ルネ君は何も分かっていない。

上で触れた問題についてフランシス・クリックの著書『熱き探求の日々』を見返してみたが、何もそうしたことについて触れていない。それはそれでこの本を読むにあたっては気が楽だ。代わりに面白い記述にぶつかる。カタスタロフィーの理論で有名なフランスの数学者、ルネ・トムが、クリックらの研究に数学的整合性から異論を唱えるというくだりで、クリックは次のように述べる。

彼の異論は誤解に基づく、無意味なものだということが即座にわかった。われわれの論文を十分注意して読まなかったか、読んでも理解できなかったかのどちらかだ。いずれにしても、私の体験では、数学者というものは知的に怠惰な存在であり、特に実験の記載された論文を読むのを嫌う傾向がある。
ルネ・トムと言えば、優秀な数学者には違いないが、いくぶん傲慢なところがあり、自分の考えを専門家以外にも理解されるような言葉で説明することなど好まないというタイプだった。...
もう一つの印象は、トムは科学の現場を知らない、ということだった。彼は自分が理解したことが気に入らないと「アングロサクソン的」だとけなしもした。(pp. 205 - 206)

いかにも、よく言われる実験・経験科学を貴ぶ英国の経験主義的態度と抽象的理論的な整合性に優位を置くフランスの合理主義的態度の対立を戯画化したようなエピソードだ。同時にある分野の専門にとびぬけて秀でた人間が別の問題についてはとんちんかんなことを言うことがあるものだというをこの話自体が教えてくれる。