乾いた日本、湿ったヨーロッパ

「リハビリ」がてら、いろいろな方の日記を遡って読んでいる。その中に面白いものがいろいろある。しばらく古い記事や、古いニュースをとりあげることがあるかもしれないけれど、自分の古い記事に言及されるのを、終った話を蒸しかえされるような気持ちになる人にはあらかじめ、ごめんなさいしておきたい。

id:kmiura さんの先月の記事 id:kmiura:20050415#p1 で、朝日新聞に載ったコラム 湿気が生み出す日独の差をとりあげてコメントしているのが目を引いた。

このコラムは、「空気の乾燥している」ドイツと「湿気の多い」日本を対比させて、それが人々の感覚に及ぼす影響に触れ、そして「湿度は人間の性格にも影響を与えるのでしょうか?」と問い、両国の社会での人間関係についてのアナロジーに及ぶ。筆者の用語でないが、俗にいう「日本−ウェット、ドイツ−ドライ」という観念がそこで確認されている。

kmiura さんはその人間関係についての観察の一般化に疑問を呈していて、私も同じような立場からそれに疑問をはさむが、ここで書きたいのはまったく別のこと。というのは、そもそもの大前提「日本−湿気が多い、ドイツ−乾燥している」が正しくないからだ。端的に物理的に正しくないし、生活感覚としても怪しい。

一般に言って、ドイツのほうが日本より湿っている。ドイツだけでなく地中海地方を除く大部分のヨーロッパがそうだ。一般に言ってというのは通年で見てということである。日本の冬が乾燥しているのは知られている。一方、ヨーロッパの冬は湿っている。これは一時的な逆転現象だろうか?手元の理科年表から東京とベルリンの月平均の相対湿度データを抜き出すと以下のようになる*1


月     1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 年平均
東京   50 51 57 62 66 73 75 72 72 66 60 53 63
ベルリン 89 83 76 68 64 61 65 69 73 79 87 89 75
ドイツの中でベルリンを挙げたのは、理科年表に出ているドイツの観測点がそうだからで他意はない。ドイツ、ヨーロッパの中でベルリンだけが特別に湿っているのだろうか。理科年表にはドイツの他の場所やパリ(Le Bourget)やロンドンの値があげられていないが、次のようなドイツ、フランス近傍の国の観測点のデータがある −− ユトレヒト(正確にはその郊外のデ・ビルト)、ブリュッセル(正確にはその郊外のウックレ)、ルクセンブル、チューリッヒ、ローマ。上記のコラムの筆者が「もともと湿気の多い日本でも、さらに多いと言われる京都」とも比べておこう*2

月        1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1112 年平均
ユトレヒト   89 84 81 77 75 76 77 79 83 86 88 89 82.0
ルクセンブルク 90 83 77 71 70 71 70 74 73 85 88 90 79.0
ブリュッセル  87 83 80 76 75 77 78 78 83 86 88 88 81.6
チューリッヒ  85 80 75 72 73 74 73 77 81 84 84 85 79.0
ローマ     75 75 75 75 75 73 72 73 75 76 77 77 74.8
京都      68 67 63 61 62 69 71 68 70 69 69 69 67
一目瞭然だが、通年してこれらのヨーロッパの都市ほうが京都よりも相対湿度が高く、逆転があるのはわずかに7月のルクセンブルクだけである。コラムの著者が住んでいたというケルンのデータも、ブリュッセルユトレヒトルクセンブルクと大差あるまいと思われる。ヨーロッパ全土に話を広げても、理科年表に観測データのあげられている、ロシアを含むヨーロッパの全都市において、年平均相対湿度が東京の63%より低いのはアテネの61.1%だけであり、京都の69%より低いのはこれに、ソフィアの68.0%が加わるだけである。

もし乾湿が人間の性格に及ぼす影響があるとすれば、年の1か月から4か月を除いて、日本より湿ったところに暮らすヨーロッパ人は、圧倒的に湿った空気の影響を受けていると言わなければならないだろう。

この朝日のコラムをとりあげたのは、ことさらにその筆者を批判するためではない。「日本−湿、ヨーロッパ−乾」という対比はほとんど常識のようにいたるところで言われている。しかも、上記のような誰もが参照できる簡単な物理的データに明らかに反するにもかかわらず、それに疑問を呈するものがいないということが以前から不思議だったので、この機会にまとめてとりあげて見ようと思ったのである。

日本の夏は蒸し暑い。これは誰もが実感することだ。データも実証する。ヨーロッパの夏がさらっとしているのも、まあよく実感する。データからいうと、夏の盛りの平均湿度が日本より低い都市があるが、かならずしもどこでもというわけではない。案外、ヨーロッパの清涼感というのはやはり単に気温の問題ではないだろうか。2003年の夏のように連日35度を越し40度にもなるとヨーロッパでも「さらり」などということは言っていられなくなる。夏の盛りでなくても日本が「蒸す」と考えられるのは湿度だけの問題ではなく温度と湿度の二つの要因からくる不快指数あるいは体感温度、別の言い方をすれば「体感湿度」の問題であるように思える。

