§12 公共圏の一部としてのブロゴスフィアの発見(2005年4、5月)

§5.で紹介したル・モンドの「Les blogs adolescents, espaces d'affirmation de soi et de découverte de l'autre 青少年のブログ−−自己確認、そして他者の発見の場」と題する3月のインタビュー記事の中で、インタビューに答える専門家は、Skyblogを中心とする青少年のブログと大人のブログの間に大きな違いがあるとして、次のように指摘する。

自我が強く、流動的で希薄なネットワーク形成を好む大人とは違って、青少年は、ブログを通して、お互いの結びつきのもっと深い小さなコミュニティを作る傾向にある。大分部のケースにおいて、ブログで見あったりコメントをやりとりする仲間は、現実の生活におちてももともと知り合いどうしであり、ブログは、ネット上でその結びつきを深め、新たに体験する場所、なにかを分かち合いたい、お互いに認められ合いたいという欲求を満足させる場所になっている。事件になった教師の中傷の場合も、本人たちは、それが公の場所でなされていてどこからでも見られるという意識がなく、自分たちの狭い世界でのおしゃべりにしか思っていなかったろう。彼らにとってブログはこれまでのチャット、SMSの延長上にしか過ぎない。

要するに、彼らのブログは、SNSに限りなく近いものである。そしてこれが前述(§6)したようなもともとの Skyblogの基本構想、戦略に一致していることはこれ以上詳述必要はないだろう。そしてこのようなブログの機能は、後発のホスティング・サーヴィスでも広がっている(例えば現在ブログ数第2位の TchatcheBlog)。3月の事件でフランス人に発見されたブログとはそうしたものだった。

そして、もう一方で、情報や意見の発信の場としてのブログが発見されたのが、それに続く4月、5月の時期である。それは欧州憲法批准条約をめぐる賛成派、反対派の議論の過熱という社会現象の中で起った。

もちろん、こうしたブログは、アメリカや日本と同じく、フランスのブログの出発時から一つの伝統的な流れである。それは着々と発展してきた。ル・モンドのようなメディアのブログ・ホスティング開始や、2004年6月にブログ数ランキング11位になっている hautetfort.com (haut et fort = 声高らかに)というようなホスティング・サービスは、その線上に位置づけられる。

また2004-2005年には政治家のブログ開設が話題にもなった。2004年2月は、社会党の前政権時代に経済・財務相+産業相という「スーパー大臣職」を務めた ドミニク・ストロス=カンが、blogdsk.comを開設した。また、1995年の選挙でシラクが大統領になったときにその下で最初の首相を務めたアラン・ジュペが2004年9月に al1jup.comドメイン名で密かにブログを開始していることが、数ヶ月たってからマスコミで話題になった*1。またミッテラン時代の文化大臣として有名なジャック・ラングも、jacklang.net で先月5月19日にブログを開始した。こうしたビッグネームでなくても、地方自治体の議員レベルでブログが少しづつ増えてきており、また党にかかわらず地方支部レベルでブログを開設する例もでてきた。

そしてシュロス=カンのブログに典型的なように、政治家、政治活動家のブログは今年にはいるとほとんど欧州憲法条約批准国民投票をめぐる賛成と反対の立場表明、論争の場となってきた。

一般市民のブログで、政治に関心のある話題を書いていた人たちのものは、4月、5月になると、ほとんどこの議論に専用のものになったものも多い。そしてまた、そうした議論の過熱の中で、新たにブログを開設して論戦に参加していった人も多かった。

考えてみれば、基本的対象は一つのテキスト、そしてウィとノンがはっきりしていて意見がまっこうから対立している。そして投票の日付がきまっており、一日一日と状況が緊迫していき、その中で、政治家たちの発言によって、毎日新しい要素がどんどんと付け加わる。これ以上のブログ向きの題材はない。

