欧州議会の新議長決まる。

fenestrae2004-07-20


先月総選挙の行われた欧州議会は今日20日、新選出議員で初の本会議を開き、議長にスペインのジョセプ・ボレル Josep Borrell 氏を選出した。ボレル氏は1947年生まれ57歳。ゴンザレス社会労働党政権下で大臣を勤め、1998年には2000年総選挙に向けての社会労働党側の首相候補にも擁されていたが、与党時代の同党のスキャンダルの責任をとり99に辞退。先月の欧州議会議員選挙で、社会労働党のリストを率い、サパテロ勝利の勢いにのり、同党に勝利をもたらしていた。ボレル氏は、欧州の保守党系の議員の連合からなる会派「欧州民衆・民主党(PPE-DE)」(268議席)と社会民主党系議員の連合会派「欧州議会社会主義者グループPSE」(199議席)の二大会派の協定による支持を得て388票を獲得、中道諸派の連合会派「リベラル派・民主派連合 ALDE」(88議席)と緑の党会派(42議席)が共同で推すポーランドのブロニスワフ・ゲレメク氏(208票)、共産党・急進左派系の会派「欧州左派連合」(41議席)の推すフランス共産党のフランシス・ヴュルツ氏(51票)を抑え、731議席からなる同議会の絶対過半数を得て、第1回投票で議長に選出された。

と、書くと何の変哲もない四角四面のニュース記事で、欧州議会に馴染みがなければ、ほとんど固有名詞と組織名で読んでいて砂をかむような思いがするが、もう少し詳しい事情は以下のように...

欧州議会の会派

欧州議会の議員選挙は6月13日に開票が行われたのは多くの報道のとおり。この一ヶ月余の間に何が行われていたかというと、会派結成と、議長選出のための会派間交渉。それぞれの国では国別の党、会派のつくるリストによって選挙が行われるが、議員が選ばれた後、各国会派が欧州議会内でそれぞれの政治色に従って、欧州横断的会派をつくる。といっても、ある程度の合従連合があるのは小会派で、大会派は過去の協定路線に従って毎度同じものができる。

最大会派が「欧州民衆・民主党 PPE-DE」。名前はものものしいが、英語だと Group of the European People's Party (Christian Democrats) and European Democrats、フランス語だとGroupe du Parti populaire europeen (Democrates-chretiens) et des Democrates europeensで、だいたい各国で与党になりうる保守系の大きな党が集まる(フランスだとUMP、ドイツだとCDU、イギリスだと保守党)。いろいろな名前をもつ各国の党がよりあつまって、名前にもいろいろ注文をつける(想像だが)ので自然とどの会派も名前が長くなるが、この会派は、議員数だけでなく名前の長さもトップ(日本語ではさすがに()つきのキリスト教民主主義というのを省いて訳している)。

次にくるのが「欧州議会社会主義者グループPSE」。socialistを「社会主義者」と訳すると名前がやはり上のようにものものしくなるが、英語では Socialist Group in the European Parliament、フランス語ではGroupe socialiste au Parlement europeen (略語のPSEはParti socialiste européenから。なぜか欧州議会の公式サイトでみると多くの党が何語表記のときも略号はフランス語のものを正式名に使い、国際語としてのフランス語死なずと、フランス人を少しだけほっとさする数少ない機会を提供する)。伝統的な社民党系のグループで、フランスだと社会党、ドイツだと社民党、イギリスだと労働党。今回の議長に選ばれたスペイン社会労働党のボレル氏もこの会派。

そして第3の会派となているのが、「リベラル派・民主派連合 ALDE」(Group of the Alliance of Liberals and Democrats for Europe, Groupe Alliance des democrates et des liberaux pour l'Europe)で、これは中道保守党の連合からなり、リベラル・デモクラット(自由・民主派?)を基本にいろいろな潮流を集める。ドイツではFPD、イギリスではLDPの議員がこれに属する。今回フランスの UDF (Union pour la Démocratie Française) が、フランスでは政権与党の一部であるにもかかわらず参加し、大きな会派として新発足した。次にくる第4の会派がエコロジスト、地域主義者議員のつくる「緑・自由連合グループ」 (Group of the Greens/European Free Alliance、Groupe des Verts/Alliance libre europeenne)である。そしてこの他に、(旧)共産党系+急進派左翼、アンチEU派系の諸派が続く。

