二つの受勲のニュース・バリュー −− ブルース・ウィリス、シャロン・ストーン(5/22)

fenestrae2005-05-21


昨日にひきつづき、再びシャロン・ストーンと勲章のニュースにこだわる。22日の日記だが、連続性を考えてこのページにアップ。

昨日のエントリー↓で、シャロン・ストーンの受勲の席での発言は、アメリカ人には面白いものではなかろうし、「そのためかYahoo.comで見ても、Googleニュースサーチの英語版でみても、このニュースは無視されていて、せいぜい写真が出てくるくらいだ。日本でも報道はないようだ。」と書いた。また、同じ文章の別のところで「先月ブルース・ウィリスがやはりオフィシエを受章し話題になった」とも書いた。

今日改めて、上の2つのことがらを関連させながら、米、日のネットメディアを検索してみてちょっと面白いことがらに気がついた。それは、米メディアでのブルース・ウィリス受勲のニュースの扱いの大きさと、シャロン・ストーンのそれの完全な黙殺(および日本メディアへのその反映)のはっきりした対比である。

現時点のGoogle News US 検索して、シャロン・ストーンの受勲のニュースに触れたものは数件ある。
Google News US (Keywords: Sharon Stone officer "arts and letters")

しかし実は、それらは記事の中の受章時の写真につけられたキャプチュアで簡単に紹介されたもので、記事本文で、彼女の発言はもちろんのこと、受章の事実に触れたものはない。

48時間たっているので、Google Webサーチでも十分にひっかかるはずだが、
Google.com (Keywords: Sharon Stone officer "arts and letters")
結果はニュースサーチと同じで、写真のキャプチュアのみ。唯一の例外は、フランスメディアの記事を紹介する(たぶん)イギリス人のブログで、
fautedemieuxblog.blogspot.com
これは昨日私がとりあげたのと同じAFPの記事を、英語に全訳しており、「危険な女」発言も英語ではそこではじめて、そして今のところそこだけで読める。

ブルース・ウィリスが先月受章したときの記事を同じ検索条件で見ると、
Google.com (Keywords: Bruce Willis officer "arts and letters")

主要メディアがかなり大きな記事として扱っている。例を一つあげれば、

ブルース・ウィリス、フランスから最高栄誉を受ける。
Bruce Willis Gets Top Award From France

AP/Fox News Thursday, April 14, 2005
フランスは水曜日、アメリカの映画スター、ブルース・ウィリス氏を芸術文化勲章オフィシエ章で叙勲し、その栄誉を称えた。この勲章は同国で文化的業績に与えられる最高位のものである。
PARIS — France honored American movie star Bruce Willis (search) Wednesday, making him an officer in the Order of Arts and Letters, one of the country's top awards for cultural achievement.

そしてそこでは、「アメリカ映画の力強さを代表する俳優」と彼を称えるフランスの文化大臣の言葉が紹介された後、ブルース・ウィリスの毒にも薬にもならないような次のような答礼が引用される。

"I'm nervous. Bonjour Paris," Willis said.
"I am extremely touched by this medal. ... We all belong to the same artistic community."
He concluded by saying, "Vive la France!"

強いアメリカの象徴に栄誉を捧げるフランス、それに対し、親切にされた観光客のように片言のフランス語で少しばかりの努力をするアメリカ人の微笑ましい姿。多くのアメリカ人にとって心温まる記事であったに違いない。

もう一度、シャロン・ストーンのケースとの比較に戻ればどうか。「母国では危険な女と言われれている私を、貴国は温かく迎えてくれます」という自国に対する皮肉めかしたことばはすでに紹介した。昨日の引用では実は省略した部分があるが、それをとりあげれば、それに続くことばはこうだ。

私がフランス人の心を持っているのは、隠し立てするまでもなく誰もが知っているとおりです。年を経るにつれ、私はあなたがたの美しいものに対する愛情を共有するようになりました。それだけではなく、フランスの精神に、真のそして純粋で根本からの自由に浸ったのです。フランス映画の背骨を貫く芸術的創造力におけるそうした自由の中に。
Ce n'est un secret pour personne, j'ai le coeur d'une Française. Au fil des années, j'ai partagé votre amour des belles choses. Plus encore, je me suis imprégnée de l'esprit français, de la liberté véritable, pure et profonde de la créativité artistique qui est l'épine dorsale du cinéma français

昨日読んだときは、リップサービスもかなり過ぎると思い、全文紹介するほどでもないと思ったが、改めていろいろな文脈に置いてみると、アメリカへの強いあてこすりを意識したものとの印象も受ける。どのくらい本音かは本人に会って話してみなければ分からないが、はっきした実感に基づくものとしたら優等生的ではあるが一つの立派なオマージュであるし、外交辞令としても「ボンジュール・パリ」や「ヴィヴ・ラ・フランス」よりは言われた相手の心をぐっととらえるものであるに違いない。

