある」とも。

ドイツでは第一次大戦後にヴェルサイユ条約に基づいて徴兵制を廃止したが1935年にヒットラーによって復活。第二次世界大戦後はNATO加盟とセットになって1956年にまた復活(西ドイツ)している。この早い復活には冷戦下で東西に分割されていたという文脈がある。近代の徴兵制の歴史は200年ちょっと。外国からの軍事干渉による包囲下という状況で近代世界ではじめて国民皆兵の理念にもとづく徴兵制を導入した本家本元のフランスは、すでにこの政策を時代遅れとして捨てた。ドイツでこれからどういう議論が起るか−−多分1年や2年は続くと思うが−−興味深い。

徴兵制の廃止−−フランスの場合

上のイタリアのニュースで徴兵制の廃止に賛成しなかったのが共産党と緑グループというくだりで、あれ、と思った人がいるかも知れない。徴兵制の起源、政治的意味づけ、戦後の歴史において欧州、特にフランスと日本があまりにかけ離れてしまっているため、徴兵制をめぐる欧州での左右の政治陣営の態度の理解について日本人に理解しにくい状況があるので少し注記したい。

フランスで徴兵制の廃止が国民議会で決議されたのは1997年の2月。これに直接につながる前史は1995年の大統領選挙にさかのぼる。決戦投票に残った保守党のシラク社会党のジョスパンの政策の違いに徴兵制を廃止するかどうかがあった。シラクは廃止を基本政策とし、ジョスパンはこれを時期尚早とした。当選したシラク大統領は公約に従い、翌年の演説で廃止を宣言。それに従い立法の準備が行われ、保守党内での議論、決議を経て、法案が提出され翌1997年に法案が圧倒的多数を誇る保守党議員の賛成によって採択された。このとき少数派であった社会党共産党諸派左翼は反対票を投じている。保守党(特に中道右派)の中からも少数の棄権者、ごく少数の反対者が出た。これからも分かるようにフランスでは徴兵制廃止に積極的だったのは、極右を除けば、保守右派である。左派は反対の立場をとっていた。反対は左右の軸上を左にいくほど強く(一部の新左翼を除く)、左派の中でも共産党は絶対反対の態度で臨んだ。たしか廃止が決まった後も、機関紙のユマニテではしばらくの間、復活を主張していたように思う(が今確かめられない)。

徴兵制に対するフランスの左派の態度は、上で触れたように、徴兵制がフランスの近代史の中で、革命の存続を支える国民の軍隊を作るものとして生まれたこと、そうやってできた軍隊が共和国の守り手として認識されていたという歴史を見なければ理解できない。国民皆兵による共和国軍に対立するのは傭兵、貴族の職業軍人からなる反革命軍だ。その対立をひきずるかのように、左派には職業軍人だけからなる軍隊に対する不信感がある(あった)。また国民統合・平等意識を植え付ける装置としての兵役制度というのも左派の理念の中にあった。徴兵に基づく軍隊は左派の中ではある意味で自由(反革命勢力の干渉からの自由独立)、平等、博愛(連帯)の歴史的理念と結びついていた。

これに対し、シラクの態度に代表される右派は国際情勢の変化、軍事戦略の変化に伴う現実主義で臨んだ。冷戦が終了し大国間の紛争の消えた欧州で軍隊の任務は、テロ攻撃の防止、海外で起きる局地的紛争への介入になった。そこに必要とされるのは即時に動ける専門的なスキルを持った部隊で、これにはもはや徴兵による軍隊は適合しない。また平等の原則は、増加する代替役務や免除措置によって崩れているとも指摘された。実際、エリート層の師弟はコネによって自分の学業の専門にあい、しかも将来のキャリアにつながるような代替役務を見つけてもらったり、あるいは完全な抜け道を見つけたりしていたので、階層に関係なく同じ釜の飯をということは建前となっていた。徴兵制を維持する経済コストも問題となった。そして左派が共和国の理念を論じようと、世論は正直だ。徴兵されて10代、20代の間の1年を失いたいものはいない。結局廃止は左派が政権につこうと変わることがなかった。

1995年にシラクが負けていれば、そして大統領がその後ずっと左派であれば、フランスはドイツと同じく現在でも徴兵制を維持していたはずである。シラク嫌いの若者たちも、皮肉なことに兵役免除に関してはシラクのおかげを蒙っていることになる。

国民全体に徴兵制の廃止が既成事実として受け入れられて今はもうあまり話題にならないが、廃止、存続をめぐる議論がかまびすしかったころには、あまりフランスの事情に詳しくない日本人、とくに左派を自称する人々とこの問題について話になるとすれ違いが大きく、説明に苦労したものである。理解しようとすればそれでもいいが、ある程度問題の一端を垣間見ると、知りたくないような態度を示す人、心理的に理解を拒もうとする人もいた。十分によく知っている左派系の研究者もいたが、政治的な反対派に利用されかねないので、日本ではフランスのこうした事情について語るのは危険だと言った。事実を事実として踏まえ、それを正確な歴史的認識とともにオープンにしながら、自らの立場を擁護し論じる勇気が必要ではないかと言い議論になったものだ。日本の左派にはときどきその勇気が欠けているように思える。今ごろになってその積み重ねの割りを食っているのではないかとも。

戦略的な意味のなくなった今、徴兵制に残された唯一積極的な機能は、階層の違う人々を同一平面上で濃密に接触させ統合に向けて鍛えあげることだが、これについては、日本にはカイシャという立派なものがあり、学校も(そして最近教えてもらったが満員電車も)十二分にその役割を果たしているから屋上屋を重ねる必要はないと私は言うことにしているが、本気である。

上の文の中ではフランスの措置を徴兵制の廃止と単純化して呼んだが、建前的には改革で、男だけの兵役が、男女関係なく1日だけの招集日に取って代わられたことになっている。軍隊見学をして、国防に関して軍人の話を聞いたり、映画を見たりする。なんとなく運転免許の点数の回復講習を思い起こさせる。