カソヴィッツ−サルコジ、ブログの戦い

「映画 La Haine を作った男、Mathieu Kassovitz が自分のサイトのNewsページでかなり過激なサルコジ批判メッセージをアップしている。」というのは、猫屋さんが「ね式」ブログで紹介しているが、22日火曜日朝7時12分づけで、サルコジ氏が問題のカソヴィッツのブログコメント欄に、ダイレクトに長文の返事を書き込み、それ以来、コメント欄が騒然。サルコジは、blogger.com にアカウントを取得して、空のブログを作りそれをURLにして書き込んでいるが、これは、アイディンティティの証明を保証するためだと思われる。大手のマスコミの記事(たとえばNouvelObs)でも取り上げているので、本物かどうかは確認ずみのようだ。返事の内容はそつがない。問題は言っていることとやっていることが逆のことというのが私の感想。

問題地域に自ら出かけていって、住民や若者と「対話」することをマスコミに見せるのが好きなポピュリスト・サルコジの面目躍如というところ。そして、しゃべりことばと違って、書きことばだとヘマが少ないので、ソフトにポイントを稼げる。

サルコジはこれまで、マーケティング会社を雇って、スパムまがいの宣伝メールを送ったり、暴動関係のキーワードでの Google 検索の際、自党の宣伝が表示されるようGoogle掲載広告枠を買うなどのネットマーケティング戦略を用いている。

最近では党大会で自らの地歩有利にするための、ネットでの入党キャンペーンをやっているはず。また物理的な集会を必要としないネットでの党大会を規約上可能にして、完全に党首としての主導権を握ろうとしているというニュースも読んだことがある。ネットの効果的な利用法に関するかなり賢いブレーン(チーム)がいると思われるが、カソヴィツのブログへのコメントも、そうした戦略の中で決定されたことと思われる。

そしてこの書き込みのあと、サルコジ氏の率直さや現在の政策に好意的なコメントが、いろいろと書き込まれるようになり、なにやらコメント欄がきな臭いことに。「サルコジの宣伝に利用されているから早くコメント欄を閉じてくれ」と、カソヴィッツに頼む書き込むをするファンもいる。サクラが動員されているかどうかは知るべくもない。

こうしたことは、政治的な言説の争いの場としてのネット、ブログに対する、これまでの漠然とした先入観の変更をわれわれに要請する。これまで、少なくともフランスでは、「旧メディアを支配する体制に対抗する勢力としての、ネットメディア特に個人ブログ」というシェーマがあった。そしてこれは憲法条約批准国民投票をめぐる運動で機能したのだが、サルコジのような新しいブレーンを備えたポピュリストに対しては、こうした旧来のシェーマが通じないことになる。映画監督がブログで政治家に一矢報いたという形から、逆に不意打ち的にボールを投げかえされたという形勢になった。ボールは今カソヴィッツのほうにあり、私の印象では、守勢のカソヴィッツがこの後何かしない限り、総合ポイントはサルコジのほうにプラスとでる。ネットを利用した、政治家の世論づくり、しかもかなりソフィスティケートされた戦略でのそれが、これから本格的になりそうなことを予感させる一件である。

「フランスには貧困層は存在しない」

政権保守党の議員が、「あるインタビュー」で次のように答えた映像が、今ネットで出回っており、火曜日にはラジオでも放送された。

インタビュアー:フランスではどのようにして貧乏人を市内から去らせ郊外に行かせることに成功しているのですか。

議員:貧困層と言われるようなものはフランスには存在しません。ご期待にそう返事ではないかもしれませんが。それは稼ぎが他の人よりちょっとばかり少ない人々のことです。そうした人々の稼ぎは他の人々よりは少ないですが、皆、他の人と同じような住居を得ています。違いは彼らの家賃がもっと安いことです。そして皆よい暮らしをしています。フランスには悲惨な貧困というものはありません。貧困層と言われるものは存在しません。もちろん、いくらかの住所不定者もいるにはいますが、それは、社会の外で暮らすことを自分たちで選んだ人々です。そしてそういう人々についても、私たちはよく面倒をみています。彼らのために保護宿泊施設があります。というのもフランスの冬は寒いですから、悲惨な目にあっている人を、外に置いておくわけにはいけません。なので、そういう人に泊まる場所を与え、食べ物を与え、体を清潔にし、必要なものをすべて与えています。しかしそういった人はかなりまれで、それは社会の外で生きることを決めた人々、働きたくないと思う人々、社会から拒絶されて生きようとする人々なのです。

しゃべっている議員の名は、パトリック・バルカニ Patrick Balkany。バルカニ氏は、サルコジ内務大臣が市長を務める Neuilly sur Seineの隣り町のLevallois-Perret の市長でもあり、人脈的にも後者に近い。今回の騒動の件でパリ近郊の町の市長ということでよくTVにも出ていた。