が、アメリカのメディア側から見ればどうか。そこには、外国へ行って公的な席で自分の国にあてこすりを言う女がいる。「ボンジュール」や「メルシーボークー」の線を踏み越えて、他国の価値体系で語る女。あるいは賞のお礼に外国におべっかを使う女。まさに、外国に心を売った女。ブルース・ウィリスのケースにおいて、アメリカの力強さの象徴にフランスが擦り寄ってきたというイメージを形成できるのとまったく対照的で、これではアメリカ人に愉快な記事になるわけはない。

5月20日前後のアメリカのシャロン・ストーン関連の英語圏のニュースには実は別の2つばかりの素材があり、そのためにこの受勲の記事は、めぐりあわせが悪くて写真キャプチュアの扱いに押し込められているのではと問うこともできるが、逆に言うと何が優先され、何が無視されるかで見えるものもある。とりあげられた2つとは、1つがライザ・ミネリなどとともにエイズ研究支援のためのチャリティ・オークションに参加したというもの。もう1つの、そして最も多かった記事は、映画祭出品作『Broken Flowers』で共演したビル・マーレイが彼女とのベッドシーンを語る(eg. Bill Murray Talks About Scenes With Stone)というものである(というより、ビル・マーレイに彼女とのベッドシーンを語らせるという趣向であるが、共演俳優は多くを語っていない)。その選択の裏に、「危険な女」を「女性慈善事業家」または「ベッドの中での性的欲望の対象」というイメージで囲い込み、無害な存在、あるいは征服可能なものにしようという指向を見るのは、うがちすぎだろうか。

48時間たち、出来事自体に時間的なニュースバリューがなくなってきていて、これ以上の記事はでないだろうという現時点で判断すると、彼女の受勲のニュースは一月前の先例と対照的に、その価値を最小限に押えられ、母国の文化を皮肉った彼女のことばは完全に黙殺されたといえる。この対比を生むもう一つのファクターに、現大統領を強烈に批判した女優と、その支持者で近しい関係にある俳優の差を見るのは、これもやはり陰謀論的にうがちすぎだろうか。

人気においてはそれほどの違いがあるとも思えない二人の俳優の同じ勲章の受章の事実が、英語の世界だけから見れば、メディアのちょっとした扱いの違いにより、片方の事例はネットの中で数百の記事として残り、将来においてアーカイブの場所を得るのに対し、もう一方は写真のキャプションとして写真とともに消えていくか、片隅にわずかに跡をとどめるだけになる。そして一人のほうの発言はついに報道されないまま−−上のようにだれかがブログで記録にでもとどめない限り−−消えていく。こんなふうなメディアにおける小さな選択の積み重ね−−別の見方をすれば小さな検閲の積み重ね−−が、後世から見たときの、ある人のキャリアイメージを決定し、さらにおおげさなことをいえば、そうやって歴史そのものも決定されていくような気がしてならない。

もちろんアメリカのメディアには自身の価値判断があり、それに基づいた自らの取捨選択で自らの文化圏の歴史が作られてくのは当然といえる。一方、フランス語の世界から見たときには、その文化圏の価値判断で選ばれたデータの蓄積による、それとは違う歴史がある。しかし問題は、グローバルなメディアでの前者の影響力は圧倒的に強大で、日本でも、こんな小さな芸能ニュースについてさえ−−あるいは芸能ニュースだからこそ−−、後者あるいは別の文化圏の選択による情報を比べる機会どころか、われわれが特定の価値選択のもたらしたデータ−−検閲ずみのデータ−−の中でのみ生きているということすら意識できないという状況にあることだ。しかし日本はアメリカではなく、芸能人の評価についてもアメリカのマスコミと同じ価値観を共有する義理はない。

ちょっと大げさになったが、芸能ネタについてもアメリカ以外からの情報収集に、マスコミもブロガーも皆がんばりましょう、という結論で。


シャロン・ストーンが日本でこれからがんばるかどうかちょっと実験↓

Google JP (Keywords :ブルース・ウィリス フランス "芸術文化勲章")
Google JP (Keyowrds :シャロン・ストーン フランス "芸術文化勲章")

Google FR (Keywords : bruce willis officier "des arts et lettres")
Google FR (Keywords : sharon stone officier "des arts et lettres")

「危険な女」の2度目の受勲−−シャロン・ストーン

「母国では「危険な女」の私をフランスは歓迎してくれる」とシャロン・ストーン
Sharon Stone: la France m'accueille quand mon pays me trouve "dangereuse"

