敗戦の詔勅、フランス語で読んで。

下に引用した終戦詔勅の仏訳は戦史家の ピエール・モンタニョン Pierre Montagnon の La grande histoire de la seconde guerre mondiale (Ed. Pygmalion, 1999)から。この本は全2巻で各千ページほど。歴史読み物と研究書の中間的スタイルで書かれている。が、記述の正確さには格別の努力が払われ資料の扱いはかなり厳密で、第2次大戦の流れや個々の事実を知るのに便利だ。降伏をめぐる日本の8月14日、15日の動きだけでも10ページ以上を割き、14日の詔勅の録音、録音盤をめぐる攻防についても時間刻みで経緯を紹介している。

モンタニョンは、この詔勅を極めて重要な文書として、全文を紹介する。この詔勅によって戦争継続派の動きが完全に抑えられ、レジスタンス、軍や政府の分裂が避けられた見るからである(あきらかにヴィシー政権成立後のフランスの情勢を投影している)。

詔勅の日本語は私の世代には難解で、何やら訳のわからないものという印象があったが、フランス語で先入観なしで読むとがらりと印象が代わり、かなり明快である。日本語の文章で西洋語に訳そうとすると論理構造があまりに違うためわけのわからないものになるものがあるが、この文章はもともと西洋語の論理で書かれたようにさえ見える。原文と対照してもフランス語への訳は無理なく写されている。もともと漢文脈であるせいだろう。

戯れにフランス語からもう一度反訳したら面白いかも知れないと思ったが、時間がないのでやめた。口語訳が原文とともに収められているページがある。。

しかし原文を日本人が聞く場合の心理的距離感は、フランス語をフランス人が聞く場合からは想像できないだろう。これを理解させるのにモンタニョンは次のような説明をつける。「耳から入ってくることばは大衆にとってはまず理解できないものだった。皇帝は天の子だけに許された厳かなことばづかいを用いる。中国語ともいくぶん似通ったこの古いことばは大部分の人に理解できなかった。皇帝のことばを完全に理解するには、翻訳を待たねばならなかった。しかしすでにだいたいの意味は感じ取られていた。人々の顔は青ざめ、涙が流れていた。翻訳が終ると啜りなきが手放しのものとなった...」

フランス語で外国の文書として突き放して読むことで透けてみえやすいこともある。フランス語で Nous になっているのは「私たち」ではなく、王様などが自分を指すときに用いる、威厳のNous(Nous de majeste)というやつで、日本語の「朕」の訳であるが、帝政という日本の当時の体制をうきぼりにさせる。また、モンタニョンが注で指摘するように「他国の主権を侵害する意図は毛頭ない」とか「東アジアの解放」とかいうのは偽善にしか響かない。ヒトラーや冷戦期のソ連、最近のブッシュ政権のレトリックと共通のものである。一方「帝政を守ることができたので私はお前たちの中にある」というくだりの最初の部分はどうも体制変革(レジーム・チェンジ)に対する予防線のようでとってつけたもののように聞こえる。

これ以上戦争が続けば「文明の破壊」云々というくだり、特に「文明」という語彙にははっとさせられる。フランスの政治家は今でもしらっと使うことばだが、左派は別として、今の日本の与党の政治家が使うのを聞いたことがないし、使うところをあまり想像できない。「全ての国の幸福と繁栄」とか「東アジアの解放」いうのは偽善にしかすぎないが、偽善も含めすくなくとも一昔前のソ連、最近のアメリカと同種の語彙やレトリックを共有するくらいのある種のユニヴァーサルな観念が盛り込まれていることに少し驚く。今の日本政府が使うユニヴァーサルな観念の表現は米国のいうことのオウム返しでしかないことを考えると、基本的には共和制の支持者である私としては複雑な気持ちがする。

演説の後半の主眼、敗戦という事実を全国民に受け入れさせ、無用なレジスタンスを避けさせるためのアピールという点ではかなり明確である。敗戦後の国民の士気に対する配慮も簡潔だが欠けてはいない。1940年6月にフランスがドイツに降伏した際の、降伏を国民につげるペタン元帥の演説を読むと、降伏停戦しなければならくなった敗戦局の事実を述べる部分は具体的で冷静だが、これからどうすればよいかという後半の部分が、逡巡があり混乱した、正直だが人を途方にくれさせる−−「国には頼らんでくれ、自分を頼れ」とまで言う−−ようなものだった。