議会ではこうした諸々の会派の駆け引きや、公式、非公式の協定で物事が進んでいくことになる。だいたいの議会組織で議長の選出というのは広範な合意を得るために周到な根回しの対象となるが、ここも例に漏れない。そして二大会派がしばしば取り引きをする。議長は2年半、つまり議員の任期からいうと半期ごとに選挙されるが、今回は二大会派の PPE-DEとPSEが、最初にPSEの候補者、次の半期をPPE-DEの候補者(ドイツのCDUのリストを率いたハンス=ゲルト・ペタリング Hans-Gert Pöttering 氏と言われている)と取り引きで決めた。これは1999年以前にも習慣的にやられていた。このためボレル氏は上のような、本来なら真っ向から対立するべき左右の二大会派の票によって選ばれている。しかしこの選出に際して今回ちょっとした異変があった。中道リベラル派の動向だ。

これまで中道保守派は議長選出にPPEと共闘し、その立場を利用して議長も出している。昨日任期の切れた Pat Cox パット・コックス氏(アイルランド)がそうだ。ところが今回は、フランスのUDFを加えリベラル・民主派連合として勢力を増した中道派が、左右二大会派の取り引きに反発し、独自の路線を歩んだ。それがしかも「緑」との共闘でというので人々を驚かせ話題となった。

保守+社会党 vs. 中道リベラル+緑連合

「緑」を代表するのはダニエル・コーン=ベンティット Daniel Cohn-Bendit 氏。彼と「リベラル派・民主派連合」の一翼を担うフランスのUDFの党首、フランソワ・バイルー François Bayrou 氏が合意の上打ち出してきた議長候補案というのは、ポーランドのブロニスワフ・ゲレメク Bronisław Geremek 氏とフランス社会党ミシェル・ロカール Michel Rocard 氏。ロカール氏はミッテランの跡をつぐ大統領候補とまで目されながらミッテランとの確執で党内基盤を失うはめになったが、依然としてフランス社会党の重鎮ではある。緑=中道連合はこの人選でフランス社会党にもアプローチしたらしい。社会党にもいろいろ内部事情があり紆余曲折があったが、ともかくもフランス社会党はウィといわずに結局は右派との取り引きでスペインの同志を選ぶほうをとる。

ゲレメク氏はポーランドの「連帯」のブレーンとして名高く日本でもよく知られている。もとは歴史学者で、最近まで外務大臣もつとめていた。ダニエル・コーン=ベンティット氏もバイルー氏も25か国に拡大した新EUを象徴する人物としてこれ以上の適任はいないとして彼を熱烈に推す。この訴えはぎりぎりまで続いた。コーン=ベンディットはドイツでしゃべりまくり、一方、選挙当日20日の日付のル・モンド(19日発行)には「ブロニスワフ・ゲレメクとヨーロッパの感覚 Bronislaw Geremek et le sens de l'Europe 」と題し、はっきりと彼を議長に推すフランソワ・バイルー氏の熱のこもった寄稿。

この件に関しては、この二人の政治家やその党派の人々だけでなく、ル・モンドリベラシオンの2紙がゲレメク氏、ロカール氏を議長にするアイディアを支持する立場をとった。前者はつつましやかに、後者は露骨に。

ル・モンドリベラシオンも推すが

ル・モンドの記事をみていくと、たとえば、議長候補者について政治交渉を伝える7月15日付けの記事の 「欧州議会。社会党派と共産党派は元反体制派ブロニスラウ・ゲレメクの道をはばむ Au Parlement, socialistes et communistes barrent la route à l'ancien dissident Bronislaw Geremek」は、見出しからすでにある種のニュアンスが感じられる。そして選挙当日20日づけでは、上のバイルー氏の投稿のほかに、「私は欧州議会についを新しく考え直すイメージを持っている J'ai de l'imagination pour penser le Parlement autrement」と題するギレメク氏本人のインタビュー。これに対してボレル氏について書かれたものは選出を伝える記事までない。

リベラシオン社会党の選択について怒りをはっきりと表す。17日づけの「欧州議会、PSEは右派と取り引き。欧州社会主義派は緑と連邦派との共闘を拒む。Au Parlement, le PSE fait le jeu de la droite Les socialistes européens ont refusé l'alliance avec Verts et fédéralistes.」と題する記事は「社会党派は最悪の選択をした」という書き出しで始まる。ボレロ氏の議長選出を伝える今日20日の記事は「ジョセプ・ボレル、欧州議会でのお手盛りで選出 Josep Borrell, élu dans les cuisines du Parlement」というタイトルをつけ「欧州議会は欧州統合のシンボルより党機関の裏取り引きを選んだ Au symbole, celui de l'unification européenne, le Parlement de Strasbourg a préféré les magouilles d'appareils」という強い調子で始まる。