人々は、憲法条約案を−−時に断片的に−−引用し、その解釈や、是非を論じ、あれこれの政治家や知識人の立場を引いては、自己の賛成や反対の立場を表明し、コメント欄で議論したりした。大新聞や雑誌では、反対派の立場は弱かったから、ネット一般は自分たちの反対論を広める重要な手段となった。賛成派も反対派もマスコミでとりあげられない小さな情報をも精査して、取り上げ交換し、一歩に二歩も踏み込んだ意見を表明した。個人的なものだけでなく、複数の人間で運営されるものも出てきた。また賛成・反対の論争を禁じ、客観的な資料提示に徹しようというのもでてきた。

ブログでこうした熱狂は、去年のアメリカ大統領選挙で起きたことによく似ている。そして、フランス人はアメリカ人に半年遅れて、こうして、ブログで論戦を戦わせることの面白さと、それが持つ力を発見した。

そして、5月も末になり、投票日が迫ったころ、マスコミもそのことに気がついたらしい。国民投票をめぐるブログの過熱については、リベラシオンは投票日前日の5月28日に「国民投票 ネットでブロガーたちは熱狂 Référendum Sur la toile, les blogueurs déchaînés」、ル・モンドは投票日翌日の5月30日に前哨に立つウェッブ Le Web aux avant-postesといった記事でそれぞれ報道した。

そして投票が終ったあと、特に、批准否定派からマスコミへの不信の声があがるなか、また論争の際に果たした、ネットとりわけブログの役割の大きさが認識されるなか、ブログが従来のマスメディアと並んで、言論における公共圏=パブリックスペースの地位を得ていることに人々は気づきはじめた。

すでに、ル・モンドで5月24日書かれた分析記事「メディアに対抗するブロゴスフィア La blogosphère contre les médias」では、第4の権力たるマスメディアへの対抗メディアとしてのブロゴスフィア*2の勃興についての世界的な傾向が語らている。そして投票後のショックのあと、ジャーナリストもまきこみながら、マスメディアとブロゴスフィアの関係について、大きな変化への希望や、マスメディア側からの防衛反応などが交錯しながら、議論がはじまっている。

この対抗関係は相互繰り込みをも生んだ。

一つの例は、上で(§11)述べたように、ル・モンドという新聞がブログに接近し、ブログを新聞のネット版の構成要素として、論説欄にさえブログのコメント欄のような機能がついたことである。そのコメント欄に、自分のブログへのURLを貼り付けていくものさえ現われている。

一方、ブログの中でも情報源や論調がしっかりしたものは、小さな新聞なみの地位を獲得しはじめた。一例をあげれば、憲法批准問題を議論するブログとして去年の11月に現れたpublius.fr は、
賛成派、反対派も含めた−−ただし賛成派が優勢だったように思う−−複数の匿名のブロガによって運営され、冷静な議論とソースの選択と扱いの確かさによって、確実な知的権威を獲得した。ブログ全体の賛成反対の方針はなく、その代わり署名つきで書く各ブロガは旗幟を鮮明するというのがルールである。匿名とはいえ、事情通にはアイデンティティはわかっており、欧州議会議員への独自インタヴューを掲載するなどの取材活動も行っている。そこまでくると、記事にある署名が、単にファーストネーム(特に風変わりな)だけか、フルネームになっているかの違いだけで、伝統的なメディアと変わらぬ性格さえもつ。そして今やpublius.frの記事はフランスのGoogle News で拾われるようになっている。

人が、時事問題についてブログに情報を求める大きな動機は、マスメディアにない情報、あってもクローズアップされていない情報、あるいはマスメディアでは見えないような情報と情報の結びつきを探し、新たな一つの解釈を知ったり、あるいは自分が抱いた解釈を確認しにするためだ。それが対抗メディアといわれるゆえんでもある。

またもう一方、ブログが人々に魅力を持ったもう一つの大きな理由は、フランスではとくに、コメント欄での議論の可能性であった思われる。フランス人の議論好きについては今さら言う必要もないだろう。タイミングと場所の雰囲気さえあれば、知らない人同志でもすぐに議論に発展し、人はそれに楽しみを覚える。ブログのコメント欄が、そうした意見交換、議論への欲求を満たす場所となった。

