いつものことながら脱線してしまうようで−−ふつうのおじさんとしてのデリダ

id:temjinus さんのところで、8月19日付けのルモンドに載った、デリダの長いインタヴューの紹介。この人の熱心な読者ではないが、インタヴューからはそれなりの感慨を受ける。重大な病気を抱え、容易ならない治療を受けているというのもこのインタヴューで知った。前に小難しいレトリックでデリダデリダを連発する向きのために戯れ歌を書いたが、デリダその人を馬鹿にしているような按配になってしまっていたので、後味の悪い思いをしていた。罪滅ぼしにこのインタヴューを紹介したい気もあったが、他に適任者がゴマンといるはずでもあり、どうしようかと思っていたが結局だれも触れるものがない。見るに見かねてかどうかは知らないが、この手の知識人に最も厳しいはずの temjinusさんがとりあげ、なんとなくほっとする。

私のほうでいちばん印象に残ったのは、アルジェリアで、他の子供たちと一緒にフランス本土の標準語への違和感を共有しながら育ち、しかし否応なしにフランスを代表する書き手となった彼が持つ、自分の言語への関係が自明でないという感情の表明。

私の言語はひとつしかないが、しかしその言語は私の物ではない。
je n'ai qu'une langue, et en même temps cette langue ne m'appartient pas.

個人的経験だと、育った環境によってこの違和感を持つ人と持たない人がいる。

temjinus さんが抜粋しているが、ユダヤ系の出自から否応なしに課せられる現在の政治情勢についての思索からくるコメントも興味深い。アクチュアルな問題に発言するフランスの普通の知識人のおじさんとしてのデリダについてももっと多くの人が関心を持ち語ってもいいと思うが、多くのブログでは生きているか死んでいるかわからない哲学者としてのデリダにしかお目にかからない。極端には極端をというわけではないが、ル・モンドのインタヴューのものりよももっと、普通のおじさんっぽいデリダの発言を、別のあまり人目に触れないソースから引いてみる。ある講演で、「集会所」「議会」としてのシナゴーグの概念に触れたときに、突然、憤懣やるかたないという様子でこんなことを言い出すデリダ

今日最も憤激すべき、 許し難いことの一つは、シャロンを批判したり、クネセット[イスラエルの議会]で決められアメリカの支持を受けた政策を批判すれば必ず、反ユダヤ主義的(反セム主義的)人種差別、あるいは最近の言い方で言えば、ユダヤ人嫌悪症の廉で非難を受けるということです。ヨーロッパの反ユダヤ主義の恐ろしい復活の共犯者としてさえ非難される。あたかも、ショアーホロコースト]を忘れることが、アメリカによって支持されるイスラエルの政策を批判する人々の側にあるといわんばかりに。ショアーの忘却が、こうした惨澹たる政策を実施し支持するものの側にある−−私自身もそう考えるわけですが−−とする代わりに。そしてこうした政策は、不幸なことに、反ユダヤ主義の恐ろしい復活に無縁ではありません。もちろんそれだけが原因のすべてではなく−−それどころかほんの一部でしかななく−−、このことで反セム主義的人種差別の二つの形、ユダヤ嫌悪やイスラム嫌悪のいずれも絶対に正当化できるわけではないにせよ。いつものことながら私は本題から脱線してしまいます。

... une des choses les plus révoltantes et intolérables de notre temps, c'est qu'on ne peut plus critiquer Sharon et la politique israélienne élaborée par la Knesset et soutenue par les Etats-Unis sans se faire accuser de racisme antisémite ou, comme on dit maintenant, de judéophobie. Et même de complicité avec la renaissance terrifiante de l'antisémitisme en Europe. Comme si l'oubli de la Shoah était du côté de ceux qui critiquent la politique israélienne, soutenue par les Etats-Unis, plutôt que, comme je le crois moi-même, du côté de ceux qui conduisent et soutiennent cette politique désastreuse qui n'est malheureusement pas étrangère auveil du monstre antisémite, même si cela n'explique pas tout, loin de là, et ne justifie en rien aucun des deux racismes antisémites, la judéophobie et l'islamophobie. Je m'éloigne de mon sujet, comme toujours. *1

別にデリダでならではの思索が表明されているわけではなく、今のフランスで多くの人がもつ感情をストレートに表現した平凡なコメント。彼のような人間の口から出ると平凡だからこそ、そしてル・モンドのインタヴューで語られるその履歴を考えると、それなりに重みのあることばだ。

*1:J. Derrida "Le lieu dit : Srasbourg", in Penser à Strasbourg (Galilée, 2004), p.38