2紙のこの−−それぞれのやりかたの−−明確な立場表明には実はちょっと違和感を感じた。もしかしたら私自身が個人的にゲレメク氏に対し、もろてをあげて熱狂できるだけのイメージを持っていないからかもしれない。ポーランドの外相としてイラク戦争に賛成を表明したことに対して、これをぐっと呑み込めるコーン=ベンディット氏ほどには、太っ腹になれないというのもある。が、むしろひっかかりは、賛成を表明したことではなくて、賛成の表明の仕方にあった。フランスのテレビのインタビューに答えたときのその答えかたが−−流暢なフランス語ではあったが−−あまりにアバウトで、すべての論理的対決をふきとばしてたやすく共感を訴えるようなスタイルに、どうしてもついていけなかった。そのときだけの偶然かも知れないが、どれだけのことをした人か知っているだけに、書かれたものだけを読んでいればこんな矛盾した気持ちは起きなかったのにと、思う。ポーランドの中から見ている人に聞いてみたいものだ。

ゲレメク氏のことば

上で触れたル・モンドでのゲレメク氏のインタビューでは、イラク戦争に賛成したことについても触れられ、「それを材料に攻撃されることでかなり傷ついく」と答える。しかしそれに続く答えの論理がやはりどうしても明確に分からない(下の引用は覚えのため。訳はいまのところ省略)。

Cette attaque me peine beaucoup. Dans la guerre d'Irak il y avait le refus d'accepter une des dictatures les plus sanglantes de notre siècle. Je ne suis pas malheureux de penser qu'il y a maintenant un dictateur de moins. En revanche, deux ans plus tard, se repose la question que j'ai posée depuis le début, celle des procédures pour assurer la paix et la stabilité dans le monde et surtout en Irak. La légitimité de la politique internationale doit être assurée par une politique multilatérale, c'est-à-dire par les décisions du Conseil de sécurité. L'attitude de l'administration Bush sur le multilatéralisme, la Cour pénale internationale, le protocole de Kyoto, se prête à une critique allant loin. On ne peut pas voir dans mon attitude un engagement pour une politique américaine. Il y avait un engagement pour les valeurs morales qui devraient être présentes dans la politique internationale. Venant d'un pays qui a longtemps souffert du totalitarisme, je ne peux oublier cette indifférence d'une partie de l'opinion internationale. On devrait établir une sensibilité éthique à l'égard des problèmes internationaux. Ce n'est qu'ensuite qu'il faut poser la question politique, tout à fait justifiée, de l'efficacité de l'action.

「私の態度の中にアメリカの政策に対する支持を見ないで欲しい。そこには、国際政治の中でなくてはならない道徳的価値についての関与があった。」というのの後半は、つまるところブレア氏の論拠でもあるだろう。それがゲレメク氏の場合、個人的体験に裏打ちされる−−「長い間独裁に苦しむ国から来たものとして、国際世論にそうしたことに無関心だった向きがあることを私は忘れることができない」

この感情は頭では十分に理解できる。が、何人もの東欧人と議論した経験でも、これがかならず最後はすれ違いになるポイントだ。東欧の共産党の独裁下に人々が(特に知識人が)苦しむあいだ、西ヨーロッパ諸国の態度はその状況を変えるのに何もあるいはほとんど力がなかったと彼らの多くが見る。結局は彼らの状況を変えたのはアメリカの力ではなかったか−−これは先ごろレーガンが亡くなったときに問われた問題にもつながる−−という気持ちが論理的レベルではなくて彼らの多くの心の中にある。アメリカの宣伝だというのはたやすい。日本で戦後すぐに共産党がとった占領軍の解放軍規定と比較して、精神科きどりで診断をくだすこともできる。しかし、彼らが個人的体験に基づいて語るそのしかとした感情の前にはすべて無力だ。その感情を尊重すべきだという気持ちをもつ一方で、すべてを最後は苦悩の個人的体験に収斂させるそのスタイルにいらだちをおぼえたりもする。「じゃあ、人々が圧政に苦しんでいたときのワルシャワに、一ヶ月ほどピンポイント爆撃して、数百人くらいの犠牲者で皆が自由を満喫できるようになるといわれたら、ワルシャワの市民だった君は賛成したかい?」と喉まででかったことがあるが、さすがにそこまでは言わなかった。

そんなふうに、起きてしまった戦争で角をたてるより、玉虫色のことばでコンセンサスを求めるゲレメク氏や、全て腹に収めて涼しい顔で一つのアジテーションから別のアジテーションへ移るコーン=ベンディット氏のやりかたは、実は現代史も経済状況もメンタリティも違う25か国をどうにかまとめていく知恵なのかもと思ったりする。