サガン「悲しみよこんにちは」再び

9月28日の文章でやり過ごしたことを昨日のTV番組に触発されて少しばかり。

この「悲しみよこんにちは」という小説は、語りにおいて一種の額縁型の構造をもっている。つまり、冒頭の最初のパラグラフと、最後のパラグラフ(+α)が、物語に額縁のように枠をはめている。語りのスタイルとして、額縁の部分では語り手=私が、自分の今のこと、今の感情を直接に語っている。物語の部分も一人称で語られているが、語り手は背後に退き、一人称で語られる過去の物語を提示する。

この額縁(現在)と物語(過去)の部分の区別は、文法と直接に結びつく文体の面からも具体的も区別されている。つまり、額縁の部分は主に現在形(と複合過去)が用いられ、物語の部分は、歴史を語る時制の道具である単純過去と半過去で叙述が進められられる。こうした時制の使い分けの及ぼす効果を思い切り単純化して、視覚的なイメージでいうと、最初のパラグラフでは私のことを語る18歳の娘が見えている、あるいはその声が直接に届いているのに対し、次のパラグラフで物語が始まると、18歳の娘の声はオフになり、17歳の娘を映し出すフィルムが始まる、そんな感じを想像してほしい。そして最後のパラグラフになると、フィルムが現在につながり、また私=娘が戻ってくる。

さて、額縁の最初のほうはどうなっているかというと、だいたいこんな感じだ。

そのけだるさと甘さが私をとらえて離さないこの未知の感情、それに悲しみという、美しくも重々しい名前を与えるのを私はためらう。この感情はあまりにも完全で、あまりにも利己的なもので、それにはほとんど羞恥すら覚える。それにひきかえ、私にとってはいつも、悲しみはまともな感情に見えた。悲しみ、私はそんなものは経験していなかった。倦怠や、後悔、もっとまれには良心の呵責をも知っていたのに。いまでは私の上に、何ものかが、ちくちくするが柔らかい絹のような何ものかが、包みこむようにかぶさり、それが私を人々から隔てている。
Sur ce sentiment inconnu dont l'ennui, la douceur m'obsèdent, j'hésite à apposer le nom, le beau nom grave de tristesse. C'est un sentiment si complet, si égoïste que j'en ai presque honte alors que la tristesse m'a toujours paru honorable. Je ne la connaissais pas, elle, mais l'ennui, le regret, plus rarement le remords. Aujourd'hui, quelque chose se replie sur moi comme une soie, énervante et douce, et me sépare des autres.

このあと次のパラグラフに入り、「その夏、私は17歳だった...」といよいよ物語がはじまる。

最後のほうはどうか。事故によって夏の物語が幕をとじ、その事件の後の顛末が語られると、最後のページは、夏の事故の記憶がしだいに以前のような日常に席をゆずるようすの描写に当てられる。その描写の最後のほう、最後から2つめのパラグラフの途中で、突然、現在法が現れ、語り手と行為者が一致する語り、しかも現在のことがらを、語り手が今の自分のこととして話す語りになる*1。そして最後のパラグラフが、

ただ、ベッドの中で、明け方、パリを走る車の騒音を聞くときだけ、思わず記憶が蘇ってくることがある。あの夏が、あれこれの思い出が戻ってくる。アンヌ、アンヌ!その名前を、私は暗闇の中、ひっそりと、いつまでも繰り返す。そのとき何かが心のなかに沸き上がってきて、そして私は、目を閉じたまま、それをその名とともに迎え入れる−−悲しみよこんにちは
Seulement quand je suis dans mon lit, à l'aube, avec le bruit des voitures dans Paris, ma mémoire parfois me trahit : l'été revient et tous ces souvenirs. Anne, Anne ! Je répète ce nom très bas et très longtemps dans le noir. Quelque chose monte alors en moi que j'accueille par son nom, les yeux fermés : Bonjour Tristesse.

額縁の冒頭の部分を「プロローグ」、末尾の部分を「エピローグ」と呼ぶとすると、小説の構成は、

「プロローグ−物語−エピローグ」

となっている。ただし、プロローグと物語の間は断絶を伴う時間の逆行によって切れているのに対し、物語とエピローグの間は、物語が現在においつくという形でゆるやかにつながっている。

この構成には一見何の問題もないように思われる。が、少し仔細に小説の解釈をはじめようとすると実は解決しなければならない問題がある。

9月28日の日記でこの小説について書いた際に、次のような解釈風のことを書いた。

犠牲者を生んだ私は、当然おこるべき単純な後悔の感情を、名づけることもできない、甘美な絹のような手触りの何ものかとして享受し、愛撫する。

あるいは

この娘は、他人の犠牲によってひこおこされた感情を、宗教的ではなく、哲学的でさえもない、美的・感覚的ななにものかに変化させながら、いつくしむように抱き、禁止行為の成功を享受しながら生き続けることを肯定する。そこに成長があるとすれば、それは改心ではなく、自己肯定による成長だ

