児童殺害犯の死刑執行

日本は子供8人の殺害犯人を処刑
Le Japon exécute l'assassin de huit enfants

AP | 14.09.04 | 05:23

中身は日本で報道されている通り。

1993年に、日本政府は4年間続いた極刑執行猶予措置を解除することを決めた。しかし1998年まで死刑が執行されていることを公に認めることを拒否してきた。
En 1993, le gouvernement japonais a décidé de lever le moratoire vieux de quatre ans concernant les exécutions capitales. Mais jusqu'en 1998, il s'est refusé à reconnaître publiquement les exécutions auxquelles il procédait.

と背景を解説。

欧州評議会で、オブザーヴァーの日本の死刑問題は定期的に問題になり、オブザーヴァー資格の見直しも示唆した勧告も数度出ている。日本で報道されかどうかわからないが、麻原彰晃の死刑判決が出たときも遺憾の意の声明を事務局長名で出した。ただし欧州評議会は日本のオブザーヴァー資格を停止するという措置まではしない。もともと必然性の薄い日本との関係をこの問題ですっぱり断つというききめのないラジカルな措置よりも、関係は残しておきながらそれを資本に勧告などで説得を続けるというのが欧州評議会の今のところの方策だという。チェチェン問題でロシアに対し、またクルド問題でトルコに対しドラスティックな措置をとれなかったのと似たような論理がはたらいている。この戦略はトルコには効いたが、ロシアにはなすすべがなかった。日本の死刑廃止はいつかとヨーロッパ人に聞かれるたびに、アメリカ次第、ヨーロッパからの働きかけの功は極めて少ないといつも答えることにしている。

1981年、フランスで死刑廃止が政治的日程にあがっていた際、フーコーは、国家権力が死刑にしがみつくのは、国家がその構成員に生殺与奪の権力があることを自ら誇示するためだと見通し、死刑廃止論はすべての権力を超越するそうした権力の存在を認めないという論理からなされなければならないと論じた。さらに、世間が死刑の廃止存続で議論しているのを尻目に、この論理から、犯罪者の矯正可能性を追求しない刑のありかた、終身刑にまで、死刑の代替刑として疑問をつきつけていた。しかし、このブログが始まってからでも何件かあったような、受刑者の矯正を信じるあまりにひき起こしてしまった無監視の出所者の凶悪性犯罪を前にして、フーコーは何と言ったろうか。

日本のフーコー専門家たちの自国の死刑の問題へ関わりはどうなのだろうか。フーコーの思想の中で、ついでの話どころか、核心的でさえあるこの問題への関与は。検索したが今一つよくわからない。