香田さん拉致、殺害事件−−ル・モンド記事

現在(日曜朝−−執筆時点)ル・モンドネット版の見出しページトップで、以下のようになっている。

Mort d'un otage, la force japonaise restera en Irak
人質死亡、日本の兵力はイラクに留まる

バックパッカーの若者香田証生氏のアブ・ムサブ・アルザルカウィイスラム主義グループによる殺害の後も日本はイラクから部隊を引き揚げる予定はないと、日本の小泉純一郎首相は日曜日「わが国は国際社会と協力してイラクの人々のための人道・復興援助続けていく」と小泉氏は強調した。香田氏の殺害によって開戦以来イラクで死亡した人はこれで5人となり、いずれも民間人・文民である。

Le Japon ne retirera pas ses troupes d'Irak après l'assassinat de son jeune otage Shosei Koda par le groupe islamiste d'Abou Moussab Al-Zarkaoui, a affirmé dimanche le premier ministre japonais Junichiro Koizumi. "Notre pays poursuivra, en coopération avec la communauté internationale, son assistance humanitaire et de reconstruction pour le bien du peuple irakien", a souligné M. Koizumi. L'exécution de M. Koda porte à cinq le nombre des Japonais tués en Irak, tous civils, depuis le début de la guerre.

これをクリックしていく本体の記事は、

人質の殺害にかかわらず日本はイラクから部隊を引き揚げず。
Le Japon ne retirera pas ses troupes d'Irak malgré le meurtre d'un otage

LEMONDE.FR | 31.10.04 | 08h22 • MIS A JOUR LE 31.10.04 | 10h18

AFP電を利用した無署名記事。事件後の部隊駐留に関する日本政府の政治的立場表明を中心に紹介した記事。「malgré にもかかわらず」というのは、日本だけでなく、イラクに派兵している国に人質事件で撤兵が要求されるときの状況下で書かれる記事では決まり文句のように出てくるなことばで、政治的立場は込められていない。念のため。リード文にあたるところに、日本人が死亡した過去の事件を簡単に振り返っている。

香田氏の殺害によって開戦以来イラクで死亡した人はこれで5人となり、いずれも民間人・文民である。しかし氏はイラクで人質として殺害された最初の人質となった。2003年11月に2人の外交官がティクリットでのイラク復興に関する会議に赴く途中で死亡。5月には2人のフリーランス・ジャーナリストがバグダッド近くのマムディヤで攻撃にあい死亡している。
L'exécution de M. Koda porte à cinq le nombre des Japonais tués en Irak, tous civils, depuis le début de la guerre. Mais il est le premier otage nippon à trouver la mort en Irak. En novembre 2003, deux diplomates japonais avaient été tués en Irak alors qu'ils se rendaient à une conférence sur la reconstruction du pays à Tikrit. Deux journalistes indépendants japonais avaient trouvé la mort en mai lors d'une attaque à Mahmoudiya, près de Bagdad.

※最初civil を 民間人とあっさり訳していたのを、民間人・文民というまどろっこしい訳語に変えたのは、id:yskszk さんの指摘(id:yskszk:20041031#p2)を見たためである。


香田さんの人質事件に関してはル・モンドでは第一報以来いくつもの記事が載り、現在ネット版一面になっているように、扱いも小さくはない。29日(日本時間30日)に頭に銃弾が打ち込まれたアジア人の死体発見の例のニュースのときには、断定はしないものの「香田さんの死体発見か?」というのが臨時ニュースになった。現在検索なしでトップページやどれかの記事から行けるようになっている最近の記事には以下のようなものがある。

日本人旅行者香田証生のイラクでの悲劇的な冒険−−事件の経過
Chronologie : La tragique aventure du routard japonais Shosei Koda en Irak

LEMONDE.FR | 31.10.04 | 08h22 • MIS A JOUR LE 31.10.04 | 08h43

これは26日の犯行声明、ビデオ放映から31日の遺体の確認、政府の声明までの経緯を時系列に添って箇条書きで要領よくまとめてある。

また、例の29日の人違い遺体時の

日本人人質の香田証生殺害か
Shosei Koda, l'otage japonais aurait été executé

LEMONDE.FR | 29.10.04 | 21h04

イラクで発見された死体は日本人人質のものではないLe cadavre découvert en Irak n'est pas celui de l'otage japonais
LEMONDE.FR | 30.10.04 | 11h32