このインタビューには実はしかけがあって、オルタ・グローバリゼーションでゲリラ的メディア戦をやっている "Yes Men"というグループが、Canal+で 風刺ニュース番組を担当しているKarl Zeroのチームのために、どっきりカメラ的に撮影したもの。米国のニュース番組を装って、フランスの貧困の状況について話してくれということでしゃべらせたという。もちろん上のようにとうとうとしゃべったのはガルバニ氏の自発的意志である。

そして実は、これは1年前にとられていたのが、ずっとお蔵入りになって結局放送されなかったが、これが今朝(23日水曜日)あたりから、インディメディア系のネットで流れ、ラジオやNouvelObsのような主流メディアのネット版でもとりあげられるようになったという次第。

ルカニ氏はラジオ局のEurope 1でインタビューに答え苦しい言い訳をしていた。

外国からの批判があると、自己防衛的に自国の欠点を小さく見せようとしたくなるのは人の情。これは外人でさえ、ある国に長く住み受け入れ国に愛着を持ってくると反射的に出てくる感情で、こんなブログを書いていると私もときどきバランスの取り方で苦労するので、その気持ちは分からないでもないが、それにしてもここまでくるとシュールレアリストだ。1年前のインタビューだが、どのくらい保守系議員が貧困層に対して無神経になり、おごっているか、その本音が、特殊な状況下で炙り出された形になった。

ルカニ氏は、1997年に市の職員を、自宅の管理に使ったということで、15か月の執行猶予つき禁固刑と2年間の被選挙権剥奪にあったことがあり、他にも、イル・ド・フランスのHLM建設・維持をめぐるおおがかりな汚職事件で名前が常にささやかれる存在でもある。

1年前にとられお蔵入りになっていたこのビデオがどこからか流出してきて、今流布されるようになった事態は興味深い。もう我慢できないと思っている人々が、荒れる郊外の「クズ」の集まりの中だけでなく、どこかにもいる。

ラッパー・フィンケルクロート

アラン・フィンケルクロート Alain Finkielkraut のフィガロのインタビューを L'écume des jours の shiba さんが訳してくださっていて、その悲憤慷慨調をよく写した訳になっている。中身はかなり凄い。が、実はもっと凄いのがある。RCJ (La Radio de la Communauté Juive)で放送されたインタビューの録音で30分ほど。
http://www.radiorcj.info/reecouter_detail.tpl?sku_arch=31797245572153131

9.11以降のフィンケルクロートの言説は完全にコミュノタリズムに囚われていると私はみるが、これは「身内」向けだけに、暴走度が凄い。アポカリプス、ポグロム、人種暴動などのことばが、ばななのたたき売りみたいにでてくる。

一応少しは名をなしたことのある哲学者なので、Shibaさんも猫屋さんもひきながら、批判も上品にしているが、私があえていえば、このインタビューのフィンケルクロートはル・ペンすれすれどころか、そのセンセーショナリズムにおいてすでにル・ペンを越えている。

私は語られた言葉より、語っている声の調子でその人の思想を判断するという、知的には欠陥のある習性があり、インタビューを聴くのが好きなのだが、内容、調子ともに、この30分近くあるインタビューを最後までがまんして聴くのは辛く、最後はかなり I feel sick だった。フィンケルクロートが何か言っているというので先週だったか聴きにいって、これはもう触りたくない世界だと思ったのだが、Shibaさんが今度訳してくれたフィガロのインタビューにざっと目を通してみて、思ったのは、11月6日のインタビューとフィガロの11月15日のインタビューの内容がほぼ同じだということ。つまり騒動の情勢の変化に応じて、思考に変化がなく、完全に暴動初期の段階から視点が固定されている。

このインタビューで拾いものがないことはない。フィガロのインタビューにも出てくるようにフィンケルクロートはラップの歌詞をやり玉に挙げているのだが、ラジオではあのバリトンのたたみかけるような調子で朗読してみせてくれるのが聴ける(3分半と4分半の間あたり)。中年ラッパーとしてなかなかに資質があると思う。これをサンプリング、リミックスしてラッパー・フィンケルクロートを勝手にデビューさせれば面白かろうと思うが、かかる手間に比べて聴いてくれる人が少ないのが難点だ。

ラジオのインタビューのはあまり多くの人に触れないので、それほど話題になっている気配はないが、イスラエルの新聞、Haaretzに11月17日に載ったやつ(英語版)は、外国の新聞に違う言語で乗るときの単純化のフィルターを通すことによって、また凄いことになっているので、かなり物議を醸している...と書いて今チェックしたら MRAPが「人種的憎悪挑発」で訴えるというニュースが飛び込んできた。いやはや。