エルドアンさん、聞きにくい質問ですが ...

fenestrae2004-07-21


昨日のニュースになるので遅くならないうちに。

トルコのエルドアン首相がEU加盟への支持を求めて訪仏中というのは、19日の日記にちょこっと書いた。昨日(20日)にはシラク大統領とエリゼ宮で昼食。シラクはかねてから表明しているポジションどおりトルコのEU加盟への支持を重ねて強調。France 2 の夜のニュースもある程度時間を割きトルコでのルポを交えてこの問題を扱う。加盟についてハードルになっているのは建前上は経済、民主主義、人権だ。トルコのほうとしてはハードルが不当に設定されているという思いと、また、結局のところは宗教・文明圏の問題ではないかという懐疑がある。France 2のルポは街角からみたトルコの経済状況やトルコ人EUに対する不満を紹介したあと、エルドアン首相へのキャスターのインタビューを放送する。この日の20時のニュースを紹介するのは夏休みの調整のせいかいつものメインキャスターではなく、4年前France 3からFrance 2に引き抜かれたキャロル・ゲスレール Carole Gaessler。シャープでありながら親密感のある語りで人気があり、フランス2の花形キャスターの一人である(もっとも人気があるのは女性キャスターの場合の常、その語りだけからではない。これについては視覚情報↑のほうが雄弁だろう。)。遠隔インタビューで、実はシラクとの昼食後すぐにされたものの録画だが、画面だけ見ていると同時放送のようにうつる。

2つ目の質問でいきなり、

首相、お考えでは -- 直截な質問ですが -- トルコでは今日人権は保証されていると思いますか? Est-ce que pour vous, ma question est directe, les droits de l'homme sont respectés aujourd'hui en Turquie ?

当然、このくらいの質問は期待しているだろう。エルドアン首相は、特に拷問の問題をとりあげて、これは今はトルコではありえないし、絶対に許されていないことだと述べる。拷問の問題はかつてトルコが最も非難されていた点の一つである。少数民族、とくにクルド人の問題については触れない。しゃべりたくないのかとも思うが、この数ヶ月のクルド人問題についてのトルコ政府の変化は逆にポイントとして語ることも可能なはず。

拷問の問題で回答が終ると、彼女の次の言葉が、

エルドアン首相、伺いにくい質問が一つ残っています。 M. Erdogan, reste une question délicate.

あ、やっぱりクルド人問題について聞くなと思ったら、次に出たことばに驚いた。

アルメニア人虐殺を公に認める問題のことですが ... Celle de la reconnaissance du génocide arménien ...

トルコにとっても最も触れられたくない問題だ。質問は次のように続く。

それを認めることが、ご存じのように、EU加盟の問題を前進させることにはなりませんか? Cette reconnaissance, vous le savez, pourrait faire avancer votre dossier à Bruxelles ?

興味のある人もいるかも知れないので、回答もをそのまま引こう(首相の回答はトルコ語でTVではフランス語の通訳を介している)。

この問題に関して、つまりアルメニアの虐殺の問題ということでしたら、私たちはすでに何度も繰り返して言っています。つまりトルコにはこの種の問題は存在しないと。次のように言いましょう。こうしたことはすべて過去に起きた過ぎたことです。この問題は歴史家にまかせておきましょう。それはもう今日の問題ではないのです。
Par rapport à ce sujet, si c'est du génocide arménien, nous l'avons dit à plusieurs reprises : En fait la Turquie n'a pas de problème de cette nature. Nous disons la chose suivante : toutes cela sont des choses qui sont passées dans le passé. Laissons les historiens s'occuper de ce problème. Ce ne sont plus les questions d'aujour'hui.

