§11.ル・モンンドのブログ大接近。

フランスの新聞の中で、ブログの要素をもっとも大胆に取り入れはじめているのが、ル・モンドである。

ル・モンドは、今年の10月に自分のサイトで Typepad を利用したブログを開始した。そして、そこで記者、定期寄稿者のブログを掲載するとともに、読者にもブログを作るように促している。ル・モンド側の用意したブロガーには、フランス語のさまざまな話題について書く本紙の二人の校正担当者や、ニューヨーク特派員、あるいは作家・文芸評論家のピエール・アスリンらがいて、それぞれに面白い記事を読ませてくれる。読者のブログは、ネットか紙で予約講読をしている人に限られる。現在900ほどで開設されているが、動いていないのもあり、かならずしも内部は活発とはいえないが、なかなかに内容の質の高いブログがある。Typepadなのでデザインや機能の自由度も高いが、金を払った読者の開設するブログのページの一番上に、ランダムに選ばれた広告が出るのが、解せない。広告が一概に悪いとはいえないが、この手のランダムなやつは、本文に書かれたこととのからみでときどきブラックユーモアになるような、ものが出るからやっかいだ。

ル・モンドは今年の3月にネット版のデザインの大改定をした。ペーパー版なみに、ニュースのヒエラルキーを細く定めた、きめ細かい画面構成をしていたのが、既存のネットメディアのようにフラットな羅列に近いより単純化されたものになって、ちょっとがっかりしたが、スムーズで統一されたナヴィゲーションという意味では、まあよくなった。そして、ブログがより深く本紙部分のメニューに組み込まれると同時に、本紙部分にもブログとの接近をうかがわせる変化があった。

最も大きい変化が、社説欄、外部の著名人の寄稿欄にコメントがつけられるようになったことである。客観的な報道でない、こうした意見発表の文章を、ル・モンドは内(社説、記者論説)、外(解説的寄稿、意見投稿)にかかわらず「opinion」という欄でまとめているが、この「opinion欄」にのるものが、コメントの対象となる。ただしコメントは、予約購読者(ネット版、ペーパー版)としてネット版にログインしている者でないとつけられないようになっている。たとえば7日の記事、「一つの理念の死 La mort d'une idée LE MONDE | 07.06.05 |」を見ると画面右上に、コメントを促すボタンがあり、また最新のコメントが表示され、そしてその下に、32個(現時点)のコメントがつけられている旨の情報とそれらコメント全文へのリンクが与えられている。

モデレーターがいるかどうかは不明だが、コメントにはかなり激しい調子のものもある。

26日の日記で紹介した、EU憲法条約批准論争まっさかりに批准賛成、反対の立場をはっきりとさせて外部から寄稿された二つの記事、Jacques Nikonoff(Attac France代表者)の「EUの終局へのプログラム La fin programmée de l'Union européenne LE MONDE | 23.05.05」 ()と、社会学者 Edgar Morinの「ノンの後に Les lendemains du non LE MONDE | 25.05.05」には二人の書き手にそれぞれ対立する、批准賛成者、反対者から激しい批判があびせられた。批准賛成を訴える、26日掲載のル・モンド社主ジャン=マリー・コロンバニの社説「ノンの幻想 Illusion du non, par Jean-Marie Colombani LE MONDE | 26.05.05」には、195件のコメントがついており、開票結果が分かった後にも、反対を支持する読者から皮肉たっぷりに嘲笑するコメントがつけられている。

寄稿する人が「コメントの受け付けはやめてくださいと」あらかじめいえるのか、外国の重要政治家の寄稿のばあいもコメントの原則が適用されるかどうかは分からない(たぶん適用されない)が、すくなくとも社説や論説を書いたり、外部から主観的な判断やそれこら導き出される主張を含む分析記事を寄稿したり、意見投稿をする人は、ル・モンドではこうした形で寄せられる即座の読者からの批判に耐える度量がなければいけないことになる。コメント欄内で著者も反論もできると思うが、まあ、反論する人はいないだろう。

このコメント欄ができてから、ル・モンドの社説や投稿を読むときの手間が増えたが、逆に、思いがけない方向からの批判を目にしたり、自分の考えがひとりの考えでないことを知るなどすると、記事を読んだあとに考える仕方がより立体的になった。リベラシオンル・モンドにも前から、記事とは別に、フォーラムがあり、そこで一定の議論はできたが、このコメント欄だと記事に連動して、すぐさまにいろいろな意見を読むことができる。これは悪くない。

しかし、コメントが予約講読者だけに限られているとはいえ、コメントする側にも一定の節制がないと成り立たない制度だろう。これがどのように機能していくか観察していきたい。朝日新聞が、自分のところの社説にこの制度を導入したとき、主題によっては、コメント欄がどうなるか、はてな内部で近隣の日記のコメント欄でときどきおきることを思い出しながら想像すると、なかなかスリリングなものがある。