実はこの読みを提示したときちょっとインチキをしている。というのは、読みについて、異論の余地があるかもしれない論点について、ややこしくなるので触れていないことだ。

上の部分で私は著者の最終的ポジションをプロローグに重みを置いて解釈している。つまり著者が、ある事件のあとで自分のいだく感情に、悲しみという明確な名を与えられず、曖昧な何か官能的なものとして享受しているというそこでの言明を現在の不動のポジションと解釈した。

しかし、 「(プロローグ)物語(エピローグ)」という構造を直線的に見て、エピローグの「私」がプロローグの「私」より時間的にあととするのは実は素直な解釈だ。こうなると、プロローグの部分が、物語を介して、エピローグに至る、つまり、プロローグの「私」が、「物語」を語ることによって、エピローグの「私」に至ったと解釈できることになる。つまり、「私」は自分のいだく感情を、事件からほぼ一年たって、明確に「悲しみ」という名で迎えいれることができるようになったといのが最後の到達点となる。こうなると「成長」の到達点は、悲劇を「悲しみ」という感情で素直に受け入れられるようになった「私」ということになり、変化による成長があることになる。

しかし私は後者の解釈をどうしても受け入れることができなかった。何らかの個人的な嗜好や先入観があるのかもしれない。しかし基本には、プロローグの見事な表現にくらべて、物語の中のセシルを半分ひきずったエピローグの部分があまりに単純、安易するぎるように見えたというのがある。私の中では、エピローグは物語とゆるやかに繋がる現在の「セシル(→私)」で、それをさらに「私(→サガン)」によるプロローグが上から俯瞰するように包み込んでいると解釈した。つまり、額縁が

(プロローグ((物語)エピローグ))

のように多層になっているという解釈である。額縁の構造を単層に見るか、多層に見るのかは、この小説の解釈を大きく分ける−−自分の読みの論理的な正当性がうらづけられるかどうかの−−キーポイントなのだが、28日の文章ではそんな話を展開する余裕はなく場所でもないと思ったので、やりすごした。これが私がやった「インチキ」の部分である。

論理的なインチキをしたままほうかむりしているのも気持ちが悪いので、この問題を上のように提示しようかどうかと何度か迷ったが、やはり場所にそぐわないのでやめようと思っていた。それに提示したからと言ってこれ以上に発展があるとも思われなかった。さらには、このようにプロローグとエピローグの関係が不明確で背反しさえもするのは、この小説の論理的な構成上の傷とも思われた(その思いはまだ消えていない)。

インチキの後味の悪さを忘れかけていた昨晩(9月30日)、昨日の日記(30日)で触れたように、TVをつけると偶然、Campus という文芸番組で、サガン特集(Adieu Sagan, Bonjour tristesse…)。フランソワーズ・サガンが2002年に応じたインタビューの部分をやっていて、その中で、この問題をまた思い出させるような次のようなサガンの発言があった。

インタビューの中でインタビュアーのギヨーム・デュラン Gillaume Durand 氏が、「悲しみよこんにちは」の冒頭を読み上げ、すばらしいフレーズだと褒めたのに対しサガンはすかさず、いや最初に書いたときの冒頭のフレーズは、「その夏、私は17歳だった...」で、その今の最初のパラグラフは最後に付け足したものだとこともなげに述べたのである。

エピローグも含めた全体の推敲との関係はその短い言葉からは詳しくはわからないが、その一言で、(プロローグ((物語)エピローグ))を自明とした解釈に作者のお墨付きを得た気がして、インチキの後ろめたさが一瞬にふっとび、すでに酔いの回っていた頭で軽い興奮を味わった。

が、その後に、同じ番組の中でもっとすごい話を聞いた。最近サガンの伝記 Sagan(Mercure de France、2004)を著した Jean-Claude Lamy 氏が発言し、「悲しみよこんにちは Bonjour Tristesse」の最初に予定されていたタイトルは「悲しみよさようなら Adieu Tristesse」であり、これには出版社との契約書という文書証拠があるというのである。この伝記を読んでいないので、他にも詳しい情報があるかどうか分からないが、タイトルの変更が本文の改稿になんらかの相互関係があると考えるのは決して不自然ではない。もし本文の最後の文句が、最初 Bonjour Tristesse でなく、Adieu Tristesse だったとしたら...

話がますますややこしくなっていく。果たしてプルーストセリーヌを研究するような学問的情熱と厳密さででサガンの小説について草稿研究による成立過程の検証を行う者が今後出てくるかどうか気になりながらも、「悲しみよこんにちは」についてだけでも、やってみればその解釈を左右する面白い論点がいろいろ発掘されるのではないかと思っている。

/* 10月1日の記事として書いたが、1日が人質関係ニュースで重くなりすぎたので10月2日分に移動。

*1:厳密にいうとその前、最後から3つめのパラグラフの冒頭に突然 "Nous avons vécu ..."と複合過去が−−このパラグラフで一回だけ−−現れ、「現在」への復帰がかすかに示唆されている