「問題は存在しない。」これがトルコ政府がずっと堅持する立場である。もともとトルコ領内で迫害されていたアルメニア人が1915年から1920年前後にかけて、虐殺され、多くが亡命を余儀なくされた。虐殺された人の数に関しても数十万人から次の桁のオーダーまでの数字もあれば「存在しない」というトルコ側の立ち場もある。フランスにはこうした迫害で逃げてきた多くのアルメニア系の人々の子孫がいて、これはまだホットな問題である。そしてフランスはトルコ政府の批判にもかかわらず2001年には議会で「1915年のアルメニア大虐殺の存在を公に認める」という条文の法律を通過させている*1

問題は存在しない、歴史に属するものとして国は関知しないという答えに対し、ゲスレール氏はすかさずもう一度プッシュする。

しかし、ご承知のように、ときには平和を築くためには、国というものはときには、歴史に、自らの歴史の苦痛に満ちた部分に、立ち返ることも必要でしょう。
Mais vous savez très bien, pour batir parfois la paix, un pay a besoin parfois aussi de revenir sur une histoire ... à un morceau de son histoire douloureux.

少し言い直したり、parfoisを2回も繰り返すあたりに若干のためらいも見られるが、とっさの返事で一気にこれが言えるというのはかっこよすぎる。

これに対する首相の返事は、これも全部書き留めると

私たちはコップの空の部分については関わりたくないと思います。私たちはいつもコップの満たされた部分だけを見たいと思います。それが私たちの政治のコンセプトです。このようにして、たとえば、キプロスの問題を解決しました。そして同じようこうして私たちはアルメニアとの問題を解決したいと思っています。
Nous ne voulons pas nous occuper de la partie vide du verre. Nous voulons toujours regarder la parite pleine du verre. C'est cela notre conception politique. Par exemple c'est comme ça que nous avons résolu la question de Chypre, et c'est comme ça que nous pouvons résoudre le problème avec l'Arménie.

なんだか禅問答のようだが、つまりどうしようもない否定的部分を見ないで、ポジティブ・シンキングで行きましょうということである。アルメニア人の側から発せられたことばであるならいいが、これがトルコ側からの答えとしてはたして人を納得させるか。

インタビューの時間は限られているし、議論ではないので、ここでキャスターの質問は終る(この目で見たい人は France 2 のサイトの →このリンクから。20時のニュース Journal de 20H のリンクをクリック、7月20日のものを選択。問題のインタビューは番組の冒頭から4/10いったあたり。)。

エルドアン首相の訪仏に際し、アルメニア問題をぶつけようとする政治家は何人かおり、それはエルドアン氏も承知していただろう。しかしテレビのインタビューで突然、若い女性のキャスターにこやかな微笑とともに、ダイレクトなことばで急襲されるとは。それでも顔色ひとつ変えずに、フランスの支持を訴えるため、インタビューの最後にわざわざ極めて丁寧に礼を述べた氏の心中が逆に思いやられる。こういうフランスのジャーナリストの態度をトルコではどう見ているのだろうか。やはり「傲慢な」フランス人のイメージを強化するのだろうか。興味深い。

France 2 は公営放送だ。こういうところでの質問は一歩間違うと外交問題にまで発展しかねない。こういう要人のインタビューの場合には当然、メインキャスター以下多くのスタッフが討議を重ね、することのできる数少ない質問を選択する。今日のような選択は彼らのはっきりした政治的選択である。どの国も−−日本もそうだが−−触れられたくない問題の二つや三つは持っている。それをあえて質問事項に選択するというのは、野心あるジャーナリストにとって魅力のある行為だろう。しかし、公営放送のこういう枠組でなされた昨日のそれはかなりぎりぎりの線に近い大胆な選択だったと想像する。

もっともフランスのテレビがいつもこんな チャンスを持っているわけではない。今年の1月、中国の胡錦涛主席が訪仏した際には、フランス政府はかなり遠慮して、批判がダイレクトにぶつけられる機会をとにかく減らそうとした。テレビのインタビューで「主席、チベットの虐殺問題を公に認めることについてどう思いますか」のように聞ける雰囲気ではなく、意志表示をしたのは議員たちだった。

*1:事実認識を法律で定めるというのは奇妙に見えるかもしれないが、ある事件をジェノサイドと認めるか否かは、 ジェノサイド関連々の法律がその事件に適用されるかどうかにかかわってくるので、この法律が必要とされた