コートジヴォワール情勢(三たび)

9日朝アフリカ連合を代表して南アフリカのムベキ大統領がコートジヴォワール入り。バグボ大統領から停戦遵守の言質をとりつける。また、コートジヴォワール軍+国連軍+フランス軍による共同治安活動の動きによって一時、平穏が戻るが、今日の午後からまた、大統領派の「若き愛国者」たちを中心とする住民グループとの衝突が始まる。バグボ大統領は表と裏の言語をうまく使いわけているのか、すでに彼にもコントロールがきかない部分があるのか。北部では政府軍と「新勢力派」の衝突。大規模な脱出作戦はないが、フランス人住民は民間特別機などで徐々にコートジヴォワールを離れる。その他の国も現地滞在者の避難へと動き出す。スペインはスペイン人住民脱出のために軍用機を派遣。日本人はどうしているのか。

アメリカは他の安保理国と同じくバグボ政権の停戦違反を非難しフランスの立場を支持しているが、ル・モンドはこの新聞にしては珍しく、大統領選挙の終了によってバグボとアメリカの間に何かあったのではないかとの陰謀論すれすれの指摘(昨日の社説の最後の部分)。フランスのメディアは、国連決議をバックとしたフランスの行動と、アメリカのファルージャでの行動が同一視されることを恐れ、むしろアメリカがこうした状態の誘発を希望し、これをプロパガンダに利用するのではないかとの観測も持つ。

フランスは軍を引いても引かなくても、何かしてもしなくても、非難される微妙な立場に。新勢力に肩入れしすぎるという批判と、バグボの停戦違反にきっぱりした態度をとるのが遅すぎたという批判の両方が、両派からだけだなく、フランス国内からも出ている。

ルワンダの亡霊がフランスの態度につきまとう。何もせずに新たな流血の責任を負わされるか、アフリカ人同士の問題に首をつっこんだまま何も解決をみいだせないでいるかという二つの袋小路で。一般に考えられているのとはうらはらにフランスは、コートジボワールにはほとんど経済的利益はないのにもかかわらず、「審判死ね mort à arbitre 」を叫ぶ政府軍、反乱軍の両方のスケープゴートになっている」と Nouvel Observateur の編集長は社説「Le spectre du Rwanda ルワンダの亡霊」で指摘する。

経済的利益が「ほとんどない」というのは言い過ぎにしても、一昔前のような重要性はもうないと指摘*1し、それでもなぜフランスがコートジヴォワールの平和維持活動−−別の解釈ではあるいはそれに名を借りた駐留−−にこだわるかという疑問に答えるのが、ル・モンドの記事「Paris s'est fortement engagé dans la crise ivoirienne pour défendre sa crédibilité en Afrique フランス政府のコートジヴォワール危機への深い関与は、アフリカにおける信用を守るため」。フランスにとって最も重要なのは、外交的利益であり、アフリカの20ほどの国に対しての後見人としての信用度だとする。具体的には、これによってフランスは種々の国際機関、特に国連において多くの票を得ている。内戦の勃発によってコートジヴォワールだけでなくこの地域の安定が崩壊すれば、この図式が崩れる。人道援助、平和維持活動と、こうした動機による行動の間は線引きができない。

これを新植民地主義、偽善として非難するのはたやすいが、短期・中期的見通しの中で、近い過去の歴史において、近隣地域で小独裁者たち部族間の対立にすべてを委ねたときに何がおきたかということを見るとき、また、現実にバグボ政権に2つの和平協定を守らせるのが最優課題だと考えるとき、戦略的な面での批判は保留しながら、私はフランスの関与についてこれを必要悪と見る。この期に及んで、人道的、和平調停介入の是非についての原則的議論にさかのぼる人はもうほとんどいないと思うが、国連、近隣諸国のコンセンサスにより介入の正統性を保証とするという選択は正しいと思っている。この件の処理において、アメリカもフランスも同じという論が、逆に、介入は国連を中心とする国際社会との協調の上でという、極めて重要な一線−−ブッシュ政権によってすでに踏みにじられたもの−−が、反対のベクトルからなしくずしになり、偽善や虚構という安易な形容で、私たちの中で意味のないアイディアとなることを恐れる。

*1:一方、あるほうの利益にどんなものがあるかについては7日の記事で紹介したル・モンド・ディプロマティクの論文を参照。