20-05 AFP/voila.fr

アメリカの女優シャロン・ストーン氏が、金曜日に芸術文化勲章オフィシエ章を授章。カンヌ映画祭の総監督ジル・ジャコブ氏より勲章を伝達された氏は、フランスへの熱のこもった賛辞を送った[...]。
「母国では危険な女と言われれている私を、貴国は温かく迎えてくれます」と反ブッシュの立場で知られるシャロン・ストーン氏はフランス語で述べた。
...
「私はファム・ファタルと呼ばれていますが、それは、米語にはそれを表現する語彙がないからです」とも『氷の微笑 Basic Instinct』の主演女優は語った。
L'actrice américaine Sharon Stone, qui a reçu vendredi les insignes d'Officier des arts et des lettres, remises par Gilles Jacob, président du Festival de Cannes, a rendu un hommage appuyé à la France[...].
"Lorsque mon pays dit que je suis dangereuse, votre pays m'ouvre les bras", a déclaré en français Sharon Stone, connue pour ses positions anti-Bush.
...
"Lorsqu'on m'appelle fatale, c'est parce qu'il n'y a pas de mot américain pour le dire", a encore indiqué l'interprète de "Basic Instinct".

カンヌ映画祭明日今晩の授賞式で終りだが、イベント的にはこの受勲はその前の一つのハイライト。シャロン・ストーンは今年は、ジム・ジャーマッシュ監督の『Broken Flowers』の主演女優としてカンヌ映画祭に参加している。

勲章を受ければ、その国に礼を言うのが普通だが、それにしても、上のようなことばに加え「私がフランス人の心を持っているのは、隠し立てするまでもなく誰もが知っているとおりです」とまで言う熱の込めよう。フランスとシャロン・ストーンの関係は完全な両想いで、『氷の微笑』の女優くらいしか印象がなかった私は、彼女のフランスでの人気、というかある種の権威の格別さに驚いたことがある。1995年にすでに芸術文化勲章の下のランクのシュヴァリエ章を授章しているし、2002年のカンヌ映画祭では審査員を務めている。

アメリカ人から見て、彼女の上のような発言が面白いはずはないが、そのためかYahoo.comで見ても、Googleニュースサーチの英語版でみても、このニュースは無視されていて、せいぜい写真が出てくるくらいだ。日本でも報道はないようだ。

ファム・ファタル(魔性の女・運命の女)」ということばについての彼女のコメントは面白い。アメリカでそういうタイプに人気がないとも思わないが、フランスでこのイメージを演じ、引き受ける女優、女性が特別のそして幅広い人気を持っていることはたしかだ。性的(肉体的・知的)アピールを駆使して男と権力ゲームのかけひきをするタイプ、イノセントな見かけの裏側に男を破滅させるような無償の暴力性を秘めたタイプなどそれにもいろいろなヴァリアントがある。日本の映画のなかで、静かに男を見守り、包み込むという聖母的なタイプに根強い人気があるのと好一対かもしれない。

ついでに、勲章についてちょいとお勉強。といっても大したことを知っているわけではないけれど。

フランスの勲章というと「レジオン・ドヌール」が一番有名だが、比較的日本人の受章者が多くて他に名を知られているものに実業界に受章者の多い「l'ordre national du mérite 国家功労賞」、学術・教育関係の受章する「 l'ordre des palmes académiques パルム・アカデミック勲章」、そして、芸術家・文化人が受章するこの「 L'ordre des arts et des lettres 芸術文化勲章」などがある。前2者は「共和国大統領の名において」、パルム・アカデミック勲章が「教育大臣の名において」、 芸術文化勲章が「文化大臣の名において」それぞれ授与される。

それぞれの勲章に下から順番にシュヴァリエオフィシエコマンドールのランクがあり(前2者にはさらに「グラントフィシエ grand officier」、グラン・クロワ(grand'croix)の特別ランクがある)、「騎兵」「士官」「司令官」というかつての軍隊の階級の概念に対応している。同じ勲章でも上位ランクの勲章は、その下の勲章を得てからというのが原則で、シュヴァリエオフィシエコマンドールの順番でもらっていくことになる(例外的に飛び級もある)。

したがって、シャロン・ストーンの「芸術文化勲章オフィシエ章受章」のニュースには、彼女がすでにシュヴァリエ章を受章しているという事実が基本的には暗黙の前提となっていることになる。それが1995年というのは、上に紹介したとおりで、見出しに「2度めの受勲」としたのはそれゆえ。「芸術文化勲章」についての Wikipedia(仏語版)の説明によると、1年の受章者の「定員」はシュヴァリエ450人、オフィシエ140、コマンドール50人であるという。日本語の情報を探したら、横浜市のページに、元横浜市長高秀秀信氏の1996年の受章(オフィシエ章)を紹介するページに簡単な説明があり、

