ロンドン同時多発テロ−−英国人の沈着冷静 (Libération)

Terrorisme. Editorial Sang-froid
テロリズム 社説 沈着冷静
7月8日付け リベラシオン Antoine de GAUDEMAR
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ロンドンの同時多発テロ事件は、フランスでも大きな衝撃とともに受け止められています。地下鉄の爆弾テロ事件を何度も経験し、また、テロを狙うグループの未然の摘発も続いているなか、ひとごとではないという気持ちが、オリンピック騒ぎで最高潮に達していた英国へのライバル意識を一挙に吹き飛ばしてしまいました。また、フランスのマスコミでは事件に対処するイギリス人の沈着冷静さぶりに感心する声がよく聞かれました。事件から一夜たって発表された、リベラシオンの社説は、そんなフランス人の受け止めかたをよく伝えています。翻訳者の判断で適当に段落分けしてあります。
(翻訳はじめ)
ニューヨーク、マドリッド、ロンドン。何度も蘇ってくる悪夢のように、テロの攻撃にあう欧米大都市のリストは長くなり、そして恐らく終りではない。ロンドン警視庁とテロ対策にあたるすべての人の見方では、今後の問題は、同じような犯罪がこの先行われるかどうかを知ることではなく、それがいつかということである。そうした犯罪の防止が困難であることについては何も変わらないからだ。1995年のパリの場合がそうであったように、ラッシュ時の公共交通機関が狙われた場合には特にそうだ。

特定の目標を狙うのではなく、公共の場所で行われる無差別テロ、できるだけ多くの犠牲者を出して、最大限の反響を得ようとする行為がここでは相手だ。日にちが何らかの意図で選ばれていれば、結果はよりいっそう保証つきのものとなる。昨日はテロはG8首脳会議の開催初日に実行されたが、その3人のメンバー、ブッシュ、ブレア、プーチンイスラム過激派にとってその最大の敵と見られているだろう。ブレアは爆破実行犯を名指すのに捜査の終了を待たなかったが、実際、実行犯はアルカイダやその追随者の特徴を持ち、またもや、その恐るべき組織力、攻撃力を証明している。

一日の差で何というコントラストだろう。昨日、英国首相の厳しく決然とした表情を見ながら、だれしも、前日、IOCの決定の知らせで喜びに輝いていたその表情を思い起こさずにはいられなかったろう。しかし、テロに対する彼の戦いにおいてなんらかの変化があるだろうと見るのは無駄だ。威嚇に屈することへの首相の拒否は、ロンドンの街中で人々に見られた見事な沈着冷静さの反映でもある。パニックの不在、驚くべき冷静さ、それは、われわれにとって少なくとも1940年以来おなじみになっているこの国民、そのレジスタンスの精神にふさわしいものだった。

昨日、リベラシオンは、2012年オリンピック競争の英国の成功を受けて「ショックメーカー・ロンドン Londres de choc」という見出しを掲げた。今日、ロンドンは、驚きと怒りの中で、ショックに抗している(Londres tient le choc)。
(翻訳おわり)

media@francophonie のメディさんがお休みなので、スタイルをいただいてしまいました。が、やはり、メディさんと違って、最後に個人的斜めコメントを付加えないと気がすまない私。

オフレコだったはずのシラクの「イギリスは不味い」発言を記事にして、ミニ外交問題まで引き起こしたリベだが、さすがに神妙。ブレアの政策についての政治レベルでの議論を巧妙にさけ、心情的な連帯をまず表に出している。フランスのマスコミが、イギリスとの不協和を強調するときは、歴史的レファレンスが百年戦争やナポレオンのときの英仏戦争になるが、連帯を強調するときは第二次大戦で助けてもらったときのことが出てくるという、そのレトリックの伝統がここでも生きている。