オツベルを探して

リンクをたどっていったid:yukattiさんのところで、 「宮澤賢治オツベルと象」は「オツベル」か「オッベル」か」という面白い記事を発見(id:yukatti:20040921)。

これを読む今日の今日までオッペルとばかり思っていた。しかも現在は「オツベル」が有力で、これは自筆資料からも確かめられ、問題はむしろ「オツベル」か「オッベル」かというところにもシフトしているというということを知って驚く。20世紀に学校で覚えた知識はやはり定期的に手入れしないとアブナイと身にしみて感じた。

こうした話題に首をつっこむのはこのブログの趣旨とはちょっとずれるが、はてなで発見した主題だし、他に書く場所もないので、ちょっとした覚え書き。

私のこれまでの固定観念のオッペルからスタートするとして、この人名が西洋語に対応があるという感じはなんとなくするし Opper のような綴りも思いうかぶ。さてこれがオツベルとなるとどうか。

id:yukatti さんとともにこの問題を論じている id:yms-zun さんは、「オッペル」あるいは「オツベル」の外国語との対応について、別のサイトに掲載されている、画家の木村昭平氏(この物語で絵本を出版)の次のような意見を紹介する(id:yms-zun:20040921#opfer2):

木村さんの調べたところではオツベルはどの外国語にもないけれど、オッペルの方はドイツ語のオッフェル(opfer)という語があり意味は「宗教的犠牲者」だ。賢治は充分ドイツ語に詳しかったからオッフェルからオッペルにしたんじゃないだろうか

また、id:yukatti さんも、カナ表記で「ツ」と「ッ(促音)」を区別したはずの賢治が自分のメモに「オツベル」と記しているにもかかわらず、専門家の間でなお「オッベル」の可能性も否定されていない理由の一つとして、

西洋人の人名としても「オッベル」のほうがいかにも自然である

という事情があるのではないかと推測している。

ここで「オツベル」に対応する外国語、とくに人名、そして中でも西洋語の人名はほんとうにないかという問題を改めて提起してみる。

これに対する私の答えは、

「それには複数の可能性が存在し、中でも Otbert というのは有力ではないか」

というものである。

Otbert はドイツ語の古くからの人名としてあり、それがフランス語化して /otbER/ 呼ばれる歴史的人物は実際に存在する*1ファーストネームのため、同名の人物はあちこちにいるが、その中でも有名なのは、1091年から1119年までリエージュの司教だった人物で、ベルギーのブイヨン城 Château Fort de Bouillon を十字軍出発のための資金ぐりに困ったゴッドフロワ・ド・ブイヨン Godefroid de Bouillon 伯から買い取ったことで知られている(日本語での簡単な解説は次の→ ベルギーの古城案内に)。

このフランス語読みされる Otbert をカナ転記するとき、オトベール(例えば上のサイト)をはじめとして、オトベル、オツベール等々など幾通りかが考えられ、1. "t " と「ト」するか「トゥ」とするか「ツ」とするか、2. "ber を「ベル」とするか「ベール」とするかの選択肢を組み合わせれば6通りある中で、オツベルはその中の一つでしかないが、20世紀初頭の日本の言語習慣からみると極めて可能性の高いものの一つである。

Otbert という名の語源をみると、「財産をもって輝く」(altsächs. »ôd« (Gut, Besitz) + althochdeutsch »beraht« (glänzend))というような説明が、その辺の名前語源辞典サイトを見ると出てくる(Ex → vornamenarchiv.de)。宮沢賢治がそうした情報を使ったかの考証は別として、少なくともこれだけでも、「Opfer」よりも、問題の賢治の物語で6台の稲扱き機に加えゾウの所有者となった人物のプロフィールに符合すると言える*2

あとは、上のリエージュの司教に限らず、歴史上存在した Otbert氏で「ゾウをこきつかったあまり、ゾウの仲間にふみつぶされて死んだ」というような逸話のある人物がいればパーフェクトなのだが、残念ながらそんな都合のいい話はなさそうだ。ただし、こうした寓話の元になるような、「人をこきつかったため、仲間の襲来にあってあえない最後をとげた」ような歴史的事実に符合する者は出てくるかもしれない。というのは、Otbert氏に限らず、由緒ある偉そうなファーストネームをもって西洋史に残っている人物の多くが、殿様か地主か司教というような他人を食い物にしている連中なので、身辺をあらえばほこりが必ず出てくるからだ。

リエージュの司教だったOtbertはどうかというと、歴史観光案内サイトには「ブイヨン城を買った金を捻出するため、もともとの自分の司教座(領内)にあった教会や修道院からいろいろ略奪した」というような説明がある。なかなかいい線行っている。ただしそのために下級僧侶や領民の反乱に踏み潰されて死んだとは書いていない。他にざっと手元の事典やネットで調べたかぎりでは、「913年 ストラスブール司教の Otbert、反乱市民によって暗殺」というようなのもある。探せばこの手の Otbert はもっといるに違いない。

さて理想的なケースが見つかったとして、この後のいちばんの問題は、そういうOtbertの逸話が宮沢賢治になんらかの形で読まれたということを証明することだ。リエージュ司教の話くらいなら歴史読み物を通して可能だったかもしれない。それにしても翻訳で読んだと仮定すれば宮沢賢治の同時代の出版物からそれを探し出さなければならないし、なんらかの西洋語で読んだとしたら蔵書調査をしなければならず、どちらにしても大ごとの作業となる。「ゾウに踏まれたOtbert」の話が西洋史でみつかればミッシングリンク探しとして努力のしがいがあるが、はたして「民衆反乱ににやっつけられた Otbert」くらいの話についてこれをやる価値があるかどうか。

ということでオツベルがOtbertというのは今のところ砂上の楼閣でしかなく、また Otbert だけでなくその異綴りの Autbert や別系統の Hautebert だって可能性はあるかもしれない。ただいずれにせよ、少なくともここで言いたかったのは、 「オツベルはどの外国語にもない」と断定するのは早すぎるし、それどころか人名として大いに可能性があるというものだ。実在の人物に限って「オツベル」候補募集をすれば、それぞれの人の言語感覚、歴史的知識に応じて西洋史からだけでも他にもいろいろと集まるかもしれない。

Disclaimer: この Otbert ネタのために人生の貴重な時間をさいたあげく徒労に終った人がいても責任は負わないことをあらかじめ宣言しておきます。もしどんぴしゃりで当たったときは?知的先取権なんてケチなことはいわないのでぜひ論文を一本書いて、論争に決着をつけ、テキスト最終確定者として賢治研究に名を残してください。そのかわり論文で「はてなダイアリー id:fenestrae:20040924」に参照指示してね。

*1:歴史上の人物ではないが、またヴィクトル・ユゴーの戯曲 Les Burgraves (1842)にも Otbert の名をもつ登場人物がおり、当然これもフランス語風に /OtbER/ と読まれる。

*2:オツベルと象」の全テキストは→ 青空文庫に収録されている