膨大な官僚・軍事組織をもち

19世紀グルメ話とのかかわりで取り出した「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」を拾い読み。同時代の空気がわからない者にとっては、この本ジャーナリスティックな調子が障害で、今ひとつぴんとこないところもあるが、それでも、フランスについて昔より少しは知識が増えた今読むと、前より面白い。

ちょっと長いが、面白いと思った部分の一つを引用。

膨大な官僚・軍事組織をもち、複雑多岐で精巧な国家機構をもったこの行政権力、50万の軍隊とならぶもう50万の官僚軍、網の目のようにフランスの社会にからみついて、そのすべての毛穴をふさいでいるこの恐ろしい寄生体、それは、絶対君主制の時代に、封建制度の衰亡のさいに発生したものであって、この衰亡を速める助けをした。土地所有者や都市の領主特権はそっくり国家権力の属性に変わり、封建的な高位大官は有給の官吏に変わり、相争うもろもろの中世的な全権の雑多な見本帳は、工場式に分業をおこない、仕事を集中化した一つの国家権力の整然たる設計図に変わった。ブルジョア的な国民の統一をつくりだすために、すべての地方的・地域的・都市的・州的な分立権力を打ち砕くことを任務とした第一フランス革命は、絶対君主制の始めた仕事、すなわち政府権力の中央集権化を発展させると同時に、またこの政府権力の規模や、属性や、属吏の人数を拡大せざるをえなかった。ナポレオンがこの国家機能を完成した。正統王政と七月王政は、分業を拡大したほかは、なにひとつつけくわえなかった。この分業は、市民社会内部の分業が新しい利害集団を、したがってまた国家行政のための新しい材料をつくりだすにつれて、拡大していった。村の橋や校舎や共有財産から、フランスの鉄道や国有財産や国立大学にいたるまで、およそ共通の利害はたちまち社会から切り離されて、より高い、一般的な利害として社会に対立させられて、社会成員の自主活動の範囲からはずされて、政府の活動の対象とされた。最後に、議会制共和制は、革命に対抗してたたかうなかで、弾圧措置によって、政府権力の手段を増大させ、その中央集権化を強めざるをえなかった。すべての変革は、この機構を打ち砕かずに、かえっていっそう完全にした。かわるがわる支配権を争った諸党派は、この巨大な国家構築物を自分の手におさめることを、勝利者のおもな獲物とみなした。*1

マルクスが友人の雑誌に頼まれて「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」を雑誌論文として書いたのは1851年末から1852年はじめにかけて。フランスで19世紀前半に進行したこの大きな流れは、中央集権の「未発達」なドイツに生まれ、国家権力がフランスのように絶対的でないイギリスの空気を吸っているマルクスには、フランス人よりもはっきり見えたろう。この中央集権化、国家機構の強大化はフランスでこの後もとどまることなく続いて行くことになる。変わったのは、メディアの役割が増大して、軍隊による物理的な弾圧の必要性が減ってきたことくらいだ。これからフランスがどこに向かうかは別として、フランス人は皆このプロセスがそれからさらに1世紀推し進められた構造の中で思考しているというのは、地方分権化をめぐる議論などを聞いていると、強く感じられる。

しかしそれにしても、上で記述されたプロセスは、彼の名を冠した主義を国是とする国でさらに強力に発展させられたことではないか。そういう意味ではこの一文には予言を読んでいるような錯覚にさえさせられる。

「すべての変革は、この機構を打ち砕かずに、かえっていっそう完全にした」というくだりで、国民文庫版の訳者は「(これまでの)すべての変革は...」と丁寧に語を補充するが、なにやら皮肉だ。「変革」にあたる部分はもとのドイツ語では、政治体制などが根本からひっくり変えることを含意する Umwälzung で、フランス語版の訳では 「révolutions politiques 政治的革命」としている。

こういう部分が、壁の崩壊以前、社会主義を標榜する国々で、あるいは西側でもマルクス主義を信奉する党派の中でどういう風に読まれてきたのか興味深い。こうした記述を読むものが、自らのいる体制で進行していることについて考えをめぐらせる危険性がないわけではない。その危険を防ぐためには、 「これまでの」という注釈を付すだけでは不十分で、かなり強力なアィディアの体系か、論理の芸当を必要としたろう(心あたりもないわけではないが...)。

*1:第7章。国民文庫版、村田陽一訳を一部改変。pp.145 -146