フランソワーズ・サガン逝去
フランソワーズ・サガンが金曜日オンフレールの病院で死亡と、近親者が発表。
DERNIERE MINUTE - URGENT : 20h16 - Françoise Sagan est décédée
Françoise Sagan est morte vendredi à l'hôpital de Honfleur, selon son entourage (AFP).
ル・モンドの臨時ニュース
◆「フランソワーズ・サガン」、はてなキーワードにない。
→ 「サガン」でとりあえず簡単に作成。ファンの方に増補求む。
◆TV5が用いているAFPの記事が、伝記的にもよくまとまっているので、以下にほぼ全訳。途中から調べるのが面倒になって作品の邦訳題を省略。
小説家、フランソワーズ・サガン氏が9月24日金曜日にオンフレール(カルヴァドス県)の病院で肺塞栓症で死去と近親者の連絡でわかった。享年69歳。
オンフレールの中央病院長のイヴ・ビュザン氏がAFPに答えたところによれば、金曜日19時35分に「心肺代謝不全」で死去。「数日前に」に入院していたという。
作品「悲しみよこんにちは Bonjour tristesse」で知られるサガン氏はこの数年来病がちで、この数か月の間に何度か入院し、オンフレール近くの自宅で隠遁する生活を送っていた。
サガン氏は本名、フランソワーズ・クワレズ。1935年6月21日にカジャルク(ロート県)で裕福な工場経営者の娘として生まれ、1954年に処女作を、プルーストの作品の登場人物から選んだペンネームで発表。少女の愛の目覚めを描くこの第一作「悲しみよこんにちは」で有名になった。
「栄誉と成功とはきわめて早いうちに私を栄誉と成功への夢から解放してくれた」と彼女は後に語っている。度をはずれた成功の味を知ったものの彼女が創作をやめることはなかった。「私は軽薄だ。しかし軽薄さというのは面白いことにかまうことからできている」とも述べている。
自らの馴染んだ裕福で有閑の社交界の中での愛情を基本的には主題とした小説を数多く発表。数多くの成功作の中で「ある微笑 Un ceratin sourire」(1956)、「ブラームスはお好き Aimez-vous Brahms ?」(1959)、「熱い恋 La Chamade」(1965)、「乱れたベッド」(1977)は軽くほろ苦いしかし気取りのない文体を定着させた。
劇作品では「スウェーデンの城 Château en Suède」(1959)、「ヴァランチーノの藤色の服 La robe mauve de Valentine」で成功を収める一方、「ときどきヴァイオリンが Les violons parfois」(1961)、「Il fait beau jour et nuit」(1978)では失敗を味わっている。
1984年には回想録「Avec mon meilleur souvenir」を、その一年後に「De guerre lasse」を発表。さらに「Les Faux-Fuyants」(1992)、「Et toute ma sympathie」(1993), 「Un chagrin de passage」 (1994)を。最後の作品となった1998年の「Derrière l'épaule」では自分のキャリアについての批判的な視線をみせた。作品には他に映画のためのものもある。
サガンはスピードとギャンブルを愛し、ドラッグとアルコールを溺れていた。1957年には大きな交通事故を起こし、また1985年10月には親密だったミッテラン大統領とコロンビアに旅行中、深刻な呼吸器障害を起こしている。
1995年2月にはコカイン使用と譲渡で執行猶予つきの1年の懲役刑を宣告された。2002年2月にはまたエルフ事件に関連して脱税行為で同じく1年の懲役を判決を受けている。
ギー・シェレールGuy Shoeller、アメリカ人のロバート・ウェストホフ Robert Westoffと結婚・離婚しており、後者との間には息子のドニをもうけている。
フランソワーズ・サガンの作品 ....[50タイトルほどの作品リスト。略]
◆今ル・モンドのサイトに載っている記事 "Bonjour Sagan" のほうが面白かった。デビュー時のサガンをそれをとりまく文壇のようすについて書いたもの。翻訳するならAFP-TV5よりこちらのほうがよかったかも。今年の7月11日に掲載されたものの採録。逝去が近いことを意識して書かれたというよりも「悲しみよこんにちは」の発表から50年ということで書かれたもの。
9月24日、フランス2の昼のニュース
ニュースから離れ気味になってしまったので、他力本願だがTVニュースの一部をそのまま放映順に紹介。
- リシャール・ヴィランク引退を発表
ツール・ド・フランスで10年以上活躍した、リシャール・ヴィランク Richard Virenque が自転車競技から引退を発表。ジダンほどではないにせよフランスで最も人気のあるスポーツ選手の一人だ。オランピア劇場で引退発表会をするとのこと。同時中継でインタビュー。7月のツール・フランスで得意分野の山岳賞(水玉ジャージ)をキープして終えた直後に決意したとのこと。落ち目になってから辞めるのはいやだと言う。
- ジャンルイ・ボルロー雇用・社会連帯大臣が老人生活介助のために50万の雇用を創出する計画をクリスマス前に提出すると発表。