これらはAFPかロイター電を自社記事に流用したものだが、29日一時、死亡説がほぼ確定となっていた時に、日本特派員のフィリップ・ポンス氏が書いたのが、


香田証生、24歳。日本の若いバックパッカー。
Shosei Koda, 24 ans, jeune routard japonais

LE MONDE | 30.10.04 | 13h25 • MIS A JOUR LE 30.10.04 | 19h25

これは香田さんの人物像や今回の事件の政府、世論の反応をまとめたもの。そう長い記事ではない。「もし遺体の身元がが確認されれば日本で最初の人質犠牲者となる」と慎重さを残して書いているが、明らかに、ほぼ確定という日本国内のメディアの報道と軌を一にして書かれており、ポンス氏にしてはややフライングぎみだったことになる。

この記事を最初に見たとき、一瞬紹介しようかと思ったが結局やめた。4月の3人の人質事件の際、人質の若者たちの像、世論の反応を対比させてをとりあげた記事がル・モンドにかなり大きく掲載され、これが日本で、あれこれのかまびすしいコメントの対象になったのを覚えているので、訳するとなると語句の選択などに神経を使うことになることがわかったからである。

例の4月の事件の記事が多くの場所で「ル・モンドが日本の世論、政府を批判」というようにとらえられているのを見た。それは、人質を批判、場合によっては中傷するあのときの世論のある部分(一部が多数か私は正確に計量できない)、政府の人質とその家族にに対する批判的態度を、ル・モンドという新聞がよくぞ批判してくれたというニュアンスで紹介されるときもあれば、ル・モンドという外国の政治的に左寄りの新聞が日本を理解しないまま批判したというふうにとらえられそれが攻撃の対象になりもした。

実際のところは、日本に25年以上住み、日本の変遷をつぶさに見ている一人の老練な特派員が、中と外の目の間のバランスを上手にとりながら書いた記事にすぎない。その中に、人質批判に向かう世論の過熱や政府の態度を奇異な現象として見る観察があった。それは国内の多くの日本人(これも私は計量できない)が共有した視点でもあり、そして特に日本国内の三面記事的報道による世論の過熱を知らない在外の日本人にとってはさらに自然な見方でもあったと思う(私の交友範囲では)。

が、その記事はイデオロギー対立の中で、代理戦のひとこまになったようだ。社説でもなんでもないにもかわらず、「ル・モンド日本批判」ということばが一人歩きした。ル・モンドという新聞は基本的にはジャーナリストの集合体である、その中にいろいろな観察眼を持った人がいる。ただ新聞全体として見れば、その観察眼のあり方に一定の傾向があり、観察に極端な主張がすべり込んでいるときはデスクがチェックするという意味で、記事はル・モンドという新聞が掲載を裁可したものというほどのギャランティがある。記者の視点の鋭さと、新聞社としてギャランティの確かさの均衡に、読むものは金を払っている。あるいはただでも引用しながら、ある程度自分の知的、政治的権能を信託している。

ポンス−ルモンドの今回の記事も、4月の事件を念頭において、うのめタカもので何か政治的なものをみつけ出しながら読もうと待ち構えている人がいるかも知れないが、残念ながら、イデオロギー戦の華々しいコマにになるものはない。

ただ、この人の記事にはいつも、若者の行動をなんとか理解しようと視線がみられる。イラクへ行くボランティアの若者、セキュリティのことをあまり気にかけないバックパッカーの若者、ネット自殺する若者、そうした若者−−それは大方、彼が日本に住みだしてから生まれた人々だ−−の行動を道徳的見地から云々するのではなく、そこに何か新しい現象を見、そしてそこに、もしかしたら正の方向でも負の方向でも何か日本という社会の変化があるのではないかという問いかけが感じられる。

この香田さんについての記事にも彼だけでなく彼が代表する一群の若者に対するそうした理解の試みが見られる。社会学的な理解や記述が追いつかないところではあえて文学的修辞をつかって、こぼれ落ちるニュアンスを拾おうともしている。この記事を誰かが翻訳してくれるかもしれないし、気が向いたら私もやるかもしれないが、しかし、そうしたジャーナリストの興味を共有せずに、一言半句をとらえて、あらかじめ決められた政治的立場から、ある現象に対する「ル・モンド」の支持や批判だけを探そうとしたり、「外国人記者」の日本文化への無理解や批判を探そうとする読みはむなしいと言っておきたい。