欧州憲法条約ノン再訪出発への前口上

欧州憲法条約批准へのノンのショックのあとの、ノン層の広がりの意味をもう一度検証するルポや分析記事が多い。次のル・モンドルポルタージュもその一つ。

「自由主義と不平等の行き過ぎ」−−多くの教員がEU憲法にノン
"Trop libérale, trop inégalitaire", la Constitution a été rejetée par de nombreux enseignants

LE MONDE | 31.05.05 | 14h08

教員層は伝統的に左派かつEU統合賛成派というのが多いが、今回はその層にノンがかなり多くみられた。私も、昨年末あたりこれは雲行きが怪しいと思いはじめたのは、このカテゴリーの属するノンが周りにあらわれてくるのを見てからである。この記事は統計をしめしていず、いろいろな当事者のインタビューによるものだが、空気がよくわかる。この層は、社会党や緑の支持者でウィからノンへ移行とした部分を典型的に代表している。

この層のノンには、ね式ブログが、「1992-2005 いかにしてウィ層は解体したか 1992-2005 : comment le oui s'est décomposé LE MONDE | 01.06.05」 を次のようにまとめる社会学的説明が与えられている。

フランス社会内で、以前あったような肯定的流動性が失われ、中間層の収入・雇用不安定化が進み、かつての社会党支持層(公共企業中間管理職や自由業・小型企業主など)の多くが今回nonに投票した

ウィの層とノンの層の関係には、高収入−低収入、高学歴−低学歴、都市−田舎という対立がはっきり現われている(詳しい統計は ipsos のものを紹介するmedia@francophonie 5月31日記事に)。これから、日本で流行の「勝ち組−負け組」というようなカリカチュラルな見方につながる恐れもあり、実際、ノンを唱えるフランス人たち自身が「下のフランス France d'en bas」の「上のフランス France d'en haut」への反乱とその運動を定義したりもしている。

ただ、1992年のマーストリヒト条約批准レファレンダムの投票行動調査、そして、それ以前からの、欧州統合が問題になるときのあらゆる世論調査で、この2項対立は4半世紀以上も何も変わっていないというのは、世論調査の専門家や政治学者がもともと指摘しているところである(参照は略)。したがってこの対立は、欧州統合の推進が固有に含む内在的な政治問題を示しこそはすれ、「勝ち組−負け組み」的な見方だけでフランスの今回のノンの意味が片づけられることを意味しない。そして、今回のノンの勝利に決定的な役割を果たしたのは中間層の選択である。

もちろん、上のル・モンド分析記事にあるような「中間層」の没落、没落への不安という見地から、今回の二項対立の新しい枠組みを「勝ち組−負け組+ずり落ち組+ずり落ちを恐れる組」というように解釈しなおすこともできるが、そうした極めて外在的社会学的分析を一歩離れて、ノンにまわった中間層、特に左派中間層の実際の意見を聞くとき、この憲法案に対する、理論的で基本的な批判を−−その当否は別として−−知ることができる。これは別の視点として重要なことだ。

教員、特にちゃんとした資格を持っている中学高校の教師は、その雇用が脅かされることはありえず、夫婦二人が教員であるときの収入をあわせれば、ipsos / media@franchophonie の統計のグラフでいえば、いちばん上の部分にあたる、月収3000ユーロを越える高収入層で、知的にもエリート層といっていい。彼らは、労働条件については人一倍強い不満を表明する傾向はあるが、それはその労働条件を反映するというよりは、どのフランス人ももつ傾向が、この層ではっきりした知的・政治的発露を見出しやすいという以上の意味はない(と思う)。

この層で、実生活上の経済的要因に影響されず、むしろ政治的使命感と善意でノンに賭けた人の立場は、上の教員へのルポから例をあげれば、典型的に次のような発言に見られる。

喜びいさんでノンに投票に行ったのではない。フランス国民が国内にひきこもってやっていけるのではないということも承知している。しかし欧州はエリートたちに取り上げられてしまった。もしここで何も言わず、何もしなかったら、人々は唯々諾々とこの、あまりに自由主義的で、あまりに不平等な、そして庶民が口を出すことのできない、欧州建設に引きずられていくばかりとなったろう
Ce n'est pas de gaieté de coeur que je suis allée voter pour le non, [...] Je suis consciente que nous ne pouvons pas vivre repliés sur nous-mêmes. Mais l'Europe a été confisquée par les élites. Si on n'avait rien dit et rien fait, on continuait à foncer tête baissée vers cette Europe trop libérale et trop inégalitaire qui ne donne pas la parole aux petites gens.

もちろん、反対の理由には、

この憲法によって、公共サーヴィスは競争にさらされることになる。これは、公教育についての不安も生じさせることになった。
Avec la Constitution, les services publics allaient être mis en concurrence, ce qui soulevait des inquiétudes par rapport à l'éducation nationale.

という意見に見えるような、公務員としての地位を守りたいという彼ら独自の利益に基づく本能的判断からくるものもあるが、この層に典型的にみられた、現EU憲法案への批判は、自らの利益とも重なる公共サーヴィスの保護をも含む、もっとも大きな、「経済リベラリズム的の行きすぎの加速、固定化の阻止」への意志という大枠で展開され、中間層全体に大きな広がりを持った。

そしてこの中間層・左派層においては、こうした「経済リベラリズム批判」をコンセンサスとした上で、賛成反対の立場は、現在の憲法案が1国の反対によってでも否決されたとき、調整・交渉しなおしてよりよい新案(いわゆるプランB)を作り直せばいいし、それができるという主張と、それは現実的に絶対に不可能でこれで妥協すべきだという主張の対立、はたしてこの憲法条約を批准することがリベラリズムの行き過ぎを是認することになるのか、むしろ逆で憲法の成立は行き過ぎを是正するものではないかという主張の是非などをめぐって、ウィ、ノンの判断は別れていき、それぞれの論点で激しい論争となった。これらの論争の過熱の中で、私が投票日直前あたりから批判したような、デマゴギーの誘惑に陥っていく人々もいたが、憲法案を実際に読み、憲法案をあれこれの立場から分析した本を買って迷いながら判断し、順序だてて議論し、場合によってはブログに発表した人々も多い。そしてそんなところで逡巡を繰り返しながら積み上げられたノンに最も良識的であり、建設的であろうとするノンを見ることができる。

こうしたところで行われたノンとウィの議論を、実際の憲法の条文に添って、フランス人が何を議論したのか、そこでどんな価値観の対立があったのか、場合によってはどんな誤解があったのかも、含めて、少しづつ見ていきたいと思う。死んだといわれる憲法を未練がましく読んでいくのはむなしいが、ただし議論を追うことで、現在のEU建設の方向とその問題、そしてフランスの社会の現在の状況も逆に見えてくる。体系的整理をする元気はないので、そのときの成り行きまかせで前後しながらでも取り上げる。