昨日のFrance 2のインタビュー番組、「100 minutes pour convaincre 納得させるための100分間」での発言。この番組では政治家が一人に対し、100分間にわたって、反対党の政治家や、ジャーナリスト、社会活動家などがでてきて質問をする。現在互助組織、ヴォランティア団体などで運営されているヘルパー職は20万人、これを不足と認め、補助金などを増やして新たに50万人増やすような政策をとると。
上院(Sénat)の議席の3分の1の改選がこんどの日曜日にある。といっても一般有権者には関係がない、上院議員は、地方自治体の長など5万人余の人間によって選ばれる。任期は、今年法律か改正されて6年になる前までは9年あった。こうした組織が立法権力の一部を占めているのはおかしいという声がある。社会党の中から、現在の制度をよいとする上院議員と、こんな制度は「スキャンダルだ。反民主主義的だ」と批判する若手下院議員(アルノ・モントブール)の2人にインタビュー。
- ハイチの熱帯低気圧ジャンヌの被害状況。
死者の数はすでに1500人、行方不明者が1250人。進まない援助、不十分な食料配給について現地からレポート。6日間何も食べてないという子供たち。食料配給に活躍する尼僧の女性の「静謐な宗教者」というよりも力強い「肝っ玉おばさん」ぶりになるほどい思う。
- イラクのジャナリスト活動。
2人の記者の拉致は36日めにはいったがニュースはなし。2人のシモーナについても、イギリス人人質についても新情報なし。France3はすでに撤退を発表(特派員は若い女性だった)し、フランスでは大手チャンネルでは France2 だけが取材チームを派遣しているTV局となった。そのFrance 2が、CNNなど、最後に残るジャーナリストの活動状況をレポート。皆非常に慎重になっている。状況が日に日に悪くなるなかでいつまで取材が続けられるか皆自問しているという。ドイツのニュースチャンネルN24の女性キャスターにもインタビュー。流暢なフランス語に驚く。このクラスの局だとアラブ語ももちろん流暢なのが派遣されているはずだが、おまけにフランス語までとは。
- 村を巻き込むカップルの国際的親権問題
南仏ヴァール県のアドレという小さな村のできごと。父親がアメリカ人で母親がフランス人の離婚したカップルで母親がこの村に4歳の娘シャルロットともに住んでいる。親権をめぐる裁判で母親が負け、アメリカの裁判所はフランスに判決の執行を要請。母親が娘をどうしても引渡さないので、昨日、警察隊が幼稚園に入り、強制的に連れていこうとするが村人が皆の阻止にあい果たせず。村人たちは当然のように母親の味方をして全員団結している。警察の行為に対し村役場で村長以下、村民が集まって抗議集会。今朝は娘は幼稚園に姿をみせず。村人たちがはかってシャルロットを村の中か、村の外のどこかにかくまってしまった。母親は未成年誘拐の罪で告発されたが、村民の団結に守られてシャルロットはみつからない...
このあたりでだいたい20分。あと尿の匂いで早期ガンを発見する犬の話や、自動車の速度を技術的に130キロまでしか出ないようにするべきだというアイデイァの是非をめぐって交通安全運動団体の代表と元レーサーで自動車評論家の1対1の議論コーナー(この議論コーナーは真っ向から対立する考えの代表者をみつけ毎日やっている)等等とつづく。
オツベルを探して
リンクをたどっていったid:yukattiさんのところで、 「宮澤賢治「オツベルと象」は「オツベル」か「オッベル」か」という面白い記事を発見(id:yukatti:20040921)。
これを読む今日の今日までオッペルとばかり思っていた。しかも現在は「オツベル」が有力で、これは自筆資料からも確かめられ、問題はむしろ「オツベル」か「オッベル」かというところにもシフトしているというということを知って驚く。20世紀に学校で覚えた知識はやはり定期的に手入れしないとアブナイと身にしみて感じた。
こうした話題に首をつっこむのはこのブログの趣旨とはちょっとずれるが、はてなで発見した主題だし、他に書く場所もないので、ちょっとした覚え書き。
私のこれまでの固定観念のオッペルからスタートするとして、この人名が西洋語に対応があるという感じはなんとなくするし Opper のような綴りも思いうかぶ。さてこれがオツベルとなるとどうか。
id:yukatti さんとともにこの問題を論じている id:yms-zun さんは、「オッペル」あるいは「オツベル」の外国語との対応について、別のサイトに掲載されている、画家の木村昭平氏(この物語で絵本を出版)の次のような意見を紹介する(id:yms-zun:20040921#opfer2):
木村さんの調べたところではオツベルはどの外国語にもないけれど、オッペルの方はドイツ語のオッフェル(opfer)という語があり意味は「宗教的犠牲者」だ。賢治は充分ドイツ語に詳しかったからオッフェルからオッペルにしたんじゃないだろうか
また、id:yukatti さんも、カナ表記で「ツ」と「ッ(促音)」を区別したはずの賢治が自分のメモに「オツベル」と記しているにもかかわらず、専門家の間でなお「オッベル」の可能性も否定されていない理由の一つとして、
西洋人の人名としても「オッベル」のほうがいかにも自然である
という事情があるのではないかと推測している。