フランス芸術文化勲章は,1957年5月2日に創設され,芸術及び文学分野の創作 活動や,フランス国内及び世界各地の芸術や文学の普及に顕著な功績のあった者を 表彰する。 過去の主な日本人受章者(オフィシエ章)−−安川加寿子(東京芸大教授),白洲春正(元東宝東和社長),岩城宏之(指揮者),大島 渚(映画監督)

ということだそうだ。

映画関係では他に岸恵子氏がやはり去年オフィシエを受章しているし、北野武氏が99年にシュヴァリエを受章したのは大きく報道された。

受章者をつらつら見ていると早期受章には映画関係者、俳優が有利なようだ。昨日のシャロン・ストーンの前には、先月ブルース・ウィリスがやはりオフィシエを受章し話題になったが、日本の重鎮文化人・知識人がかなりの歳になってからシュヴァリエを受章している例などを見るとちょっと複雑な気持ちにななり、与えるほうの見識はどうなっているのかと思わないでもない。もっとも与えるほうからすれば広告塔の意味もあるので仕方もないだろう。

同一勲章の中のランクという問題は、受けるほうにとっても、困ったところもあるようだ。日本語の経歴紹介に受勲が書いてあって、ランクが一切分からないこともある。シュヴァリエオフィシエで、「シャロン・ストーンやブルース・ウイリスにはやはりかなわないね」とか「見ろ見ろ、こんな大スターといっしょなんだぜ」と無邪気に喜べる人ならいいが、「なんだノーパン女優より下じゃん」とか「あ、ダイハードのマッチョマンといっしょね」と言われて面白くない人には、あまり皆が「鑑識眼」を持って触れてほしくない事実には違いない。本人が触れたくない勲章のランクの詮索をするのは褒められた話ではないが、もっとも、受章で権威づけをしようとする本人や周りの人は、その時点で自らで、「持たざる者」との差別化を図っているわけだから、「持てる者」の間の小さな差別くらいは甘受してしょうがないんじゃあ...うーん、受章予定のない人があまり下世話な詮索をすると、だんだんことばづかいにも品格がなくなってくるので、この辺で。

◆追記 授賞式は今夜。シャロン・ストーンの主演作「Broken Flowers」は「審査員賞」を獲得。

哲学者ポール・リクール氏、逝去

Le philosophe Paul Ricoeur est mort
LEMONDE.FR | 21.05.05 | 09h38 • Mis à jour le 21.05.05 | 10h54

キリスト教徒哲学者ポール・リクール氏が20日金曜日逝去したことを関係者が発表。享年92歳。ポール・リクール氏は、かねてより心臓を患っていたが、木曜夜から金曜未明にかけてパリ近郊のシャントネ・マラブリの自宅で就寝中に息を引き取っていたと、哲学者で友人の Olivier Abel氏が明らかにした。
Le philosophe chrétien Paul Ricoeur est décédé vendredi 20 mai à l'âge de 92 ans, a indiqué samedi un de ses proches. Paul Ricoeur, qui était malade du coeur, est décédé dans son sommeil dans la nuit de jeudi à vendredi à son domicile à Chatenay Malabry en région parisienne, a indiqué son ami, le philosophe Olivier Abel.

ル・モンドから臨時ニュースのメールがきた。

日本では「解釈学の」という語がすぐ出てくるが、chrétienという形容詞はフランス語での紹介でよく見る。相当高齢だとは思っていたが、去年も小さな新刊が出ていてまだ現役という気がしていたので、ニュースを目にしたとき、ちょっとしたショックを受けた。しかし月並みな言い方だが大往生と言えるのだろう。

その去年出版の『Sur la traduction 翻訳について』(Bayard)を改めて見直してみると、97年から99年に発表されたテキストを収めたものだった。翻訳の不可能性に直面しながら、翻訳という行為で他者のことばをわがものにする活動の性質についての考察が展開され、いろいろ勇気づけられもした。

Le bonheur de traduire est un gain, lorsque, attaché à la perte de l'absolu langagier, il accepte l'écart entre l'adéquation et l'équivalence sans adéquation. Là est son bonheur.("Défi et bonheur de la traduction" in Sur la traduction)
翻訳することの喜びは、翻訳する者が、ことばの上での完全性の喪失に執着しながら、一致と等価の間の乖離、一致なき等価を受け入れるときに、獲得物となる。そこに翻訳者の喜びがある。(『Sur la traduction 翻訳について』所載「翻訳のチャレンジと喜び」)

◆追記 id:dcsyさんの記事 id:dcsy:20050522 に、ル・モンド紙の追悼特集に収められたデリダの文章の簡単な紹介がある。