What mad pursuit

遺伝子DNAの二重らせん構造の同定者の一人としてノーベル賞を受けたフランシス・クリック Francis Crick 氏が28日に死去したニュースは国を問わずどのメディアでも大きく扱われた。たぶんはてなをはじめ多くのブログでも話題だろう。二重らせん構造の発見をめぐる話には何か人をロマンチックな気分にさせるものがある。科学心のある少年少女の多くが一度はワトソンの「二重らせん」を胸を踊らせて読んだのではないだろうか。ワトソンの本の後には、クリック本人の本*1そして、競争に敗れたシャルガフの回想記*2も出版、邦訳され、内幕を別の目から見る楽しみも提供してくれた。

私もナイーブな科学少年にもどって簡単に追悼の言葉を書きたいと最初は思ったが、ちょっと思い直して、たぶん人が書きたがらない話を書くことにする。

インタネットで優生学批判に関するものを読んでいると、ときどきフランシス・クリックの名が批判のやり玉にあがっているのを目にする。彼の「新生児はその獲得遺伝子に関するテストをパスするまでは人間として認められるべきではない。このテストを通過しなければ生きる権利はない」という発言が引用され激しく攻撃される。1968年の講演の内容としてもっと過激な発言もとりあげられる。問題は、典拠が孫引きであったり、この話を熱心に取り上げるのが、妊娠中絶に反対する宗教的原理主義者団体だったりするので、そうナイーブにもなれず、どうももやもやとしていた。

今日の午後に出たル・モンドの追悼文にそうした部分が触れられていはしないかとも期待したが、一切その関係の記述はない。逝去に際して、個人の負の部分をあげつらうのも大人げないが、この機会にもう一度、事情を確かめようと思って調べてみた。彼のとる立場、それに対する批判、歴史的経緯などを生命倫理に関する論議の中で少しは詳しく実証的に扱った文が見つかれば面白いと思ったが、そんな虫のいいものは見つからない。その代わり、別の意味でもっと興味深い文書が見つかった。

他ならぬジェームズ・ワトソンの2000年に行われたインタビュー*3はこの件について触れ、クリック本人の現在の発言も付されている。ワトソンは、インタビュアーの発する中絶に関する親の権利についての質問に肯定的に答えながら、次のように皮肉を交えながら言う

フラシス・クリックは1968年にUniveristy College London で挑発的な講演をして、子供は生後2日待ってはじめて誕生を宣言されるべきだと言った。後になって私自身がその発言者に間違えられ、ヒトラーのような動機を持っているとして非難された。フランシスはこのときには、80歳より上の人間には国は医療費を一銭も使うべきではないとも言った。彼は今84歳だからたぶんこれには賛成しないと思うけど。そう発言したとき彼は52歳だった。

2日たって云々というのは、明らかに、上ででてきた優生学的なテストのことだ。この意見に賛成するかとインタビュアーに問われてワトソンは「もしそうしていれば、多くの家族の苦悩は少なくなるだろう」と言葉を選びながら答え、決定にあたっての母親の権利について述べる(この辺りのニュアンスは微妙なので、原文を元のコンテクストの中で参照されたし)。

インタビュアーはこのワトソンの証言を発表するにあたって後にクリックに確認をとり、次のように回答を得て(2001年6月28日)、注に付す。そこに収められるクリックの発言は以下のようなものだ。

私は確かにに1968年(またはその頃)Univeristy College London で挑発的な講演をしている。がその時の原稿を今もっているかどうかは定かではない。
あなたの2つの質問に答えるならば、実際私は意見を変えている。私は、少なくともこの国では、赤ん坊が生まれて2日たってからこれを生命としてカウントするということは不可能だと認識している。多くの宗教的な人々が生命はもっと早くに、場合によっては受胎時に始まると信じているからだ。ことばを変えて言えば、この場合赤ん坊の感情(ほとんどないが)だけでなく、両親の感情、そして社会の他の成員の感情も考えも配慮しなければいけないということだ。たとえそうした感情がどんなに馬鹿げていると考えるにせよ。しかしながら、私は重大なハンディキャップを背負った赤ん坊を生かすために例外的に大きな努力をするべきではないと考える。
年齢の上限について言うと、人々の寿命は1960年代に比べて伸びている。したがって私はその年齢はもうちょっと引き上げてもいいと思う。しかし厳密にそう決めることが受け入れられるとも思えない。この場合でも私は、非常に高価な治療、特に利用可能性の限られているようなものは、賢明な方法で割り振られるべきだと思う。オレゴン州ではそういう計画をめざしていると聞いたことがある。
もし今そのような講演をする−−ありそうもないことだが−−ことになったら、今はむしろ不治の病の患者の生を終らせる権利のほうを強調するだろう。これはオランダで試されていることだと思う。

本人の当初の信念が社会の通念に遠慮する形の発言となっている。問題は非常に深刻ですべてが白黒でつく問題でもない。とりあえず当事者の直接の発言を記録するにとどめる。老科学者の死はロマンチックな発見ストリーだけでなく、とても重い問題を思い起こさせてくれた。

*1:フランシス・クリック『熱き探求の日々 −−DNA二重らせん発見者の記録』(TBSブリタニカ、1989) 原著 Francis Crick What mad pursuit : A Personal View of Scintific Discovery (1988)

*2:エルヴィン・シャルガフ『ヘラクレイトスの火』(岩波書店、1990)原著 Erwin Chargaff, Heraclitean Fire(1978)

*3:PDFフィル。最初は The Chemical Intelligencer 2000, 6(4), 20-24 に発表と注記されている