ここで「オツベル」に対応する外国語、とくに人名、そして中でも西洋語の人名はほんとうにないかという問題を改めて提起してみる。
これに対する私の答えは、
「それには複数の可能性が存在し、中でも Otbert というのは有力ではないか」
というものである。
Otbert はドイツ語の古くからの人名としてあり、それがフランス語化して /otbER/ 呼ばれる歴史的人物は実際に存在する*1。ファーストネームのため、同名の人物はあちこちにいるが、その中でも有名なのは、1091年から1119年までリエージュの司教だった人物で、ベルギーのブイヨン城 Château Fort de Bouillon を十字軍出発のための資金ぐりに困ったゴッドフロワ・ド・ブイヨン Godefroid de Bouillon 伯から買い取ったことで知られている(日本語での簡単な解説は次の→ ベルギーの古城案内に)。
このフランス語読みされる Otbert をカナ転記するとき、オトベール(例えば上のサイト)をはじめとして、オトベル、オツベール等々など幾通りかが考えられ、1. "t " と「ト」するか「トゥ」とするか「ツ」とするか、2. "ber を「ベル」とするか「ベール」とするかの選択肢を組み合わせれば6通りある中で、オツベルはその中の一つでしかないが、20世紀初頭の日本の言語習慣からみると極めて可能性の高いものの一つである。
Otbert という名の語源をみると、「財産をもって輝く」(altsächs. »ôd« (Gut, Besitz) + althochdeutsch »beraht« (glänzend))というような説明が、その辺の名前語源辞典サイトを見ると出てくる(Ex → vornamenarchiv.de)。宮沢賢治がそうした情報を使ったかの考証は別として、少なくともこれだけでも、「Opfer」よりも、問題の賢治の物語で6台の稲扱き機に加えゾウの所有者となった人物のプロフィールに符合すると言える*2。
あとは、上のリエージュの司教に限らず、歴史上存在した Otbert氏で「ゾウをこきつかったあまり、ゾウの仲間にふみつぶされて死んだ」というような逸話のある人物がいればパーフェクトなのだが、残念ながらそんな都合のいい話はなさそうだ。ただし、こうした寓話の元になるような、「人をこきつかったため、仲間の襲来にあってあえない最後をとげた」ような歴史的事実に符合する者は出てくるかもしれない。というのは、Otbert氏に限らず、由緒ある偉そうなファーストネームをもって西洋史に残っている人物の多くが、殿様か地主か司教というような他人を食い物にしている連中なので、身辺をあらえばほこりが必ず出てくるからだ。
リエージュの司教だったOtbertはどうかというと、歴史観光案内サイトには「ブイヨン城を買った金を捻出するため、もともとの自分の司教座(領内)にあった教会や修道院からいろいろ略奪した」というような説明がある。なかなかいい線行っている。ただしそのために下級僧侶や領民の反乱に踏み潰されて死んだとは書いていない。他にざっと手元の事典やネットで調べたかぎりでは、「913年 ストラスブール司教の Otbert、反乱市民によって暗殺」というようなのもある。探せばこの手の Otbert はもっといるに違いない。
さて理想的なケースが見つかったとして、この後のいちばんの問題は、そういうOtbertの逸話が宮沢賢治になんらかの形で読まれたということを証明することだ。リエージュ司教の話くらいなら歴史読み物を通して可能だったかもしれない。それにしても翻訳で読んだと仮定すれば宮沢賢治の同時代の出版物からそれを探し出さなければならないし、なんらかの西洋語で読んだとしたら蔵書調査をしなければならず、どちらにしても大ごとの作業となる。「ゾウに踏まれたOtbert」の話が西洋史でみつかればミッシングリンク探しとして努力のしがいがあるが、はたして「民衆反乱ににやっつけられた Otbert」くらいの話についてこれをやる価値があるかどうか。
ということでオツベルがOtbertというのは今のところ砂上の楼閣でしかなく、また Otbert だけでなくその異綴りの Autbert や別系統の Hautebert だって可能性はあるかもしれない。ただいずれにせよ、少なくともここで言いたかったのは、 「オツベルはどの外国語にもない」と断定するのは早すぎるし、それどころか人名として大いに可能性があるというものだ。実在の人物に限って「オツベル」候補募集をすれば、それぞれの人の言語感覚、歴史的知識に応じて西洋史からだけでも他にもいろいろと集まるかもしれない。
Disclaimer: この Otbert ネタのために人生の貴重な時間をさいたあげく徒労に終った人がいても責任は負わないことをあらかじめ宣言しておきます。もしどんぴしゃりで当たったときは?知的先取権なんてケチなことはいわないのでぜひ論文を一本書いて、論争に決着をつけ、テキスト最終確定者として賢治研究に名を残してください。そのかわり論文で「はてなダイアリー id:fenestrae:20040924」に参照指示してね。
*1:歴史上の人物ではないが、またヴィクトル・ユゴーの戯曲 Les Burgraves (1842)にも Otbert の名をもつ登場人物がおり、当然これもフランス語風に /OtbER/ と読まれる。
*2:「オツベルと象」の全テキストは→ 青空文庫に収録されている