しかしそれにしても、少し検索で見ただけでも、日本のほうが一般的に湿っているという観念はほとんど常識のように受け入れられている。日本の冬が乾いているとする人はいるが、ヨーロッパのほうが通年で見れば湿っているという指摘はざっと見た限りない(だからこれを書いている)。気象データとこの「常識」の圧倒的な差は何なのだろうか。夏にヨーロッパ旅行した人だけが言っていることでもない。両方の通年を知っている人にとっても、夏の蒸し暑さの圧倒的な差が通年の捉え方に影響しているのだろうか。冬の霧ほどには気にならないというこだろうか。リューマチにかかったヨーロッパの年寄はよく冬の湿気を嘆くが、そのような境遇にある日本人は少ないということだろうか。

相対湿度が同じでも、温度が違えば、飽和水蒸気量が変わるので、実際の空気中の水分の量は違う。この量で、つまり絶対湿度での比較ではどうなるだろうという疑問も浮かぶ。それの通年で見るとどうなるだろうか。ある部屋の空気中の水分を毎日かき集めてためていったらどちらのほうが多くなるかで、より湿っているかどうかを決めるという話だ。

そのためには、上の表で各月の気温の項目を加えて、それからその温度での飽和水蒸気量からその月、その月の絶対湿度を算出して...面倒ですね。野蛮なウルトラCで、気温と飽和水蒸気量の関係を問題になっている温度付近でリニアとみなして、平均だけで考えることにする(どうせ10パーセントも違わないのではないでしょうか)。

ところで温度と飽和水蒸気量の関係、理科年表はろくな表がないと思ったらこんな↓便利なページがあるんですね。

http://www.juen.ac.jp/scien/naka_base/met_cal/satu_vapor.html

これを使わせてもらって、平均値での乱暴な概算を行うと、
東京 − 年平均気温 15.9℃(飽和水蒸気量 13.57 g/m^3)、年平均相対湿度 63%
→ 絶対湿度 8.55g/m^3
ベルリン − 年平均気温 9.7℃(飽和水蒸気量 9.24 g/m^3)、年平均相対湿度 79%
→ 絶対湿度7.30/gm^3

一日一回1立法メートルの空気から水を集めて365日で東京では3.12リットル、ベルリンで2.66リットル。たしかにこれでいくと絶対的にはベルリンよりも東京の空気に平均して多く水分が含まれていることになる。でもこれでいくと結局温度が最も決定的なファクターで、単にベルリンは東京より気温が低いと言っているに過ぎないようなものだ。気温がベルリンと同じくらいの日本の都市だとどうだろうか。青森の年平均気温が10.1℃。年平均相対湿度が75%で、79%のベルリンより低く、10.1℃の飽和水蒸気量 9.47g/m^3 から計算すると7.10g/m^3と絶対湿度の平均も低い(ただし最初に断ったような乱暴な近似を行った上での概算)。温度が近いヨーロッパの都市と日本の東北地方の都市の他の例を比べても結果はだいたい似たようなものだと思われる。

それにやはり基本に戻って考えると、肌から水が蒸発したり、洗濯物が乾いたり、その辺に置いてあるケーキがからからになったりというのは絶対湿度の問題ではなく相対湿度の問題であるはずだ。そして、ヨーロッパのほうでそんな現象が日本よりも強く観察される条件があるのは、上の相対湿度の表で見ればせいぜい夏の数ヶ月かひと月もないことになる。それにもかかわらず、ヨーロッパでは一般に日本よりもそうだと言う観察を述べる人が多いのが不思議だ。何か私の推論に大きく抜けているところがあるのだろうか。この辺りのことに詳しい方の意見を伺いたい。

少なくとも、外に霧が立ち込め湿度が100パーセント近くもあるような冬の日の教会の音楽会で、からからに乾いた日本から来た人から「やっぱりヨーロッパの空気は音が響きますね。乾燥していて音がよく通る」などと言われると、何と答えたらいいかわからなくなる。

日本−湿、ヨーロッパ−乾という観念はいつどのようにしてでき、どのように根づいたものなのだろうか。和辻哲郎の『風土』(1935)が大きな影響を持っているのは確からしいが、残念ながら未読で私には何ともいえない。しかし、それを援用して展開する論をあれこれネットで見ていると、「夏が湿」という条件で論を進めるのはよいが、物理的事実に反してまで「常に湿」と解釈しかえ、あまつさえ、それを文化一般へのアナロジーとするのは、科学というよりは根拠のない固定観念、自己や他の文化への解釈をあらかじめ狭めてしまうものではないかという気がしてならない。むしろ「なぜ多くの日本人はヨーロッパは乾いており、日本は湿っていると思いたがるのか」ということについて考察したほうが面白いのではないだろうか。

*1:2002年版理科年表。東京の値は1971年から2000年までの平均値。ベルリン(Berlin-Tempelhof)の値は1961-67の平均

*2:それぞれの詳しい条件は理科年表を参照されたし