処女証明書とソドミー

あらゆる恋愛関係は秘密にされなければならない。シテ citéの外であろうと男性と手をつないで歩くのを見られることは自分を危険にさらすことである。私たちはそうした地獄について[...]多くの証言を記録している。妹(姉)のボーイフレンドに仕返しをし、そのあと自分の妹(姉)を折檻する兄(弟)。そして 娘が確かに「過ち」を犯さなかったことを証明するために父親は医者に処女証明書を発行してもらう。いつの時代の話かと思うかもしれない。しかしこれが苦い現実なのだ。カルチエでは今日、何人もの医者が処女証明書の発行を専門としている。医者のある者は偽の証明書を発行するが、そうした医者の大部分がそれで娘たちを場合によっては悲惨な懲らしめから救うことになることを知ってそうするのだ (p.58)。

以前に若干触れた ファデラ・アマラ Fadela Amara の Ni Putes Ni Soumises (La decouverte, 2003)が語る今日のもう一つのフランス。「シテ」「カルチエ」というのは形容詞無しで移民層の多い社会問題多発地域の意味を含んで用いられている。ここに言うような処女証明書の話がどのくらい一般的かはわからないが、偽の処女証明書を発行すべきかどうかというのは、医師会の職業倫理のセミナーでも扱われるほどには問題になっているらしい。この問題を誇張するのは人種差別主義者の手口という主張もある。一方穏健派を標榜するイスラム系のサイトではこの習慣をやめさせるべく医者に働きかけるイスラム教徒の女性団体の話がのっている。

身内には処女性を要求しながら抑圧された性的欲望を満たそうとする矛盾に満ちた男たちの要請は次のような不思議な解決法を見出す。

ボーイフレンドにぞっこんの16や17歳の娘が、もしセックスをしないならば、捨てられるのではないかと脅えて語るのを聞くのは非常につらいことだ。...大部分の娘たちが処女を失わないという条件で性的関係を受け入け、定期的にアナル・セックスを行う。彼女たちは義務から行うそうした性関係から何の快楽も得ないと語る。...彼女たちは一つの規範−−結婚まで処女でいること−−と男性の欲望に服するためにそれに耐える(ibid)。

快楽を求めて開拓するならいいが、そうでないなら不幸だ。しかし、こういう話は扱うのは難しい。熱心さが昂じると、知らず知らずイスラム系移民への偏見を宣伝する向きの片棒をかつぐはめにもなる。かと言って知らずには済まされないと訴える人々もいる。