仏:公教育での宗教的標章に関する法律をめぐって

非宗教のもとの新学期、混乱なしに遂行。
La rentrée, sous le signe de la laïcité, se déroule sans incident

PARIS (AFP - 21:38) - Plus de 12 millions d'élèves ont effectué jeudi une rentrée marquée par l'application de la nouvelle loi loi sur la laïcité, interdisant les signes religieux ostensibles à l'école, sans incidents notables malgré la présence de 240 jeunes filles voilées recensées par le ministère.

1200万人以上の生徒たちは木曜日、学校でのこれみよがしの宗教的標章を禁じる非宗教に関する新法の施行に彩られた新学期に臨んだ。教育相のまとめでは240人のヴェール着用の女子生徒を数えたものの目立った混乱は起こっていない。

日本の新聞などでは「仏でスカーフ禁止法施行 緊張の新学期、大きな混乱なし」 (asahi.com)、「<フランス>スカーフ禁止法施行 緊張の新学期に」(毎日=Yahoo! Japan)のように報じられた、9月2日の新学期についてのフランスでの報道の代表的な例の一つである。この「スカーフ禁止法」と呼ばれるものの内容について、ネットで見かける記事では、「同法は『顕著な宗教的標章の公教育の場での着用禁止法』と呼ばれ、フィヨン教育相も一日、適用対象は「公教育の場」に限定され、家庭など学校以外では着用は自由だと強調。公立校では大型十字架やキパ(ユダヤ教の男子の帽子)も禁止対象となる...」(産経=Yahoo! Japan)というような実際の正しい内容については説明が省かれることが多く、またこの法律成立の背後の理念についての解説はまれである。

◆いわゆる「スカーフ禁止法」

「スカーフ禁止法」として喧伝されているこの法律は、フランスでは、上の報道にあるように、通常は「学校における非宗教に関する法律 Loi sur la laïcté à l’école」と呼ばれる。法案の段階で「公立の小・中・高校における非宗教の原則の適用に関する法案」名づけられていたことに由来する。あるいは条文から、「学校における宗教的標章に関する法律 Loi sur les signes religeux à l'école」とも呼ばれる。

2004年3月15日に、教育法141条5-1として成立 。実施に関する実務的な条項を除けば、内容は次の本文につきる。

「公立の小・中・高校において、生徒がなんらかの宗教に属することをこれみよがしに誇示するような標章あるいは服装を着用することはこれを禁じる
Dans les écoles, les collèges et les lycées publics, le port de signes ou tenues par lesquels les élèves manifestent ostensiblement une appartenance religieuse est interdit.

「これみよがしにostensiblement」という主観的な語にひっかかる向きもあると思うが、そうした表現を含む法律は少なくない。どのようなものが「これみよがし」かは、教育省通達で学校に指示され、髪の毛を全部覆うようなイスラム・ヴェール、キッパと呼ばれるユダヤ人の帽子、大きな十字架などが対象になるとしている。またこの禁止が適用されるのは公立の学校に限られ、私立の学校や大学は含まれていない。

内容としてはこのように全ての宗教の標章を対象にしているが、この法律の成立は、学校でのイスラム・ヴェール着用が引き起こした紛争に直接に結びついており、実質的な目的は、公教育の場でヘッド・スカーフ(ヒジャブ、トゥルバンその他)に代表されるイスラム・ヴェールの着用を排除することである。そのためこれがフランスで「ヴェールに関する法 Loi sur le voile」と呼ばれることも多い。ここから英語圏で「ヘッド・スカーフ法 Head Scarf Law」、あるいはさらに「ヘッド・スカーフ禁止法 Head Scarf Ban」と呼ばれ、日本語でももっぱら「スカーフ禁止法」と呼ばれることになる。

◆スカーフ論争のはじまり

フランスで学校におけるヘッド・スカーフの着用が社会問題になりはじめたのは1980年代の終りである。これもときどき誤解があるが、今問題になっている「スカーフの禁止」は、伝統的に多くのイスラム教徒の女子生徒がスカーフをしていたのを今ごろになって禁じることになったという性格のものではない。スカーフを学校で着用することを主張するという新しく現れた現象が15年かけて広がってきたことに対するリアクションとして生まれたものである。

エジプトやトルコで、大学や知識人社会といったこれまで女性がスカーフをしていなかった領域で、政治・宗教的的主張をこめてスカーフを着用する女性が現れはじめたのは1970年代から1980年代にかけてのことだと言われている。大学や公的職務でのスカーフの着用を法律で禁じているトルコでは着用の権利を求める女性と公的権力の間で紛争が起き、社会的論争となった。禁止していないエジプトのようなところでは一方、スカーフをする女性の増加、スカーフの着用を絶対的義務と説く宗教的者の影響力の増大は、これまでスカーフをしていなかった女性に対し圧力となった。

