Wikipedia 客観性注意マーク

IRAIRA暫定派)の武力闘争の歴史や背景についてざっと知りたいと思ってWikipediaをみると、関連項目のあれこれ(例えば Provisional Irish Republican ArmyBloody Sunday (1972))に、「中立的な観点の面から議論中」を示すマーク


 The neutrality of this article is disputed.

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がついていて、政治的にやはり相当にデリケートな問題というのがわかる。
このマーク、日本のWikipediaでも見たことがある。これがついていなくても、第二次大戦がかかわる日本史に関する項目の多くがこのマークに値するように思う。最初はかなりあきれたが、今では個人的には、歴史修正主義を勉強したり、その浸透度の現状をチェックするというへんてこりんな利用法を見出している。

それにしても、Wikipediaやネット情報だけに限らないが、ネットに書いてあるというだけで、逆にこの客観性注意マークの見えざる存在を忘れる傾向が、人にはどこかにあるのではないかという気もする。内省してみても。

しばらく前に、学校の先生から習ったことをブログに書いたのを、コメントで批判されて違うと分かったというようなことを書いていて話題のタネを提供した中学生だか高校生だか、はてな界隈でもいた。儒教的モラルで言うとどうなんだろう。戦前なら、自分の師の言うことを、床屋でどこの誰とも分からないお兄さんやおじさんに言われたことや、そのへんの赤新聞(語源による語の正しい意味での)に匿名氏が書いてあることで批判するなどすれば、こっぴどく怒られたものではなかろうか。これも反権威主義教育や「造反有理」のたまものというべきか。匿名でマスコミの報道に批判がましいことをときどき書いている私が言うのも何だが。