「2人のシモーナ」とイタリアの団結

fenestrae2004-09-28

イタリアじゅうの称賛の的となった「2人のシモーナ」
Les "deux Simona" ont forcé l'admiration des Italiens

ROME, 28 sept (AFP)

火曜日にバグダッドで解放された2人のイタリア人人質、シモーナ・トレッタさん、シモーナ・パリさんは同胞の称賛の的となり、人々は彼女たちが拉致されている3週間の間二人のために団結を絶やさなかった。
Les otages italiennes Simona Torretta et Simona Pari, libérées mardi à Bagdad, ont forcé l'admiration de leurs concitoyens qui se sont mobilisés pour elles tout au long des trois semaines de leur détention.

2人のシモーナさんの解放を伝える記事の直後に Courrier International に掲載されたローマからのAFPの記事。2人の家族環境の記述まであり少しタブロイド紙的な感じもしないではないが、2人がどういう人かを詳しく、また、拘束中のイタリア人の反応がどうだったかを伝えてくれる。

記事の続き。

すべてのイタリア人にとって、彼女たちは「2人のシモーナ」、「最も恵まれない人々、子供たちを助けるため」困難な状況のもとイラクへ赴いた女性として知られるようになった。街角の庶民からカルロ・アゼリオ・チャンピ大統領までイタリア全体が2人の若い女性の決意と素朴さに心を動かされていた。彼女たちは「恵まれない人々、助けを必要としている人々に対する国境を知らない連帯の精神を」示していると、チャンピ大統領は解放を呼びかける声明の中で語った。数万人の人々がたいまつをかざしてのデモに参加し、2人のシモーナへの関心が薄れていかないよう、連帯のメッセージを送った。

2人とも29歳。輝かしい学歴を持ち、13年前に結成されたイタリアのNGO組織「バグダットへの架け橋」のために働いている。

シモーナ・トレッタさんは、1994年にイラクを初めて訪れて以来この国に魅せられ、その若さにもかかわらずイラクの「ベテラン」と見なされていた。ローマ出身で3人姉妹の長女、父親をすでに亡くしている彼女は、1996年からバグダッドに腰を落ち着け、2003年の戦争の間もそこに留まっていた。ローマの美術大学を卒業し、バグダッドNGOの派遣チームのリーダーとして人道援助活動をしながら、人類学の学業を続けていた。誘拐された9月7日は、学業のため日課の一部を割いていた。担当していたのは現地の図書館の再建事業と学校の復興計画。友人から「非常に決断に満ちた女性」と評され、イラク人の白血病の少女をローマで入院させるために困難を乗り越えて多くの人を動かした。今では14歳になるこのイラク人の少女、ハンヤは、現地で一切の治療薬を欠いていたが、18か月の治療によって治癒し、2002年6月にイラクに戻ることができた。

シモーナ・パリさんは、ボローニャ(イタリア中部)生まれ。リミニ(アドリア海沿岸)で、学校時代を過ごした。リミニには離婚した両親が現在も住んでいる。彼女は大学に入るためボローニャに戻り、2年前から「バグダッドへの架け橋」のために活動していた。哲学、ジャーナリズムの学位と、開発協力関係学科の修士号を持ち、以前から「イタリア・セイヴ・ザ・チルドレン」のために、シモーナ・トレッタさんと同じように学業のかたわら、子供の人身売買に対し闘って活動していた。彼女はまたアフガニスタンコソボアルバニアモンテネグロに赴いており、それらの任務について新聞にいくつもの記事を書いている。バグダッドには2003年の春に到着。200人の生徒が去年の夏までいた学校にかかわる計画を担当していた。友人たちは彼女を「陽気で、勇気があり、意欲に溢れている」と評する。テレビのルポルタージュではまた、頭を覆うためのスカーフに色付きのものを選び、エレガントさを見せていた。

この2人の若い女性は互いに補いあうコンビで、シモーナ・トレッタさんが「情熱的」、シモーナ・パリさんが「理性的」と評されていた。

イラク戦争への反対デモに参加する人もしない人も、イタリア人のすべてが2人の若い女性の情熱と、学校の子供たちと手をつなぐ彼女たちが見せる生きる喜びに感嘆していた。

生きる喜びの発露に人々が感嘆というのがいかにもイタリアからの記事らしい。