こうした、スカーフ着用をイスラムの教えの絶対的義務として、教育の現場でも積極的に主張するという動きはフランスにも上陸する。そして1989年の新学期にオワーズ県のある高校で、学校でのスカーフの常時着用を主張する3人の女子高校生と、それを非宗教と女性尊重の観点から認められないとする高校側とが対立、3人が授業から排除されると、メディア、知識人、政治家を巻き込む大論争となった。このとき教育相(当時ジョスパン)から見解を求められた国務院は、宗教勧誘行為などでクラスの秩序を乱したり、圧力によって他人の宗教の自由を冒さないかぎり、自らの宗教的信念を表明するのは生徒の権利であるとした。当時の状況を背景に考えれば相対立する権利をバランスよく検討したといえるこの見解は、しかし、ケースによっては学校長に制裁の余地を残しながら、着用の自由を基本的に保証するもので、あいまいさを含んでいた。この意見書は一種の判例として機能するが、そのあいまいさの故に、非宗教に関する強い信念から着用をやめさせようとする学校長と宗教の自由を主張する生徒の間で散発的に起きる係争の決着のしかたに大きな混乱をもたらした。

◆非宗教・男女平等vs.着用の自由

しかし何故裁判ざたになってまでしてスカーフを禁止しようとする教師や学校長がいるのか。すでに少し触れたようにこれは2つの基本的な価値観に関わっている。

まず一つは、フランスという国、特に公教育における非宗教の原則である。学校における宗教の排除は、公教育へのカトリック教会の介入に対する闘争の成果として1905年に法律で明示的に導入された。そしてその精神は戦後の社会の大幅な世俗化に伴って自明なものとして社会全体から認知されていた。そこに宗教的意味付けを持って持ち込まれるスカーフがこの原則を危うくするものととらえられる。

もう一つがスカーフ着用のもつ性差別的な含意である。女性にだけに適用される宗教的あるいは伝統的な規範は、厳密に言えば、生物学的必要性に立脚していない限り、それだけですでに性差別の契機を含んでいると解釈される。それに加え女性の体を覆うということが、イスラム教の他の規範にみられる男性の優位、女性の服従への連想とあいまって、すぐれて性差別的なシンボルとして認識された。そうしたシンボルの学校での着用を許可することは、本来男女平等を教える場への差別の契機の侵入を認めることであり、阻止すべきものだと考えられた。

しかし着用を禁じることは個人の宗教的信念の表現の自由と対立する。着用を理由に生徒を授業から排除し退学にすれば教育を受ける権利を侵害することになる。非宗教、男女平等の教育の場での確認の必要性と信教の自由・教育を受ける権利という二つの重要な価値がせめぎあう場としてスカーフ問題は常に激しい論争の種になった。そして上で触れたとおりその間にうまくバランスをとろうとした国務院の見解が増大する紛争の解決に役に立たず、新しい紛争があるたびに、論争は周期的に繰り返された。直接スカーフの着用に関係のないイスラム教徒でない者の間でも、どちらかの価値を擁護しようとするその態度が真摯であればあるほど、議論は白熱を究め、取りうる立場の選択は通常の政治的な左右の布陣を横断していた。

◆宗教共同体主義のシンボルとしてのスカーフ

議論の枠組みが、非宗教・男女平等の原則に対する着用の自由を求める個人の権利の衝突というものである最初の間は、多くの知識人の間で価値の重みは後者に傾きがちであった。国務院の見解もその傾向を反映している。しかしスカーフの着用の権利を主張する生徒の存在がフランスのあちらこちらで目立つようになるにつれ、問題は公の理念対個人の権利という枠を越えていることが次第に明らかになってきた。

フランスでは1990年代になって、イスラム系の移民の第二世代の中で、イスラム教にアイデンティティを見出そうする傾向がはっきりしてくる。スカーフ着用の主張もそうした回帰の一部である。このイスラム回帰は、一方では、新しい形の布教組織によって広がり、一方では、社会差別に対するいらだちからくる一般的リアクションとしても生じた。この傾向の中で、イスラム教の規範意識がしだいに地域の空気を支配するようなことも起きてきた。

こうなってくるとスカーフの着用が必ずしも個人の選択といえない事態が生じる。1990年代の半ばにはすでに、イスラム系の女生徒にスカーフを強制するような圧力が、親兄弟だけでなく、学校の中の男子生徒によって加えられている地域の状況が報告された。こうした中で、スカーフをする女生徒の存在は、イスラム系の女子生徒を「よいイスラム教徒」とそうでない存在−−若者たちの表現を借りれば「売春婦」−−に分けるためのモデルとして機能する。2001年の9.11事件のあとの米国の「対テロ」戦争、それと前後して激化した中東紛争の影響の中で、イスラム系とユダヤ系の共同体の対立が激しくなり、そうした中で、スカーフが政治的主張をもって学校に持ち込まれることが生み出す緊張も問題になった。

さらには、イスラム回帰に帰依する人々の学校や公的施設に対して行う権利の要求が増大してくることが懸念されはじめた。食物のタブーの学校の食堂のメニューへの配慮は比較的好意的に理解されたが、ラマダン(断食月)時の自主休学、女性患者の男性医者に診察されることの拒否、公営プールの女性のための時間帯の要求などがすでに問題となっていた。種々の学校活動で男女の隔離を要求したり、バカロレアの面接試験に女子受験生が男性試験官を拒否するケースなどはきわめて極端な例だが、学校でのスカーフ着用の主張が、こうした次第にエスカレートする要求の橋頭堡になるのではないかという警戒が生じてきた。

/* 続く
◆「学校での非宗教法」の成立
◆「学校での非宗教法」へのリアクション
◆2004年9月2日