ハイパーに切り刻まれることへの抵抗

yskszk さん経由で知ったgotanda6 さんの 新聞系ニュースサイトの個別記事にリンクしてはいけないを読みにいく。ちょっと驚き。各新聞社系サイトの注意書きを読みにいくと、確かに「リンクを張る場合は原則としてトップページにお願いします」(産経Web)のような注記をしているところが多い。また、リンクしたばあいは知らせろというのも多い(e.g.「asahi.comにリンクを張った際は、そのホームページの内容とアドレス及びリンクの趣旨、お名前、ご連絡先、下記の注意事項を了解した上でリンクした旨などを記載して、お問い合わせフォームからお知らせください。」)

驚いたので、論じつくされた話ではあると思うが、自分なりにちょっとまとめてみる。
リンクに対する大手新聞各社の態度を2つのポイントでまとめると(注意書きページへのリンクは各社の意志を尊重して略)、

asahi.com 個別記事リンク − 可(非明示的に示唆) 届け出 − 要
NIKKEI NET 個別記事リンク 不可 届け出− 要
ミウリ・オンライン 個別記事リンク 不可 届け出 − ? (「原則として自由です」「リンクを希望される方は...データベース部著作権担当へ」)
産経Web 個別記事リンク 不可 届け出 不要
毎日 個別記事リンク ? 届け出 要 (転載だけでなく、インターネット上のリンクについてもご連絡をお願いします。)

のようなぐあい。

毎日新聞は、「日本新聞協会『ネットワーク上の著作権について』」を掲載していて、その中の「新聞・通信社が発信する情報をご利用の際は、必ず発信元にご連絡ください」という項目でリンクについても触れられているが、以下のような理由で、リンクの通知を促すのが新聞協会の統一見解らしい。

インターネットの特徴の一つであるリンクについても、表示の仕方によっては、問題が発生する可能性がある場合も少なくありません。
利用者の側が、情報をどのような形で利用しようとしているか、動機も、利用形態もまちまちなため、新聞・通信社としても、個々の事情をうかがわないと利用を承諾していいものかどうか、一般論としてだけでは結論をお伝えすることはむずかしい側面もあります。リンクや引用の場合も含め、インターネットやLANの上での利用を希望されるときは、まず、発信元の新聞・通信社に連絡、ご相談をしていただくよう、お願いします。

2年前にあった「産経X連邦」の事件というのも id:gotanda6 さんのところにあるリンク集から知る。
id:gotanda6 さんが言うように、個別記事のリンク禁止や、お伺いを立ててからのリンクの必要性は「もはや無効化してる」ように思うが、それはリンクを張っている側の思い込みで、新聞側はまだ本気でそう思っているのかもしれない。だとしたらブログから新聞記事にリンクを張る人が全員いっせいにお伺いのメールを送ってみたらどうなるだろうか興味深いところだ。

この問題に関しては、社団法人 著作権情報センターの Q&A にある「無断でリンクを張ることは著作権侵害となるでしょうか。」がいちばんまともなように思う。要点は結局、以下の点だろうか。

「ホームページに情報を載せるということは、その情報がネットワークによって世界中に伝達されることを意味しており、そのことはホームページの作成者自身覚悟しているとみるべきだからです。」

これについては個人のホームページだけでなく、既存メディアのもの含まれるはずだが。

既存メディアのばあい、商業上の利益に関わってくるリンクの使われかたもあるので、神経質になるのもわからないではないが、しかし、著作権を特に侵害するとも思えない通常の「個別記事へのリンク」を拒否したり−−ある記事に言及したいときその記事へのリンクがだめなら引用に頼るしかない−−そうした拒否が、商業利益とも関係ない個人サイトにも見られた(れる)のは、哲学の問題としかいいようがない。

ひるがえるに、WWWが一般化する前にすでに、ハイパーテキストの概念があり、その洗礼を受けていた人は、インターネットを、ハイパーテキストが世界規模に一般化したものとして考えていたわけであり、ハイパーリンクの網の中に自らをさらして、切り刻んでちょうだいと言う覚悟もすでにできていた。その根底には「フラグメント」とか「作者の死」とか「作品概念の消滅」とか「網目の結節点としての意味」などの概念が流れていただけに、そうした思想的洗礼を受けていた人々にとっては、特にそうだった。コンテンツとURLの一対一関係を危うくするものとしてのフレームに反対する No Frames 運動なるものもその確信に起因している。

一方、インターネットが通信、発信手段として普及してくれば、利用者のすべてが、そういう思想的基盤を共有して参入してくる保証はなくなる。http が Hyper Text Transfer Protocol の略だとか、href が hyper references を意味するということなど別に意識しなくてもよい。

コンテンツをネットでアクセス可能にしたいけれど、ハイパーテキストの網の目にそれをさらしたくないという確固たる意志をもった商用サイトなどは、javascriptjavaによる表示を多用したり、サイトをまるまるshockwaveブラックホールのように作っていて、それはそれで一つのポリシーといえる。しかし、新聞社系のサイトや、大部分の個人サイトのように、すべてのページに http:// の一意なURLを与えておきながら、リンクを禁じるというのは、使用するメディアと採用すべき態度との間の自己矛盾で、したがって、「お断り」「注意事項」みたいなおまじないに頼るしかない。もっとも、phpなどのスクリプトで作られたページで、トップページ以外は、サイト内のレファラーを持たないアクセスをブロックすれば、個人サイトでも簡単に個別ページリンク禁止は実現できるが、だれかやる人がいるだろうか?

それにしても問題は、新聞というマスコミュニケーションの基幹にいる人々が、上のような世界的規模のハイパーテキストとしての www をまったく理解せずに、単に新手の情報送信手段のような考えでインターネットに参入しているように見えることだ。こうなるともはやwwwの精神についての公衆教育の問題ではなかろうか(もちろんそれが正統なものだとしてだが)。乱暴な言い方だが、IT産業育成のための行政指導ものという発想をする人はいないのだろうか。

この点においてブログの一つの啓蒙的利点は、ダイレクトにその日づけのページに人々がアクセスすることが前提とされいていることではなかろうか。まさか、ある日付の記事にリンクされることを拒否し、トップメニューからアーカイブメニューを経由してを要求する人はいないだろう。