ブログのコメント欄での議論はストロス=カンのブログでは例えば、投票日の翌日、5月30日のエントリーには430件のコメントがついている。publius.frのつい最近、6月7日のエントリーには、231件のコメント。その大部分が、数行というようなものでなく、複数パラグラフにわたるもので、本文に向こうをはった段落構成や、本文より長いのもまれではない。議論の白熱したブログでは、こうした長文のコメント、コメンテーターどうしの議論はしばしばある。ブログの作者も、答えるのが面倒ならば、議論のために場所をかしてやっているくらいに思わないとつとまるものではない。

こうしたコメント欄での議論の可能性は、マスコミのネット情報が読者の前に冷たく立ちはだかるのと反対に、人々のコミュニケーションの新しい領域を作った。ここで参加者は、かつてサロンやクラブ、カフェーなどで論じるように、政治を論じている。情報を消費する大衆から論議する公衆への再転換の可能性の場、というまでには、現象は局地的であるが、しかしここではじめて、論議の機会の拡大を見出した人々は確実にいる。本文のレベルも議論の質はまちまちであるし、不和雷同もあれば、水掛け論の繰り返しもあるが、ともかくもブロゴスフィアの中でそのブログが占める位置に応じて、いろなレベルの議論が、あちらこちらで展開された。そうして、ブロゴスフィアが、そうした対話可能性という特質をもって、公共圏−−フランス語でいうならespace public −−の一部となっていること、そしてそれが現在の公共圏の構造に変化をもたらすだろうということに、この国民投票の一連の騒ぎを通じて、フランスでは多くのメディアの人間がたった今気がつき、そしてその変化をめぐる議論がはじまったばかりである。

§13.結び
あと1回ぶんだけ記事をつけます。

*1:政治家のブログといえば、活動や政策を宣伝する道具ときまっており、結局従来のホームページのスケジュール欄と、政治的意見を発表するページが合体したものくらいになりがちだ。その中で、アラン・ジュペのブログは、私事にわたることや私情、また政治的テーマについてもパーソナルなスタイルで書かれており、普通の人のブログらしてくてなかなか面白い。このブログは9月に始まっているが、このときジュペは汚職事件の裁判が進行中で、7月にUMP党首を辞め、また12月の裁判で14ヶ月の執行猶予付き懲役+1年間の被選挙権剥奪が決定し、議員職とボルドーの市長職を退くまでの、微妙な時期にあたっている。ジュペというと、頭は切れるが高慢で冷徹だというなイメージが一般にあるが、このブログのスタイルは意外だった。苦境や挫折は人間味を変えるのか(そういえばストロス=カンも、汚職事件で−−後の潔白となったが−−大臣職を辞任している)。だいたい al1jup で Alain Juppé と読ませるSkyblog的なのりがすごい。憲法条約批准問題で政治的議論が多くなったが、政治問題に関しても、内省的な迷いを見せながら書くようなところがある。フランスの政治家の文章で、死後に公開される日記でもない限りそんなものを読む機会はまずない。政治的には私の立場と相容れない人だが、ブログはそうした理由で好きで、時々読みにいった。5月29日の投票日に、どういう意見表明があるか見にいったら、「国民投票。人生で初めて投票ができない。苦悩。Referendum.Aujourd'hui, pour la première fois de ma vie d'homme, je ne peux pas voter. Souffrance.」とだけ書いてあり、被選挙権だけでなく懲役刑のほうで選挙権も停止されていることを知った。もっとも、ほんとうは刑務所にいるべきでブログなんかやっている場合じゃないというのが正論ではあるが。

*2:blogという語については、国の用語委員会の勧告でフランス語として bloc-notes という語が 「ネット上の、多くの場合個人的なサイトで、短い記事やメモを時系列的に提示し、通常は他のサイトへのリンクを伴うもの un site sur la Toile, souvent personnel, présentant en ordre chronologique de courts articles ou notes, généralement accompagnés de liens vers d'autres sites 」という定義のもとに提唱され、5月20日の官報ですでに発表されたのにもかかわらず、ル・モンドですら、平気でblogばかりでなく、「blogueur ブロガー」、「ブログする bloguer」という語を用いる記事を掲載し、blogosphère ブロゴスフィアなる概念まで用いられるようになっている。bloc-notes はこれらの派生語を生み出す力が弱。